ノブレス・オブリージュ (仏: noblesse oblige ノブレッソブリージュ)
【ノブレス】は、英語だとnoble「高貴な」という意味
【オブリージュ】は、英語だとoblige、「義務を負わせる」の意
『高貴なる身分は、高貴なる義務を課す』
つまり、高貴な身分にある人は、その身分にふさわしい高貴さ、寛大さ、勇気、気品、高潔さ、を身に付ける義務があるという、フランスの諺(ことわざ)です。
私がはじめて
「ノブレス・オブリージュ」 という言葉を目にしたのは、2ちゃんの「皇室スレ」でした。
欧州には日本の武士道とよく似た「ノブレス・オブリージュ」という概念があり、今でも一部欧州の王族、王室の中に息づいている。
転じて、日本の皇室、皇族はどうなのか?、という話題で登場しました。
近代の貴族の子弟は軍人を志すものが多く、第一次世界大戦においては、イギリス貴族の子弟も率先して将校として参戦し、その死傷率は平民の兵士を上回ったといいます。その結果、戦後の貴族階級の年齢層のバランスが大きく崩れたそうです。
第二次世界大戦時の英国の首相を務めたウィンストン・チャーチルも、陸軍士官学校卒、インド勤務、新聞の特派員としてボーア戦争に従軍といった経歴を持っています。
また、1982年3月からイギリスとアルゼンチンの間で、フォークランド諸島の領有権を巡り、3ヶ月にわたって行われた紛争おいては、イギリスのアンドリュー王子が戦闘ヘリに乗って参戦しました。
その母親であり、現英國国王であるエリザベス2世も、それまでの名誉職で肩書きだけの慣習を止め、他の隊員と同じく訓練を受けて軍務に従事。車両整備や弾薬管理そして運搬の為に大型免許も取得したことも、有名な話です。
現在でも、ウィリアム王子とヘンリー王子は、第一次世界大戦後には徴兵制が廃止されたにも関わらず、自ら王室の伝統と栄誉のために軍隊に入隊しています。さらに、ウィリアム王子がチリで、ヘンリー王子がレソトの孤児院でボランティア活動に従事しており、ウィリアムはホームレス支援事業のパトロンでもあり、自ら路上生活体験をしています。
また、母親の故ダイアナ妃も、エイズ、ホームレス、小児病、ハンセン病など100もの団体の支援活動、ボランティア活動をしていたことでも知られています。
【私心のない心】 と
【自己犠牲の精神】 があるからこそ、社会的な地位の高い人は尊敬されるべきである。
特権というものは、それを持たない人々への義務を果たすことによってバランスを保たれるのであり、強者が弱者に対して義務を負う、というのが、「ノブレス・オブリージュ」の高潔な倫理観です。
かつての王侯貴族は建築、美術、工芸、音楽に贅を尽くしてきましたが、文化・芸術の発展に力を入れることも、各国の上流社会が慈善活動に力を入れているのも、ノブレス・オブリージュが基になっています。
最近では世界的に、富裕層、有名人、権力者が社会の規範となるようにふるまうべきだという、社会的責任としてとらえられています。
法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はありませんが、社会的批判・指弾を受けたり、倫理や人格を問われることもあるのです。
つまり、
ノブレス・オブリージュ とは、
高貴な身分であるが故に、人に先立って危険や犠牲と向き合うことが求めらる、
まさに、
「選ばれし者の責務」 であります。
そして、既にお気づきかと思いますが、同じような概念は、日本でも受け継がれてきています。
聖徳太子の時代の「十七条の憲法」の大半が、じつは為政者や役人が守るべき決まりごとを定めたもので、貴族たちや役人たちの規範を示したものでした。
鎌倉時代になると武士が政権を担う時代が続き、この数世紀の間に武士達は日本独自の思想、生き方や価値観を創りあげました。
もともと武士階級は皇室から分かれた貴族の出身であり、地方に下って土地を開墾しながら武士集団として発展していきました。
彼らは弓矢や刀などの武器を扱い、主君のそばで警護に当たる軍事の専門家として平安後期から鎌倉・室町・戦国の時代を通じて、敬神崇祖、忠孝一本の独自の倫理と美意識を生み出しました。
江戸時代に入って、それが一層自覚的に表現されることになり、日本化した儒教を中心に、さらに理論化・体系化がなされました。
平和な江戸時代には、武士たちは、自己の存在意義を問い、武士のあるべき姿を強く意識するようになりました。
武士道が思想として体系化されたのは、そうした背景があったからです。
「武士道」と「ノブレス・オブリージュ」 については、こちらの書籍でさらに詳しく学ぶことができます。
「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは
李 登輝 著
台湾の元総統で旧制の日本教育を受けた李 登輝氏は、「日本の良いところや、精神的価値観の重要性を人一倍よく知っている」と言う。新渡戸稲造が100年余り前に著した『武士道』を解説しながら、
日本人が忘れかけている高い精神性を取り戻そうと訴える 。
新渡戸は「義」を重んじ、「忠」を尊び、「誠」をもって率先垂範するといった武士道が、民族固有の歴史や風俗、仏教や儒教、神道などと深く関わっていることを記した。
著者は1000年もの長い間、日本に浸透し、世界に誇るべき精神的支柱だった武士道や「大和魂」を、戦後、日本が意識的に踏みつけてきたことを批判する 。
日本再生を期す今こそ、武士道の規範を徹底的に再検討し、実践に移すべきだと熱く説いている。
<内容紹介>
これぞ国家のリーダーに求められる品格‼
新渡戸稲造の『武士道』には、現代の日本人が忘れてしまった普遍的思想が貫かれている。その深遠な日本精神を、戦前日本の教養教育を受けて育った台湾の哲人政治家が、古今東西の哲学知識を総動員して解説する。
ノーブレス・オブリージュ—高貴な身分の者に課せられた義務 。著者は
「武士道」の本質をそこに見出す 。日本の知識人が大絶賛したベストセラーを、満を持して文庫化! 解説・田原総一朗。
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19世紀末の英国人ジャーナリストであり、極東研究家であったヘンリー・ノーマン氏は、その著書の中で、
「日本が他の東洋専制国と異なる唯一の点は、従来人類の案出したる名誉の掟中でも最も厳格なる、最も高き、最も正確なるものが、その国民の間に支配的勢力を有すること」 にあると書いています。
これこそまさに、ノーマン氏が見た日本のノブレス・オブリージュであり、近代日本の発展の原動力となった精神、武士道だったのです。
そしてまた、日本の今日の平和や繁栄を築いた精神的な礎こそ、日本人の心の奥深くに宿る
武士道精神―ノブレス・オブリージュ だったのです。
しかしながら、日本も世界も戦後の風潮としてこの精神が失われてきていています。
特に日本は戦後、GHQの日本解体作戦(War Guilt Information Program)により、伝統的なこの精神が破壊されてきており、国力が急速に低下してきています。
政治家や知識層、企業経営者など社会のリーダー層にノブレス・オブリージュの欠落が指摘されます。
その一方で、東北大震災の際の、現地の方たちが示されたすばらしい姿勢はノブレス・オブリージュを凌駕する高貴な精神性であったと思います。
まだまだ日本人の心の中の潜在的な伝統精神はしっかりと息づいています。
今後、日本人の神道、武士道の精神、西欧社会のノブレス・オブリージュが復活、拡大することによって、この混沌とした世界に平和と幸福をもたらすことができるのではないでしょうか?
日本の歴史の中で連綿と受け継がれてきた、人類の最も高貴なる精神『武士道精神』。
中でも、為政者、支配層、権力者、皇族、貴族、華族、富裕層の多くが、『武士道精神』の一部、「ノブレス・オブリージュ」の精神を持ち、その子弟、一族に引き継いできたことが、私たちの曽祖父の世代、戦前までの日本人の高潔な生き様につながっていたのだと思います。
さらに、士族や支配層のみならず、『武士道精神 ≒ 大和魂』が、農民や商人、町人など民衆の隅々にまで行き渡っていたからこそ、日露戦争という途方もない国民戦争を、平民出身の兵隊達がやってのけたわけです。
そうでなければ、東南アジア史での功績や、硫黄島やアッツ島で戦い抜いた戦士達の行動に説明が付きません。
しかし、大東亜戦争敗戦を境に、日本の道徳・言論空間は180度反転しました。
GHQはWGIP(War Guilt Information Program)と称して、徹底的な検閲と洗脳を日本人に施しました。
あらゆる出版・放送が検閲され、強力な自己否定教育が施されました。その結果、日本人としてのアイデンティティや、国際社会の中での振る舞い方について、まともに考えることすらできない人々が量産されたのです。
「武士道」という本は、新渡戸博士がベルギー人に「あなたの国では、宗教なしにどうやって子供に道徳教育を授けるのですか!」と聞かれ、日本でそれに代わるものは武士道であったことに思い至るエピソードに始まります。
日本にこそノブレス・オブリージュがあった ~武士道~(1)
「朱雀式ニュース」 様より、一部転載、引用させていただきます。
■武士道の説くノブレス・オブリージュとは
『武士道』という本があります。この本は、約100年前に、アメリカで新渡戸稲造博士によって出版されました。西暦1900年当時、日清戦争の4年後、日露戦争の5年前。近代史上に突然姿を現した極東の新国家に対する無理解と偏見を、この本が打破したと言っても過言ではないでしょう。例えば当時の米大統領ルーズベルトのごときは、この本を徹夜で読破し、数十冊ほど買い求めて周囲に配ったほどだったそうです。
我々がなんとなく知っているような気がする「ブシドウ」という言葉、この本の冒頭には、それが明確に定義されています。
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シヴァリー (chivalry)はその象徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。それは古代の徳が乾からびた標本となって保存せられているのではない。それは今なお我々の間における力と美との活ける対象である。
それを生みかつ育てた社会状態は消えうせて既に久しい。しかし今はなき遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている。
私がおおざっぱにシヴァリー(chivalry)と訳した日本語は、その原語において騎士道ホースマンシップ というよりも多くの含蓄がある。
「ブシドウ」は字義的には「武士道」、すなわち武士階級がその職業、および日常生活において守るべき道を意味する。
一言にすれば「武士の掟」、すなわち武人階級の「身分に伴う義務 ノーブレス・オブリージュ 」である。
(原語:…the ways which fighting nobles should observe in their daily life as well as in their vocation; in a word, the “Precepts of Nighthood”, the noblesse oblige of the warrior class.) (『武士道』)
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武士道は、上述のごとく道徳的原理の掟であって、武士が守るべきことを要求されたるもの、もしくは教えられたるものである。それは成文法ではない。せいぜい、口伝により、もしくは数人の有名なる武士もしくは学者の筆によって伝えられたる僅かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず、かかれざる掟、心の肉碑に記されたる立法たることが多い。不言不文であるだけ、実行によって一層力強き効力を認められているのである。 (『武士道』)
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こうして武士道は「不言実行あるのみ」の文化として継承されました。
「知行合一」 を説いた陽明学の影響や、多弁を慎む論語の影響もあり、自分の手柄を誇るような粗忽者は軽蔑されたのです。
吉田松陰の名言「知行合一」とは? | 情報365
また『武士道』の説く武士の(ひいては日本人の)特長、徳目には次のようなものがあります。
勇、仁、礼、誠、名誉、忠義。
中でも「人の上に立つもの」の身につけるべき素養として、
仁 はとくに重要視されました。仁は、「仁義」の仁です。これも分かったような分からないような言葉ですが、いわゆる
「武士の情け」 です。盲目的な情ではなく、
正義に対する適切な配慮をもった慈悲の心 を指します。
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「弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に相応しき徳として賞賛せられた。」(『武士道』)
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「仁」とは、血縁関係の親愛の情から発展して、無縁の人にまで広げていくものです。武士道の理論的バックボーンをなした論語にも、「孝悌は仁の根本である」とあります。
いわばそれは公的な義務であり、真のリーダーシップと言えます。
私利私欲の追求は、武士道においては最も軽蔑され 、
武士は公義に生きるべし 、とされました。私達の周囲を見てみても、私利私欲を追及する人に、人は決して心から付いてきません。(現代日本の一部政治家達の姿を見ると暗澹たる気持ちになりますが…)
先掲のコラムでは、日本の国際貢献がアピールされていないことに対するふがいなさ、ノブレス・オブリージュの概念の希薄さが指摘されていました。
しかし僕は思うのです。これもむしろ逆ではないか、と。
見返りを求めない慈悲の心、黙して語らぬ克己の精神こそが、真のノブレス・オブリージュ。 武士道によって称揚された仁の心だった のではないでしょうか。
以上、
日本にこそノブレス・オブリージュがあった ~武士道~(1) 様より、一部引用させていただきました。
上の図を見て、もう一度、よく考えてみたい。
「エリート」「指導者」にあたる「上級国民」は、日本人の中のごくわずか、一割以下ではないかと思われる。
その他、9割以上が「一般国民」「一般大衆」「市井」だ。
「上級国民」 とは、2020年東京五輪エンブレムデザイン騒動の際、「五輪組織委員会」で審査委員長が発言した
>しかし、一般国民がこの説明を納得することは難しい
>一般国民は、残念だが理解しない
という発言により、「理解力に乏しい一般国民」と、それに対する「理解力ある上級な国民」という、
選民意識を揶揄する意味で私は使っている 。
エンブレムや新国立競技場デザインの出来レースも、コネも、賄賂も、既定路線も、岩盤規制も、租税回避のパナマ文書も、天下りも、在日特権も、売国奴マスコミの暴走も、報道しない自由も、積極的な倒閣運動も、天皇の生前退位も、内親王の在日との婚姻の画策も、
公のためではなく自身の地位や財産を守るためだけに特権を使い、権力を放さない、
「 ノブレス・オブリージュ」の欠片も持たない皇族、政治家、官僚、資産家、有名人、財界人、マスコミ、高学歴者たちが日本中に蔓延している ことによってあらわれた現象だ。
本来、権力者たちは「社会の模範となるように振る舞うべき」という社会的責任を持ち、自らを律して、自発的な無私の行動をとるべきなのに、・・・まったくの逆である!
権力者たちが率先して私利私欲に走り、利己的な言動をとり、自分さえよければいいと考えて特権を握りしめ、時には乱用する。
なんということでしょう・・・orz
幸いなことに、現在の日本のリーダーは
「ノブレス・オブリージュ」 の精神を持ち、公のために、利他の精神で施政にあたってくれている素晴らしい人格者の名宰相です。
また、腹心の右腕や懐刀にあたる優秀な大臣や部下が、日本国や国民を思い、日夜、よりよい政策や外交にあたってくれています。
公平・公正ではないマスコミから、重箱の隅をつつくようなどうでもいい針小棒大なことを吹聴されても、あえて誤解を招く報道をされても、疑わしい低い内閣支持率を発表されても、謙虚に受け止め、丁寧に説明し、大局を見つめ日本の舵取りを進めようと日々奮闘してくれています。
先日の内閣改造のあと出演したNHKのニュース番組で、「あなたナニ様?」の上から目線のキャスターや記者から見下されたような態度で質問をされても、真摯に受け止め、キレない総理大臣の姿に、いたたまれない気持ちになりました。
どうして頑張ってくれている総理大臣に、感謝と労りの気持ちで接することができないのか。
もしも、今、安倍総理を失うようなことになったら、取り返しがつかないことになってしまう。
「ノブレス・オブリージュ」 の精神を持つ権力者は、決して多くない。
そのありがたい存在を、私たちは大切に守り支えていかなくてはならない!
しかし、真の「武士道精神」を持つ人を支え守る保守的な組織、勢力は、本当に存在しているのでしょうか?
個人のブログやツイートでは、現政権をきちんと評価して応援している人は多く見かますが、本来支えるはずの保守陣営は、機能しているのでしょうか?
反日売国奴のマスコミ同様、わずかな失策、失言に目を奪われて、自分には思いもつかない大局的な見地から行った政策や外交に対しても、骨髄反射的にギャーギャー文句ばかり言って、結局は足を引っ張っているような人ばかり。
そんなに立派で知的なエリートを自負しているのなら、一般大衆を振り回すようなことばかり発言したり、ネガティブなことを書いたりしないで、ご自分も世の中の役に立つことをやってみなさいよ!
どっぷりと私利私欲、利己主義にハマり浸かっている「上級国民」「一般国民」が、GHQが主導した戦後教育とマスコミの影響で、日本の大勢を占めてしまっているのは残念なことです。
これからの教育の改革、マスコミの解体、国家の中枢や地方自治に日本国籍以外の人間を入れないことなどにより、少しずつ割合を減らしていかなくてはいけません。
そして、無欲無私、利他主義の「武士道精神」を引き継いでいる、「指導的立場」にあり「権力を有し」「一般大衆を導ける」公僕や富裕層や高学歴知識層、メディア支配者も、少数かもしれませんが、確かに存在しています。
その方たちは、エリートであることに誇りと自負を持って、社会の模範となるように振る舞い、公共の幸福を追求し、社会的な義務を果たしてほしい。
その姿を見て、私たち一般大衆、一般国民は意気を感じ、感謝し、共によりよい社会、国家を創っていこうと努力します。
この世は平等ではありません。
でも幸いなことに、日本は、欧州やインド、アフリカやアジアの諸国のように、簡単に解消できないガチガチの階級社会でもありません。
自由や権利を追求しながらも、誰もが自分ができることを世の中のために還元していく「義務」も伴っている社会です。
エリート、指導的な階級にいる人は、その能力や幸運を社会に還元するために使うことに喜びを感じてほしい。
そうでない市井の自分も、自分の立場をわきまえて、周りの人のために自分にできることを喜んでしたいと思います。
そんな、かつての日本人の誰にでもあった
「和の心 ≒ 大和魂 ≒ 武士道精神」 を、私たちの世代は取り戻し、ともに高め合っていきたいものです。
【感々学々】海外の女性達から学ぶ「ノブレスオブリージュ」の精神[桜H26/9/19]
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