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青と緑の稜線のブログ一覧

2016年12月29日 イイね!

寛容の心、和解の力。 誰が仲間で、誰が敵か。

寛容の心、和解の力。 誰が仲間で、誰が敵か。安倍総理大臣。お疲れさまでした。

私たちの世代で戦後レジームから脱却する、次世代には残さない。

そんな強い意志と覚悟を感じた、米国との一連の「和解」の儀式とメッセージに、
感謝と感動の想いが湧きあがってきます。



それにひきかえ・・・・。





「謝罪」という言葉がない、
次は何処どこへ行き、謝罪するべきだ。






あーーーーーーーーーっ。

恥ずかしい。 みっともない。


いつまでも、捏造と妄想の世界の「謝罪」と「賠償」にこだわっている支那とその属国
そして、日本のおバカっちょなマスコミの、民度の低さ、愚かで乏しい人間性。



いつまでも構っているのはバカバカしいけど、事実とは違うとはっきりと全世界にアピールして、どれほど愚かな国、卑怯な人々なのか、情報を共有しなくちゃ。



進化し、進歩しつづける人類の、「真の敵」とは、いったい誰なのか。

共に手を取るべき相手ではなく、永遠に理解し合えない「非寛容」で「関わらざるべき」国はどこなのか。



そして、日本を貶める「日本のマスコミの醜さ」「左翼・自称リベラルの愚かさ」を
そろそろ、日本人の心をもつ日本人は、気づいているでしょう。




己の信じる道を、ひたすら信じて、一歩一歩進んでいる

私利私欲のない、強くてしなやかで誇らしい日本人が誰なのか。



この国を護ってくださっている神々や先人たちが

その無私の心、寛容の心、公の精神に基づいた行動を喜んでくださっているのは誰なのか。


私たちは共感し、感動を分かち合い、共に高みを目指していかなくてはいけないのです。




安倍総理 真珠湾訪問「和解の力」―平成28年12月27日 - 首相官邸



平成28年12月27日
米国訪問 日米両首脳によるステートメント


首相官邸

【安倍総理発言】
 オバマ大統領、ハリス司令官、御列席の皆様、そして、全ての、アメリカ国民の皆様。
 パールハーバー、真珠湾に、今、私は、日本国総理大臣として立っています。
 耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
 私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。
 あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。
 そこは、私に、沈黙をうながす場所でした。
 亡くなった、軍人たちの名が、記されています。
 祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、様々な地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮(ぐれん)の炎の中で、死んでいった。
 75年が経った今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。
 耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。
 あの日、日曜の朝の、明るく寛(くつろ)いだ、弾む会話の声。
 自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。
 最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。
 生まれてくる子の、幸せを祈る声。
 一人ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子供たちがいたでしょう。
 それら、全ての思いが断たれてしまった。
 その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は、言葉を失います。
 その御霊(みたま)よ、安らかなれ――。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。
 オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界の、様々な国の皆さん。
 私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜(むこ)の民の魂に、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。
 私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。
 戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
 この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆様に、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

 昨日、私は、カネオヘの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。
 その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのを諦め、引き返し、戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。
 彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。攻撃を受けていた側にいた、米軍の人々です。死者の、勇気を称え、石碑を建ててくれた。
 碑には、祖国のため命を捧げた軍人への敬意を込め、日本帝国海軍大尉(だいい)と、当時の階級を刻んであります。
 The brave respect the brave.
 勇者は、勇者を敬う。
 アンブローズ・ビアスの、詩(うた)は言います。
 戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。
 そこにあるのは、アメリカ国民の、寛容の心です。
 戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいたとき、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。
 皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。
 そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
 敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。
 私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。

 オバマ大統領と共に訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。その壁に刻まれた言葉が、私の心に去来します。
 誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う。
 永続する平和を、我々全ての間に打ち立て、大切に守る任務を、やり遂げる。
 エイブラハム・リンカーン大統領の、言葉です。
 私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。
 あの「パールハーバー」から75年。歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました。
 それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の困難に、共に立ち向かう同盟です。明日を拓く、「希望の同盟」です。
 私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、「和解の力」です。
 私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領とともに、世界の人々に対して訴えたいもの。それは、この、和解の力です。
 戦争の惨禍は、いまだ世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。
 寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。
 憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、今、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。
 日本と米国の同盟は、だからこそ「希望の同盟」なのです。

 私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。
 パールハーバー。
 真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。
 私たち日本人の子供たち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子供たちが、またその子供たち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。  そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。
 ありがとうございました。



真珠湾訪問「謝罪も同然」=生存元米兵3人が評価-安倍首相演説に列席

時事通信

 【ホノルル時事】安倍晋三首相が27日に真珠湾で行った演説の会場には、75年前の旧日本軍の攻撃を生き延びた元米兵3人が駆け付け、首相の言葉に耳を傾けた。首相は演説後、3人に歩み寄り、一人ひとりを抱擁した。退役軍人の一部には謝罪を求める声もあるものの、3人は「謝罪は必要ない。真珠湾で献花すれば謝罪したのと同じだ」(スターリング・ケールさん)などと訪問を評価した。

 真珠湾攻撃の生存者は高齢化し、年々、減少しつつある。関係者によると、今月中旬には27日の首相の訪問を心待ちにしていた一人が死去。そうした中、3人は記憶を後世に伝えようと、アリゾナ記念館行きのフェリーが発着するビジターセンターで長年、「語り部」を続けている。
 ケールさん(95)は当時、基地内の診療所で働く衛生兵だった。攻撃時は引火した油が浮く海に入り、負傷者の救助や遺体の回収に当たった。
 各国メディアの記者に囲まれたケールさんは「首相の訪問は素晴らしい。何十年も待ち続けてきた」と強調。首相が攻撃を謝罪しなかったことを問われると、「申し訳なかったと言ってもらうより、行動で示してもらった方がいい。言葉は2分で忘れる。行動は永遠に記憶に残る」と指摘した。
 戦艦ペンシルベニアに乗務していたエベレット・ハイランドさん(93)は攻撃で全身に大やけどを負った。「首相が来てくれてうれしい。(日米は)かつては敵同士だったが、今は友人だ」と笑顔を見せ、「謝ることは何もない。戦争になればいつも人は死ぬ」と語った。
 アル・ロドリゲスさん(96)は「彼はありがとうと言い、ハグしてくれた。期待していた以上のことをしてくれた」と歓迎。「首相が来てくれて本当に感謝している。これは和解(の象徴)だ」と話した。(2016/12/28-14:53)





波動砲発射用意。



エネルギー弁閉鎖。
エネルギー充填開始。
セイフティーロック、解除。
ターゲットスコープ、オープン。
電影クロスゲージ明度20。


エネルギー充填120% 対ショック、 対閃光防御。
最終セイフティー、解除。






波動砲、発射。





安倍首相が真珠湾で「アメリカ様のおかげ」スピーチ! 戦後レジームからの脱却はどうなった? 二枚舌に唖然
リテラ

安倍首相が“真珠湾訪問”で欺瞞のスピーチ! オリバー・ストーン監督らが徹底批判するも日本のマスコミは
リテラ

>安倍首相が歴史修正主義の運動に積極的に加担してきた事実をどう考えているのか、先の戦争における日本の侵略戦争の評価について言葉を濁すのはなぜか、そして、真珠湾で「慰霊」するにもかかわらずなぜ他の被害国にはまったく「慰霊」に向かわないのか、という実に本質を突く疑問を投げかけている。

>何度でも繰り返すが、この国のテレビや新聞は、官邸の口車にのってデタラメな“安倍レガシー”の拡声器になるばかりで、真珠湾訪問の欺瞞、そして安倍の薄気味の悪いスピーチについてけっして批判しようとしない。
 この態度こそが、なし崩しの“次の戦争”につながっていることに彼らはどこまで気づいているのだろうか。

安倍首相の真珠湾訪問、ドイツ主要メディアは「日本は謝罪すべき」―中国メディア

安倍首相の真珠湾演説、韓国メディアは「戦争に対する謝罪がない」と批判=韓国ネット「日本の良心はどこへ?」「次は韓国を訪問し、謝罪してほしい」
Record China

安倍首相、真珠湾で“謝罪なし”に、中国メディア「多くの国際学者が疑問」
Record China

>「25日に53人の国際学者、芸術家らが連名で安倍首相が第2次世界大戦の侵略の歴史を否定していることに疑問を呈する手紙を送った」と伝えた。この中には、アカデミー賞を受賞したオリバー・ストーン監督やプリンストン大学、東京大学、韓国西江大学の教授などが含まれているという。

安倍首相を敬語で讃えるワイドショーキャスター、真珠湾訪問報道の違和感-「ポスト真実」支えるメディア
志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

>日本のメディアは、権力を監視するという役割を忘れている。











学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか   《転載ご自由に》

BBの覚醒記録。 ブログ より

以下、一部、転載させていただきます。



1953年(昭和28年)3月30日から同年10月12日までの半年余りにわたり、初の外遊。ヨーロッパ12か国およびアメリカ・カナダを歴訪。

学習院在学中の、半年間海外は異常です。学業について行けないそのことへの、苦肉の糊塗であったかと思われます。

エリザベス女王戴冠式への、昭和天皇名代参列をくっつけることで、学業中の長期海外をごまかそうとしたのでしょうが、無理ですね。かえって、他の必然性のない旅行が際立ちます。

以下は私見ですが、GHQの占領が終わったのがこの前年の1952年ですが、彼らが埋め込んで行ったウィルスが最も強く増殖している時期だったので、半年もの西欧遊学は、洗脳教育の総仕上げの意味もあったかもしれません。
学業不良によるごまかし策であったところに、GHQ勢力(日本側)が相乗りした可能性。

まだ「リメンバー・パールハーバー」の声が生々しい頃に、わざわざ剣呑なハワイの浜辺に立たせたり。 戦後まだ8年目です。

いずれにしても宮内庁では「外遊の結果」学習院大學の単位が不足、と発表。長年の学友たちと学年が異なることを忌避するため、以後は「聴講生」として学問を続け「教育ご修了」としていますが、こんなけったいな説明、納得出来ます? 「外遊」の必然性は皆無でしょう?一言で言えば「落第」なのです。

現皇太子の寄付金を積んでのオックスフォードでの「聴講」と同義でしょう。

戴冠式なんて、数日間で済むのに半年間! それに英国とのお付き合いから言えば、本来昭和天皇皇后両陛下がお出ましが自然。

学習院の授業に「ついて行けなかった」が真相でしょう。現皇太子もそうです。下から2番目の成績で陰での密かなあだ名が「ケツに」。実は一番下で、さすがにそれはまずいので、架空の最後を置いたかもしれません。

(略)


ご子息である現皇太子殿下。名前を裏返しにつけた、赤ふん。




http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1321502434/ 

「皇太子への憂鬱」から抜粋(現在、絶版のようです)

※この「皇太子」とは、昭和時代の皇太子、すなわち今上陛下について書かれた本です。


やがて、彼を“象徴”と呼ぶ日の憂鬱を友人に語ると笑われた。

「それはお前がまだ関心がある証拠だ。いまや、おれたちには、彼にそんなことを感じることもない。無関心でいろ。その方が気が楽だ」

大宅壮一は生前、天皇、皇太子の職業論にふれて「天皇や皇太子は国家や民族のマネキンである」とたとえた。

私が皇太子というマネキンに衣裳を着せるなら、“マイホーム”という衣裳しかない。

BB注;結局、現皇太子における家庭第一主義は今上陛下発だったのです。注意もなさらず、放置なさっているはずです。かつての、自分の姿なのですから。

皇太子の女性週刊誌的疑似庶民像には、もう飽き飽きした。  

皇太子という四十二歳になる男性は、“妻の持参金”で食べている。

だが、その“貯金”はもうなくなりかけていることに、周辺は気づいていない。

そこに、不人気の原因と皇太子の不幸がある。これはある宮内記者の指摘だ。

貯金とは、金ではない。いわゆる“ミッチーブーム”といわれた、結婚のイベントである。

皇太子はあの馬車行列の日の、マスコミの興奮ぶりや沿道の拍手と日の丸が、

国民の間にいまも続いていると考えているのではないか。



「国民と共に歩むのがこれからの皇室である」という。

だがあれだけ広い御所に住んでいながら、記者会見で「殿下お住まいはいかがですか」とたずねられると、

「せまくて困る。もっと増築してもらいたい。物置が混んでせまい」と答えられたと聞き、私は耳を疑った。公人たるもの、物置まで口にすべきではなかろう。“マイホーム文化の模範”も限度がある。



こういう皇太子の言動に接すると、かならず対比されることばがある。

「父・陛下は絶対にそんなことをおっしゃらない」というのだ。

(中略)               

「今上天皇のお人柄と比較するのが気の毒なので、とびこえて大正天皇とくらべればいい」という意見が出る。

天皇は侍従の名を呼びすてになさる。皇太子は「さん」をおつけになる。にもかかわらず、

陛下の方がはるかに温かくていらっしゃるという声がある。   



(池田潔博士御進講のエピソード)

陛下(昭和天皇)は幼稚な質問から突っこんだ質問まで、身をのり出してなさる。 

終わると「池田、ありがとう、ありがとう。今日はおもしろかった」と持ち前の大きなお声でおっしゃり、廊下まで出て見送られる。 いっぽう皇太子は、棒をのんだようにストンとしておられ、ご進講が終わると「池田さん、ありがとう」と、スッと立ちあがってしまわれる

甘露寺受長(元侍従長)が著書に書いている。「陛下のおそばには、いつも笑いがたえない」と。

皇太子はどうかというと、残念ながらそれがおありにならない。学友は「殿下とは馬鹿話ができない。非常に利口で、間違っていることがあるととことんまで指弾し、やりこめないと気がすまない」

BB;「非常に利口」は皮肉だと読みました。「利口」は本来あの時代にはとりわけ、皇族に対して用いる言葉ではありませんから。



「皇太子の現状に、はっきりと危機感をもっている宮内庁某関係者に“そろそろ浩宮に帝王学が必要なのではないか”というと、“いや必要なのは、皇太子です”」



宮内庁の幹部が「皇太子さまは、あまり他人の意見に耳を傾けられるほうではない」ともらしたが

バイニング夫人の著書『皇太子の窓』にもこう評されている。

「公的な人物にとっては実に大きな財産となる、あの愚者をもよろこんで寛容する能力を、殿下はどうやら欠いておいでになるように見受けられる」

BB;庶民流に翻訳すれば「ケツの穴が狭い」ということでしょう。上品に言い換えれば「思考に柔軟性がない」、つまりは頭が悪い。

皇太子は世継の皇子としての環境の中で、当然のことながら“優者”としての意識を持っている。

それがときに、自分よりも能力のある人間に対して、不快に感じる性癖があったようだ。

バイニング夫人の著書に「殿下は自分よりも英語のできない友人をつれてくる」という意味の記述がある。

BB;セコイ…‥‥料簡の狭い性格の一端を実に明瞭に表現されてしまっていますね。自分よりも能力のある人間に対して、不快に感じる性癖は、美智子さまも同じ。だから皇太子妃として、最適な女性を退け、カスを入れました。似た者夫婦。破れ鍋に綴じ蓋。

学友は「殿下は負けずぎらいで、敵に勝ちをゆずる余裕はない。相撲でもテニスでも、自分が負けると思う相手と組むのは、いやがった。 スポーツマンシップは心得ているのだが、感情の面でおさえられない」と指摘している。

BB:完膚なきまでとはこのこと。頭が悪い上に性格も良くない、と最も素顔を身近に知る人々の評価です。

「感情を出さない生活をしている皇太子が、実に口惜しそうにする。それで、友だちもいやになる。四十にもなって子供っぽくこだわりすぎる。あの性格は小さいときのままだ」

BB:現在の皇太子が天皇に即位したとて、立派になるわけではなく、そのままの器で天皇になってしまうという証左がこれでしょう。

時代が変わったものの、侍従はいつも、「父・陛下のようにおなりなさいませ」と耳にタコができるほど御教育申し上げた。 そう言われれば言われるほど皇太子は、学友の見るところ、

「私は、新しい時代の新しい天皇、新しい皇室を目指すのだ。父・陛下は、天皇という制度の中に埋もれた人間だ。私は違う、私は天皇陛下のような生き方をしないぞ」という気持ちになるのも、また自然と言えよう。

BB:「新しい天皇と皇室像」は現在の皇太子の主張でもあります。愚かしいことです。天皇に新しさなど求められてはいません。日本国の連綿たる伝統の継承こそがそのあらまほしき姿です。

皇太子は、旧憲法下の天皇という偶像を、青年の心で打破し続け、その当面の思想が個人生活では

「憲法で保障された両性の合意による結婚」であり、結婚後は、育児を中心とする家庭革命に顕著にあらわれているのである。

BB:ほとほと情けなくなりますね。「育児を中心」として、現在の箸にも棒にもかからぬ不出来皇太子。



(ご成婚)当時の『毎日グラフ』より


井口道生(皇太子同窓)

とにかく皇太子はご婚約が決まってからは、非常に決断力が強くなられた。

その反面、ひとのいうことをあまりお聞きにならなくなったようです。独断的なところが出てきました。

自信があることと、独断的なこととは違うと申し上げているんですが、特に美智子さまのおっしゃることになったら、絶対ですね。

とにかく、すこし自信過剰気味です。それでも前に比べれば、ずっといいです。

全然自信のなかった時にくらべれば、過剰気味でも、いまの方がずっといいという意味です。



松本千世(美智子妃同窓)

美智子さまの方は、ご婚約なさってからは、独断的なところがなくなって、なんでも“殿下にうかがうわ”といってらっしゃいます。

BB:「なんでも殿下にうかがうわ」という時期から「なんでも言うことをきかせるわ」となった転換点が、昭和大帝の崩御でしょうか。あるいは、夫の操縦術の一つであったかもしれません。確実に言えるのは、頭の悪い夫婦でも妻のほうが夫よりは頭の巡りがよかった、とこういうことでしょう。いつしか配下に置いてしまいました。



学友の橋本明は、例の増原長官問題のとき<皇太子も同じだな>と感じた。つまり「言っちゃうと切られる」のだ。



皇太子の耳に痛いことを直言する士が遠ざけられるのと同じように、<長官も同じ手口でほうむられたな>という思いである。

皇太子は「直言すると切られる雛型で、むしろその傾向がたくましく育った」



女性誌は“ミッチーブーム”以来「皇太子ご一家」が目玉商品であった時代が続いた。怒らせては商売にひびく。

そこで宮内庁へのもみ手編集となった。官僚は、弱者に対して天性の表情を発揮する。そういう力学の中で

「皇太子殿下はよき夫、よき父」「美智子妃殿下はお美しく聡明な」というマイホーム像が根を張り(以下略)

BB:愚直なほどに国民はマスコミの作り上げた像を信じこみ、いまだその「後遺症」が尾を引いています。

かつては小泉信三、安倍能成がいた。彼らは参与として殿下にも言うが、長官や大夫にも面を冒して進言した。

宮内庁も新しいことをやっても責任を小泉さんに転嫁できた。今はそれがないので、宮内庁は煙たい人がなくなって羽をのばせるかわりに

うっかりしたことができない。ご結婚にしても、小泉さんがいたからこそできたことで、すべての“罪”は小泉さんがかぶった。(浜尾)



(施設訪問)

「何か温かい気持ちが生まれ、希望の芽が吹く」施設の職員は

「せめて一日中ずっと見ていただかないとおわかりにならない」、「ご夫妻が来られたといっても、あくまで視察ですからね」と言葉を濁し、せめてよかったことといえば、せいぜい皇太子のためにいままで凸凹道だった道路が、瞬く間に舗装されたことをあげる。

BB;余りにも現在の皇太子夫妻の心のこもらない形ばかりの視察と、似通いますね。ここでも原型(アーキタイプ)は、今上陛下と皇后陛下なのです。両陛下の深々とした被災地のお辞儀も結局、フェイクであったことが、バレ始めています。



(浜尾)

「ああ、あの人は殿下にとってぜひとも必要なバックボーンを持っている人だ、長くつきあってほしい友達だ、直言してほしい友達だと思う学友はだんだん離れていく」

皇太子を“疑似庶民”と規定したのは、山科宮家の出である評論家、筑波常治である。

筑波は、皇太子に対するさらに深い絶望感から、ある結論をいう。「いまの天皇で天皇制を廃止するか、さもなければ、次代の天皇は京都御所に居を移し、一切の疑似的市民生活から隔離するしかない」

BB;秋篠宮両殿下の存在がなければ、現在もこういう世論が優勢を占めていたでしょう。率直に言えば今の天皇皇后、皇太子皇太子妃ならカネ食うばかりで「要らない」存在に成り果てています。

昔の天皇は貧乏のただなかでただ皿数だけをそろえ、腐った鰯を食べながら、ひたすら古代文化を守ることを業とした。

今の天皇(昭和天皇)は、庶民から見ると痛ましいご努力だが、その「痛ましく大変なこと」をやってきた。それが無言の権威となり、理論的には戦争責任者だが、共産党でも威圧を受け、国会開会式で人が人を拝むことを拒否して天皇の前を横にあるいた松本治一郎にさえ「制度と人間は別だ」と言わせる

親しみとディグニティをもっている。



皇太子には京都御所の権威も人間としてのリーダーシップも感じない。 ただ支えているのは、平民と恋愛結婚をしたというイベントと、その延長線上の、生活面での疑似庶民というキャンペーンである。

だが、庶民と同じだという人間が、わずか10メートルの小道を赤じゅうたんの上を歩き、警官の挙手の礼に迎えられて御所に帰る。ならばそういう疑似庶民ぶりをやめて京都御所に帰るべきだ。

BB;運動会では特別席を断り、一般席を要求、その実東宮職に朝から並ばせて席を取らせ、写真撮影は父兄には条件付き、自分は撮影し放題、と一般の扱いを要求しながら同時に特別扱いを当然のこととなさる。これも今上陛下が雛形だったのですね。

筑波は、さもなければ大百二十四代天皇が亡くなったときをもって廃止がよい、今なら皇太子も一市民として暮らせる、という。



BB;いまだ秋篠宮両殿下の存在がない頃の意見です。

さまざまな皇太子観の中で、もちろん擁護論もある。

(橋本明・浜尾実)

だがこういう声は、まことに少ない。宮内記者が、もっとも平均的な現状をいった。

「天皇がお元気な間はまだいい。もしものときにはどうなるのか。これは大変なことになるぞという危機感は、少なくとも宮内庁本庁の心ある人士の中にはある。

BB;事実大変な状況になっています。

 『皇太子ご一家をよろしく』とスピーチでいわせたのも、

そういう心理だろう」皇太子は天皇になったとき、その一挙手一投足が全部さらけ出る。そのとき、彼自身の“人より卓越した資質”で天皇でいることができるのか。 それとも単に“息子”というパスポートでその地位にいるのか。救いようはあるのか。

ひょっとしたら皇太子は、結婚のときのまま、ストップモーション・フィルムになってしまった自分を意識していないかもしれない。 やがて天皇になれば、父親と同じように注目されると思っているかもしれない。 もしそうだとしたら、皇太子もさることながら、国民も不幸だ。

そして“国民と共に歩む”という信条の中に、あるできごとを思い出し、割り切れぬものを感じてしまう。

昭和四十八年春、皇太子ご一家はスキーに行くはずだった。ところが勤労ストの混乱で、皇太子はスキーを取りやめた。

だが子供たちは、宮内庁や東宮職の官用車で出かけた。パトカーに前後を守られ、行く先々の沿道に警官が出てものものしく警備をする。途中の役場で弁当を食べ、トイレを使う。

役場の職員たちは清掃にかり出される。同じ日の新聞には、足を乱された国民の怒りが大きく報道されている。

これが国民と共に歩む姿なのか?

さすがに疑問を感じた宮内記者が東宮大夫にただすと、有能な旧内務官僚はこういう考え方だったそうだ。

何が悪いのです。あの方々は存在そのものが公的なのである。公的な方の旅行に公的な機関が便宜を図るのは当然です。

BB:詭弁ですね。スキーが公的営為でない以上、この論法は成り立ちません。セックスを公的機関の立ち会いのもとで、やりますか? と言い返せば論破です。

オーストラリア・ニュージーランド旅行をした皇太子夫妻に同行した記者が、憂鬱なる土産話をしてくれた。

皇太子に関する記事はウェリントンでは大きく報道されたものの、概して現地の新聞報道は小さかった。

なにしろ、この前皇室外交のしにせ英国のエジンバラ公が来たとき、ロールスロイスでしない見物をしている途中で急に、「ちょっととめてくれ。あの市電に乗りたい」といい、市電に飛びのって市民と笑い合ったそうだ。

これはあきらかに演出であろうが、そういう演出をする知恵と勇気に、新聞は大きく報道をした。

BB;サイパンで予定外の朝鮮人の慰霊碑参拝などの演出はしてくださいますけどね。喝采より胸が悪くなるばかり。

その前例があるだけに、日本国皇太子はいかにも書きようがない。



ある日オーストラリアの記者が皇太子をさし、「彼に趣味はないのかね」

日本人記者が「いやテニスと乗馬は結構やるよ」と答えた。



「おう、わが国は乗馬の国だ。テニスはデビスカップのチャンピオンがいる。うちのチャンピオンとやろうじゃないか」

記者たちは皇太子にその事を進言し「やれやれ」とけしかけた。やれば一面トップ記事になる。

もちろん負けることは分かっているが、「汗を流してやった」若さと意気を感じるだろう。



記者たちは「今日は・・・明日は…」と期待していたが、皇太子は「遊びに来たのではない」と答えた。

皇太子のこういう律義さと頑固さはときにはマイナスである。

BB;律儀と頑固さではなく、頭の悪さです。

皇太子が「存在そのものが公人」であることの特権を受けるならば、反面の“ノブレス・オブリジ”も果たさねばならぬだろう。



・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで




女性自身2015年10月20日号

御学友激白!
美智子さま“70年の祈り”が砕け散った「いちばん長い日」
安保法案に御名御璽


陛下「人生初めての挫折だった!!」

これが事実なら、ご自身が護持を主張なさる“平和”憲法第四条違反です。

日本国憲法第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

橋本氏の発言が仮に事実ではなかったとしても、政治的言動は憲法違反です。なぜ政府はそれをお伝えしないのでしょう。パラオ行きにしろやらせ放題で甚だ危険です。

大日本帝国憲法の時の天皇の皆様方と思想を軌を一になさっていれば、
天皇主権へと戻っても良いくらいですが、天皇陛下はGHQからの刷り込み教育と恫喝に加え、“カトリック左翼”ともいうべき皇后陛下の独特の感性と合い響きあって、あたかも左翼運動家夫婦です。

ご主張なさる内容と知能レベルは、SEALDs並み。

以上です。

参考サイト 

http://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/2015-02-08.html



(抜粋)今上は頭が悪かった

だからクレバーなリベラル嫁に丸め込まれた。



・・・・・・・・・・


BB;クレバーなら良かったのですが「ワイズではない」。賢くはなく、現在のていたらくです。しかし随分早く気が付かれていた人がいるのですね。
拙ブログ主は「そんなはずがない」というお定まりの先入観で自発的に、視界を遮っていました。皇后陛下に対しても同じです。ただそれを恥じる気にはなれないのです。国民として「最後の最後まで両陛下を信じておりました」という表白と共に。

ご紹介のサイトには、昭和天皇にさえ足らぬ点は具申申し上げる忠臣がいたことも示しています。困ったことに今上陛下と共に、皇后も人に注意されることが、大嫌いどころか言われたことを根に持ち仕返しをなさることは、浜尾侍従の例で明らかです。



(以上、『学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか   《転載ご自由に》』より、一部転載させていただきました)



Posted at 2016/12/29 13:18:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記

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