皇居で歌会始の儀 お題は「人」
産経新聞
1月14日(木)12時41分配信
新年恒例の「歌会始の儀」が14日、皇居・宮殿「松の間」で、「人」をお題に行われた。天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方のお歌のほか、一般応募の1万8962首(選考対象)の中から入選した10人の歌などが古式ゆかしい独特の節回しで披露された。天皇陛下のお招きで歌を詠む召人(めしうど)は、歌人で歌誌「星座」主筆の尾崎左永子さん(88)が務めた。
宮内庁によると、陛下は昨年4月に訪問したパラオ共和国で、先の大戦の激戦地だったペリリュー島の慰霊碑に供花したのに続き、遠方に望むもう一つの激戦地、アンガウル島に向かって拝礼したときのお気持ちを歌にされた。
皇后さまは、夕方の茜色の空に向かって進む飛行機を見て、ご成婚前の昭和33年にお一人で欧米7カ国を旅行したことを思い出し、自分と同じように若い旅行者が乗っているのだろうかと想像して詠まれた。
皇太子さまは、平成25年6月のスペインご訪問の際、東日本大震災の復興を願う合唱で出迎えられたときの思いをお歌に。皇太子妃雅子さまは昨年10月に福島県で震災の復興状況を視察し、懇談した高校生から受けた印象を表現された。
※尚、皇太子妃雅子さまは、体調を考慮し欠席された。(2003年を最後に、毎年欠席。2006年には同時刻に皇居馬場で乗馬)
◆天皇、皇后両陛下と皇族方のお歌(仮名遣い、ルビは原文のまま)。
※お歌の後ろには、ブログ主の勝手な感想を付け加えてあります。
天皇陛下
戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ
ペリリュー島慰霊の時の歌だそうです。戦後70年の節目の昨年、パラオに慰霊に往かれました。
陛下が御心を寄せる戦争の犠牲者は、外国人の方、民間人の方ばかりのように思われます。
そろそろ、日本のため、国体のため、皇室のため、先帝、そして今上陛下のために、命を賭けて勝ち目のない戦争で闘い亡くなったご英霊に御心を寄せてくださることを憚らなくともよいのではございませんか。
特亜の国々がいちゃもんをつけても、国民が陛下の有難いお気持ちをしっかりと汲みとり、お守りします。
皇后陛下
夕茜(ゆふあかね)に入りゆく一機若き日の吾(あ)がごとく行く旅人やある
なんと、50年も前の若き日の欧州旅行の想いを詠んだ歌。ご自分が一人で7カ国もの欧州旅行をした時を思い出し、あの一機にも若い人が同じように乗っているのだろうかと想いを馳せているのだとか・・・。
なぜ今ごろ、50年も前のことを? 当時、若い女性一人で海外旅行なんて許可されたの?
ご心境の変化には、いよいよご自分に対する不信、疑念の目が向けられていることを察して?
週刊文春で、雅子妃を叱責したとの記事について、事実無根だと宮内庁のHPで釈明していましたね。ご自分に対する週刊誌の報道には、すぐに反応して訂正させるのはいつものこと。
しかし、いまだにきちんと雅子さんと皇太子を叱っていないことに、むしろ驚き、呆れます。
今回のお題「人」、皇族の中でただ一人だけ、「ご自分」のことを詠っておられます。
賛美、称賛以外の声があがると「失語症」になったり倒れたりして同情をかってきたお方。
もう、50年以上続く「御慈愛&御自愛劇場」は、幕を閉じる時がきたのではありませんか。
皇太子さま
スペインの小さき町に響きたる人々の唱ふ復興の歌
いきなり「すぺいんの~~~」に、失笑・・・。3年前のスペイン滞在は、雅子さんも随行する予定だったためか、公務というより観光旅行のようなお遊びばかりで、報道の終盤ではスペインの人々に「まだ、いるのか?」と呆れられていました。
あちらのテレビ局のインタビューでは、「ま、まさことまた来たい」と、いつものブレないご回答。
復興の歌とは、日本語で歌ってくれたNHKの「花は咲く」だそうです。
皇太子妃雅子さま
ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む
昨年10月に福島へ行ったとき、訪問した学校の風景を詠んだもの。
去年の歌は、「自分、自分、また自分」の歌
「恩師より贈られし本ひもとけば若き学びの日々のなつかし」
一昨年は、あの、衝撃的な歌
「十一年前吾子の生れたる師走の夜立待ち月はあかく照りたり」
あまりにもつづく娘の歌に対し、愛子のことばかり詠むなと皇后陛下から指導があった結果、学生時代の輝かしい懐かしいおもひで(本人の感想)を詠っていたが、今回は無難に、被災地への想いを歌にしたようです。
我が家のばあば曰く、「これ、本当に本人がつくったのかな。誰かがつくった歌かもね」 ・・・。
数少ない公務、しかも、実質数十分の日帰り公務しか実績がなく、具体的なエピソードも皆無なため、受け取る国民の方も感動が今ひとつ掴めず、伝わらない。
秋篠宮さま
日系の人らと語り感じたり外つ国に見る郷里の心
ご自分より年上の日系二世の方々、そして三世の方々と、瞳を交わしながら優しい眼差しで会話する文仁親王殿下のお顔が思い浮かびます。
遠きブラジルの地においても、故郷の日本と変わらない日本人の心、精神を会話の端々に感じ取り、「日本」を忘れず失わず暮らしているブラジルの日系人の方々に対する尊敬の念を歌にされたことと拝察します。
秋篠宮妃紀子さま
海わたりこのブラジルに住みし人の詩歌(しいか)に託す思ひさまざま
秋篠宮殿下と対になる紀子さまの歌からは、日系人の方々が詠む俳句や短歌に触れ、その中に託した様々な思いの機微を紀子さまが感じ取られたことが分かります。
歌の中には、懐かしい故郷・日本を詠んだものや、まだ見ぬ、一度も訪れたことがない祖国に思いを馳せるもの、今を生きるブラジルの自然や生活を詠んだもの、つらく苦しい思いや心安らぐひと時、様々なものがあったことでしょう。
そのような思いを託すものが、日本の伝統的文化の俳句や短歌であることが、新鮮な驚きであり感動であることが自分にも伝わってきます。
紀子さまは、ご自身が帰国子女でいらして(雅子さんのように広く伝えられていませんが)、学習院中等部へ編入された折には、日本語よりもドイツ語が先に浮かび、夢もドイツ語で見てしまうほど、だから、日本語を話す速さはゆっくりで慎重だと自らおっしゃっていました。外国で暮らしていた経験がお有りの紀子さまにとって、詩歌や短歌、俳句などを子孫に受け継いで生活に一部とされてきた日系ブラジル人の方々の、母国語と母国の文化を代々大切にする姿勢は、大いに共感し感動されたものだったことでしょう。
帰国子女で学歴は日本一の才女、母国の文化よりも欧米の方が優れているかのようなアピールを何かにつけてしている人が、残念ながら我が国の未来を託す皇太子妃。日本嫌いで日本の文化や伝統をバカにしている雅子さんとは対照的な、このような短歌を謳われる紀子さまに憧れ、共感します。
秋篠宮家長女眞子さま
広がりし苔(こけ)の緑のやはらかく人々のこめし思ひ伝はる
秋篠宮家次女佳子さま
若人が力を合はせ創りだす舞台の上から思ひ伝はる
お二人の内親王殿下は、それぞれのご公務での触れあいから「思ひ伝はる」エピソードをお歌に。
常陸宮妃華子さま
人と人思はぬ出会ひに生涯の良き友となり師ともなりなむ
なんて素晴らしい。素敵なお歌です‼
華子さまのお人柄が偲ばれます。
このような真摯で新鮮な気持ちで毎日を送ることができたら素晴らしいです。
寛仁親王妃信子さま
東北の再会かなへし人々の笑みと涙に心やすらけく
本当に東北の方のことを想っている、普段から交流があり、人々との触れ合いがあり、さまざまなエピソードがある信子さまだからこそ、歌に力があり、真心がこもっていることを感じます。
DVで病んでしまった信子さま、よくぞお戻りになられました。ご皇族であることをご自覚されてのご活躍を拝見するたびに、胸がいっぱいになります。
三笠宮家の彬子さま
百歳をむかへたまひし祖父宮に導かれこし人生の道
高円宮妃久子さま
「げんきです やまこし」といふ人文字を作りし人ら健やかであれ
高円宮家長女承子さま
鳥たちの声に重なる原宿の人の気配と日暮の合図
高円宮家三女絢子さま
出雲路へ集ひし人の願ひ事縁の行方は神のみが知る
出雲へ嫁がれた次姉さまは、その後、どちらで暮らしているのですか?
噂の通り、東京のマンションで一人暮らしですか?
なぜ、伊勢神宮の宝物が、出雲へ下げ渡しになったのでしょうね。
◆◇歌会始の儀について◇◆
歌会始の儀を、ご覧になったことがありますか?
皇族方が和歌(短歌)を披露しあう「歌会」で、その年の始めに毎年行われています。
国民からの詠進歌を募集し(9月30日頃が締切)、応募された詠進歌の中から選者によって選出された「選歌」の詠進者は、皇居に招聘され、宮殿松の間における歌会始の儀にて詠進歌が披講(=読み上げること。披講は綾小路流で行われる)されます。
講師が「
年の始めに~~~、同じく、(お題)、ということを仰せ事に依りて、詠める歌」と言い、披講が始まる。
・選歌(10首、詠進者の年齢の低いものから。歌に先立ち、都道府県名と氏名(氏と名の間に「の」を入れる)が呼称される)
・選者の詠進歌(選歌を選出する選者のうち代表1人)
・召人(めしうど―特に天皇から召された者、毎年1名)の詠進歌
・皇族(三后並びに皇太子及び皇太子妃を除く)の詠進歌(代表1人 本年は眞子内親王殿下)
・東宮妃(ひつぎのみこのみめ)の詠進歌
・東宮(ひつぎのみこ)の詠進歌
・最後に、(きさいのみやのみうた〈皇后〉の歌が2回、「御製」(おほみうた〈天皇〉の歌)が3回繰り返して講ぜられる
節を付けずに全ての句を読み上げる講師(こうじ・1人)、講師に続いて第1句から節を付けて吟誦する発声(はっせい・1人)、第2句以下を発声に合わせて吟誦する講頌(こうしょう・4人)からなる。
古式ゆかしい独特の節回しで、皇族方の歌を順番に読み、ひつぐのみこのみめ、ひつぐのみこ、きさいのみやのみうたは二回、おほみうたは三回講ぜられる。
歌の第2句以下は、4人が節ほつけて吟誦するため、モンゴルの「ホーミー」のような不思議な歌の世界が広がり、そこはかとない可笑しみとともに、見ているうちに眠気にも誘われる。
今年もテレビの画面に、招待されていた黒人の女性が、目を閉じ、完全に寝ている様子が映し出された。
睡眠障害のある方は、「歌会始の儀」の歌を吟誦する講頌さんたちの声で、眠りに誘われること、間違いなし。ぜひ、お試しいただきたい。
お忙しい毎日に追われる安倍総理大臣は、素晴らしく良い姿勢で、シャキッとお聴きになっていました。
↓ ニュース映像なのでほんの一部ですが、不思議な吟誦を聴くことができます。
新春恒例、歌会始の儀が行われる 今年のお題は「人」
◆◇歌会始の儀と、皇太子妃雅子さまのあゆみ◇◆
この歴史ある宮中歌会始の儀で、
ひつぎのみこのみめ、こと皇太子妃として、雅子さんは入内以来、いろいろやらかしております。
初めて参加した時の眠気を我慢する様子、自分の歌が詠まれているときにテレビカメラにアップで映された「唇がプルプルワナワナしちゃう蚤の心臓」といい、この方は皇室に入るべきではなく、全く不向きで覚悟がない方だから、出席できるはずがないと国民にも察せられてしまう宮中行事です。
1994年 歌会始 デビュー
君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る
東宮妃(ひつぎのみこのみめ)として紹介され、歌を詠まれている間にテレビに映ったアップ画面は、緊張のためか、唇をワナワナプルプルさせている表情。
見てはいけないものを見てしまったような、こんなに緊張する人が皇室でやっていけるのか、心配になる映像でした。
1996年 まさかの障害者に対する見下しの歌、「知恵おそき子」。そして、ブーメラン。
もろ手もちてひたすら花の苗植うる知恵おそき子らまなこかがやく
2001年 愛子内親王誕生以来、ひたすら我が娘だけを詠み続ける日本国の
ひつぐのみこのみめ。
寝入る前かたらひすごすひと時の吾子の笑顔は幸せに満つ
2003年1月15日
歌会始の儀での雅子さんの表情連続キャプチャ。眠気を堪えきれないのか、見るからにやる気のない態度。この年以来、歌会始の儀は連続欠席中。
いちやう並木あゆみてであふ町びとにみどり児は顔ゑみてこたふる
前年11月21日(この日高円宮憲仁親王が急逝)の神宮外苑散策での情景を詠んだものか。
歌会始に同日の思い出を詠んだ歌を提出するなんて、ちょっと考えられない・・・。
また、
この時初登場の白ドレスはのちにリフォームされて
2005年の紀宮殿下結婚式に着用され、以来毎年の一般参賀での定番ドレス、オランダ戴冠式にも着用したよれよれイモムシ、体育のマット、襟元にファンデーションべったり腹皺ドレスとなっている。【
雅子のお召し物当たり屋シリーズ】
2006年1月12日 毎年恒例の皇室歌会始を欠席した雅子夫人が全く同じその1月12日に皇居馬場で乗馬をしたその理由は、夫婦して仲良くコウノトリを歌会始発表和歌に詠んだ秋篠宮同妃両殿下への抗議の意味合いによるものだということに驚き。
2013年1月16日 衝撃の「じゅういちねんまえ~~~」
十一年前 吾子の生れたる師走の夜立待ち月はあかく照りたり
字余りにも、程がある( ゚д゚)ポカーン ありすぎるΣ(゚д゚(゚д゚(゚Д゚ ・・・
こんな歌を提出するなんて。
誰も、添削してくれないの?
添削すると、怒られるの?
赤い月も、こわひよ~(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
初産を経験したばかりの母親が、窓の外の月を見る余裕、ありますか?
精も根も尽き果ててふらふらになりながら、子供の顔を見ながら寝ていた記憶しかありません。
2015年 学歴ロンダリングがばれていないとでもお思いか。
若き日の「脳内・御優秀才女」「脳内・外交官」「脳内・女性初総理大臣」。『お父様のコネ』が効かない外務省勤務時代、国費留学したオックスフォード大では、一人だけ留学期限を延ばしてもらったのにもかかわらず、論文も提出できず卒業もできず、学位も取得できず。
恩師より贈られし本ひもとけば若き学びの日々のなつかし
皇太子妃としての務めどころか、母親としても落第、英会話さえも満足にできないことまで、欧州の社交界では定説で嘲笑されているというのに・・・。
この、雅子さんの自己評価の高さは、日本国民として、笑うより…哀しくなります。
◆ひたすら我が子のみを詠んだ歌
2001年
寝入る前かたらひすごすひと時の吾子の笑顔は幸せに満つ
2002年
生れいでしみどり児のいのちかがやきて君と迎ふる春すがすがし
2003年
いちやう並木あゆみてであふ町びとにみどり児は顔ゑみてこたふる
2004年
寝入る前かたらひすごすひと時の吾子の笑顔は幸せに満つ
2005年
紅葉ふかき園生の道を親子三人なごみ歩めば心癒えゆく
2006年
輪の中のひとり笑へばまたひとり幼なの笑ひひろがりてゆく
2007年
月見たしといふ幼な子の手をとりて出でたる庭に月あかくさす
2008年
ともさるる燭の火六つ願ひこめ吹きて幼なの笑みひろがれり
2009年
制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり
2011年
吹く風に舞ふいちやうの葉秋の日を表に裏に浴びてかがやく
2013年
十一年前吾子の生れたる師走の夜立待ち月はあかく照りたり
雅子さんを擁護している女性週刊誌でも、愛子さんのことばかり詠うのはどうなのかと疑問を投げかけていたくらい。
皇室に入るにあたって、ご自分のお役目をご理解し、お覚悟があってのことなら、このような歌ばかりを披露することはないと思います。
心が温まる・・・というより寒々しくなり、皇族なのに、皇太子妃なのに、自分や自分の娘、家族のことしか歌に詠わないということは、残念ながら、日本国民や日本のことは眼中にも念頭にもなく、きっと、お嫌いなんだろうなあと推測されます。
しかも、2013年には、「じゅういちねんまえ~~~」ですから・・・。
テレビを見ていて、大爆笑wwww
我が目を疑いました。
なんかの間違いじゃないのか、って。
他の読み方があるんじゃないの? って。
切りのいい年ならともかく、十一年前って、何?
「ひつぎのみこのみめ」の歌として、節までつけて詠われちゃうんですよ?
それよりも何よりも、ホントは全然可愛がってもいないし、大事にもしていないのに、白々しく、如何にも娘さんを大切にしています風に装っていることに、違和感と嫌悪感を抱いてしまいます。
やっぱりこの方、ヤバいです。おかしいです。
勝手なことばかり考えて、すみません。
私が一番忌み嫌う、「
自分だけ大好き」「
自分の家族だけが大切」「
本音は、自分が一番大事」な人。
そんな人が皇室に入り、ゆくゆくは連綿と続く皇統に連なる天皇となるお子さんを産み育てようとしていたなんて。
神様は、やっぱりいらっしゃるのだと感じています。
秋篠宮さまがいてくださって、本当によかった。
紀子さまが皇室にお入りになってくださって、本当によかった。
悠仁親王殿下がご誕生になって、本当に本当によかった。
◆「魂」のこと
埼玉県狭山市の22歳の母親と24歳の内縁の夫による3歳の女の子に対する虐待殺人事件。
「家に帰ったら虐待しよう…「LINE」で虐待の方法相談」、「目や鼻を含む顔全体をやけど」、「やけど以外にも十数カ所以上の外傷」「栄養失調」・・・。
いったい、なんなの? このヒトモドキたち。
2010年、大坂の23歳母親による、3歳女児と1歳9ヶ月男児餓死置き去り殺人事件を思い出す。
この子供たちは、何のためにこの世に生まれてきたのか。
きっと、最後の最後までお母さんを信じて、お母さんを大好きでいたはずの小さな子供たち。
そんな時、私はこの世に生れてきた本当の目的、「魂」のことを思います。
私たちは皆、この命を授かった現世で、命のある限り、己の魂を磨いて鍛えるために生まれてきたのだと。
つらいことも悲しいことも苦しいことも、全て、修行であり、乗り越えるべきもの、乗り越えられるものだと。
どんな出会いにも出来事にも意味はあり、それに気づいて魂を磨くのか、悲嘆にくれているだけなのか。
この世で自分の魂を磨きながら、人の役に立ち、人のために生き、次の世代に想いを託す。
気の毒な子供たちは、きっと「徳」のある人の生まれ変わりに違いないと思います。
今の日本に足りない何かを気づかせるために、人々の心に警鐘を鳴らし戒めるために生まれてきてくれた尊いお子さんたち。
その子たちの心の叫びを聴きとって、どうしてこんな世の中になってしまったのか、どうしてこんなヒドい人間が育ってしまったのか、他人事ではなく、自分自身のこと、自分の身の周りのことだと受け止めて、少しでも良い方向へ変えていく、そんな生き方をしなくてはいけないのだと感じています。
現代の日本を象徴する皇太子夫婦は、現代の日本の憂うべき人間なのか・・・。
・「自分だけよければいい人間」
・「自分の子供よりも、自分が大切な人間」
・「苦労せずに楽に生活することがよいと思っている人間」
・「学歴で人間の価値をはかる人間」
・「お金を持っているかどうかが何より大切な人間」
・「自分の子供が障害児だと恥ずかしいと思う人間」
・「バレなければ嘘をついたり誤魔化したりすればいいと思っている人間」
・「死ねばあの世なんて存在しない、生ま変わりなんて信じない人間」
・「神様なんていないと思っている人間」
昔の日本人のように、「お天道様が見ている」「誰も観ていなくっても、自分の心が知っている」
そんな生き方を、戦後70年で失い忘れてしまった日本人が再びするように、
大切なことに気づかせ、共に目覚めるために、虐待される子供、障害を持つ子供がこの世に生れて来てくれるのかもしれません。
本日は1月17日。
1995年、阪神淡路大震災が起こった日です。
この時に、私たちは何をしていたのか。何ができたのか。
日本人を励まし、力づけるはずの皇太子夫婦は、どこで何をしていたのか。
◆拙ブログ 2015年01月18日
阪神・淡路大震災から20年 ~大災害発生後の皇太子ご夫妻のお振舞い
◆でれでれ草 DereDre Gusa 様ブログ
福の子@最後のチャンス
>もし、愛子様の障がいを受け入れ公表し、「雅子様のご病気」と「愛子様の障がい」を理由に、皇太子を秋篠宮さまに移譲し、一宮家として雅子さまの療養と、愛子様の療育に励む。
>そうすれば、この二人が望むもの「皇族の難しくてめんどくさい義務から逃避しながら、皇族としての豊かな生活をし、さらには世間から同情され共感される」が、最高の形で手に入ったのです。
>「愛子ガー」
を理由に、公務祭祀は放棄しほうだい。
>「愛子ガー」
を理由に、一宮家の経費を受けながら、ナルちゃんと雅子の懶惰で低俗な極めてだらしない生活を誰からも非難されることなく、それどころか、世界中から同情や共感を無条件に得ながら暮らせたのです。
>どれほど、徳仁夫妻が莫迦で下劣で下品でも、障がいを持った方にたいする「いたわり」や「同情」「慈しみ」というフィルターを通して、世間は東宮家を見たでしょう。
>逆に、障がいを持った方やご家族にたいしても、「皇室への畏敬」というフィルターを通してみることになったとおもいます。
>「ただ、徳仁夫妻に、障がいをもった愛子様がいるだけ」
のことでです。
>政府の予算も、障がいをもった子供さんに対する研究のために、もっと組まれたでしょう。
>しかし、東宮も、あるいは皇室の支配者ミッチ―も、影武者を使うことでごまかし続けました。
>愛子様のご療養のチャンスも、社会への貢献のチャンスも潰しました。
私たちは、誰のために、何のために生きているのでしょうね。