東日本大震災6年 政府主催の追悼式
3月11日 15時42分
東日本大震災の発生から6年となる11日、秋篠宮ご夫妻が出席されて、政府主催の追悼式が東京で開かれ、地震の発生時刻に合わせて、安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげ、震災で亡くなった人たちに哀悼の意を表しました。
政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、それに遺族の代表らおよそ900人が出席し、地震が発生した午後2時46分に出席者全員が黙とうをささげ、哀悼の意を表しました。
追悼式には、これまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されてきましたが、6周年となるのに合わせて検討が行われた結果、ことしは秋篠宮ご夫妻が出席されることになりました。
この中で安倍総理大臣が、「被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て復興は着実に進展していることを実感します。インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速してまいります」と式辞を述べました。
「東日本大震災六周年追悼式」における内閣総理大臣式辞
また秋篠宮さまは「避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは私たち皆の願いです」とおことばを述べられました。
この後、追悼式では、岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の千葉陽さんは、「去年、今住む町で、台風による甚大な被害がありました。私にとって、津波を思い起こす出来事でした。災害からなんとか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、そして、さまざまなことで起きる『つらさ』を『幸せ』に変えられるように、今の自分が持てる力が役立つのならば、少しでもできることをしていきたいと思います」と述べました。
宮城県の遺族代表の佐藤昌良さんは、「過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、あの悲しみを忘れません。あのつらさを忘れません。あの無力さを忘れません。あの寒さを忘れません。両親の無念の思いに応えるため、火葬を済ませてすぐに東京の職を辞し、父の背中を追い、現在は地域建設業の経営者として復興の最前線に立っております。全国から頂いた善意の力を借りながら、ふるさとの復興を必ず成し遂げて参ります」と述べました。
福島県の遺族代表の石井芳信さんは、「川内村は、比較的放射線量が低く、一部の地域を残し1年で戻ることができました。今では全村の避難も解除され復興も着々と進んでおりますが、若い人たちが子どもの教育問題などから村に戻らないという課題なども多く、以前のような村の姿には程遠い現況にあります。みんなで力を合わせ復興と再生を進めていくことが私たちの責務であると考えます」と述べました。
この後、追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い犠牲者を悼みました。
秋篠宮さまのおことば 全文
6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。
ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。
そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊への追悼の言葉といたします。
(NHK NEWS WEB より)
秋篠宮両殿下は、前日の3月10日にも、『東京大空襲72年の法要』にご参列されました。
東京大空襲72年で法要 遺族ら参列、秋篠宮ご夫妻も
2017年03月10日
一方、そのころ。
高齢を理由に「天皇を退位したい」と、憲法違反を犯してまで主張し、お抱えの理髪師や学友をマスコミに登場させてまでアピールしている両陛下は、遠い異国のベトナム、タイへ。
相変わらずスケジュールすっかスカ、もうじき次代の天皇皇后の座を譲られる予定の皇太子夫婦は、3月10日も11日も公務なし。
なぜ? どうして?
政府主催の追悼式典の『東日本大震災6年 式典』は、政府の指名で秋篠宮両殿下のご参列が早々に発表されていました。
天皇皇后両陛下の参列からバトンタッチされたのは、次代予定の皇太子夫妻ではありません。
どうしてなのか、そのカギは、これまでの公務での実態に見受けられます。
日本国民とともに@秋篠宮家③
2017-03-11
でれでれ草 さまブログより、転載させていただきます。
※一部敬称略ですが、そのまま掲載します。
阪神大震災が発生したのにもかかわらず、中東へ出かけた皇太子夫妻。
ラクダレースに馬鹿笑いする雅子。
観光をたのしむ皇太子夫妻
1995/01/27 ヨルダンからの帰国前、クイーン・マリア空港にてサルワット妃とムッとした表情の雅子。パンプスから甲の肉がはみだしている【甲の肉】
※無題 Name 名無し 14/12/18(木)15:58 ID:4NmWSn76 No.1204666
そのうえ、「お国が災害で大変な時ですからお帰りになったほうが・・」
と心配し助言して下さったヨルダン王妃に
不貞腐れてブンムクレ顔しちゃうサイテーな女!
一緒にはしゃいでた無能な徳仁も同罪
皇太子
「死海がみれなくて残念でした」
雅子の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ | Dosuko Wiki | Fandom powered by Wikia
『週刊新潮』<2012年1月5・12日新年特大号<雅子さまに御された「東宮」のラスプーチン>
p.27より引用
さきに本誌は、ご病状が「適応障害」には当たらず、
他罰的感情をその特徴とする「ディスチミア症候群」ではないかと報じた。事実、そうしたお振る舞いは長期療養に入られる2003年以前、さらに言えばご成婚直後から見受けられたという。さる東宮職OBによれば、
「ご懐妊の兆しが見える数年前、東宮ご夫妻が揃ってある地方都市を視察されたことがありました。土地の産業や地域の過疎化などについて、県や市の幹部と意見交換し、食事をともにされたのですが、後日、妃殿下は
『ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません』と仰せになったのです」
このOBが当時、耳を疑ったのは言うまでもない。
「つまりは、現在のご自分とお暮らしとは直接に関係がないことだというようなご趣旨だったのですが、
皇族のお立場というものについて、根本的にご理解が異なっているのではないか、という違和感を強く覚えたことを記憶しています」
2006年の雅子
http://news.tvi.jp/index_78916483.html(魚拓記録)
皇太子ご夫妻が宮古・田老へ
(06/21 19:12)
岩手を訪問されている皇太子ご夫妻は宮古市で復興状況や震災遺構を視察された。
震災から5年3か月余。お二人のあたたかなまなざしと交流は、被災者の励みになった。皇太子さまと雅子さまは、はじめに二重の防潮堤を越えてきた津波で大きな被害を受けた宮古市田老地区で防潮堤の上から復興の現状等を視察された。そして、近くにある震災遺構の「たろう観光ホテル」で、被災の状況について説明を受けられた。
ホテルの6階から撮影された津波の映像を、雅子さまは
「もう一度みたい」と要望され、2度繰り返してご覧になったという。
「たろう観光ホテル」松本勇毅社長:
「(ご夫妻は
)『おー』と声を発していたので、津波が考えていたものと全然違うものだったのかと思った」また、宮古市の浄土ヶ浜ビジターセンターでは、皇太子ご夫妻が災害公営住宅に住む被災者と懇談され た。ご夫妻は、「大変だったね」、「お体をお大事に」等と声をかけられ、被災者の一人が「震災当時、小学生だった子どもが、ことし高校に入学した。愛子さまより一つ上だ」と話すと、笑顔を見せられた。高台移転先の三王団地で住民と懇談された後、夕方の新幹線で岩手を離れた皇太子さまと雅子さま。震災後3度目となるお二人の岩手のご訪問は、復興へと歩む被災地に明るく温かな光を灯した。
(転載以上)
鬼畜雅子の歓び
日本人の不幸が大好物
東北大震災の津波の映像をいたく喜ぶ雅子。
雅子「おーおー」
雅子「もういちど、見せてください」
雅子「おーおー」
雅子「もう一度みせてください」
TVにでることが美智子の歓び
阪神大震災
「皇后」美智子夫人が、御所に自生する水仙を17本、御自らお摘みになり献花される。
自生してた水仙17本。
それだけ。
しかも、他に被害が大きい地区があったのにかかわらず、美智子が選んだ捧げる場所は在日さんが多く住む地区だったらしい。
東北大震災
「皇后」美智子夫人が古本を14冊寄付
・『おおきなかぶ』
・『白いお姫さま』
・『スーホの白い馬』
・『くるみ割り人形』
・『新美南吉全集』1~4
・『ガラスのうさぎ』
・『ともしびをかかげて』
・『三月ひなのつき』
・『しんせつなともだち』
・『でんでんむしのかなしみ』
・『龍の子太郎』
・『わたしとあそんで』
・『わすれられないおくりもの』
・『しずかに!ここはどうぶつのとしょかんです』
古本14冊、これだけ。
※皇室掲示板より
関東大震災の皇室の対応
「無題 Name 名無し 16/04/21(木)21:19 id:xJrq6N2. No.1609189
また先述したように、御内帑金1千万円が下賜されたほか、皇太子の御成婚予算の大部分が罹災社会事業の奨励下賜金に流用されました。
救恤金は閣議を経て、内外人を問わず、死亡者・行方不明者は1人16円、
全焼住宅は1世帯12円というように、各被災者・罹災世帯に配分されました。
さらに、社会事業、司法保護事業、盲唖教育事業に関わる諸団体に対して、
応急資金3万9千余円が前後2回にわたって下賜されました。」
(以上)
しかも、贈り先は被災地とは関係のない同じカトリック仲間の活動に対しての寄付
コメント欄より
私も震災での美智子の偽善に腹が立っている一人です。
絵本を送った相手は、被災地の市役所でも図書館でもない、同じカトリック仲間の活動に対してです。これって、ようは仲間内のお話ってこと。それを美談に仕立てて、本当に偽善者だと思います。
水仙の訪問の動画をyoutubeで見たことがあります。
体育館内を回っているときに、誰かが「美智子様、お体大丈夫ですか」というニュアンスの声があり、それに対して「アテクシは大丈夫」と美智子が振り向き言うんです。
人が大勢いる広い体育館で、こんな映像と音声は事前に準備、打合せでもしてないと絶対撮れない、ヤラセだと確信しました。
また、この訪問で着る服のオーダーを受けた当時のお抱えデザーナーの雑誌インタビューに、体育館で子どもを抱きしめたとき温もりが伝わるようにと美智子からの注文で、最高級のウールで服をつくったとありましたよね。 被災地を自己PRの場所に思っている証拠です。
(以上)
皇族の定義
何を持って皇族とするのか、ですが、親王は父方の御血筋が天皇家のものであること、父方を遡れば神武天皇にいけるかどうか、ですよね。
徳仁は失格です。
ダブルはもとより「本物の徳仁」とされている徳仁は托卵子で実父は一般人ですから。
徳仁1号・佐伯徳仁
英国留学し、本物扱いされていたもう一人の徳仁も最近見ません。
しつこく反秋篠宮派が流し続けるデマの一つが、秋篠宮様が美智子と入江侍従長との間の不義の子というデマ。
実際、美智子と入江が不倫をしていたという話はよく聞きます。そして、入江の職務態度も悪かったことも。昼間っから勤務中に飲酒したりしてたそうです。
紀子様の婚前の堕胎のデマが雅子のスライドであったことは有名ですが、この入江に関するデマもスライドかもしれません。入江と実父とした親王は秋篠宮様ではなく、徳仁2号ではなかったでしょうか。
徳仁2号・入江徳仁
幼少時の徳仁1号と徳仁2号
上)徳仁1号、下)徳仁2号、
文仁親王
幼少期のお顔が香淳皇后と酷似している文仁親王は、御血筋も皇族でしょう。
佳子さまの顔のパーツは昭和天皇と同じです。
問題なしですね。
皇族妃の定義
何を持って皇族妃とするのか、ですが、
・婚姻した夫が皇族であること、
・たとえ夫が皇族でも、皇室会議で審議されみとめられ国会でも認可されたか、
ですよね。
今の美智子はご成婚した正田美智子とは別人ですので、皇后でもないし親王妃でもないし皇統譜にない人で皇族ではありません。
雅子は、皇室会議で審議もされず勝手に記者会見を開き徳仁と結婚したので正妃とは認められず、海外でも卑賤婚扱いなので皇太子妃とは言えません。しかも、夫は皇族ではありませんから雅子も一般人です。小和田の戸籍に夫とともに移動させるべきです。
天皇の定義
何を持って天皇とするかですが、御血筋の正しさもさることながら、天皇は神道の祭祀王ですから、異教に改宗したりや祭祀を放棄する場合は天皇とはいえないでしょ。祭祀ができない理由があるなら摂政をたてるべきで、これは、皇室典範でも定めています。
ミサを放棄したローマ法王はローマ法王といえないと同じく、お楽しみの鑑賞や旅行には頻繁に出かけるのに、祭祀を異教徒の職員に丸投げし続けていた明仁さんは、もう天皇と言える人ではないと思います。
さらには、三笠宮のように国を裏切っていた親王は、たとえ大正天皇の実子でも、皇族から外す以前に、皇籍を剥奪して子孫ごと日本国から追放するべきでした。
カトリックで国賊入江の姪である三笠宮百合子、皇室と日本国の富と国力を利用するだけしか頭にない三笠宮家の2人の女王、高円宮妃と2人の女王は御血筋は皇族かもしれませんが、皇族への敬意と待遇を認める必要なないと思っている方が多いと思います。
高円宮妃久子は園遊会は欠席し、京都の競馬協会の仕事を優先しました。
一方では、病み上がりの信子さまは杖を突きながら皇族としての責務を全うされました。
久子妃も三笠宮の5人の孫も、皇族としての矜持だけは高くもち、国に対して何ができるかではなく国をどう利用するかしか考えていない下賤さが隠せません。
・皇室の伝統の保持
・神道への信仰の正しさ、神への畏敬、
・御血筋の正しさ、
・公務祭祀への姿勢、
・喜びも悲しみも日本国民とともにあるという歴代の天皇のスタンス、
・無私の心と国民に負担をかけないよう配慮された清貧なお暮しぶり。
全部そなえているのが、秋篠宮家と常陸宮家、三笠宮信子さまだけですね。
他は皇族ではないと思います。
本来、天皇や皇太子が参列するべき式典に秋篠宮ご夫妻が参列しましたが、
今の皇族筆頭は皇太子でないことが、三笠宮の百日祭でもわかりましたし、今年の東京大空襲の法要、東日本大震災の追悼式典でよくわかりましたね。
国民と同じ方向を向いているのは、皇太子でも天皇夫妻でもなく秋篠宮ご夫妻です。
祭祀を放棄し、異教徒の妻に支配されている天皇。平成は天皇不在の時代でした。だから災害が小さくできず被害が大きかったのだと思います。
海外の王室のネットワークや関係者の間には、徳仁は偽物なのが知れ渡っているので、干されているんでしょうね。
海外で、皇太子夫妻や天皇夫妻が無視され、いないものとみなされている反面、秋篠宮ご夫妻が時期天皇、皇太子夫妻の格式で迎えられているのは、御血筋の正しさと皇族としての実績が積み重なっているからだと思います。
いちおうは本物あつかいされていた2人の徳仁、徳仁1号、徳仁2号は最近みませんね。もう随分前に薨去したんでしょ?早く公表しなさいよ。
ぺろぺろぺろ
(以上、転載 了)