明けましておめでとうございます
拙ブログに足をお運びいただきありがとうございます。
おかげさまで、日々の生活の中で愛車との楽しいカーライフを過ごしておりますわたくしですが、
近い将来、少し遠い未来、大好きなお車との夢のカーライフを目指して、不器用なわたくしにもできるほんの少しの整備点検維持美化に精進していきたいと思っております。
また、安心安全な『車社会』と、健全で明るい『車会社』の発展を願い、お車に携わる皆さまの努力や願いにも目を向け、応援していきたいと思っています。
蛇足になりますが、よりよい『車社会』を目指すための家庭、地域社会、ひいては日本国、同盟諸国、志を同じくする人々の幸せとさらなる発展にも心を寄せ、自分自身を磨き高めていくことも心掛けていきたいと思っております。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます
さて。
我が町には、朝、昼、晩と決まった時間に放送が始まり、情報を伝えるシステムがあります。
午後3時には、健康作りのための「ラジオ体操」も。
農家が多い田舎住まい、またはご年配の方なら知っている情報伝達方法かもしれません。
本年、新年初めの放送では、市長さん、小学校の校長先生、幼稚園の園長先生からのごあいさつがありました。
そして昨日は、干支・亥年の年女さんお三人の「声の年賀状」が放送されました。
この日は七回目の干支を迎えた、今年84歳になられるお達者な皆さま。
そのお一人目とお二人目のお話があまりにも対照的で、考えさせられるものがあり、ふと、ある方を想起したので、駄文を書いてみたくなりました。
しばし、お付き合いしてくださる方は、わたしがどなたを思い描いたのか想像してみてください。
7回目の干支を迎えるおばあさま、まずはトップバッター。
冒頭のあいさつの世相論評から、驚きの発言。
「昨今の消費税増税、沖縄の辺野古基地埋め立て問題、安全保障の問題等で先行きの不安が増し、暗い影をなげかけている中・・・」
ええーーっ?
ここは、沖縄じゃないよ~。
消費税増税も今年からすぐに実施されるわけでもないし、わたしは勝手に、支那の経済破綻の影響でリーマンショック並みの株価変動があって延期(実質中止)されると見込んでるし。
安全保障だって、アメリカとの強固な関係が深まったおかげでキ○ガイ朝鮮の非常識や嫌がらせを事実として世界に公表できるようになって、安堵しているところだし。
新年のあいさつでもいきなり不安を煽るって・・・。
まあ、ご立派な肩書があって、市長さんからの励ましや支援のある地域の事業を成功させたいと言う抱負も話してたから、おそらく・・・。
・社会情勢を語り、自分を賢く見せたい
・立派な肩書をアピールしたい
・とにかく、褒められたい
こんな承認欲求の高いおばあさんなんだろうな~、と予想。
こんなお姑さんのところに嫁に行ったら、左翼大嫌いでだらしのないわたしなんて、すぐに叩き出されちゃうわ。
つづいて、7回目の干支を迎えるおばあさま、二番手。
「毎日を元気に、お友達のみなさんと楽しく過ごせることに感謝しています。」
しょっぱなから、聞いているこちらが思わず笑顔になってしまうではないですか!
「主人とずっと農家として働いてきて、スイカやメロンやいろいろな野菜などもつくり、みんなに食べてもらって美味しいと言われることが何よりの喜びです」
いいおばあちゃんだわ~。
「今はいろいろ便利な農業機械も増えて、若い頃とは比べ物にならないくらい楽に早く仕事ができることに感謝しています」
何でも手作業だった頃は、お米作りも大変だったでしょうね。大変だったことを強調しないで、今の嬉しさ、有難さを話そうとするお気持ちが、嬉しいではありませんか。
「 『感動』 と 『感謝』 という言葉を大切にしています」
「友達と旅行に出かけたり、温泉に行ったり楽しく過ごしています。小学校の子供たちの学校田の田植えや稲刈りのお手伝いをすることもやりがいがあります。
これからも、できるだけ、地域の行事には積極的に参加していきたいです」
こういう人と、お友達になりたいわ~。こういう人間になりたいわ~。
きっと、何に対しても前向きで、文句や不満の前に明るい言葉が出てくる方なんだわ。
『感動』と『感謝』を心に毎日を過ごしている方は、新年のあいさつでも、聞いている人を明るく楽しい気持ちにさせてくる。自分を賢く、大きく見せようとしなくても、きっと周囲に人が集まり、家族も楽しく暮らしていることでしょう。
この対照的なお二人の
「声の年賀状」を聞いて、普段から大切にしていること、心がけていることがその人の性格や生き方に色濃く投影されることがわかりました。
不安や心配、暗いことばかりに目を向け、不平不満を言う人。
片や、楽しい嬉しい有難いことに目を向け、感動と感謝の気持ちで生きている人。
2019年、平成31年を、みなさんはどちらの気持ちでお迎えになったでしょうか。
自分たちが暮らすこの国、日本のことを思っても、景気は上向きになり、雇用も増え、給与も少しずつ上昇し、若者たちの多くが希望の仕事に就けたり、就職できたりしている明るい未来が広がりつつある今日。
健康保険や年金の制度がまだ維持できているから、ひとり暮らしやふたり暮らしのお年寄りも、頑張って自活している方も多い。
外国との関係もおおむね良好で、これまで以上に各国から日本に観光に来たり、日本に関心を持ってくれている人も増えている。
民主党政権の負の置き土産のため原発再稼働は遅れ、電気料金値上げ、災害に備えるインフラ整備の縮小、在日外国人の生活保護や来日外国人の不当な健康保険利用、犯罪率の高さなど多くの問題はあるけれど、日本人が住みやすく、日本人のために改善する方向に対策がとられつつあるように感じてる。
朝鮮との関係だって、今まではでたらめな歴史、悪意のある捏造を一方的に言われっぱなしだったのが、証拠に基づいて理性的に言うべきことはいう、反論できるようになった。
この裏には、アメリカとの関係改善、アメリカの裏にいた陰謀を企てる国際金融資本勢力が大統領を操ることができなくなってきたこと、支那フランスなど朝鮮の後ろ盾になっている存在が明らかになってきたことなどが影響していると思われる。
わたし自身は、
重要な国の行事が目白押しの2019年は心地好い緊張感を持って前向きにスタートできる、よい年明けとなったと感じているのですが、みなさんはどうでしょうか。
さて。
冒頭のお二人のおばあさまのお話から、わたしがどなたを思い浮かべたかおわかりでしょうか?
はじめにお話しされた肩書きは立派、お話も立派な左翼臭のする後ろ向きな方と似ている方。
その方の一番大切なのは、身内と奥さまと日本国憲法。
「平和」と「国際」という言葉がお好きで、日本國や政府は信用されていない。
先の戦争は「絶対悪」で、戦争に到ってしまった経緯は無視して、戦争そのものを許せない。
2000年以上の歴史ある伝統よりも、GHQが作った憲法を重んじている。
先月85歳になられ、昨日「平成最後の一般参賀」を終えられた、
・・・失礼ながらあのお方。
85歳のお誕生日にあたり記者会見される天皇陛下 ご会見全文
相次ぐ地震・豪雨 心寄せ続け 陛下85歳ご会見全文
産経ニュース
2018.12.23
--天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい
「この1年を振り返るとき、
例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。
以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。
そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。
障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。
明年4月に結婚60年を迎えます。
結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め
私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、
現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、
象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、
自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。
そして、来年春に私は
譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています」
<以上、転載 了>
皇太子同妃両殿下ご結婚満25年に際しての文書回答(平成30年)
宮内庁ホームページ
平成30年6月9日
<略>
問2
両殿下にそれぞれお尋ねします。両殿下は来年5月1日に新たな天皇,皇后となられます。日本や皇室を取り巻く環境が大きく変わるなか,皇太子同妃両殿下として築き上げてきた25年の歩みを即位後にどう生かしていきたいとお考えでしょうか。新天皇として,新皇后として,次の時代のあり方とあわせてお考えをお聞かせください。
皇太子殿下
私たちは,この25年間,天皇皇后両陛下のなさりようをつぶさに拝見してまいりました。両陛下がこれまで一つ一つのご公務にお心を込めて取り組んでこられたことに対し,改めて深い感慨と敬意の念を覚えています。そして,私たち自身,両陛下のお導きの下で,お互いに協力しながら様々な経験を積んできましたので,今回の25年という一つの節目を契機に,気持ちを新たにし,今までの経験を糧にしつつ,引き続き,お互いに協力しながら,国民の幸せを願い,一つ一つの公務に取り組んでまいりたいと思います。
次の時代の皇室のあり方については,両陛下も大事にされてきた皇室の長く続いた伝統を継承しながら,現行憲法で規定されている「象徴」としての天皇の役割をしっかりと果たしていくことが大切だと考えています。そして,象徴としてのあり方を求めていく中で,社会の変化に応じた形で,それに対応した務めを考え,行動していくことも重要だと思います。私は,以前「新たな公務」について,自分自身も携わってきた水の問題や,環境問題,子どもや高齢者を取り巻く状況などについて触れましたが,今後も,そうした新たな公務に対する社会の要請は出てくると思いますので,そうした公務に真摯に取り組んでまいりたいと思っています。
同時に,世界各国との相互理解を深めていくことも大切であると思いますので,国際親善や文化交流の面でもお役に立てればと思います。また,今後の日本や世界の将来を担っていくことになる若い人たちとの交流も大切にしていきたいと考えています。
なお,雅子は,努力と工夫を重ね,体調に気をつけながら,一生懸命に快復への努力を重ねています。側で見ていて,そのことはよく分かります。国民の皆様には,引き続き,雅子の快復を長い目で温かく見守っていただければと思います。
皇太子妃殿下
日本は,この25年の間に,阪神・淡路大震災や東日本大震災を始め,度々大きな自然災害に見舞われた他,多くの社会的な変化を経験してきました。こうした中で,両陛下が常に国民の幸せを願われながら,お心を込めて一つ一つのご公務をお務めになり,国民と苦楽をともにされてきたお姿を間近に拝見させていただいてまいりましたことを,大変ありがたいことと思っております。両陛下がこれまで大切になさっていらっしゃいましたことを常に心に留めながら,今後とも,広く人々の幸せを祈っていきたいと思います。
特に,東日本大震災をはじめとする様々な災害の被災地において,私たちは,人々が共に支え合うことの大切さを深く感じるとともに,困難な状況に置かれている方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ,そのような方々の生活が少しでも良くなるようにと願ってまいりました。これから先,復興が一歩一歩着実に進み,被災された方々に安心できる暮らしが一日も早く戻りますよう心から願いつつ,被災地の今後に永く心を寄せていきたいと思います。
また,これからの日本や世界の人々にとって何が大切になってくるのかということについて,皇太子殿下とご相談しながら考え,世の中のことに関わっていくことができればと思っております。
<略>
皇太子さま「象徴」継承へ=平成、残り4カ月-天皇ご一家が新年
時事ドットコムニュース
2019/01/01
天皇ご一家は1日、新年を迎えられた。天皇陛下は4月30日に皇居で「退位礼正殿の儀」に臨み、上皇に。皇太子さまは翌5月1日に即位し、
新たな「象徴」として陛下から全ての公務を引き継ぐ。平成は残り4カ月となった。
天皇陛下は今月7日に在位30年を迎え、昭和天皇陵(東京都八王子市)を皇后さまと参拝。2月24日には陛下の在位30年記念式典が政府主催で開かれ、陛下がお言葉を述べる。退位を控え、3月に神武天皇陵(奈良県)を、4月に伊勢神宮(三重県)と昭和天皇陵を訪れる。4月10日、天皇、皇后両陛下は結婚60年を迎える。
新天皇となった皇太子さまは10月22日、新皇后の同妃雅子さまと共に「即位礼正殿の儀」に臨み、続いて行われる「祝賀御列の儀」で都内をパレード。宮殿では同日以降、4日に分けて「饗宴の儀」が行われる。11月14~15日には、天皇が一世に一度行う重要な儀式とされる「大嘗祭」が、皇居・東御苑に設営された大嘗宮で行われる。
上皇、上皇后となった両陛下は5月以降、皇居・御所から仮住まいとなる高輪皇族邸(東京都港区)に転居。最終的に現在皇太子ご一家が住んでいる赤坂御用地内の東宮御所に移る。
皇太子さまは両陛下が続けてきた「三大行幸啓」と呼ばれる地方公務を引き継ぎ、今年は愛知県での全国植樹祭、茨城県の国民体育大会、秋田県の全国豊かな海づくり大会に出席する。皇太子時代に続けてきた国民文化祭などへの出席については、即位後も継続するか、皇族方と分担するかについて宮内庁が調整を急いでいる。
天皇ご一家、平成最後の新年穏やかに
日本国憲法にある「象徴」という立場を順守することをなによりも大切にしながら、
日本國憲法にはない「譲位(生前退位)」を強行された天皇陛下。
憲法を順守、大切になさると言うよりも、大東亜戦争後にGHQによってつくられた
「象徴天皇」「平和憲法(第9条)」が大切、ということではないのでしょうか。
さらに言えば、ご自身の皇統 、2600年以上、125代に亘ってつないでこられた男系血統や伝統を守ることよりも、ほんの73年前に、日本人の手ではなく、戦勝国によって短期間につくられた憲法の方が大切だと思われていることに、大きな疑問を感じます。
憲法は守るけれど、憲法違反の譲位を断行。
象徴天皇とは、祭りごとに関わらない立場にも関わらず、生前退位を強行。
従来の天皇の役割ではない被災地慰問や外国への謝罪の旅を精力的につづけ、
天皇の本来の役割である『宮中祭祀』『男系男子の皇位継承』は軽視。
天皇陛下が長きにわたり、唯一無二の存在として重責ある「天皇」の立場でいらっしゃり、
真摯に公務につとめ、「象徴天皇」としてのあり方を模索されてきたことには敬意を表します。
しかしながら、時代とともに歩むその『時代』が、左翼、反日勢力が好む自虐史観や親中親韓、グローバル主義、かつ欧州の王族に見られるジェンダーフリーや長子優先の平等主義であり、わたしの思う日本が守り目指すべき『時代』とはいささか違ったものであること。
大切になさるものが、本来皇族や天皇家が護るべき『宮中祭祀』と『男系男子の皇位継承』ではなく、GHQが作った平和憲法であり、皇室全体、または旧宮家や旧皇族など男系男子で紡いできた皇室というより小さな自分の家族、血縁のみ(弟宮である常陸宮両殿下との交流の少なさから)、特に心配な長男一家だと思われることに、強い違和感を持ち続けてきました。
お若い頃から、陛下の周囲にいた側近がカトリック教徒であったり、家庭教師がクエーカー教徒の女性だったり、ご結婚相手がカトリック教徒でご実家がGHQの日本弱体化政策の一環のアメリカ産小麦輸入を扱う会社の経営者だったりしたことが陛下の「国家観」「天皇観」に大きな影響を与えたであろうことは、想像に難くありません。
まだまだお元気でいらっしゃるうちに、皇太子夫婦が次代の天皇として国民に迎えられることを見届けたい親心、ご心配なお気持ちも、想像できます。
ですから、
「新天皇」は「象徴」であるから、絶対政治には口をはさまない。
勝手に
「女性天皇」「女性宮家」を創設することなど、許されない。
新しい憲法の下で勝手に考えた
「被災地慰問」「観賞三昧」よりも、「宮中祭祀」を大事にする。
これらのことだけを護って
、「象徴天皇」として最小限の活動をなさり、国民に心配をかけないことを約束していただきたい。
これまでのサボりに次ぐサボり、詐病仮病疑惑、ヤフオクお宝売り払い疑惑、娘さんの替え玉疑惑、ティアラネックレスプラチナフルート分解売り払い疑惑、かつら疑惑(これはどうでもいいですがw)、それは忘れません。
生温かいどころか、冷たい目で一挙手一投足を見つめている国民がいることをお忘れなく、「象徴天皇」として、余計なことをせず、お励みください。
4月1日に、新元号が発表されるそうですね。
実は、どんな年号になるのか予想して、昨年、いろいろ考えて紙に書いたものがいくつかあります。
またの機会に、新年号についてブログにまとめてみたいと思います。