育ての親は3社!? 意外と知らないクルマメーカーの歴史・日産編
clicccar
2015/10/08
日産自動車の歴史を振り返ってみると、その成立は他のメーカーと若干異なることに気付きます。
例えば、
トヨタ自動車は豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)の自動車部門の独立であり、
ホンダは1948年に開設された本田技研工業株式会社で4輪事業に参戦するなど、そのルーツはある一点に辿りつきます。
日産は、1934年に
日産自動車株式会社として出発することとなったわけですが、元を辿ると3つの会社に行き着きます。
そのうちの一つが、1911年に橋本増治郎が中心となって設立した
快進社自働車工場です。
自動車の国産化を目的とし、出資者の田健次郎、青山禄郎、竹内明太郎の三名の頭文字
(D、A、T)を取った」
「脱兎号(DAT CAR)」という国産自動車第一号を1914年に完成させ、東京大正博覧会に出品。V型2気筒エンジンを搭載し、最高速度は32km/hを誇り、同会にて銅牌を受賞したとのことです。
その後、1918年に資本金60万円、建坪600坪、従業員60人を有する
株式会社快進社として発足。日本で最初と言われる単塊鋳造4気筒エンジンを搭載する「DAT41型」を発売するも、第一次世界大戦や関東大震災による不況で経営不振に。販売を強化するために
ダット自動車商会として再スタートしました。
株式会社快進社と時を同じくして、アメリカ人技師のウィリアム・R・ゴルハムは実用自動車製造株式会社を設立し、ヨーロッパで流行っていた小型三輪自動車の生産をスタート。自動車を一貫して生産できる設備を持つまでに成長するも、不況により、廉価なアメリカ車の人気が高まり、経営不振へと陥ってしまいました。
そんな2社の救いとなったのが、軍用トラックの製造とのこと。二社の合弁会社である
ダット自動車製造株式会社は「DAT41型」を改良し、見事経営の安定化に成功。1930年には小型乗用車の試作車第一号を完成させ、着実に成長を遂げていきました。
ところが、1931年に勃発した満州事変で状況は一変。国防の観点からトラックメーカーの合併話が持ち上がり、ダット自動車製造株式会社は石川島造船所株式会社自動車部と合併し
自動車工業株式会社が誕生。しかし、同社はダット自動車製造株式会社の目指す小型乗用車の製造には消極的だったと言います。そんな小型乗用車の製造に目を付けたのが、自動車部品の製造を担うとともに、自動車工業への進出を目論んでいた鮎川義介が設立した戸畑鋳物株式会社でした。
その傘下で、495ccの小型乗用車生産1号車を完成。
DATの息子という意味で「ダットソン」と名付けられましたが、ソンが損を連想させるとして、
太陽(SUN)に変更した「ダットサン」となったのは有名な話です。
その後、
戸畑鋳物株式会社自動車部は鮎川義介が率いる戸畑鋳物と日本産業の出資を得て、1933年に横浜にて
自動車製造株式会社として旗揚げ。翌年には日本産業が100%出資となり、社名は
日産自動車株式会社へと変更されました。
様々な人々の巡り合わせというユニークな生い立ちをもつ日産自動車ですが、現在はフランスの自動車メーカー「ルノー」のもとでNISSANはもちろん、プレミアムブランドの「INFINITY」、そして新興国向けブランド「DATSUN」を展開しています。今後、それらがどのような絆を築き上げていくのか? 非常に楽しみです。
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日本が誇る名車ランキングベスト5 日産編
査定オタク さんのサイトより
エンジンの日産と言われるほど古くからエンジン性能に特徴を持つ日産は、それに合わせたモンスター級の名車を世に送り出してきました。
ファミリーカーから本格的スポーツカーまで様々なユーザーを虜にする魅力的なモデルが多い日産の名車をランキング形式で紹介していきます。
5位:マーチ(1982~現在)
コンパクトボディに大人4人が快適に乗れる室内空間を持つマーチは、日本だけでなく世界各国で販売されている日産を代表するロングセラー車です。
合理的で飽きのこないパッケージングは専門家からの評価も上々で、海外を意識してかフルモデルチェンジのスパンも長いため長期間乗れる名車の一つです。
コンパクトカーとしてはトヨタのスターレットと人気を二分していた時期もあり、派生モデルとしてオープンのカブリオレタイプも存在していました。
特に2代目モデルは日本と欧州でカーオブザイヤーを同時受賞するなど、日本車として初の金字塔を作り話題をさらい、また派生車種のBe-1は購入価格の倍の価格で売れたことから財テクカーとしても知られています。
4位:ダットサン・フェアレディ(1960~1970)
国産車初の本格的量販スポーツカーとして開発・販売されたダットサンフェアレディは、北アメリカ市場での販売を念頭においたモデルとして今なお根強い人気を誇っています。
日本においてスポーツカーブームの火付け役となった一台でもあり、ダットサンフェアレディの登場後にトヨタやホンダがオープンタイプのモデルを投入し市場に参入してきました。
最高時速205kmのハイパフォーマンスに若者だけでなく中高年の方も魅了され、イギリス車を参考にデザインされたスタイルは女性からの人気も抜群で憧れの名車と言えますね。
このダットサンフェアレディが源流となり後に240ZやフェアレディZなど日産を代表する名車が登場していきます。
3位:リーフ(2010~現在)
日産が誇るEV技術を結集し2010年より発売されているリーフは、電気自動車がハイブリッドにとって変わろうとしている現在においてさらに存在感を発揮しているモデルの一つです。
eペダルやプロパイロットパーキングなど先進技術も投入され、今後活気づいていくであろうEV市場を牽引する一台としても脚光を浴びています。
日本市場ではハイブリッド全盛期に登場した価値あるモデルでもあり、1回の充電で400km走行できる性能は特筆すべき点でもありますね。
北米やヨーロッパといったグローバル市場においても販売されており、リーフを通じて電気自動車の日産としての企業アピールを積極的に行っています。
社会に与えるインパクトの大きなモデルとしても魅力的でゆとりあるドライブに出かけてみたくなりませんか。
2位:シーマ(1988~2010、2012~現在)
日産が販売していた「セドリック」「グロリア」の上位モデルとして1989年に登場したシーマは、バブルの好景気も手伝って高級車でありながら爆発的ヒットを飛ばした人気モデルです。
この車から3ナンバー専用車が開発されるようになり、トヨタクラウンからも上級モデルのマジェスタが登場するなどライバルメーカーにとても大きな影響を与えました。
また高額商品に対しても消費意欲が旺盛な時代の象徴として「シーマ現象」なる流行語も生まれ、一般オーナー向けの車種としては空前絶後の評価を得ています。
2010年に生産中止になりましたが2012年には5代目シーマとして復活し、ハイブリッド専用の高級車として往年のシーマファンからの乗り換え需要もある名車です。
1位:スカイラインGT-R/GT-R(1969~2002、2007~現在)
自動車ファンならずとも知っているスカイラインGT-R/GT-Rは、日産自動車を代表する世界的ブランドとして認知される名車で、初代から続く優れた動力性能や走行性能も知られるところです。
丸目4灯のテールランプは時代を超えて受け継ぐ伝統のスタイルで、ハコスカやケンメリは今だに高値で取引が行われるプレミアカーとして人気ですね。
また排ガス規制後に復活したR32型スカイラインGT-Rは当時の日産の集大成とも言うべきモデルで、国内外から高い評価を得ただけでなくレースシーンでも大活躍しました。
スカイラインの冠が外れた現在においてもGT-Rの伝統は続いており、世界屈指の性能を誇るスポーツカーとして、また日産の歴史を作ってきた一台として名車に数えられています。
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数々の名車を誕生させ、日本を代表する自動車会社の一翼を担っていた日産は、1990年代に販売不振に陥り、財務体質が悪化。
1998年には約2兆円もの有利子負債を抱えて経営危機に陥ってしまいます。
それを救ったのはコストカッターの異名を持つ、主力工場の閉鎖など徹底したコストカットで経営危機に陥った日産のV字回復を達成した、カルロス・ゴーン容疑者です。
しかし、その経営手腕は強引で、日産関係者の中には「ゴーン氏の一派には『青い血』が流れている」という話も。外資ファンドによる温情を切り捨て成果主義に徹し、利益の最大化を目指す血も凍る冷血非道な姿を描いたドラマ「ハゲタカ」を思い出します。
ゴーン容疑者の17年度の役員報酬は日産が7億3500万円。ルノーの役員報酬は740万ユーロ(9億5290万円)、三菱自動車2億2700万円で、3社合計で19億円超。
日産で働く社員の皆さん、閉鎖された工場や下請け部品会社などで働いていた方々。
かつての日産の名車に乗っていた方、いまも日産の車に大切に乗っている方。
ゴーン容疑者の信じがたい数々の背信行為を知り、どんな気持ちでいるのでしょうか。
あなたの工場が閉鎖され、あなたの車の品質が落とされ、あなたの車の部品が値上がりし、
かつての魅力的な車種はラインナップされず輝きを失いつつあるのは(※ 個人の感想です)、
誰に払う報酬のためだったのでしょうか。
それでも、電気自動車や高級スポーツカーなどで異彩を放っているのは、社員の皆さんの日々の研究開発のたまもの。
そんな「日産」の技術をまるごと吸収し、手に入れようとしていたフランス、韓国も許し難い存在です。
「日産」「三菱」という名門自動車会社が黙って外国の手に入れられてしまうのを瀬戸際で防いだのは、経産省が主体となった日本政府の働きかけだといいます。
日本人のひとりとして安堵し、感謝しています。
次のブログには、カルロス・ゴーン容疑者の犯した数々の罪についてまとめてみます。