
☆これまでのお話は、
こちらをごらんください☆
さて。
自転車通学と部活動で足腰を鍛錬し、精神的にも強くなってきたように思われた私は、夢を叶えるため、そして、なりたい自分に近づくため、大学合格を目指した。
しかし、途中に、いくつもの試練があった。
現実逃避のため、中学生の時に途中で中断していた山岡荘八著「徳川家康」全26巻を、再び読み始めた。図書室で何冊も借りていくのを見つかり、受験勉強の一環と説明したが、以後貸出禁止となった。
二次試験のための実技の勉強が楽しくて、そちらにばかり夢中になった。
…すこしも精神は鍛えられていなかった・・・・orz
高3の進路決定の面談で、担任から「おまえの第一志望は○○科だけど、俺の後輩がいる▽▽科なら推薦してやる」と言われ、熟考の末、お断りしたら、その日から口を聞いてくれなくなった。
ちーせー男だ!
一次試験の時、私以外の同クラス女子の受験生たちには、お守りだとか言って小さな花をプレゼントしていたらしい。
これだから、小さい頃からちやほやされてる▽▽科出身の自称エリート様は、懐が狭いんだから。
その花を、受験に向かう電車の中で嬉しそうに私に見せる女子も女子だわ。フンっ。
Σ(;゚д゚)はっ。
自分も○ツの穴が小さいところを披露してしまったわ。
なーんにも気にしてませんわ。ほほほっ。
のちに。
実技を教えてくださった外部から講師でいらしていた先生は大学の先輩で、構内でちょくちょくお見かけし、元担任の後輩だという助教授(当時)の先生も、講座をとってから親しくお声をかけてくださる、少しもちいさくない、素敵な方だった。
助教授の先生は、私と同じ町から通勤し、その後私が乗ることになるゴルフのオーナーだったため、車同士ですれ違うと手を振ってくれた。奥様は、スーパーエリート小学校教師。私も新規採用の時からご指導を受けた。そのお兄様は、弟が野球部で大変お世話になった顧問の先生だった。
さて。
晴れて合格し、大学に通うことになったが、初めの一年間は、自宅からバス、電車、バスを乗り継いで通うことにした。片道2時間弱かかるが、一緒の電車に乗る他高校出身の友達とも仲良くなり、電車通学を楽しんだ。
車窓から見える海を見に行きたくて、時には、レンゲ畑が広がる田んぼでお昼寝するため、度々途中下車した。
母と共に大好きだったラーメン屋さんにも、最寄りの駅で降りて、一人で食べに行くようになった。
余裕で一コマ目に間に合う電車から、ちょっとの遅刻で済む一本遅い時刻の電車に、いつの間にか変更していた、精神力の弱い私。その電車に、同じような理由で乗っている友達が、生涯にわたる「腹心の友」となる。
まさに、類は友を呼ぶ。
「腹心の友」とは、学生時代から社会人になってからも、ずいぶん一緒に電車や車で旅をした。
共に食いしん坊で、細かいことを気にせず、私が奇想天外の思いがけない行動をとることを心から笑い、称賛してくれた。
いつも同じ方向を見て一緒に笑い合える友人は、何ものにも代え難い、大切な存在だ。
遠く離れてしまってなかなか会えないけれど、電話で話していても、たわいのないことで爆笑の連続。落ち込んでいても、元気をもらえる。
お互い子育てが終わったら、きっとまた一緒に、旅に行くことだろう。
Σ(ll゚Д゚ll)はっ。
かなり脱線している。
これでは定年後のオジサマが自費出版するような、単なる半生記だ。
そう。
「車とわたし」だった。お車へつづく道。ロード・トゥ・ザ・カー・オブ・ライフ。
電「車」も、車の仲間ですし、ね。
☆☆☆☆☆
大学一年の夏休み、普通は八月が中心の休みだが、校舎の耐震工事のため、九月がまるまる夏休みになった。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!。お安く自動車運転免許をとる、チャーーーーンス!
山形県の合宿免許が、九月は格安料金設定だと知り、友人五人と約二週間の予定で免許を取りに行くことにした。
しかも、仙台まで(山形新幹線は未開通)の往復新幹線代金も、キャッシュバック♪
ふふふっ。青春18切符で行って、差額を帰りのディズニーランド豪遊に回そうぜ!
深夜の快速電車に乗って、出発。
夏休みでないから、鉄道マニアの小学生は流石に乗っていなかった。
当時はまだ、鉄ヲタ、なんて言葉はなかったけど、こんなに電車好きな人が日本中にいるのかと、深夜の快速電車で何度も旅をするうちに知った。
座れないことを予想していたから、段ボール、新聞紙、膝かけなどを持参して正解だった。床に座ることができた。
東京発の電車は、通勤ラッシュ前に首都圏を通り過ぎていたから、ずっと座っていられた。
前の電車で床に座っていたせいか、お腹を痛くしてしまった私は、四人がけのイスの2座席分をお借りして、横になっていた。
外が次第に明るくなっても、横になっていた。
だんだん辺りがざわざわし始めても、横になっていた(熟睡していた)。
通勤通学時間帯になり凄く混んできて、私のことを気の毒な若い浮浪者だとでも思って遠巻きに見ている乗客たちの存在を知ったのは、友人たちの忍び笑いの声に気づいて目が覚めた時だった。
みんなは横並びのちょっと離れた席に座って、他人のふりをして見ていた。
「あっ、すみません。どうぞどうぞ、隣りにすわってください」と座りなおしても、乗客は誰も私の隣に座ろうとしなかった。
都会の風は、冷たかった・・・。
暖かい空気に変わってきたことを感じたのは、聞き慣れぬ言葉を耳にするようになった頃だった。
こ、これは!
イントネーションが、微妙に違う。
語尾が、んだ?
ネイティブ・スピーカーが話す東北弁を、生で聴くのは初めてだった。
電車に乗り込み、おしゃべりしては降りていくおばあさんたちの言葉の意味が、北上するにつれて、だんだん聞きとれなくなっている。
福島に入ると、もう、完全に英語のヒアリングくらい集中力の必要な日本語だった。
それが面白くて、おばあさんに話しかけたり、そっと聴き耳を立て、耳を傾けたりした。
そう、
サントリー・ウェイティングバー「アヴァンティ」のように!
何度か乗り換えて、仙台駅に着いた。
新幹線で来たことを装うため、新幹線降り口に移動して、お迎えの人を待った。
不意に、
「
ずどうしょうがっこうさのひとだべ」(今なら、分かる、すぐ聞きとれる!)
見知らぬおじ様が、私たちに声をかけてきた。
………………
児童小学校?
私たちが教育学部の学生だって、どうして分かるの?
どなたかしら。なんて答えたらいいんだろう。
…この間5秒…
「
ばすがまっでるから、こっちさこい」
あっ。
お迎えにきてくれたんだ!
しかも、新幹線で来たって、ちゃんと思ってくれていそう。(鈍行で来るなんて想定外でしょうねww)
『よろしくお願いしまーす』
≪
後編につづく≫