
9月1日は、防災の日。
1923年9月1日午前11時58分に発生した関東大震災の、死者行方不明者14万人以上とされる惨事を教訓として、防災の意識を高めるために政府が1960年に制定し、毎年全国で防災訓練が行われます。
子どもの頃から、「東海地震が明日にでも来る」と言われていた県に住んでいたため、9月1日は夏休みが終わって二学期が始まる日でもありますが、登校して宿題などを提出した後には防災訓練が行われ、座布団兼用の防災頭巾をかぶって運動場に集合し、必ず来ることが想定される地震についての備えをすることを繰り返し刷り込まれていました。
朝から市の広報無線が防災訓練のサイレンや呼びかけを放送し、各町内では防災施設の点検をしたり、消火訓練や炊き出しの練習をしたり、住民一丸となって、来るべき東海地震の備えをしたものでした。
代わって、現在暮らしている町では、関東大震災の起こったこの日ではなく、1983年(昭和58年)5月26日11時59分に発生した日本海中部地震で、たまたま遠足で海沿いに来ていて亡くなってしまった小学生児童たちを含む犠牲者を追悼し、日本海で発生する大地震に備える日、5月26日が防災を意識する日となっているようです。
先日の台風10号では、太平洋側の東北地方、再び北海道が大きな被害に遭い、現在も被災されています。
犠牲になられた方のご冥福をお祈りし、いまだ不便な生活を送られている方々にお見舞い申し上げます。
夏の終わりに計画していた岩手県宮古の浄土ヶ浜へカモメとウミネコと触れ合う旅は、台風の進路と天気予報とにらめっこしながら日程を決め、楽しんで無事に帰宅することができました。
震災前、まだ長男が小さかった頃に初めて体験した遊覧船でのカモメたちへの餌づけがあまりにも楽しく興奮してしまったため(母がw)、震災後にどうしても子どもたちを連れて再び復興している太平洋沿岸に連れて行きたかった旅の計画。
何処へ行くかは告げず(盛岡で道に迷い、ナビさまに助けてもうことになりましたが・・・)、ワクテカしたままドライブも楽しみました。

日本海側から奥羽山脈へ行くまでと、そこから太平洋側へ向かう道では、ずいぶん印象が違うことに子どもたちも気づいたようです。
秋田県側は、山間でも比較的平地があり、そこでは稲を育てていること。
岩手県側に入ると、川沿いの道にはせまい平地しかなく、そこを並行して走る線路と、長い下り坂が続いて車はスピード出して飛ばしまくること。
ほとんど人が住んでいる気配がない場所に、住宅がみえると、「学校とか近くにあるのかな」「買い物とかどこでするのかな」と心配していたり・・・。
目の前に平地が広がって、海や住宅、よく見る店舗などが現れたときには歓声をあげたほど、沿岸までの長い道のりは緊張していたようです。
今回、岩手県で台風による被害に遭ってしまった土地も、川沿いのわずかな平地に立てられた建物や田畑が多かったようですね。
我が家でも、台風の大風には警戒して、家や畑のまわりに飛ばされるものがないか見回ったり、ハウスを閉めたり、備えをしました。
幸い、短時間で台風は去っていったので、田んぼの稲が倒れるような被害もほとんどありませんでした。
北海道では、度重なる大雨で川が増水して、今でも水が引かない場所も広くありお気の毒です。
被災地では穏やかな好天が続き、一日でも早く復旧、復興できることを祈っています。
子どもの頃からの防災訓練で、いつ地震が来ても備えをしておく心構えだけは身についていたような気がします。
そして、小学4年生のときには、家の隣を流れる清流を真っ直ぐにする区画整理の工事のため、大雨が降って排水が追い付かず、当時住んでいた家が床上浸水してしまう経験もしています。
平成に入ってから続く、雲仙普賢岳火砕流の発生、阪神大震災、北海道南西沖地震の奥尻島大津波、九州や関西地方の台風や大雨による洪水被害、東日本大震災など。
大きな災害が日本中で、いつ、どこで起こるかもしれない教訓となり、物心共に災害への備えが必要であることを教えられています。
「明日は我が身」
自分の身は自分で守る、家族の安全も自分で守る、そして、地域の人、とくに近所の一人暮らしや二人暮らしのお年寄りのことも、地域の仲間みんなで守ることを意識しています。
ところで、9月2日にニューランドで地震がありましたね。
東日本大震災が起きる2週間ちょっと前に、クライストチャーチ地震が起きたことを思い出します。
「ニュージランドで起こると日本でも前後3ヶ月にM6.8以上の地震が起こる」
陰謀論者、いいえ、日本が大好きなだけの同志の皆さんにはおなじみの、ブログ
「日本が好きなだけなんだよ」さんで、地震の法則と東日本大震災の預言をされていましたね。
その中に紹介されていた
「この者に天のご加護を 21世紀・千一夜物語」2010/8/29(日) 午後 8:13の中で、こんな記述があります。
>9月1日は「防災の日」だが、これは関東大震災が1923年9月1日、正午近くに発生し、東京が火の海となって10万人以上の人が、焼け死んでしまったことを教訓とするものだ。
防災で大切なのは科学的であるか否かではない、すなわち「
生き残るためなら科学でも、例え迷信や言い伝えを使ってでも良いから、何としても生き残る」、このことに尽きる。
>最後に、1923年、関東大震災が発生し東京が劫火に焼かれた直後、当時の文壇の著名人、芥川龍之介、田山花袋、生田長江、竹久夢二などは一様に同じ感想を述べているが、それは基本的に「そら見たことか・・・」と言う言葉である。
国家は堕落し、政治も腐敗の極みを向かえ、人々の心は拝金主義によってモラルを失った大正末期の日本、彼らの目には極限を超えた堕落は、もはや人間自らによっての自浄能力ではいかんともし難く、救いは巨大災害しかなかった、そのような壮絶な見識が感じられる。
>2010年、この暑さと、そしてこの日本の在り様である。
何も無いことを祈ろうか・・・。
(以上、引用 了)
科学的な分析や予測は、大切なこと。
起こりうる天災、災害に対して、国や自治体のインフラをはじめとした防災対策、ライフラインの確保、防災用品の備蓄、災害時のマニュアル作りや訓練などが大切であることはもちろんです。
しかし、何より大切なことは、一人ひとりが何としても生き残る、人任せにせず、自分や家族の命は自分で守る覚悟と、知恵です。
実際に災害が起こってしまった時。
自分や家族の身の安全を守り、その後、自分たちだけでなくご近所さん、地域の人のために、黙々と自分にできることをやり、尽力してきた方もいます。
そんな方を尊敬しますし、自分もいざという時、そうでありたい。
今年の暑すぎる夏。南半球での地震。
ただ、政権が反日野党ではないことは幸いなので、いつ大災害が起こっても大丈夫だと思えるように、災害時の物の備えのチェックして、自分にできることをやろうと思います。
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ニュージーランド沖でM7.0の地震
9月2日 2時14分
ハワイにある太平洋津波警報センターから気象庁に入った連絡によりますと、日本時間の2日午前1時38分ごろ発生した、南太平洋のニュージーランド付近を震源とする地震について、地震の規模がマグニチュード7.2から7.0に修正されました。気象庁によりますと、この地震による日本への津波の影響はありませんが、震源に近いニュージーランドでは、21センチの津波を観測しています。
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防災の日、36都道府県99万8千人が訓練参加
YOMIURI ONLINE
2016年09月01日
「防災の日」の1日、地震や豪雨などを想定した防災訓練が全国各地で行われた。
内閣府によると、この日は36都道府県で99万8000人が参加予定。東京では南海トラフ巨大地震を想定した政府の総合防災訓練が行われた。一方、台風10号による大雨で甚大な被害を受けた北日本では予定されていた訓練が中止された所もあり、各地で復旧作業が続いた。
政府の総合防災訓練は、午前7時10分頃、和歌山県南方沖を震源とするマグニチュード(M)9・1の大地震が発生し、静岡、兵庫、高知、宮崎など10県で震度7、9府県で震度6強の揺れがあったとの想定で行われた。安倍首相と全閣僚が徒歩で首相官邸に参集。首相を本部長とする緊急災害対策本部会議を開き、三重、和歌山、高知県と初めてテレビ会議を実施した。
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実は、私たちが住む町に新たに県の防災拠点ができることになり、この夏、地区の町内会長さんたちが集まり、視察バス旅行へ行ってきました。
平日だったため、主人は当日どうしても休むことができず、急遽私が代理で参加しました。
バスに乗って、県南の防災や宿泊施設を巡ったり、県の防災学習館を訪ねました。
はじめに訪れた施設は、なんと、先日、秋篠宮殿下がお立ち寄りになり、お食事と宿泊もされた施設だと知り、説明をしてくださる職員の方にいろいろと尋ねてしまいました。

新しい施設とはいえ、立派なホテルでもなく、お食事も特別に豪華なものでもなかったとのこと。
そのような場所でも、にこやかにご視察され、皆さんに好印象を残す宮様は素敵なお方だと、改めて尊敬申し上げる次第です。
続いて訪れた場所は、写真撮影も厳禁、見聞きしたことも知らせてはいけないという秘密の場所です。
そこでは、ちょっと嬉しいお土産をいただいてきました。
・・・。何かは、秘密ですww
昼食をとる場所は、何度か訪れたことがある「ふるさと村」。
故郷から遊びにくる友達と待ち合わせしたり、子どもたちを遊ばせたりしたこともある場所です。
そこで、地区にお一人だけいらっしゃる女性の町内会長さんと一緒におしゃべりしながら、地ビールを半分ずついただいて、楽しい会話に胸を弾ませました。
その方は、熱烈な「安倍首相」支持者であり、地元の自民党国会議員応援団の美人な自称「中期高齢者」の方です。
大樹が好きなので時々おじゃまする神社の、すぐ向かい、参議院選挙前にたまたま立ち寄った時に、近くのお宅の壁に安倍ちゃんのポスターが二枚貼られていることに子どもたちが気付き、記念写真を撮った旧家のお屋敷に、一人でお住まいの方でした。
こんなところに、こんな立派な日本家屋のお宅があったのかと、断りもなく思わず撮ってしまったスマホの写真をお見せすると、笑っていらっしゃいました。

自分も「安倍ちゃん」のファンであることを告げると、あとは意気投合~+゚(*´Д)人(Д`*)。+゚NE~♪
当地へ嫁いできて、初めてリアルに政治や信条について忌憚なく語ることができる女性と会えて、感激しました。
主人からは、「皇室と政治の話はするな」と普段から釘を刺されていますが、こんなに気が合う方だったら大丈夫、だよね。
その方も、安倍首相が大好きで、国会議員の方たちとも親しくしているそうです。
近所や周囲の人からは変わり者だと思われ、敬遠されている、町内会長だって推薦されて何度も断ったのにやらざるを得なくなり、みんなから嫌われていじめられている、なんて茶目っけたっぷりに話す楽しい方。
実際には、その町内には高齢者の方ばかりで、頼りにされているからお願いされたようです。
大地主の旧家に嫁ぎ、20年ほど前にご主人を失くし、お姑さんは100歳を超えてお元気で施設で暮らしていて(95歳で家の中で転んで骨折してしまい、段差のある古い家では暮らせなくなってしまったそうです)、広いお屋敷に今は一人で住んでいるとのこと。
お嬢さん方が東京で暮らしていて、ときどき東京に遊びに行ったり、お孫さんたちも遊びに来るけど、だんだん面倒になってきたのですと。
民主党、社会党、共産党が大嫌い、田舎の噂話も嫌い。
美味しいモノが大好き。
麺つゆや漬物は自家製、畑で野菜をつくり、草刈機を使って自分で草も刈る。
男性と親しく話していると男好きだと言われ、勝手に噂されるけど、気にしない。
天皇陛下の「お気持ち表明」って、何、アレ?
あそこは、美○子サンが気が強くていばっているから、あんな訳のわからないことを陛下まで言い出す。隠居したいなんて、普通のじいさんじゃないんだからよく考えてモノを言わなきゃならないのに、周りに本気で皇室の心配をする人もいなくて、美○子サンともども嫌われているからあの始末。
二代続けて、日本一の旧家なのに嫁選びに失敗。
雅○なんて、最悪、日本一最低の嫁。皇○子はまったく見る目がないおバ○さん。
(※私が話しているんじゃありません。念のため。 )
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視察旅行で、防災関連の施設を見たり防災訓練を体験したことも勉強になりましたが、素敵な先輩に出会って意気統合し、リアルにおしゃべりできたことが何より楽しかったです。
帰りのバスの中では、向かい側に座った農家の大先輩から、現在の農政農業の問題点をいっぱい教わり、楽しく勉強させてもらいました。
オランダやフランスにも視察に行ったことがある筋肉モリモリの元青年農家さんの、大胆な農業政策には、目からウロコ。
普段は話す機会もなく、代理で参加しなければ知り合うこともなかった「町内会長」さんたちの叡智を垣間見て、まだまだ教わりたいことがたくさんあることに気づきました。
幸いなことに、私たちが住んでいる場所は、津波の心配もなく、地盤も固く、がけ崩れや洪水の心配もそんなにないところです。
断水になれば、水が湧いているところもあるし、農家が多いから、お米や野菜は近所の人と分け合えば食料の確保もできる。
お年寄りの一人暮らし、二人暮らし世帯は多いから、近所の人たちで訪問して助け合う。
防災拠点ができれば、地域だけでなく、広域の人たちが防災用品を取りに来たり避難したりすることができる。
町内会長の家の一員として、町内の皆さんのために役に立てるように働こうと決意した夏でした。
(※我が町内は、選挙ではなく輪番制で会長を決めるから、何十年かに一度の順番がたまたま回ってきただけです)