
本当に、さようなら、なのですね。
昭恵さん。
立派なご挨拶です。
さすがは、晋三さんが大切にされた、すてきなご伴侶です。
どんなに淋しく、悲しく、悔しく、切なく、辛いお別れなのでしょうか。
安倍ちゃんと昭恵ちゃんが重ねてこられた月日は、日本のため、
私たち日本人のためのかけがえのない、感謝に満ちた時間でした。
どんなにお辛いのか、想像することしかできません。
どうか、心穏やかな優しい日々が過ぎてゆきますように。
お二人への感謝と尊敬を、
いつまでもいつまでも抱き続けている私たちがいることが、
少しでも、安らぎと癒しとなりますように。
安倍氏県民葬詳報
昭恵夫人あいさつ詳報「豊かな67年の人生だった」
産経WEST
2022/10/15
参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の山口県民葬(県民葬儀)が15日、下関市・県国際総合センター「海峡メッセ下関」で営まれた。遺族代表であいさつした喪主の昭恵夫人は「主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただき、豊かな67年の人生だった。本当にありがとうございました」と述べた。昭恵夫人のあいさつの詳細は以下の通り。
「本日は主人の県民葬、立派に挙行していただき、村岡(嗣政)知事、柳居(俊学)県議会議長をはじめ、県議会関係者の皆様方には厚くお礼を申し上げます。細田(博之)衆院議長はじめ、国会議員の先生方には大変、お忙しい中、わざわざ下関まで足を運んでいただきましたこと、ありがとうございました。地元の議員の皆さま、市長、町長はじめ、主人がお世話になった多くの方にご参列をいただき、また、台湾からも遠くたくさん、ご参列いただきました。主人も喜んでいることと思います。本当にありがとうございます」
「7月8日にこのような形で命を絶ちまして、今日でちょうど百か日を迎えました。信じられないような中で日々が過ぎていき、それでも四十九日を迎え、先日は武道館で立派な国葬儀を挙行していただき、だんだんと私も実感が湧いてきて、『あっ、本当にいなくなってしまったんだな』と寂しさが増してきているような日々でございます」
「平成3年、1991年、主人の父、安倍晋太郎は膵臓(すいぞう)がんで志半ば、総理目前といわれながら亡くなりました。主人と同じ67歳でございました。秘書をしていた主人は、おそらく誰よりも、その無念さを感じたことと思います。
その後、父の遺志を継いで、政治家になる決意をして、この下関に帰ってきて、毎日、毎日、多くの方に自分の思いを伝え、お願いをして回っておりました。1991年という年は湾岸戦争があり、ソ連崩壊という激動の時代でもありました。主人はその中で、政治家になる決意をして、そして、『未来は不変のものではなく、われわれの努力によって作り上げていく』という信念のもと、『世界平和のために新しい秩序、この日本が中心になって作っていかなくてはならない』。そんなことを語っておりました。それは政治家になる前から、本当に最後まで一貫していたのではないかなと思います」
「主人を支えてくださったのは、本当にこの地元にいる皆様方でした。初めて選挙に出たときは志は高かったと思いますけれども、また、父の秘書をしていたとはいえ、政治家としては全くの未知数で、30代という人間としても、まだまだ未熟だったと思いますが、主人を信じてずっと支えてきてくださいました。時に厳しい言葉をかけていただくこともありましたけれども、おかげさまで、主人を大きな政治家に育てていただけたのだろうなと思っております。ことあるごとに主人は『自分が東京で安心して仕事ができるのは、地元で支えてくださる皆様方がいらっしゃるからだ』と口にしておりました」
「特に2007年、第1次政権、病気のために辞任することになったときには『突然、総理を投げ出して無責任な男だ』と大変な批難を浴びることになり、私も本当に悔しい思いをしておりましたけれども、しばらくして、この地元に帰ってくると、多くの方に温かく迎えていただき、『晋三さん、もう1回頑張りなさい』と励ましていただきました。主人にとりましては、本当にどんなにうれしかったろうかと思います」
「そして、その後の2009年、自民党にとっては大変厳しい選挙でございましたけれども、今までにないような最高の得票率で主人は当選をさせていただきました。そのとき、主人は『再び地元の皆さんに政治家として、生命を吹き込んでいただいたんだ』というふうに言っておりました。そして、もう一度、政治家として頑張っていこうと決意を新たにしたのではないかなと思っています」
「その後、2012年に負けるかもしれないという自民党総裁選挙に立候補したときも、本当に自民党が苦しいときに全力で応援してくださった皆様方への恩返しの気持ち、再び自民党に信頼を取り戻したい、そんな思いで、『負けてもいい。何度でもチャレンジする』と言って総裁選に出馬をいたしました。その後、7年8カ月、総理大臣を務めることができたのは、本当にこの地元でお支えをいただいた皆様方のおかげと、主人に代わりまして厚くお礼を申し上げるところでございます。本当にありがとうございました」
「主人は山口県が本当に大好きで、この下関・長門が大好きでした。役職について、だんだん、帰ることが少なくなりましたけれども、それでも毎年、お盆に帰って、お祭りや花火大会で市民の方と触れ合うことをとても楽しみにしていました。『コロナでなかなか帰れないけれども、コロナが落ち着いたらゆっくり2人で帰って皆さんと語り合いたいね』と、そんな話もしておりましたが、6月末、江島(潔参院議員)先生の選挙の応援で帰ってきたのが最後となってしまいました」
「今回、遺骨という形で帰ってきたのは、本当に残念でなりませんけれども、国葬儀には各国から大勢の方にお越しをいただき、私に対しても本当に温かい弔意の言葉をいただきました。一般献花においても、長い、長い列ができて長時間並んで、献花をしてくださいました。きっと主人はそれを見て喜び、感謝をしていたのではないかなと思います」
「増上寺でのごあいさつのときに、吉田松陰先生の『留魂録』を主人が父の追悼文で書いたものを私は引用させていただきましたけれども、主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただいて、豊かな67年の人生であったと私は思っています」
「主人が愛した、この山口県、私も本当に大好き。これからも先ほどの映像にも出ていましたけど、令和の地方のあり方、私もこの地域のために、これから何かしら活動していきたいなと思っていますので、皆様方には引き続きよろしくお願い申し上げます」
「母は94歳になりました。家では、弔問に来られる方の対応をしておりますけれども、残念ながら、この県民葬に参列することはできませんでした。長年、お世話になりました皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えしてほしいと母からも言われました」
「本当にこれが最後なのかなと思って、私はこの県民葬が終わると、気が抜けてしまうのではないかなと思いますけど、本当に、このように皆様方に立派にお見送りをしていただきましたこと、改めて主人に代わりましてお礼をさせていただき、私、喪主のごあいさつとさせていただきます。本当に本日はありがとうございました」
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安倍元首相のピアノ演奏 昭恵夫人の誕生日にサプライズ披露するため60年ぶり猛練習
NEWSポストセブン
2022.07.15
選挙演説中に凶弾に斃れるという衝撃的な事件から4日後の7月12日、東京・港区の増上寺で、安倍晋三・元首相の告別式が営まれた。昭恵夫人が喪主を務めた告別式には岸田文雄・首相や麻生太郎・自民党副総裁ら約200人が参列。1000人以上が焼香の列に並んだという。
参列者のひとりがその時の状況を明かす。
「会場では、生前の安倍氏の活動を紹介するVTRが流れました。昭恵夫人と世界を回るスナップやスピーチに加え、安倍氏が演奏するピアノに合わせ、昭恵さんと合唱する動画も流れた。会場に響く2人の歌声は参列者の涙を誘いました」
安倍氏が演奏をしていたのは『花は咲く』という曲。東日本大震災の復興支援のために作られたチャリティーソングだ。昨年12月に安倍氏は公式YouTubeチャンネルでこの曲を弾く姿を公開したが、今年6月にも昭恵夫人のためにサプライズ演奏していたという。昭恵夫人の友人が話す。
「昭恵さんは今年6月10日に還暦を迎えました。自身が経営する居酒屋『UZU』では2回ほど、デヴィ夫人ら著名人を招いてお祝いの会が開かれたのですが、それとは別に、白金の『八芳園』で30人ほどのごく親しい友人たちを呼んでパーティーをしたのです。参加者は昭恵さんの友人のみで、安倍元首相の関係者や夫妻共通の友人などはいなかったようです。
そこに安倍元首相がサプライズで現われ、約5分にわたり、昭恵さんのためにピアノの演奏を披露したのです。それが、『花は咲く』だった。小学校2年生の時に習っていたピアノをやめたという安倍元首相は、60年ぶりにピアノの猛練習をし、この曲が弾けるようになったそうです」
出棺前の「最後の別れ」の際には、昭恵夫人が安倍氏に頬ずりをする姿が見られたという。その後、安倍氏は東京・品川区の斎場で荼毘に付された。斎場周辺には大勢の人たちが集まり、「安倍さんありがとう!」などの声が飛び交った。
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「何度でも申し上げます、安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした」ー令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣 友人代表 #菅義偉 【ノーカット版】