一週間を振り返るニュースをテレビで見て、さっき、イーグルスのグレン・フライの訃報を知りました。
イーグルスのグレン・フライの死にドン・ヘンリーが声明を発表。全文訳を掲載
NME JAPAN
2016.1.19
イーグルスのオリジナル・メンバーであるドン・ヘンリーが享年67歳で亡くなったグレン・フライに追悼の意を表明している。
イーグルスは次のようなコメントを発表している。「グレン・フライはこの数週間というもの勇敢に闘ってきましたが、悲しいことに関節リウマチ、急性潰瘍性結腸炎及び肺炎からの合併症に屈することとなりました」。「この悲しみや、グレン・フライが我々や、彼の家族、音楽関係者、そして世界中のたくさんのファンに与えてくれたものへの愛とリスペクトは言葉では表すことができません」
グレン・フライは、ドン・ヘンリーと並び、結成当時から現在までバンドに在籍していたメンバーわずか2人のうちの1人であり、“Hotel California”や“Take It Easy”、“Tequila Sunrise”、“Take It To The Limit”などのヒット曲を生み出している。
ドン・ヘンリーによる声明の全文は以下の通り。
「彼は僕にとって兄弟やほとんど家族のような存在でした。そして家族にはよくあるように、うまく行かないこともありました。しかし、45年にわたり築いてきた絆が切れることはなく、イーグルスが姿を消していた14年の間でさえも存在していたのです。
我々2人は、同じ夢を持ってロサンゼルスにやって来ました。音楽業界に爪跡を残すために。そして忍耐と音楽への愛、また他の素晴らしいミュージシャンやマネージャーのアーヴィング・エイゾフと組んだことにより、我々は誰もが夢にも思わなかった程、息の長い活動を続けてこられたのです。
しかし、すべてはグレン・フライから始まりました。彼が点火プラグであり、彼にはアイディアがありました。グレン・フライにはポップ・ミュージックに対して百科事典のような知識を持っており、常に勤勉さを失いませんでした。彼は面白く、頑固で、頭の回転が速く、寛大で、才能に溢れた信念の人でした。彼は奥さんと子供たちを何よりも愛していました。今、我々はみな、驚きと、信じられない気持ちと、心の底からの悲しみの中にいます。
我々は7月末に、2年に及ぶ『ヒストリー・オブ・ザ・イーグルス』ツアーを華々しく終わらせたばかりなのに、彼はもういません。運命をいうものを信じていると断言はできませんが、1970年にグレン・フライとの出会いは、自分の人生を決定的に変え、そして地球上の大勢の人々の人生に影響を与えることにつながりました。彼のいない世界で生きていくのはとても変な感じがすると思います。でも私はこれから毎日、自分の人生において彼という存在があったことに、感謝の気持ちを持ち続けるでしょう。
安らかに眠ってください、兄弟。君は目指していたことを叶え、さらにもっと多くのことを成し遂げたね」
グレン・フライは、ドン・ヘンリー、バーニー・リードン、ランディ・マイズナーらと共に1971年にロサンゼルスにおいてイーグルスを結成し、1970年代に最も成功したバンドとして名を馳せるまでになったが、その後1980年から1994年まで約15年間にわたり事実上の休止状態の期間を迎えている。活動を再開してからは断続的にツアーを行ってきた。
グレン・フライの体調面の問題から、イーグルスとしての活動は先送りされており、回復にはまとまった期間が必要だと考えられていた。
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イーグルスのグレン・フライの逝去にドン・フェルダーが声明を発表。全文訳を掲載
NME JAPAN
2016.1.20
(一部、転載します)
ドン・フェルダーによる声明の全文訳は以下の通り。
「グレンの死が信じられず、ショックの状態にあります。まったく予期していなかったことで、悲しみに満ちた心境にわたしを取り残すことになりました。彼は若く、素晴らしい才能にいまだ溢れていました。とてつもなく才能に溢れたソングライターであり、アレンジャーであり、リーダーであり、シンガーであり、ギタリストでした。皆そう思ってるでしょうし、彼はそれに応えることができ、即座に“マジック”を生み出すことができる人だったのです。彼の楽曲や歌詞へのヴィジョンと洞察は伝説的なものとなっていて、この先何十年もの間、絶えず認められることになるでしょう」
「1974年にイーグルスに加入するように誘ってくれたのがグレンでした。彼のすぐそばで長い間、一緒に仕事をして過ごすことができたのは人生の贈り物です。グレンは愉快で、強く、寛容で、優しい人でした。兄弟のように感じていましたし、兄弟のようだからこそ食い違うこともありました。でも、そうした難しい時でも、なんとか僕らはマジカルな楽曲を作ることができましたし、素晴らしい思い出や素晴らしいレコーディングやライヴを生み出すことができたのです。彼のステージでのカリスマ性は世界中のたくさんの人に知られ、愛されてきました。笑いと歌とパーティとハグと兄弟のような絆に満ちた旅を、僕らはかなりの距離やってきたのです」
「グレンはバンドのジェームス・ディーンでした。方向性を探している時のリーダーでしたし、バンドで最もクールな男だったのです。僕らの間の問題に一緒に取り組んだり、話したりすることができないと思うと大変悲しくなります。悲しいことに、もうその機会はないのですね。この星は偉大な人を、偉大なミュージシャンを失いました。誰も彼の代わりなんて務められないでしょう。安らかに、グレン。そして、君と遺族に神のご加護がありますように」
(転載 了) …………………………………・・
イーグルスを解雇されてしまったドン・フェルダーの追悼の言葉に、またポロリ(´ノω;`)
※ドン・フェルダーは、「ホテルカリフォルニア」「呪われた夜」のほぼ作曲者。
(「ホテルカリフォルニア」の12弦ギターのイントロメロディ、ベースライン、そしてジョーとのリードギターのかけあいまですべて、ドン・フェルダーが考えたそうです)
素晴らしい楽曲を創り、演奏するバンドであることを第一に考えるアーティストと、金銭的な成功や自身の名誉を大事にするミュージシャンとの違い、確執だったのでしょうか。
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Take It Easy, Jackson Browne
VIDEO
グレン・フライが亡くなった翌日、ジャクソン・ブラウンは自身のコンサートで「テイク・イット・イージー」を捧げたそうです。
この曲をYouTubeで聴きながらブログを書いていますが、涙が止まらない(´;ω;`)ウゥゥ
「Take It Easy」の歌詞。
♪ テイク・イット・イージー
気楽にいこう
自分の車輪の音で
いらつくもんじゃない
まだできると思っても
手加減するのさ
理解しようとなどせず
ただ君の居場所を見つければいい
そして、テイク・イット・イージーさ ♪
ジャクソン・ブラウン、グレン・フライを偲んで“Take It Easy”を披露
NME JAPAN
2016.1.22
ジャクソン・ブラウンが、先日亡くなったグレン・フライへの追悼の意を込めて、2人の共作である“Take It Easy”をライヴで披露している。
1月19日に、フロリダのクリアウォーターにあるルース・エッカード・ホールでのライヴで、ジャクソン・ブラウンは同曲を演奏している。グレン・フライは、享年67歳でこのライヴの前日に亡くなっている。
ジャクソン・ブラウンは、ステージから観客に次のように語っている。「一時、この曲を毎晩歌っていたことがあるよ。でも、ずっとじゃなかった。だって有名な歌だからね。僕が歌っているのを見た人は、『何だ、ジャクソン・ブラウンがイーグルスのカヴァーを歌ってるぞ』って思うだろうと気付いたんだ」
“Take It Easy”の模様は
こちら から。
“Take It Easy”は、ジャクソン・ブラウンがほとんど書き上げた曲に、グレン・フライが歌詞を追加して完成している。1970年代、2人がイーストLAのアパートメントでルームメイトだった頃の楽曲で、この曲は1972年のイーグルスのデビュー時のセルフタイトル・アルバムに収められており、彼らのロング・ヒット曲となっている。ジャクソン・ブラウン自身はこの曲を、1973年のアルバム『フォー・エヴリマン』に収録している。
ジャクソン・ブラウンはさらに、このように観客に語りかけている。「グレン・フライと一緒にこの曲を書いたんだ。最初は僕が書き始めたんだけど、書き上げることができなかった。自分で全部書いていたら今のような曲にはなっていなかっただろうし、こんなにみんなに愛される曲にもなっていなかったと思うよ」
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グレン・フライ追悼~別れの言葉は「テイク・イット・イージー」
石浦 由高
2016.01.21
ドン・ヘンリーとグレン・フライ〜相手に託した成功への歌声
五十嵐 正
2016.01.19
(一部、転載します)
「グレンには計画があって、構想があったんだ」とドンは振り返る。グレンは友人のジャクソン・ブラウンにアサイラム・レコードを立ち上げたデイヴィッド・ゲフィンを紹介してもらい、ソロでなくバンドなら契約すると言質をとっていた。彼らはリンダのツアーを通して友情を深めながら、イーグルスとなるバンドの構想を語り合い、結成に向けて動き出す。
残りのメンバーに、バーニー・レドンとランディ・マイズナーという自分たちよりもキャリアが豊富な実力者2人を加えたので、72年のデビュー・アルバム『Eagles』こそ4人が民主的に曲を提供し、リードを分け合って歌い、音楽面で彼らに頼るところは大きかったが、
バンドの舵をとっているのがグレンなのは明らかだった。
そして73年の2作目『Desperado』から
グレンとドンがコンビを組んで作詞作曲の殆どを手がけ、リード・ヴォーカルも大半を担当するようになる 。スタンダードとなる表題曲「Desperado」を歌ったドンは大きな存在感を発揮し始めた。
Eagles - Desperado - Live in Houston 1976
VIDEO
グレンは賢明にも自分のエゴをひっこめ、ドンの艶っぽいハスキーな歌声こそが、イーグルスを大成功に導くと判断した。自分がリードを歌う曲が減ることも甘受したのだ 。
その方針は正しく、「Best of My Love」、「One Of These Nights」、そして「Hotel California」と、ドンの歌うヒット曲が彼らを70年代で最も成功したロック・バンドにする。
(転載 了)……………………………………・・
百人百様の聴き方。「ホテル・カリフォルニア」を聴いて、結婚生活の地獄を思い出す男たち
石浦 由高
2015.09.10
hotel california video oficial
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イーグルス ホテルカリフォルニア(BR)Eagles Hotel California
VIDEO
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なんだか、頭の中で考えがまとまらないし、巧く言えないのだけれど。
「音楽」って、歌詞の言葉、唄う人の声質、メロディ、ハーモニー、アレンジ、リズム、奏でる楽器の演奏技術や音色…。
どれもみんな大切な要素となって、曲の世界観を創っているのだと思うのだけれど。
それでも、心の奥の奥に届く、身体が震える、いきなり光が射すように天から聴こえてくる、そんな時って。
作詞や作曲をした人や唄う人、演奏する人の「魂」「世界感」のようなものが、
自分に共鳴して、
音楽をからだに纏わせてくれて、
心を震わせたり喜ばせてくれている。
そんな風に感じる時があります。
♪♪
私は、イーグルスの誕生から、数々の名曲をリアルタイムで聴くことはなかった世代ですが、
イーグルス、グレン・フライ、ドン・ヘンリーが大好きでした。
ラジオから流れてくると思わずボリュームを上げ、口ずさみ、
愛車で旅に出るときには、CDをセットしてカーステレオでガンガンかけながら走りました。
イーグルスの素晴らしい楽曲、世界観だけでなく、グレン・フライの人柄、目指していたものに無意識のうちに共感して感動していたのだと、彼がなくなってしまった今、改めて気づきました。
自分の青春時代からこれまでも、
アメリカという国の光と影と憧れと失望…、
それらを既に、余すところになく楽曲に盛り込み、
軽快でいて、物悲しい、HAPPYでハートフルな音楽として届けてくれていた
イーグルスと、グレン・フライの偉大な功績に。
尊敬と感謝の気持ちをこめて追悼し、ご冥福をお祈りします。
Glenn Frey, The Heat Is On
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