辞世の句
吉田松陰
わたしたちが生まれ、暮らしているこの日本という国。
四季の移ろいの美しい、なんと豊かで素晴らしい国でしょう。
本日は、平成31年3月31日。
わたしの住まう土地では、朝から牡丹雪が降り、昼からは冷たい雨、そして宵には西の空が淡く夕焼けに染まっています。
庭の水仙のつぼみがようやく膨らみ、足止めをやむなくされている梅の花、桃の花は、暖かい日差しを待ち構えているようです。
国事行為に天皇は関わらないという「日本国憲法」に反し、平成の御代の天皇は自ら、生前退位を強行します。
なにゆえのお考えか、その真意は単なる一國民である私ごときには解りかねます。
しかしながら、そのお命の炎が静かに燃え尽きるまで、天皇陛下として在り続けていただきたかったと思っていることには、今となっても変わりがありません。
天皇陛下のおわす意味は、万世一系という命の永続の象徴性であり、ご自身の思惑や民意を超えたところに在るのではないかと思うからです。
故・渡部昇一先生や平川祐弘先生がおっしゃっていた「皇室の意義」「天皇陛下のお役目」は、宮中祭祀と男系男子皇位継承、この二点にこそ、あるのです。
>「天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から『天皇は祈っているだけでよい』などの意見が出たことに、陛下が『ヒアリングで批判をされたことがショックだった』との強い不満を漏らされていたことが明らかになった」
<毎日新聞朝刊第一面 5月21日より引用>
『「祈っているだけでよい」といわれショックを受けた』とおっしゃる天皇陛下・・・。
そのような言葉をおっしゃる陛下に対して、僭越ながらわたしはショックを受けました。
(もしかしたら陛下は、欧州の国王やバチカンの法王と同じように、日本の天皇の在り方をとらえておられるのか?)
(被災地を回り、被災者から感謝され国民が喜ぶ姿こそを、象徴天皇としてとらえていらっしゃるのか?)
(高齢のため隠居したいことが退位の理由だとおっしゃること自体、祭祀王のご自覚がおありになるのか?)
敢えてここに記します。
「祈ってくださる」こと、「ご存命してくださる」ことに、民は感謝して崇めているのです。
象徴天皇は政治・まつりごとに介入せず、「祈る」「連綿とつづく男系男児継承」をしてくだされば、それだけでいいのです。
陛下はただ存在し、日本国や民の安寧と、五穀豊穣を祈ってくださるだけでいい、何者にも代えられない有難い存在なのです。
被災地を巡り膝をついて民に語りかけること、展覧会やコンサートに頻繁にお出ましになること、国事行為、皇室親善(※皇室外交という言葉は存在しません)よりももっと大切なこと。
「まつりごと」には関わらず本来の神道の大祭司としてのおつとめを全うしてくださることこそ、悠久の時の中で歴代の天皇陛下がなさってこられた唯一無二のお役目であるはず。
今回の生前退位は、天皇陛下、皇室が「政治・まつりごと」に介入し、敢えて言いますが、国民の陛下への労わりと感謝の気持ち、優しさに付け込んで我が儘を通した、皇室の伝統を破壊する行為です。
わたしは未だに納得いきませんし、残念なことだと思っています。
> 鈴木貫太郎首相は昭和20年8月14日午後11時過ぎ永別の挨拶に来た阿南陸相に対し肩に手をかけ「日本の皇室は御安泰です。陛下は春と秋との御祖先のお祭を必ず御自身でなさっておられるのですから」といった。
<新潮45 2017年8月号より引用>
高齢を理由に退位したいとおっしゃったのにも関わらず、お住まいのすぐそばにある皇居宮中三殿で本来なさるべき「宮中祭祀」は簡略化し、職員(かつてはキリスト教徒、現在は新興宗教の信者といわれる人が多数)が代拝するようになり、この度の春季皇霊祭にもおいでがなかったご様子。
それならば、譲位ではなく従来の『
摂政』<退位せず皇太子殿下にお任せする>を置かれればよかっただけのこと。
いちばん大切なお役目である「宮中祭祀」は行わず、地方訪問、私的旅行、私的観賞はご高齢といえずいぶんと精力的で、退位してからも皇嗣殿下(皇太子と同位)である秋篠宮ご一家が住まうべき「東宮御所」に、巨額の改装費をかけて戻り、多くの職員を従えて多額の予算を確保したまま、隠居どころか、「なさりたいこと」を「なさりたいように」するおつもり。
一時住まいとする旧高松宮邸の改装費も莫大なもの。
隠居なさらないのなら、天寿を全うされるまで在位してくださることに、いったい何の問題があったというのでしょう。
健康に御心配がおありなら、前例もあり憲法違反でもない、大正から昭和へ代替わりした時にされた摂政をおけば、何の問題もなかったのです。
そして、御代をバトンタッチする新しい天皇は・・・。
その配偶者である、新しい皇后は・・・。
・・・本来のご研究とは畑違いの、利権まみれの「水」に関わる国際機や会議に積極的に関わろうとし、利用されていることに危機感さえもたず、進言苦言を呈した故・中川昭一氏は怪死を遂げてしまうようなキナ臭さ。
「公」よりも「私」「自分の家族」が大切なのではないかと思えてしまうこれまでの公式会見や公務での言動の数々。
次の皇位は秋篠宮殿下、秋篠宮悠仁親王殿下に継がれることは決まっていながら、皇位継承権のない愛子内親王が降嫁することを決して明言なさらない。
自分の血を引く「できの悪いけどかわいい長男」「大切ななるちゃん」とその娘「愛子さん」に皇統を継がせようとしている(天皇)
皇后の意図を感じてしまうのは、今頃になって女性宮家、女性天皇、ご自愛の美智子さまの報道や番組を意図的にするマスコミの動きから察してしまいます。
悠仁親王殿下がご誕生して12年以上、健やかに御成長し小学校をご卒業された現在、このような過去の報道を蒸し返す意図は、どこにあるのでしょうか。
※この当時の総理大臣は小泉総理、小和田氏に近い福田一族とともに女系天皇容認。
↓ ↓
政府、女性天皇04年に容認方針 97年から極秘検討
共同通信
3/28(木) 17:36配信
※皇后陛下の弟の嫁・大原泰子の実姉が共同通信社の社長未亡人の大原れいこ氏
しかし。
日本という国を御護りしてくださっている高祖神、八百万の神々、公のため国のため村のために精一杯生きた先人の皆さまの魂が、悠久の流れの中で、わたしたちの国・日本と日本の民を導いてくださるはず。
新しい天皇陛下には、これまで公務も少なく、国や民に心を寄せていない新皇后は公の場にあまり出ないことを幸いとして、余計なことはせず、次の天皇に皇統と宮中祭祀を引き継ぐことだけを間違いなくしてくだされば、それでよろしいのだと思うようにしました。
「女性宮家」「女性天皇の擁立」「宮中祭祀の縮小簡略化廃止」だけは
阻止するべく、わたしたちはわたしたちの誇りである日本という国で、自分にできることをを粛々とつとめるのみ。
今後、「新年号の予想」という「崩御を見越した不敬な行為」をわたしたちがすることはなくなると思われます。
なぜなら、今回の生前退位、譲位は一代限りのことだと政府は明言したからです。そのことに対して、今上天皇はご不満だったとも報道されています。
とにもかくにも。
平成の天皇陛下は(一応)公共放送であるNHKを利用して、憲法違反である「生前退位」「譲位」を高齢であるから隠居したい旨、国民の情に訴えることで、実現させました。
日本国と天皇、皇室について深く理解されている保守論客、大学名誉教授の皆さま、そして政府官邸の反対を押し切って、日本国憲法(第9条)を順守すると言いながら、天皇の政治加入を画策するダブルスタンダードのご姿勢で…。
国民の多くも、「御高齢だから」「これまでの御足跡に敬意を表して」、すんなりと受け入れてしまいました。
それは、天皇の役割、皇室の意義について、国民が考えず正しく理解せず、平成流の皇室のあり方こそあるべき姿だと思わされてしまっていたことが原因です。
GHQが謀った日本弱体化政策は、民間人の皇太子妃を二代にわたって入れたこと、そのご本人たちや家族、取り巻きの者が神道ではなく異宗教の信者であったことから、皇室のあるべき姿は内側から静かに変化し、国民の多くが気づかず、疑問を持たないまま本来あるべき姿ではなくなっていきました。
明日の新年号発表と、ひと月後の新天皇即位に関して、もはやわたしがどう思おうと意見を述べようと、仕方なく受け入れるしかないわけですが、せめて、新年号が日本のお国柄を象徴し、明るい希望に満ちたものであることを祈りたいと思います。
わたしも、こんな元号だったらいいなあ~と勝手に予想し、希望するものをつらつらと書いてみたいと思います。
この日本という国が、本来の形、誇りを取り戻すことができるようこれからも見守り、佳きことには称賛を、糺すべきことには苦言を呈していきます。
さて。