今日は久しぶりにお日様が照っていて、暖かい陽気でした。
週末に、両手に重い荷物を持ったまま(味噌と酒粕と白だし)、雪道で豪快に滑って転んでしまいました。
一瞬の出来事だったのに、覚えてる腰、背中、右手首、首、そして頭を打った感覚。
雪の少ない路面に、最後に頭がゴチン、と落ちた時、
(あーっ。 これでこの世とさよならなの・・・?)
そんなことを思いながら、急に視界に広がった風景が「曇った空」だったことを思い出します。
走馬灯のように、一生を振り返るのか?
すると、ちょっと先を歩いていた息子たちが駆け寄ってきて
「おかーさん、だいじょうぶ?」「死なないで!」
と覗きこんでいる顔が横から、曇り空の中に入ってきて・・・。
あ~、いきてる・・・。
この世とお別れするのは、もう少し後にしてください。神様。
頭の痛いのも徐々になくなり、手首の痛みやしびれも取れ、平常の生活にもどりました。
まだ首だけが、ちょっと痛いのね。
頭を打たないように、無意識に必死に支えてくれた(ような気がする)首。
ありがとう。
気温も上がって春が来れば、転ぶ心配もなくなるし、気分も明るくなってくるでしょう!
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さて。
前回のブログをUPした後に書こうと思っていた
QUEENのベース・プレイヤー 、
ジョン・ディーコン についての記事です。
個性的なメンバー揃いのQUEENの中で、常識的、良心、バランサー ともいえる
微笑みの君、 ジョン・ディーコン 。
QUEENの楽曲を当たり前のように聴いていると、
キャッチーでコケティッシュなフレディのボーカルとブライアンのギター、
そしてピタッとはまる美しいハーモニーだけが際立っているように思えましたが、
あれ?
もしも。
このベースラインでなかったら、これほどまでに魅力的で素敵な曲に聴こえただろうか?
ジョン・ディーコンではないベーシストだったら、どんなベースラインだったんだろう。
そんなことを考えながら、カーステレオのちょっと強く聴こえるベース音に、じっくりと耳を傾けることが多くなりました。
もしかして、コレしかない といえるほど、絶妙でドンピシャリのべースライン?
途中からベースが入ってくる曲、
途中でベースがなくなる曲。
そんな曲では、ジョンのベースなしの喪失感がスゴイ。
ベースが戻ってきたときの嬉しさ、安心感が半端ではないことに気づく。
これは、
ベースに、ジョンに恋してしまった証 かしら?
『Don't Stop Me Now』
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『Somebody To Love』
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『Radio Ga Ga』
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ジョン様の、ソロ?
Queen Liar (at The Rainbow 1974)
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「あれ誰だったけ?」
〜 ジョン・ディーコン について、QUEENファン
ジョン・ディーコン (John Deacon/本名:John Richard Deacon)は、QUEENのべーシスト であり、
「デビュー以降10年間で最も外見が変化したミュージシャン」 としても知られているフレディ・マーキュリー や
「デビュー以降10年間で最も外見が変化していないミュージシャン」 としても知られているブライアン・メイ の流れで言うと
「デビュー以降10年間で最も知名度が低いミュージシャン」 であるとされているが、
真の姿はQUEENを裏から操る闇の枢軸卿である。
■表の歴史
71年:QUEENにベースのあの子が加入した。しかし、歌が歌えないことや、他の三人のルックス(イケメンとボーカルととろろ昆布)が目立ち過ぎていること、なかなかビデオクリップに映してもらえない(意外に映ってるが…....)こと、最年少であることなどからいじめられる。
73年:『戦慄の玉女』を発表、「お前の名前響き悪いな」と、クレジットの名前をディーコン・ジョンにされるいじめを受ける。
77年:アルバム『世界に捧ぐ』にて『We Will Rock You』を発表、なかなかのヒットを飛ばすが、よく考えてみるとジョンは何もしていない。
7?年:当時のコーディネーターに、飲んでいる紅茶にコーヒーを入れられると言う小学生並みのいじめを受ける。でも全部飲んだ。
80年:フレディの提案で大幅イメチェンをするが、あろうことか飛び散りそうなタンポポ頭にさせられ短パンを穿かされる。おそらくいじめである。
91年:フレディが愛のために死亡。やる気をなくす。
フレディ死後 : フレディ追悼コンサートの疲労が残り「体力の限界」と書き残して引退。
現在:本当に行方不明。
2018年映画「ボヘミアンラプソディ」にてもその圧倒的影の薄さからフレディマーキュリーにイジめられるシーンもしばしば。 初登場時もフレディと一緒にさらっと登場していた。 ジョン様可哀想。
奥のタンポポ頭がジョン様。
■隠れた能力
一見裏方でスタッフの一名のような存在の彼だが、作曲した『Another One Bites the Dust(邦題:地獄へ道づれ)』 はベースラインとひこにゃんコスプレをしたフレディによる洗脳効果を生かし世界で700万枚のヒットを叩き出してみたり、QUEENの財政を掌握すべくマネージメントをやってみたりと彼はしっかり表向きでもQueenに貢献している。また、ウィキペディア同名項目でも歌が歌えないとされている彼だが、他の三人の歌唱力が抜きん出すぎているため 控えているだけであり、いわれのない誹謗であると言うほかない。しかし表向きはどう頑張っても地味なのであった。
■真の姿
以上が表沙汰に公表されている彼の経歴であるが、実際の彼の姿は想像をはるかに超えるものである。幼い頃からおもちゃのベースギターで人を操ることを覚え、ロンドン大学分校チェルシーカレッジの電気工学科を首席で卒業し た彼は「新世界のベーシスト」になるべくフォースで当時まだヒヨッ子だったクイーンの可能性を認知。解任されたベーシスト達が自己主張の激しい性格であったことを踏まえ、自分の主張を抑えに抑えて見事加入に成功する。
その後は前述したいじめのようなものを受け続けるが、あくまでもそれは表向きの話であり、実際レコーディングの際には豹変し「その曲はベースラインが活きるのか?」とメンバーの曲に対しての拒否権を持ちイニシアチブをとっていた。
「ジョンがYESと言わないと、僕たちは何も動けないんだ。でも答えが返ってくるのに一日かかる。」
〜 ジョン・ディーコン について、フレディ
因みにブライアンのレッドスペシャルばかり有名だが、彼もその神機であるベースは相当大事にしており実は初期のPVのベースとウェンブリーの黒ベースは同一機種である しかし、ジョンの性であろうか、人々はレッドスペシャルを崇拝するのである、ジョン…。 その後は給料のピンはねを行っていたくそったれマネージャーのジャック・ネルソンをフレディの手によって始末させたというか掘らせ、新しいマネージャーを自分の腹心とする。警戒心が強く他人にはニコニコ笑うだけの無口で人畜無害なベーシストを演じたが、激しやすい一面もあり酒を飲むと「あー」若しくは「いー」と叫んで突然ガラスに手を突っ込もうとするので、(一度19針縫ったという)メンバーは彼に酒を与えないよう努力を要した。彼自身は裏でフレディを操り様々な姿に変態させて「動」の部分を半裸やタンクトップで補い、自身は短パンを穿き「静」の部分を演じる努力を続けたが、フレディがある頃から急にしぼみ始めたので焦っていた所エイズに感染をしていることを彼から告げられた。ちくしょう誰からもらってきたんだ、クイーンの表の存在が消えたらどうなるのか……?彼はフレディがいなければ結局表に飛び出すことができないのである。
そうこうしているうちに91年フレディが死去、酒を飲んで「ばかやろー」と叫んでも帰ってくるはずがなく、彼は途方に暮れる。「まだ俺は地味なままじゃないか……」激しい苦悩の後に出た結論が「そうだ、QUEENやめよう。」であった。ブライアンとロジャーにそう告げると、せめて追悼コンサートに出てほしいのですジョン様お願いいたしますとのことであったため、追悼コンサートに出演しその少し後に消え入るように引退した。現在は投資で儲けたり六児の良き父親として家族と過ごしている。
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アンサイクロペディア(Uncyclopedia)とは
ユーモアを織り交ぜる形であらゆる事柄を解説することに主眼を置き、英語圏に出自を持つウィキペディアのパロディサイトである。日本語版が設立されて以来は「嘘八百科事典」「バ科事典」などの別名も持っており、また、その別名通りに内容には嘘も少なくない。
主に本記事では日本語版について解説する。ちなみに英語版を始めとする海外版は日本語版と比べて基本的な構造こそあまり変わりがないものの、雰囲気が違うところは多いので、そちらも見どころである。
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佐藤竹善「Queenのジョン・ディーコンに憧れて…」ベースを始めた理由を明かす
J-Wave
2018年12月06日
<略>
■Queenのジョン・ディーコンに憧れて
続いて、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で今話題のQueenの話に。ここで、佐藤さんが意外なエピソードを教えてくれました。
佐藤:僕は13歳からずっとQueenオタクなんです。
西沢:そうなの!?
佐藤:もともと僕はQueenのベーシストのジョン・ディーコンに憧れてベースを始めましたから。
西沢:Queenでいちばん地味な人に憧れるって珍しいですね!
佐藤:だけど、『Another One Bites the Dust(邦題:地獄へ道づれ)』とか『You're My Best Friend』、『Spread Your Wings(邦題:永遠の翼)』を書いた人だから。
西沢:俺らが若い頃は、Queenもよく載っていた洋楽ロック専門誌『ミュージック・ライフ』が人気だったよね。
佐藤:巻頭グラビアに載っているQueenのライブ写真を切り抜いて、透明な下敷きに挟んで学校に行ってましたね。『ミュージック・ライフ』で各パートの人気投票をやると、
ジョン・ディーコン以外はQueenのメンバーが各部門で1位 だったんですよ。でもベース部門はポール・マッカートニーがいたから、ジョンは2位だったんです。でも、その2位感もよくて彼のことが好きだったかもしれないですね。
クイーンの元ベーシスト、ジョン・ディーコンの今
MUSIC LIFE CLUB
2018.10.30
フレディ・マーキュリーの死後も活動を続けているブライアン・メイとロジャー・テイラーとは対照的に、表舞台から姿を消したジョン・ディーコンですが、クイーンの広報担当者が『Daily Mail』紙に語ったところによると、バンドが運営する事業の平等な株主でもあるディーコンには、推定で約1億3500万ドル(約152億1,300万円)の資産があり、引退後はひっそりと暮らしているそう。〈Ultimate Classic Rock〉がここ最近のジョン・ディーコンの動向を伝えています。
ブライアン・メイは、
「今の生活は彼が選んだことだし、僕らにも連絡はないんだ。ジョンは最初から繊細な人だったからね」 と語り、ロジャー・テイラーも、
「一切、音沙汰はない」 と語っています。
テイラーによると、何度もオーディションを行った末にディーコンを選んだのは、彼の物腰が気に入ったからだと言います。
「当時の僕らは度を越していたから、おとなしい彼なら騒ぎを起こすことなく、バンドにフィットすると思ったんだ」
「彼はとても真面目で、バカなことをする人じゃなかったからね。いつも地に足がついていたよ」 と、メイも語っています。
パトニーで妻と6人の子供を育てたディーコンは、近所でも目立たず、今でも初めての印税で買った質素な家に住み続けています。
知人らによると、鬱病のために孤立していたディーコンは、特にフレディの死後、人目を避けるようになり、その後は3回しかステージに立っていません。
1992年に行われたフレディ・マーキュリーのトリビュート・コンサートと、1993年にテイラーと出演したチャリティ・コンサート、そして1997年にエルトン・ジョンとクイーンが演奏したパリのベジャール・バレエ公演のオープニングの3度です。
1997年ディーコンは、コンピレーション・アルバム『Queen Rocks』の新曲「No-One But You (Only the Good Die Young)」をレコーディングしたのを最期に引退を発表。2001年にクイーンが「ロックの殿堂」入りを果たした際にも姿を見せませんでした。
「ジョンと連絡は取りあってないけど、彼は本当に社会病質者だから仕方ないんだ。それに、ブライアンと僕がクイーンのブランドですることに関しては承諾しているからね。まあ、彼が思っている以上に、僕らはいろいろやってるけど」 と、テイラーは語っています。
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では、さいごに、素晴らしいブログのご紹介。
>改めての自己紹介。僕は世の中にある音楽はクイーンとそれ以外に大別されるというほどのクイーン好きです。
どれだけクイーンがお好きなのか、ブログ主さまの記事の中で、繰り返し繰り返し登場するのですが、
その熱さ、深さには、「わたしもクイーンが好き♡」 なんて簡単に言うことをためらってしまいます。
わたしは、音楽的な良さや素晴らしさについて詳細な分析や解説などとてもできず、造形も深くないファンだと自認していますので、素直に「なるほど~。そうなんだ~。」と感心感激しつつ、素晴らしい論評をありがたく拝読しています。
なにしろ、わたしは中・高校時代から、フレディの歌マネ、振りマネが大好き♡
QUEENのキャッチーで力強くて美しい音楽が大好き♡
ドライブしながら、仕事をしながら、QUEENを聴いたりライブ映像を見ると元気が湧いてくる♡
そんな、本物のロックバンドであり、偉大なミュージシャンでありながら、
大道芸人フレディ、大衆ロックバンドQUEENの、ささやかな一ファンですから。
もしも、拙ブログをご覧の「本物の」「生粋の」「コアな」QUEENファンの方がいらっしゃっても、
「バカだなあ」「分かってないな」「浅いな」、そう思っていただいて結構でございます。
拙ブログ
記事についてのお目汚し、失礼しておりますと、お詫び申し上げておきます。
それでは、QUEENのベース・プレイヤー、ジュン・ディーコンについて書かれた素晴らしいブログを、ご紹介します。
コメント欄のないブログ主さまなので、リンク、転載の承諾はいただいておりませんが、
勝手ながら、お許しくださいませ。
Enjoy Life, Enjoy Hobby
趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記 さまの
過小評価されているベース・プレイヤー ジョン・ディーコン
Enjoy Life, Enjoy Hobby
趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記
March 04 2018
筋金入りクイーン・マニアである僕は、クイーンの魅力についてならいくらでも語り続けることができる。今回は、ベース・プレイヤーとしてのジョン・ディーコンについて書いてみたい。
その前に、ベースという楽器についての話から。
そもそもベースというのは誰もが認める地味な楽器。中学生の時に聴いていたアリス(ってあのアリスです)の後楽園ライヴ盤では、曲の中でバックメンバーが一人ずつ紹介されるパートがあって、ギターやキーボード、ホーンセクションの紹介ではカッコイイ見せ場(聴かせどころ)となっているのに対し、ベースがコールされると、伸びやかさや華やかさとは対極にある低い音がウネウネ鳴っているだけの盛り上がらない世界になり、この地味な楽器は一体なんなんだろう、と思ったものだった。そもそも、この当時は通常バンドと呼ばれる演奏形態にベースという楽器があることじたいわかっていなかった。
ベースが地味な楽器であることは、演奏でソロ・パートが与えられることも珍しくないジャズの世界でも同じこと。メロディを奏でる楽器でない(単体で曲にならない)という性質上、直接的に耳に残るフレーズはほとんどなく、低い音なので音程も他の楽器に埋もれて聞き取りづらい。ギターやキーボードのフレーズは主旋律を担うことも多いから鼻歌で歌ったり口ずさんだりすることはあるけれど、ベース・ラインを口ずさむなんてことはまずない。メロディ楽器でないという意味ではドラムもそうだけれど、特にロック系のドラムは派手だし、モノを打ちつけるアタック感のある音は嫌でも耳に飛び込んでくる。
勢い、ベースは一番の脇役と扱われ、特にアマチュアがバンド組もうぜ、となったときに一番下手で主張がない奴が担当を押し付けられることが多い(らしい)。
ちょっと話が横道に逸れます・・・。
僕はあんまり「音楽をわかっていない」という物言いはしないようにしている。なぜなら「カラヤンはブルックナーがわかっていない」「ケルン・コンサートの素晴らしさがわからない人はキース・ジャレットのことをわかっていない」というような、自身の考えに固執した教条主義的思想を正当化する言葉として使われることがよくあるから。そもそも、自分は音楽に精通しているという奢りがなければこんな物言いは出てこないわけで、そういう人は過去の自分の音楽観に囚われて新しい音楽の面白さを知る機会を自ら狭めているようなものであるとまで思っている。それでも長年いろいろな音楽を聴いていれば、良い音楽、深みのある音楽(繰り返し聴いてもいろいろな良さを発見できる)を選別するようになる。これは奢った態度ではなく、より音楽の面白さがわかるようになって、いろいろな角度から聴いて、また掘り下げて聴いてみて素晴らしいと思えるようになったこと、もっと簡単に言うとその音楽が持っている魅力をより深く楽しめるようになったことであるように思う。だから僕は「音楽をわかっている」という言葉を、その音楽の楽しみ方をわかっている、という意味と自分の中で捉えている。
ベースに話を戻すと、ロック、ソウル/ファンク、ジャズ/フュージョンなど広い意味でのポピュラー音楽全般において、ベースというのは極めて重要な楽器である、という話をしたときに「もちろん、そうだよね」と瞬時に回答できるか否かで、音楽がわかっているか、そうでないかの一線がある程度引けると僕は思っている。なぜならベースは、表面を彩ることはなくても、音楽を下支えして、音空間を凝縮したり広げたりすることができる楽器である、ということを理解してるかどうかがわかるから。
そこで本題に入る(相変わらず前置きが長いですねえ)。
そもそも、クイーンがデビューした当時の英国といえば、アメリカから入ってきたブルーズをベースに、歪んだヘヴィなギターを大々的にフィーチャーしたロックがトレンディな音楽だった。だからデビュー当時のクイーンがハードロックを志向していたのは当然のことで、後にソロ・アルバムでダンス・ミュージックやオペラを取り入れたフレディ・マーキュリーでさえ、当時はフェイバリット・ミュージシャンにジミ・ヘンドリックスを挙げていたほどだった。本稿主役のジョン・ディーコンも、後にソウル・ミュージック好きであることをカミングアウトすることは広く知られている話とはいえ、初期のクイーンにおいてはハードロック・グループの中でのベースの役割に徹していて、しかしそれでいてメロディックなプレイをしていた。
しかし、ポップ性が高まり始めた「シア・ハート・アタック」から徐々に本性を表してくる。ポピュラー・ミュージックの中でもソウル/ファンク/R&Bは、もっともベースの重要性が高い。というか、それらのジャンルの音楽はベースが作るグルーヴを基本に音楽ができているといっても過言ではない。ソウルを愛好していたジョンが、ただコード進行をなぞって低音の厚みを加えるだけの役割に留まるはずがなく、躍動感と推進力を生み、音楽の重心を上下に移動させながら、アクセントを付けて曲を支え、間接的には曲に表情を付けることまでやってのけている。
ちなみに、ロックの世界にはクリス・スクワイアやジョン・ウェットンのようにゴリゴリと押しまくるタイプもいるし、ジャズ系ではジャコ・パストリアスやリチャード・ボナのようにスーパー・テクニックで圧倒するタイプもいる。ある意味ベースの範疇を超えた表現にまで至った人たちと言えるんだろうけれど、個人的にはベース本来の役割を外れてしまっている規格外のプレイヤーという位置づけになってしまっている。もちろん素晴らしいことは100%認めていますが。
僕が好きなベース・プレイヤーは、ロック系だとアンディ・フレイザー(フリー)、ジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)、ニール・マーレイ(ホワイトスネイクなど)あたり。誰が弾いているかクレジットされていないことが多いソウル/ファンク/R&B系には素晴らしいベース・プレイヤーが山ほどいるし、スライやタワー・オブ・パワー(ロッコはまさにワンアンドオンリー)のベースなんて本当にカッコイイ。
それら名プレイヤーと遜色ない、いや、幅広く音楽をカバーするという意味ではそれ以上に素晴らしいのがジョン・ディーコンである。
御存知の通り、クイーンの音楽性は実に多彩。これだけいろいろな音楽性を有しているロックバンドは空前にして絶後である。ついでに言うと、それにもかかわらず、「一体何がやりたいの?」にならず、「聴けばすぐにクイーンとわかる(クリフ・リチャード)」ところも他のロックバンドの多くが到達できていないクイーンならではの偉大さである。
フレディの独自の声と型にハマらない歌いまわし、ブライアンの色彩豊かなギター、ロジャーのアイディア豊富なドラムがそうした多彩な音楽性の源になっているのは間違いないけれど、ジョンのベース抜きには実現できない。
そのセンスがわかりやすいのは、高音域を上手く用いたメロディックなベースラインを自然に織り交ぜるところである。初期のライヴを聴くと、重ね録りのギターとコーラスに埋もれがちなスタジオ盤とは異なり、クッキリとベースラインが聴き取れる。"Liar"ではスポットライトを浴びるシーンもあるし、この時点で既に安定したベースを弾いていることがよくわかる。スタジオ盤でも3枚目あたりから柔軟性に富んだフレーズやベースラインが目立ちはじめる。"Misfire" や "Bring Back That Leroy Brown" のような軽快さは楽器を演っている人ならそのフィーリングを出すにはそれなりの腕とセンスが必要であることがわかるはず。"Sweet Lady" のイントロの空間の埋め方、"Long Away" のギターソロの後、ブライアンの歌の入りに合わせて弾いているフレーズの進め方を聴いてほしい。"The Millionaire Walts" のイントロなんて歌っているかのようではないか。単純なリズムの "All Dead, All Dead" では安定と落ち着きを与えながら実は曲をしっかりと主導している。"Don't Stop Me Now"の疾走感と高揚感は、歌メロだけではなくベースラインがあるからこそ(だからこの曲にはギターが必要ない)。もちろんここに挙げた曲以外も、見事なフレーズの宝庫。そして特筆すべきは、これだけ魅力的なベースラインを繰り出しておきながら出しゃばっている感がまったくないことである。スター・ベーシストは主張が強すぎて、実はバンドのカラー、音楽性を限定していしまう傾向があるけれど、ジョンのベースは真逆で、クイーンの音楽を拡げているのである。
これらは別に難しいこと、複雑なことをやっているわけではない。フレーズのコピーだけなら誰でもできるに違いない。でも、あの柔らかさと軽快さを実現できる人はきっとジョンしかいない。QUEEN+Paul Rodgers、QUEEN+Adam Lambertを聴いて、リズムに柔軟性がなく単調に聴こえてしまうのはジョンが不在であることが大きな理由であると思う。
ロック・グループは星の数ほどあれど、これほど素晴らしいベース・プレイヤーはそうはいない。
僕が洋楽にハマったのはクイーンとの出会いがあったから。当然のことながら、はじめに恋に落ちたアーティストが深みのある音楽性を持っているとは限らない。音楽の経験値が上がってくると、キャッチーなだけの音楽、耳に心地良いだけの音楽(それはそれでこの世に必要ではありますが)だけだと物足りなくなってくる。僕も洋楽にハマり始めたころにレコードを買って聴いていたアーティストや、若い頃に繰り返し聴いていたアルバムが、今聴くと魅力に乏しく、薄っぺらに聴こえてしまうものがあるし、音楽歴の長い人なら同様な経験をしている人は少なくないんじゃないかと思う。ジャズやクラシックを聴くようになった今でもクイーンの音楽は色褪せず、気分が高揚する。そんな素晴らしいクイーンの音楽にジョンは作曲者として貢献したのはもちろん、ベース・プレイヤーとしての貢献も計り知れないことをファンは忘れてはいけないと思う。
<以上 転載 了>