
「真田丸」、終わってしまいました。
最終回も、はじめから終りまで、退屈な時間も無駄だと思われるシーンも一切なく、
(もしかしたら史実は違っているのかも)、な~んて淡くアホな期待を抱きながら見ていると、颯爽と駆け抜け、気づいたら穏やかで感慨深い、非常に感動的なラストシーンを迎えていました。
なぜ、伊豆守(真田丸どうでしょう)様と佐渡守(sadist・足指のピアニスト)様の二人が偶然同宿であったのか、(有り得ない設定だわ)と思いながら、
(そうか~、ここにつながっているのか。これを見せて、これを語らせたかったのか~)と、
三谷幸喜さんの
『かつてと今の、全ての日本人』に対する愛情を感じました。
「中の人」が面白い人だと分かっていると、シリアスなシーンもおかしい。
こんな字幕とテロップのタイミングも、おかしいw
懐かしいシーンが、服部先生の曲に乗せて走馬灯のように流れるエンディング。
哀しいとか虚しいさみしいとか、それだけではない、いろんな成分が配合されている涙を気持ちよく流して見終わった後・・・。
ばあばを車イスに乗せてトイレによって、寝室へ送り届けると、その間に子供たちへ父親から指令が。
「ひきつづき、サッカーを見なさい」
と、電話が入っていたのです。
えっ? 何? あれっ? 今日なの? まさか、勝ってるの?
その日は一日、「真田丸」のことしか考えていなかったのでノーマークだった、トヨタカップ。
しかも、鹿島の赤備え「鹿の枝角」アントラーズが、あのレアル・マドリードに勝っている??
同時刻に、真田軍と一緒に、闘っていたのね!
・・・・もしかすると、ひょっとして、せ、世界一?!
「真田丸」と同様、はじめはリードしていた真田、豊臣軍は、少しのほころび・・・、というか
審判! ポケットまで手をやったのに、どうしてイエローカードを出さないの? 買収されてない?
なんだか、アヤシイ判定もあり、逆転を許してしまいます。
眩しすぎる麗しすぎる王子様、クリスティアーノ・ロナウドが、見事に3ゴール、ハットトリック達成。
日本のチームがクラブ世界チャンピオンの座を、惜しくも逃してしまいました。
さて。
その夜は、ブログに最終回の感想を書こうかしら・・・と思いながら、いろんなシーンを思い出しては胸がつまり、涙がこぼれ・・・、感慨に耽たまま、ちょこっとお酒も飲んでいたのでぐっすりと眠ってしまいました。
翌日、ネットのニュースも、一通り見て、またいろんなシーンを思い出し・・・。
ああ、こうやって何度でも振り返り、噛みしめ、まるで、スルメを食べているようではありませんか。
一人だけで味わっているのではなく、子供たちもばあばも、家族みんなで思い出して話せる、
我が家のお茶の間を温め、沸かせてくれた「真田丸」。
ありがとう、「真田丸」。
三谷幸喜氏「真田丸」秘話明かす 近藤正臣だから生まれたラスト
スポニチ・アネックス
2016年12月19日
戦国時代最後の名将・真田幸村の生涯を描き、ブームとなったNHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)が18日、最終回(第50話)を迎え、完結した。脚本を担当した三谷幸喜氏(55)は全50回にわたる放送を振り返り、本多正信役の近藤正臣(74)のセリフを書くことが「楽しくて仕方がなかった」と告白。筆を進める中で「『真田丸』は本多正信で終わるのかもしれない」と感じたことが、真田信之(大泉洋)とのラストシーンにつながったことを明かした。
劇中、最も成長した登場人物の1人として、徳川家康(内野聖陽)の側近として知略を発揮し続けた本多正信の名を挙げた三谷氏。「
僕はいろいろな軍師の中でも本多正信が一番好きなのですが、近藤さんが演じられることで、すごく人間味に深みが出てきました。セリフを書くのが楽しくて仕方なかったです」と語る。
最終回のラストシーン。信之を大坂から自らの領地・玉縄(相模国)へ連れてきた正信は「
戦と同じ。人の心を読むのが肝要で。領民には無理をさせず、というて、楽もさせず、年貢だけはきっちりと取る。その上で、領主たるものは決して贅沢をしてはならん。これでござりまするよ」と“統治論”を説く。領民たちが正信を慕う様子を見た信之は「国づくりの根本を教わりました」と感服。そこへ大坂城落城の知らせが届き、弟・信繁(堺雅人)の死を察した信之は六文銭を握りしめ「参るぞ」と新たな一歩を踏み出す−−。
なぜ、このシーンで物語を締めくくったのか。三谷氏はその理由を次のように明かす。
「(近藤扮する正信の)イメージがどんどん膨らんで『もしかしたら“真田丸”は本多正信で終わるんじゃないか』と、ふと思ったんです。正信は何となく悪い人のイメージがありますが、地元では逆のイメージを持たれていることもあると思い、
調べてみると『百姓は生かさず殺さず』という有名な言葉に行き着きました。その言葉も悪いイメージで捉えることもできますが、逆の意味で考えると、すごく領民のことを考えていて、
領主としての見本のような人だったのではないかなと感じたんです。
それが信之に影響を与え、その後の(真田家の)礎を築いていくということにつながるのではないかと思い、そのあたりから、だんだん最終回のラストシーンが見えてきましたね。正信が信之と一緒に大坂から帰ってくるという設定にうまく結びつけることができました」
「それもこれも全部、近藤さんが正信を演じられたからこそです」と断言。「そうじゃなかったら、僕はこの結末にしなかったと思います。ラストも、近藤さんがすごくいい表情をされたんです。大坂城が落城したという知らせを聞いて、
何も言わずに大泉さんと目線で何かを交わす、というすごくいいお芝居でした。もともと近藤さんが大好きで『国盗り物語』(同局大河ドラマ、1973年)の明智光秀と『黄金の日日』(同、78年)の石田三成は僕の中の“ベスト”。近藤さんに最終的な形を締めてもらえて本当にうれしかったです」と稀代の名優に感謝した。
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じつは、このシーンが画面に映った時、息子たちが急に叫んだんです。
「軽トラのタイヤのあとが残ってる!」
「草で隠してあるけど、江戸時代なのに、軽トラのわだちのあとが見えてる!」
なんと。
私は、サド様と真田丸どうでしょう様の二人の会話に耳をそばだてていましたが、息子たちは『昔ながらの田んぼ』のように見せている田んぼの様子を、するどくチェック(笑)
「そうか~、よく気がついたね」と言いながら、台詞に集中できなかったので、この記事を読んで確認することができて嬉しかったです。
『百姓は生かさず殺さず』が、サド様、もとい佐渡守様のお言葉だとは、知りませんでした。
戦国の世が終わり、武士の役割も大きく変化していく中で、”国の力 = 百姓” を大事にしながら、国づくりする領主の心得、指導者としての「上級国民ならぬ、上級藩主、藩屏」としての根本を教え、真田信之は立派な松代藩主となる。
江戸時代の後期には、水戸の弘道館にならって松代藩の藩校・文武学校が開校し、幕末に時代を動かした天才兵学者・朱子学者・思想家の佐久間象山は松代藩士でした。
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佐久間象山の教育に対する態度は近代的で、自分が書物から学んだことは、公開を基本とした。象山自身の門弟から「免許皆伝」を求められた時も、その必要がないことを説明した上で断っている。
学問に対する態度は、小林虎三郎へ送った次の文書からも窺うことができる。
宇宙に実理は二つなし。この理あるところ、天地もこれに異なる能わず。
鬼神もこれに異なる能わず。百世の聖人もこれに異なる能わず。
近来西洋人の発明する所の許多の学術は、要するに皆実理にして、
まさに以って我が聖学を資くる足る。
象山は
大砲の鋳造に成功し西洋砲術家としての名声を轟かすと、蘭学を背景に嘉永2年(1849年)に
日本初の指示電信機による電信を行ったほか、
ガラスの製造や
地震予知器の開発に成功し、更には
牛痘種の導入も企図していたという。嘉永4年(1851年)には、再び江戸に移住して木挽町に「五月塾」を開き、砲術・兵学を教えた。ここに
勝海舟、
吉田松陰、
坂本龍馬ら後の俊才が続々と入門している。
嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀に来航した時も、象山は藩の軍議役として浦賀の地を訪れた。この報告は江戸幕府老中阿部正弘に『急務十条』として奏上され、この機に松陰に暗に外国行きを勧めたとされる。
(Wikipediaより引用)
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【悲報】有働アナ、最後に徳川幕府を滅ぼす
徳川家康ナレ死どころかナレ倒幕!お見事!(笑)
さて。
ココからは、
#真田丸 hashtag on Twitterの中から、順不同で、画像や傑作ツイートをご紹介させていただきます。
全五十回。これが真田丸最終回だ。源次郎……いや、日ノ本一の兵・真田幸村の最期、伝説になった男のその姿をしかと目に焼き付けるのだぞ。
- 御意。
「人のまことの値打ちというものは己が決めるものではございません」
「誰が決める」
「時でござる」
「大事なのは、いかに生きたかでございますゆえ」
視聴者『わたしも!』
視聴者『ぼくもそう思う!』





毛利勝永、無双
>本多忠朝、小笠原秀政・忠脩父子を瞬く間に討ち取った。
続いて、浅野長重・秋田実季・榊原康勝・安藤直次・六郷政乗・仙石忠政・諏訪忠恒・松下重綱・酒井家次・本多忠純といった部隊を撃破し、遂には家康の本陣に突入する
なにこの鬼神
つづいては、今週の・・・

『お ま え が 言 う な !』
「新選組!」で今井朋彦さん演じる徳川慶喜は大坂城に徳川の馬印を残して逃げて士気をガタ落ちさせ、「真田丸」では同じ人が演じる大野治長は大坂城に豊臣の馬印を持ち帰り士気をガタ落ちさせたか。
今井朋彦、大坂城、馬印ってなんか狙ったのか?

江戸幕府を開いた徳川家康を「最後の戦国武将」と評価!
徳川家康のこの姿、見覚えあるなと思ったら・・・、
リラックマだったwww
その、伊賀越えを越えた躍動感!
結局、すべては、あいつのせい・・・。
それはしょうがねぇわ…(真顔)。
あんだけ撃たれ斬られながら大阪城まで辿り着いた作兵衛まじ超人…
マルトーーク! 主(あるじ)だいすき家臣♡
視聴者代表 上杉景勝さん。
ばっさりと、正論。
驚きの・・・。
信繁「いくつになった」
佐助「55でございます」
視聴者「えっ?!」
佐助55歳
「全身が痛うございます」www
そして・・・。
真田丸が終わった後の、ぬけがらの私・・・。

ぽっかりと空いてしまった心の穴を埋める、胃薬・・・。

紅白で、待ってる。

大事なことはみんな、

お屋形様が、ぜーーんぶ云ってくれました。
なんか、かわいい兜ww そして、いい声ww