1.「共感する」 コミュニケーション力
2.「孤独を楽しむ」
独り立ちできる力
3.「世界を楽しむ」
文系・理系・体育会系それぞれに読書 運動 音楽 ドライブ 趣味など
先週、豚児たちの少年団の遠征に、太平洋側までバスを借し切って行ってきました。
少年団の子供たちが体験し、経験し、見聞を広げることが一番大事な目的ですが、少年団活動で子供たちを導いてくださる指導者の皆様への感謝と慰労、保護者同士、保護者と指導者との親睦を深める旅でもあります。
子供たちの参加者は、OBの男子中学生2名を含む、9名。
そのうち、女子は3名でした。
4年生の女子2名は、保護者の仕事や都合の関係で、子供だけの参加でした。
母親と参加している6年生の女子は、母の隣に座って会話しています。
バスの後ろに陣取った男子たちは、たわいのないことで盛り上がり、くだらない会話でみんなで楽しい時間を過ごしています。
新入部員の、我が家の次男と同級生の男の子も、すっかり溶け込んでいます。
子供だけの参加の女子2名は、その前の席に座る特別団員「都会帰りのバツ1妙齢の独身女性」をかまいながら、大きな声で本音を炸裂しつづけました。
その子たちのお母さんは、自分たちが付き添えないことに恐縮しつつ、はじめて子供だけで参加する遠征で成長できることも期待し、わたしたち保護者と指導者に思いを託しました。
母親お二人とも、常識があり優しくステキな女性です。
一人っ子のAちゃんと、今回は部活があって参加していない中学生の姉のいるBちゃん。
Aちゃんは、去年のキャンプで父親と参加しましたが、母親と離れて泊まることがはじめてだったためか、夜、テントで眠れずに、同宿の仲間たちを無理やり起こして真夜中の散歩につき合わせたり、わがままを言って困らせた子だったので、ちょっと心配していました。
でも、今年は集団生活を迷惑をかけずに送ることができて、成長したなあと感じました。
大人しくて控え目なお姉ちゃんのいるBちゃんは、思ったことは何でも、誰に対しても物おじせず、はっきりと言う子です。
それは、その子の長所でもあると思いますが、同時に、あまりにも自己中心的で、遠慮も気遣いもないわがままな言動に、正直、ドン引きしてしまいました。
学校の先生や友達、お姉ちゃんの「悪口」をみんなが聞いているところでもずけずけと言い、誰に対しても「タメ口」で呼び捨て話す自分を「スゴいでしょ?」と自慢し、宿で廊下を走らないように注視されると素直に返事をしないで不貞腐れ、食事は好き嫌いが多く「これ、嫌ーい!」と平気で残し、バスの前の座席で眠っている妙齢のお姉さんの頭や肩をドンドン叩いて起こして会話しようとし、帰路に県境を越える高速道路が雪道となり、減速しながら慎重に頑張って運転してくれている指導者の方や、周りで気遣っている人たちの気持ちを逆なでるように「まだ着かないの?このバス、遅すぎる」なんてのたまい・・・。
さすがにわたしも我慢できなくなって、「難しい運転を頑張ってくれているんだから、そんな失礼なことを言ってはダメ。少し静かにして運転の邪魔をしないようにしよう」とたしなめました。
無邪気というか素のままの女の子たちの言動に、軽口を叩きながら付き合ってくれていた「独身団員さん」も、いよいよ相手にしなくなりました。
こっそりと、わたしにこう打ち明けました。
「子供を産むなら、ぜーったい男の子がいい。女はうるさくて、かわいくなくて、めんどくせー」と。
わたしも、自分自身の経験を思いだしたり、小学校で仕事をしていた頃の女子の本音や生態をよく知っているつもりでしたが、最近の女子の言動には正直驚き、がっかり感もありました。
もちろん、女の子がみんな、この子たちのような言動をしているわけではありませんが。
手ごわいなあ。
もし、わたしに女の子の子供がいたら、うまくやっていけるだろうかって・・・。
Bちゃん。どうしてこんなことを言うのかな。
どうしてこんな女の子になっていったのかなと、いろいろ想像してみました。
まずは、
生まれつきの性格。
謙虚で大人しくてしっかり者の、お母さん似のお姉ちゃんとは、まったく対称的です。
顔も性格も、お父さんそっくりだと言います。
お父さんは、マイペースの気のいい方。お母さん曰く、周囲に気を遣うタイプではないようです。
次女、いわゆる下の子であること。
上の兄姉の様子をみて育つ下の子は、どうすれば叱られず要領よくやりすごすのか知っています。
生まれた時から、お手本にする存在、あそび相手もいてくれるから、たいていのことが思い通りに運びます。
少人数のクラスの弊害。
クラス替えもなく、ずっと一クラスの幼稚園、小学校生活が続きます。
小さい頃から、一人ひとりがどんな子なのか、それぞれが承知しています。
友達関係、順列や上下関係も、そうそう変わりません。
今の子供たちは、自分が仲間外れにされたり、いじめられたりすることを怖がります。
少しでも、人と違う個性の強い子は、ときには尊敬の対象にもなるけれど、集団の中から排除するべき対象にもなってしまいます。
とくに、集団行動を好む女子にとっては、クラスの中の自分の順列、ヒエラルキーは重要で、はっきり物事を言う子、おもしろいことを言う子が人気者になります。
人気者でいるためにテンポのいい会話をしたり、流行りモノをチェックしていたり、虚勢を張ったりしながら、自分のキャラクターを守ろうとします。
「中学デビュー」「高校デビュー」をするまで、仲間外れを恐れるあまり、自分の個性を出せずに小さく殻に閉じこもっていることもあります。
Bちゃんは、そんな典型的な女子のように感じました。
今回の遠征も、同学年の違う学校のAちゃんが参加することを知り、姉が部活で不参加だから行かないつもりだったのが、急遽参加することにしました。
前月に豚児たちが参加した、「キッザニア」のような商業高校による子供職業体験イベントにも、友達と行くつもりで応募し当選したのに、友達が応募を忘れていけなことになったら、あっさりとキャンセルしたそうです。
保護者同伴だから一人きりの参加ではないのですが、強がっていても一人では行動できないお子さんだと、お母さんから聞いていました。
頭のいい子だから、親や先生に怒られるような決定的な悪いことは、多分しない。
だから、小さなことでは母親からお小言をいわれても、父親からガツンと怒られる経験もなく、怖いモノ知らずのふるまいをしているようにも思います。
我が家の息子たちみたいな「お尻ぺんぺん」も、されたことがないのかもしれません。
わたし自身はあまり好きなタイプではない女子Bちゃんの性格や言動は、このような要因によりできあがったのではないかと、勝手に思います。
さあ。
さて。
では、どうすれば、
その子らしく、それでいてみんなからも好かれ愛される子になれるのでしょうか。
(はっきり言って、余計なお世話ですが・・・)
でも、女の子に限らず、男の子でも当てはまることじゃないかな。
子供だけではなくて、大人にも当てはまることでもないのかな~? と思いつつ・・・。
1. 「共感する」 コミュニケーション力
人と関わりあって生きているわたしたち。
一番小さなコミュニティの「家族」の中で、まずは思いやり、共感の心を身につける。
「自分が思うこと」だけでなく、「家族のだれかはどう思うのか」「どんな気持ちなのか」。
それは小さい頃から自然に観察して、察知できるもの。
「痛いの?」「悲しいの?」「苦しいの?」
「うれしいの?」「楽しいの?」「おいしいの?」
身近な家族の表情、言葉、行動から、今どんな気持ちなのか察することができれば、共感性が身につくと思います。
そして、相手を思いやる言葉かけや行動には、家族、とくに父母が
「ありがとう♡」 「分かってくれて、うれしいよ」 「よく気がついたね」
そんな言葉かけをすれば、自分の共感する姿勢が相手にとってうれしく、心地よいものだと実感できるのだと思います。
言葉に出さなくても気がつく。
目を見るだけで分かりあえる。
そんな関係ができたら、最高に幸せな家族ができあがります。
家族の中で、相手の気持ちに共感する態度が身に付けば、お友達に対しても、同じことができます。
自分の気持ちを分かってくれて、寄り添ってくれる友達のことは、大好きになります。
みんなから、慕われて愛されるようになるはずです。
それが、保身や利己的なものか損得勘定によるものか、はたまたそうでない共感する心から湧き出てくるものかは、子供同士、敏感に察します。
家族、友達、そして、共感できる感受性がそのほかの場でも発揮できれば、その子は誰にとっても「思いやりのある」「共感してくれる」大切で、かけがけえのない存在になるはずです。
2. 「孤独を楽しむ」 独り立ちできる力
昔からある、村社会の日本人の特性に、
「ひとりぼっちはかわいそう」
「出る杭は打たれる」
というのがあります。
わたしが小学生の頃も、一緒にあそぶ、一緒にお弁当を食べる、同じグループで活動する友達の存在は、学校生活で一番重大で重要なものでした。
幼馴染だったり、近所だったりで自然に仲良くなる子もいましたが、高学年になり行動半径が広がると、遠くに住んでいる子でも、気が合うか趣味が合うかで、仲良くなる子が違ってきたりしました。
とくに女の子同士は、誰かといっしょにいると安心できて、けんかして一人ぼっちになることを異様に怖れたりもします。
なんとなく一緒にいることが心地よい関係。
一人ぼっちでいることは、まるで犯罪を犯しているかのような罪悪感や恥ずかしさがあったり。
だから、友達と本音だけで付き合ったり、無理につるまなくても平気だと思うまでは、かなりの時間を要したことを思い出します。
いっしょにいると楽しいから、というポジティブな理由でなく、一人ぼっちだとおもわれたくないから、というネガティブな理由でなんとなく一緒にいることも、たしかにありました。
そして、先生に褒められて抜擢されるようなことは、仲間を裏切りひとりだけ仲間を出し抜くような罪悪感があったりして、素直に喜べないこともありました。
高校時代から、一人で旅行したり、映画や展覧会を見に行ったり、単独行動が好きなわたしですが、そんなわたしでもやはり、学校にいる時には、一人ぼっちでいるより、
(友達がいなくてかわいそう、ひとりボッチ、そうと思われたくない)
そんな気持ちが抜けなかったことは事実です。
・・・意気地のなかった自分だから、あまり大きな声では言えないのですが・・・。
「いじめ」とか「仲間外れ」とか「ボッチ」だとか、それは全部
『友達がいなくたって、平気』
『無理に、友達をつくらなくたって大丈夫』
『小学校、中学校、高校時代だけが人生ではない。ほんの一生の短い一期間』
『本当に気が合う、本当に居心地のいい関係の人と、いつか出会える』
そう、誰もが思えれば、解決することではないかしら。
大学生の男子が、「ボッチ」だと思われることを恐れて、トイレの個室で昼食をたべるという記事を以前読み、胸が痛くなりました。
「ボッチ」。 カッコいいじゃん、最高!
誰かといつもつるんで、誰かといないと落ち着かない、心細い、不安・・・。
そんな男子じゃ、ダメですよ!
一人で颯爽と、平気でふるまえる女性も、カッコいい!
わたしも大学生の頃からは、むしろ一人でやりたいことをすることの心地よさや楽しさを実感してきました。
自分で計画して、準備して、…まぁ大抵準備はしないままなのですが、行き当たりばったり、いきなり思いきって行動することは、性に合っています。
そこに、なにがあるか分からない。
なにに出会えるのかも、分からない。
そんな毎日が、いまでもずっと続いているような気がしています。
3.「世界を楽しむ」 文系・理系・体育会系 読書 運動 音楽 趣味
タイムマシンに (・ω・`人) お・ね・が・い.。*゚♪゚ ☆1982年 その1☆
タイムマシーンに (・ω・`人) お・ね・が・い.。*゚♪゚☆1982年 その2☆
思春期の頃、自分が好きだったモノ。
思春期の自分に影響を与えた出来事、人、本、映画、ものは星の数ほどあります。
学校生活の中の、小さなかごの中が自分の生活のすべてではありません。
(仲間外れにされたくない、いじめられたくない、嫌われ者だと思われたくない)
思春期にそんな思いにばかり囚われていると、すごくもったいない!
自分の世界を大きく開けば、未知の素晴らしい出会いがまっているのに!
やっぱり、本との出会いは、ものすごく大切です。
せっかくこの世に生まれてきて、知らないことや知りたいことは無限にあるのに、飛び込んでいかないなんてもったいない。
もしかして、スマホばかりいじって、LINEやゲームばかりやっている人は、そのおもしろさを知らないままに、自分を磨き高めることもせずに、この世を去ることになってしまう?
本、映画、漫画には、たくさん触れて、たくさん浴びて、自分の人生だけでなくいろんな人の人生も体験したい。
きっと、頭だけでなく、心も豊かにふくらんで、自分が好きな自分になれる。
タイムマシーンに (・ω・`人) お・ね・が・い.。*゚♪゚☆1982年 その2☆
の中で紹介した、作詞家の松本隆さん。
エッセイ集
『成層圏紳士』の中で、こんなことを言っています。
『人間の感性というのは十六歳までに形成される、というのがぼくの考え方だ。
それまでにできるだけ多くの情報を仕入れておくことだ。
それを整理し、磨くのは大人になってからでいい。だからぼくは乱読をすすめる。』
人間の感性が形成される思春期までに、いろんな引き出しにいろんな情報が乱雑にしまわれている人は、きっと、魅力的な人になるんだ。
きちんと整理できていなくても、きちんと理解できていなくても、それが何かの拍子に飛び出してきたり、いきなり大きく動きだしてくることだってあるはず。
仕事や趣味の中で、人との出会いの中で、たくさんの引き出しにたくさんの情報が入っている人は、素敵だな。
共感して、共鳴できる人と出会えるのも、自分のひきだしにいろんなものが入っているから。
からっぽの引き出しだと、からっぽの人同士でしか釣り合わない。
だから、意図的でなくても、何かの成果を求めなくても、興味がわく分野で、時間がたくさんある若い時に、たくさんの本や映画、漫画などに触れて吸収できることは、本当に大切なことなんだと実感しています。
理系人だったら、実験や観察、製作や研究などが、きっと興味がわいて楽しい分野になるのかしら。
その体験や経験は、その人の一生を生き生きと充実したものにさせてくれるに違いありません。
体を動かすことが大好きな体育会系だったら。
運動すること、鍛えること、競うことが何よりの楽しみなのでしょうね。
実際に、自分の体を通して体感することは、体の中の言葉も発達させて、より高みを目指す精神力と体力をともに鍛えてくれることでしょうね。
幼い頃から継続して会得した技は、生きていく中で欠かせない力となっていくはずです。
もともと運動神経の優れた人がその才能を伸ばしていくのも、自分の体力に合った運動を好きで続けていく人も、自分の肉体で表現することの楽しさや苦しさから、生きていることを実感できるのではないでしょうか。
わたし自身は、理系と体育会系には、あまり縁がなかったようですが、理系や体育会系の人たちも一緒に楽しめる「読書」や「映画」や「漫画」「音楽」「ドライブ」「旅行」などをずっと楽しんでこられました。
絵を描いたり、写真を撮ったりすることも、よい道具は持っていないけど好きです。
『自分自身の体験や感動しか、あの世には持っていけない』 そうです。
他人からどう評価されるかなんて、人の目を気にして生きることなんて、くだらないこと。
褒めてもらわなくても、自分が満足できれば、それで充分。
多くの人に理解してもらわなくても、自分自身や、大切な人に分かってもらえれば、それで幸せ。
「足るを知る」 ことを心にいつも忘れずに生きていきたい。
子供たちにつけたい力とは、そのそばにいる大人たちが、自然に身につけていて、子供たちに自分の背中で見せる力ではなくてはいけない、そう思うのです。
自分の経験から学んだことを、子供たちや未来に生きる日本人に伝えたい。
誰かの役に立てる喜びを、自分の生きてきた証としたい、そんな風に思います。