
思春期の自分に影響を与えた出来事、人、本、映画、ものは星の数ほどありますが、音楽ももちろん、その中で大きな存在です。
中学の卒業文集の文字数の限られたメッセージの中に、自分の「生き方」を変え、影響を与えてくれたと思う
二つの曲の歌詞を入れようと試みました。
まったく意味不明の、思い出すと顔から火が出る恥ずかしい短文になってしまいました(^-^;)
が、当時の自分はその存在に感謝して、大切に思っていたものです。もちろん、いまでも。
そのひとつは、忌野清志郎さんと坂本龍一さんがコラボレーションした
『い・け・な・い ルージュマジック』。
PV、久しぶりに見た!
やっぱ、いいわぁ~☆
♪人の目を気にして生きるなんて くだらないことさ
ぼくは 道ばたで泣いてるこども
人からどう見られるか、
周囲の人の評価や評判、うわさなんかを気にするよりも、
自分の思うように、やりたいように生きればいい。
見栄なんて張らない、
ありのままでいいんだ!
優等生、イイ子(…でもなかったケドw)から解放されて、自分の心に正直に、かなりのびのびと生きるようになれたのは、この曲と出会ったから。
音楽も読書も映画も漫画もエロ(脳内)も、ソフトからハードまで、なんでも嗜むようになりました(笑)
もうひとつは、「ナイアガラ・トライアングル Vol.2」(1982年3月21日リリース)の
『Bye Bye C-Boy』。
なんと!
ニコニコ動画に、はじめて聴くポプコンの音源が!
佐野元春/BYE BYE CBOY 1974 ポプコンライブ
http://www.nicozon.net/watch/sm11401967

ココを クリック ↓
http://embed.nicovideo.jp/watch/sm11401967
そして!
nicozonにも、こんなお宝音源が!
第2部-22.アンコール~A面で恋をして 大滝詠一[LIVE音源] ヘッドフォンコンサート
http://www.nicozon.net/watch/nm5163413

ココを クリック ↓
http://www.nicozon.net/player.html?video_id=nm5163413&k=1509742849.0.1.PSGp-ILO1oZSm1P8PKSMZ1hzSEw.aHR0cDovL3NoaW5jaGFuLmJpei9yZWRpcmVjdC9pbmRleC5odG1sP3ZpZGVvX2lkPW5tNTE2MzQxMw%3D%3D...0
大滝詠一さん、佐野元春さん、杉真理さんのそれぞれの音楽の世界も大好きでした。
大瀧詠一さんが源流となって、「はっぴいえんど」や山下達郎さんも、一生お付き合いする、いつもそばにいてくれる音楽になりました。
そんな私に、嬉しいプレゼントが!
ネットで見つけた読書感想ブログ。
UPされたばかりのようです。
一部、転載させていただきます。興味のある方は、リンク先から全文お読みくださいね。
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【読書感想】「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち
fujipon 内科医が本や映画の感想、ネットのことなどを語る
2017年11月01日
(略)
この新書では、著者が実際に関わった、さまざまなアーティストの素顔やヒットソングが生まれるまでの経緯が紹介されています。
興味深いのは、著者が彼らの音楽を現象として語るだけではなく、その技術的な側面についても簡潔に紹介していることなんですよね。
”今日、はっぴいえんどが日本のロック、あるいは広い意味でのポップスの始まりだと言われるのは、サウンド、アレンジというものを極めて重要視した音楽を生み出したことが大きいでしょう。60年代後半のグループサウンズや和製ロックでは、中低域の音、ベースやバスドラムの音に対する配慮がまったくと言っていいほどありませんでした。
はっぴいえんどがこだわったのは、一つには、中低域がしっかりした音で作りたいということでした。曲作りの段階でサウンド、アレンジまで含めてそうしたイメージがしっかりとあり、それは決して譲れないものだったのです。はっぴいえんどは「日本語のロック」という面で評価され、それまでの「日本語のロックは英語のロックに劣る」というコンプレックスを駆逐したことが強調されがちですが、そのことと同じくらい、洋楽に匹敵するサウンドを構築したということも重要なのです。”
「日本語の歌詞」の功績が語られることが多い「はっぴいえんど」なのですが、
サウンドやアレンジ面でも「洋楽に負けないもの」をつくりだした、ということなんですね。
この本を読んでいると、大滝詠一さんや山下達郎さんの妥協しない仕事ぶりに、なんだか納得してしまうのです。
ちなみに、大滝さんは、納得がいくものができるまで、徹底的にやるタイプで、山下さんは、「仕事が速く、三時間と言ったら三時間、五時間と言ったら五時間で仕上げてくれた」そうです。
大滝さんは、良い音楽をつくるのと同時に「ヒットさせる」ということも、徹底的に追い求めていたのです。
”「サイダー’73」の詞を伊藤アキラさんに頼むときに、「始まりはあ行でお願いします」と大滝さんが言ったという有名なエピソードからは、大滝流「ヒットソング」の作り方の一端がうかがえます。大滝さんは、
一拍目からリスナーを引き込むためにはインパクトのある「あ行」が効果的だということをわかっていました。この依頼を受け止めて伊藤アキラさんが書いたのが、ご存知の「あなたがジンとくる時は/私もジンとくるんです/サイダー」という出だしです。
大滝さんは、多くの人の耳に残る曲の手法を理解していました。大正時代に大流行した「唱歌」には、じつはヒット曲作成のコツが詰まっています。例えば、野口雨情の唱歌「雨降りお月さん」や「青い目の人形」などには、歌いだしが「あ」から始まるものがたくさんあります。そしてリフレイン(繰り返し)が多く、耳に残ります。
さらに「証城寺の狸囃子」など、振りがついている曲は盆踊りでも好まれました。踊れる曲のほうが売れやすいことも、大滝さんは十分にわかっていたのです。”
(略)
著者は、忌野清志郎さんと坂本龍一さんがコラボレーションした『い・け・な・い ルージュマジック』の制作にも、二人を結びつける、中心的な役割を果たしています。
この曲、小学生のときに『ザ・ベストテン』で観て、「なんなんだこのオジサンたちは……見てはいけないというか、こんなのゴールデンタイムに、『ベストテン』で流していいの?」って、驚いた記憶があります。
いまでもサビの部分は歌えるんですよね。
”「い・け・な・い ルージュマジック」というタイトルが無事通ったことで火がついたのか、曲の仕上げはものすごい勢いで進みました。しかし、しばらくして坂本さんが「何か足らないと思わない?」と悩み始めました。
聴いてみて、僕は何が足りないのか、すぐに気づきました。そこで「アッコちゃんの『ほーら、春咲小紅』の『ほーら』がないですね。この曲にはそういう呼びかけがいるのでは?」と言うと、坂本さんは「そうそう、それそれ」と納得の顔です。
前年の1981年のカネボウのCMソングだった矢野顕子さんの「春咲小紅」を例に説明すると、前奏からすぐに「春咲小紅」と始まるのと、「ほーら、春咲小紅」と始まるのとでは、視聴者を曲に引き込む力がまったく違ってきます。
特にCMは短いと15秒の世界ですから、聴き流されないよう、視聴者の興味を最初にぱっと引きつけなければなりません。「ほーら」と聞こえることで、聞いた人は「なんだろう」と思い画面を見る、という反応を引き出すことができるのです。
そこで坂本さんは清志郎さんに「ここのところに、何か言葉入れて」と話をふりました。その言葉は「ベイビー」だと、みなわかっていたと思います。すぐに清志郎さんが鼻歌で「ベイベー、オー、ベイベー」と歌うと、そこにいた全員の笑顔が弾けました。
二度繰り返したのは清志郎さんのセンスです。しかも「ベイビー」じゃなくて「ベイベー」。「い・け・な・い ルージュマジック」が完成した瞬間です。”
これを読んで、僕も「その瞬間」に居合わせたような、そんな幸せな気持ちになりました。
そうだよね、「ベイビー」じゃなくて、「ベイベー」じゃないと!
「CDが売れない時代」「音楽産業の衰退」が叫ばれて久しいのですが、著者は、
今の状況というのは、「それまで大手事務所やマスメディア主導だったのが、インディーズやライブハウスから、新しいミュージシャンたちが
自力で芽を出してきた60年代~70年代に似ているのではないか」と仰っています。
「右肩下がりの音楽産業」という固定観念にとらわれていた僕は、ああ、長いスパンでみれば、そういう見方もできるのだな、と感じました。
そして、
今はけっして、「悪いことばかりの時代」ではないのかもしれないな、とも思ったのです。
以上、<
【読書感想】「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち>より、
一部転載させていただきました。
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今日、ブログを書いている私のためにUPしてくれたような(図々しい…)、そんな素晴らしい書籍&書評!
「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち (NHK出版新書)
牧村 憲一 (著)
【内容紹介】
伝説の名プロデューサーが、あの「名盤」誕生の真相を明かす。
なぜ彼らの歌は色褪せないのか? シュガー・ベイブや竹内まりや、加藤和彦、フリッパーズ・ギター、そして忌野清志郎+坂本龍一の「い・け・な・い ルージュマジック」など……、数々の大物ミュージシャンの音楽プロデュースを手掛け、今日まで40年以上業界の最前線で活動を続けてきた伝説の仕掛人が、彼らの素顔と、長く愛され、支持され続けるものづくりの秘密を明らかにする。
日本のポップスや音楽シーンのターニングポイント、ピポットに自分も立ち止まり、味わえた幸運に感謝♪
楽曲の美しさや楽しさ、素晴らしさだけでなく、詩の美しさ、情緒も味わう。
そんな曲の作詞家は、ほとんどが松本隆さん☆
大瀧さんの曲のほとんどは、松本隆さんの作詞です。
このような言葉をどうして紡ぐことができるのか、
この詩的な美しさはどこから生まれてくるのか。
メロディとハーモニーとアレンジの素晴らしさとともに、詩の世界のもつ広がりや味わいに、うっとりと浸ってしまいます。
先日、こどもたちと図書館へ行ったときに借りてきた書籍。
以前も借りた本ですが、再び読みたくなってリピートしました。
その中の一番好きなエピソードが、ネットのブログで取り上げられていたので紹介します。
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何も言わずに待ってくれた大滝詠一に「君は天然色」を書いて応えた松本隆
2016.03.25
佐藤 剛
1985年の11月から12月にかけて松本隆は朝日新聞の夕刊で、週1回の『新友旧交』というコラムを8週にわたって書いている。
そのときに「待ってくれた大滝」と題して、アルバム『A LONG VACATION(ロング・ヴァケイション)』が誕生したときの経緯を明かしていた。
大滝詠一について語ろうとすると、もう十数年のつきあいになるのに、彼のことを何も知らないような気がしてくる。
そういえば彼から家族のこととか、身の回りの雑事について聞いたことが無い。仕事以外のプライベートなことに関して口が重いのかもしれない。
一度だけ彼がぼくの家を訪ねてくれたことがある。
「今度作るアルバムは売れるものにしたいんだ。だから詩は松本に頼もうと思ってね」
「よろこんで協力させてもらうよ」
後にミリオン・セラーになった『ア・ロング・ヴァケーション』は、こんな会話から生まれた。
(「待ってくれた大滝」朝日新聞1985年12月18日夕刊(「新友・旧交」欄)
『ロング・ヴァケイション』は当初6枚のシングル盤をセットにした企画で、大瀧の誕生日である1980年7月28日と発売日が決まっていた。
ところが制作が順調に進んで歌入れが始まろうとしていた時期に、病弱だった松本の妹が心臓の発作で倒れるという出来事が起こった。
それは当時の大平首相が倒れた翌日のことで、偶然にも同じ病院の隣の病室に松本の妹は入院した。
大瀧から作詞の依頼を受けていた松本は急な事情を説明し、他の作詞家を探すようにと電話で連絡を入れた。
しかし、大瀧はこう応えたという。
「いいよ、おれのアルバムなんていつでも出せるんだから。
発売は半年延ばすから、ゆっくり看病してあげなよ。
今度のは松本の詩じゃなきゃ意味が無いんだ。
書けるようになるまで気長に待つさ」
それから数日後、松本の妹は息をひきとった。
妹の最期を病院で看取った後に歩いた渋谷の街が、松本の目には色を失ってモノクロームのように見えたという。
精神的なショックから立ち直るまでには、それから3か月ほどの時間がかかった。
その間、彼は何も言わずに待ってくれた。
あのアルバムの中の詩に人の心を打つ何かがあったとしたら、明るくポップなプールのジャケットの裏に、透明な哀しみと、それを支えてくれた友情が流れていたからだと思う。
大滝詠一の『ロング・ヴァケイション』は予定より8か月も遅れて、1981年3月21日にCBSソニー移籍第1弾として発売された。
アルバムの1曲目を飾ったのはゴージャスではなやいだサウンド、明るいポップスそのものという印象の「君は天然色」だ。
大瀧は「君は天然色」について、後にこう回顧している
この「天然色」の成功がなかりせば、『ロング・バケーション』 も、このCBSソニー時代も、輝かしいものにはならなかったであろうことを考えると、この曲には特別な感慨があります。
目の前が色を失って灰のように見えた世界から、松本が立ち直るきっかけとなったのが「君は天然色」だった。
モノクロームの世界から、輝かしい天然色の世界へ戻してくれた麗しの Color Girl。
その歌詞には亡くなった妹への祈りが込められているかのようだ。
「君は天然色」
作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一
くちびるつんと尖らせて 何かたくらむ表情は
別れの気配をポケットに匿していたから
机の端のポラロイド 写真に話しかけてたら
過ぎ去った過去 しゃくだけど今より眩しい
想い出はモノクローム 色を点けてくれ
もう一度 そばに来てはなやいで
麗しの Color Girl
かつての盟友だった松本隆と組んだという話題もあってレコード店では、永井博によるジャケットのイラストレーションを使ったポスターやPOPがディスプレイ展開された。
そして夏までベストセラーを記録し、発売から5ヶ月後にアルバム・チャートで最高2位まで上昇した。
またアルバムと同日にシングル・カットされたリード・シングルの「君は天然色」は、後にロート製薬「新・Vロート」(1982年)、キリンビバレッジ「生茶」(2004年)、アサヒビール「すらっと」(2010年)のCMソングに使用されて、21世紀にはスタンダード・ソングになった。
そして3月21日というアルバムとシングルのレコード発売日は、ナイアガラ・レーベルにとって大切な記念日になっていく。
<参照コラム・3月21日は春分の日だが、いつの頃からか音楽ファンには「大滝詠一の日」になった>
以上、<
何も言わずに待ってくれた大滝詠一に「君は天然色」を書いて応えた松本隆より、転載させていただきました>
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YouTubeでは削除済みで視聴できないので、dailymotionで♪
http://www.dailymotion.com/video/x19kfou
君は天然色 - 大滝 詠一
♪くちびるつんと尖らせて
何かたくらむ表情は
別れの気配をポケットに匿していたから
机の端のポラロイド
写真に話しかけてたら
過ぎ去った過去(とき)しゃくだけど今よりまぶしい
思い出はモノクローム 色を点けてくれ
もう一度 そばに来て
はなやいで うるわしの color girl
大瀧さん、ステキ。
松本さんも、ステキ。
素晴らしい才能を持ち合わせた人が出会うと、こんなに素敵な曲が誕生するのかと、「はっぴいえんど」での出会いの奇跡と必然に感謝してしまいます。
大瀧さんと松本さんがもしも出会わなかったら。
細野さんと茂さんといっしょに「はっぴいえんど」を結成していなかったら。
日本の音楽シーンは、今とは全く違った垢ぬけないモノクロの世界だったのかもしれません。
http://www.dailymotion.com/video/x19by5n
バチェラーガール(MONO MIX) 大滝詠一
雨はこわれたピアノさ
心は乱れたメロディ my bachelor girl
君が欲しいとつぶやくだけで
すべてなくした
でも言わずにはいられなかった
雨はこわれたピアノさ
舗道の鍵盤を叩くよ my bachelor girl
忘れるよ
二人には小さすぎたぼくの傘
どしゃ降りに消えていく
君の強い背中 きっと きっと
忘れるさ
「バチェラーガール」は稲垣潤一さんがカバーしたversionを聴いたこともある方が多いと思います。
なんてすごい・・・。
なんとすごい・・・。
雨音を『壊れたピアノ』になぞらえる、その繊細かつ鋭い感性。
そして、振られてしまった人を「忘れない」ではなく、「忘れるさ」。
壊れそうなのに粋をみせる、男の人の優しさと強さ。
天性の詩人。
天才とはこういう方のことを言うのかと。
私が生きてきた時間の中で、素晴らしい音楽に出会って、共に過ごしてこられた時間。
不機嫌をご機嫌に
悲しみやいかりは小さく
喜びや楽しさは大きく
鮮やかな色どりと弾む心
音楽は、なくてはならない大切な存在です。
松本さんは、前述の書籍の中で、こんなことを言っています。
『人間の感性というのは十六歳までに形成される、というのがぼくの考え方だ。
それまでにできるだけ多くの情報を仕入れておくことだ。
それを整理し、磨くのは大人になってからでいい。だからぼくは乱読をすすめる。』
1982年ころは、私にとっても、もしかしたら日本にとっても、
とても大切で、素晴らしいものがたくさん誕生し熟成していた時代だったのかもしれません (^-^*)