
「視聴率がよくなければ、ドラマの内容まで悪い」、そんなことを指摘されているようなネットのニュースを見るたびに、悲しくなります。・(つд`。)・。クスン
平成27年 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」。
主人公は吉田松陰先生の妹さん、杉 文さん。
誰もが知る歴史上の人物が主役ではなく、吉田松陰先生ご本人の生き様をストレートにドラマにしたわけでもなく、重厚な大河ドラマがお好きなファンの方は、王道でないために敬遠してしまうかもしれません。
また、「江」や「篤姫」のような、あんみつ姫様的なスイーツな展開や台詞もないため、おば様方の支持は低いのかもしれません。
でも、好きな人にとっては、たまらなく楽しいドラマなんです。
たとえ「応援団ひとり」になっても、応援します。
毎週楽しみでワクワクしながら視聴し、見終わったあとは新たな発見と感動と爽快感でいっぱいになり、翌週までの時間がまた楽しみになる、私にとってはそんな大河ドラマです。
前回の「軍師官兵衛」は、主役の岡田君の端正なお顔を見ているだけでも福眼でした。俳優さんとしての背の低さも気にならないくらいの存在感。
素敵な俳優陣が固める、戦国時代の歴史上の人物の生き様を描くドラマが、面白くないはずがありませんよね。
しかし、幕末が舞台の「花燃ゆ」も、松陰先生ファンの自分にとっては、この上なく面白いドラマです。
時代劇もテレビドラマも、縁があるモノだけを見るあまり熱心ではない視聴者ですが、こんなに夢中になって観た大河ドラマは、「峠の群像」「徳川家康」以来です。ちょっと古すぎますねw
今この時代に、このドラマを通して若い人たちが吉田松陰先生の生き様について知る機会となったら、素晴らしいと思います。
若い人たちだけでなく、あまり吉田松陰像を御存じない方も、先生のスピリットを受け取ることができれば、明るく前向きに、日本人として大海原を進んでいくことができるのではないでしょうか。
次週から、いよいよ松下村塾が誕生し、続々と若い維新の志士が集まってくるようです。
お若いイケメン俳優さんたちが勢ぞろいするのも見処のようですが、前回までの「野山獄」で、イケてない冴えない囚人たちと学び合う松陰先生の姿に、むしろグッとくるものがありました。
松陰先生は獄中で、アメリカの牢獄を例に挙げ、更生を目的として獄囚による自治や学芸を推奨し、医師の回診などを提案した「福堂策(ふくどうさく)」なる書を著し、自らも実践するために牢獄を出ないと云います。
そんな敬愛する松陰先生のために、いつしか心が通い合った囚人同士で、旅立ちを促し感謝を伝える句会を開く・・・。
清廉潔白、有言実行、志高く、公のために己の命を賭して尽くす。
こんな魅力的な実在の人物に、私は古今東西、出会ったことはありません。
とても真似することなどできない時代の寵児、傑出した人格者の松陰先生ですが、その高潔さ、生き様を思うたびに心が震えてしまいます。
野山獄でもいい、できれば松下村塾で塾生となって学びたい、劇中の講義のシーンをもっと長く放送してほしいなあと、ドラマなのですが切望してしまいます。
職業に貴賤はない、武士も芸人も平等だと主張し、家族に疎んじられて囚人となった・高須久子さん役の井川遥さん。紫の質素な着物姿が、ぞくぞくするくらい素敵でした。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150214-00000105-spnannex-ent
「花燃ゆ」意外にも若年層から高評価「気骨ある井上真央かっこいい」
スポニチアネックス 2月14日(土)16時17分配信
1月4日にスタートしたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」。初回視聴率が歴代ワースト3となり、その後も上昇の兆しを見せていないなど、何かとネガティブなニュースが目立つが、意外にも若年層から今後の展開に期待する声が上がっている。
データニュース社(東京)が行っているテレビ視聴アンケート「テレビウォッチャー」(対象者3000人)によると、初回満足度は3・6(5段階評価)。過去2作品の初回(軍師官兵衛が3・62、八重の桜が3・76)を下回った。また8日放送の第6話でも3・46と数値は高くなく、視聴者の回答からは「話の展開がわかりにくい」(54歳、女性)、「理解が追いつかない」(57歳、女性)など、大河を長年楽しんできた年配のファンからは厳しい指摘が少なからずあった。
一方で若年層の見方はどうだろう。20歳~35歳のいわゆる「M1・F1層」では、第6話までの平均満足度が3・96と、高満足といわれる3・8を大きく上回る数字となっているから面白い。回答からは「俳優陣が豪華」(28歳、女性)「大沢たかおカッコいい」(21歳、女性)「井上真央の気骨のある演技がかっこよかった」(33歳、男性)など、出演者に対する高評価に加え「主人公が切ない。歴史がわかってためになる」(31歳、男性)「評判は良くないが、まだまだこれからの展開が楽しみ」(33歳、女性)など、吉田松陰の妹という比較的地味な主人公から幕末維新の難しい歴史をひも解く試みや、今後の話の行方に興味を示すなど、応援団的な意見が若者を中心にあることも見逃せない。
初回では長年の大河ファンと思われる視聴者から、今までと違った大河らしくない「新しさ」に戸惑う意見が多かったが、若い視聴者はある意味、大河っぽくないセリフの言い回しや若い俳優陣などが違和感なく受け入れられ、好意的な見方をしている傾向がうかがえる。次々回の第8話(22日放映予定)からは、伊勢谷友介演じる吉田松陰が、明治維新の原動力となる志士たちを育てた松下村塾を主宰、久坂玄瑞(東出昌大)や高杉晋作(高良健吾)ら、激動の幕末を語る上で欠かすことのできない若き志士たちが続々と登場する。
視聴率という物差しで見ると、現時点では苦戦と言わざるを得ない。しかし、視点を変えてみると、若年層に支持率が高いということは、新しい大河ファンを開拓中という側面もあるといえる。批判を恐れず、視聴者が次も見たいという作品を年末まで積み上げていけるかどうか。ブレない姿勢が、何かを生み出す可能性は十分ある。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150216-00000081-spnannex-ent
大河「花燃ゆ」第7話は11・6%…再び自己ワーストを更新
スポニチアネックス 2月16日(月)10時8分配信
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」(日曜後8・00)の第7話が15日に放送され、平均視聴率は11・6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが16日、分かった。第5話の12・8%を下回り、自己ワーストを更新した。
初回(1月4日)の16・7%は1989年「春日局」14・3%、77年「花神」16・5%に次ぐ歴代ワースト3位発進。第2話13・4%、第3話15・8%、第4話14・4%、第5話12・8%、第6話13・3%と推移している。
前作「軍師官兵衛」の最低12・3%を下回った。
主演の井上真央(27)演じる主人公は、幕末の長州藩士で思想家の吉田松陰の妹・文(ふみ)。文は長州の尊王攘夷派の中心人物・久坂玄瑞と結婚し、死別後、群馬県初代の県令(現在の知事)の楫取素彦(かとり・もとひこ)と再婚。幕末の動乱の中、強い絆で困難を乗り越えた家族愛、松陰の志を継いだ若者たちの青春群像を描く。
第7話は、寅次郎(松陰)(伊勢谷友介)が学びの場を作ったことで囚人たちは希望を取り戻し、野山獄の雰囲気は変わりつつあった。一方、文は兄を獄から救い出したいと考えていた。その術が分からない文は女囚の高須久子(井川遥)に相談し、ある物を伊之助(大沢たかお)に託す。伊之助は寅次郎の赦免のために奔走する…という展開だった。
………< 以上、 転載 了 >……………………………………………………………………………
今回の「花燃ゆ」では、松陰先生の今まであまり世に知られていないエピソードも満載。
そして、知られざる松陰先生の素敵なご家族が描かれ、ますます人物像に魅了されてしまいます。
私が毎回拝見するのを楽しみにしているのが、父上・杉百合之助さん役の長塚京三さん、母上・杉滝さん役の壇ふみさん。
野良仕事をしながら家事をしながら、微笑み、そこに佇んでいらっしゃるだけで泣きたくなるような温かさ、穏やかで全てを包み込んで許してくれるような包容力。
世のために自分の命をかけて突き進んでいく息子を誇りに思い、応援しながら、革命家としての決して明るくないであろう未来を憂い葛藤する親心。
時代の寵児を生み育んだ家庭は、こんな素敵な家族だったのかと思えるのが、至福の時間です。
松陰先生の明るく真っ直ぐて、性善説を信じてよりよい世の中を創ろうとしている背景を伺い知ることができた気がしています。
私たち世代の大人、親は、日本の子供たちの健やかな成長のために、どんなことを大切にすればいいのか、松陰先生のご両親から学ぶことができるのではないかと思いました。

写真:松陰先生の母上・杉滝さん役の壇ふみさんと 妹・文役の井上真央さん
松陰先生のご母堂、杉滝さんに関する素晴らしい記事を見つけましたので、以下に転載し、紹介したいと思います。
http://mens-full-life.com/entame/nhk-historical-drama/hana-taki/
せわぁないの方言の意味と文と松陰の母・滝/大河ドラマ花燃ゆ
2015/1/3 カテゴリー: 大河ドラマ
「せわぁない」でお馴染みの杉家の母・滝
大河ドラマ「花燃ゆ」では吉田松陰と主人公の杉文の母親である滝という女性を檀ふみさんが演じます。ドラマの中で度々登場する「せわぁない」という言葉は、ドラマをご覧になっていれば何度も耳にするでしょう。そして、実際の滝という女性について、後年、四女の文や長男の梅太郎が残した談話をもとに、彼女の生涯と杉家での教育方針などに迫ります。
せわぁないの意味
まず大河ドラマ「花燃ゆ」の中で母・滝が良く口にする「せわぁない(世話ない)」という言葉ですが、これは山口県の方言で「大丈夫、大したことはない」という意味。息子の寅次郎(松陰)が脱藩、建白書、密航、投獄といった破天荒な行動によって、家族にも良くない影響が出てきたときによく口にするセリフです。息子が起こした数々の事件や出来事に動じることなく、優しく見守って家を守る優しい母のイメージが印象深いですね。
滝という女性の出自と性格
滝は1807年1月、萩城下に藩主一門毛利志摩家臣・村田右中の三女(五女という説もあり)として生まれました。滝が杉家に嫁いだのは1828年12月のことで、長男梅太郎によれば「勤勉で、慈愛の精神に溢れ非常に辛抱強い性格の女性であった」といいます。
滝が育った村田家も杉家と同じく読書好きの一家だったようで、資料によれば滝が自ら杉家へ嫁ぐことを希望したとあります。嫁入り前には奉公に出て行儀作法、裁縫を学び一人前の女性へと成長しました。
村田家は家柄が非常によく、武士階級の中で家格も高かったために経済的にも豊かだったようですが、いかんせん当時の社会は格式がややこしい。嫁側が家格が高く夫側の家柄と釣り合わないので、一度児玉家の養女となって正式に嫁入りを果たしたそうです。当時の家柄や格式については、現代人にはなかなか理解しづらい側面があり、このような手順を踏まなければ色々な不都合が起きたのでしょう。
杉家に嫁いでからは決して広い邸宅ではない自宅にたくさんの人間が暮らしを共にし、滝はそれを支えました。ときに姑の妹が病に倒れた際も自宅で看病し、汚物の洗濯や世話も厭わなかったそう。あまりの温かさと優しさに姑が涙し、それを見ていた近所の人間すら涙したといいますから、「辛抱強く慈愛に溢れる」という長男梅太郎が残した人物評その通りの女性であったようです。
母滝による子育て
杉家では読書が盛んで農作業中でも暗唱をしたり、学問が盛んでした。母滝もそれに伴い、経書や漢詩に親しんでいました。大河ドラマ花燃ゆの主人公である四女の文が後年残した談話によると、
「母は子供の躾(しつけ)にはやかましくなかつたのであります。兄松陰さんなどにも、やかましくはなかつたのであります(原文ママ)」
とあります。
男児に対しては父百合之助や叔父の玉木文之進の領域だったのか、反対に女児に対しては自分の役目だと思っていたようです。
「只私ども、女には、女は堪忍強くならなければならぬと話されました。又外には出るな、物見、見物にも出るなと申されました」
とあり、当時の武家女性への躾(しつけ)としてはごくごく一般的なものだと思います。また、自身の辛い経験があったのか、読み書きだけは学んでおくよう強く言いつけてあったようです。
「手習いは精出してせよ、字が出来ぬと嫁にいつてから骨が折れ、苦労が多い。自分ども十分に字が書かれぬ為めに、涙の出る様なことが度々あったから、お前等は字だけは能(よ)く習つて置けと、度々申されました。従(したがっ)て貧乏の中にありながら、私共の教育には心を用ひてくれられまして、どんな忙しい時でも、学問をすることだけには時間を与へてくれられましたので、家事の為めに学業を欠いたことはないのであります(原文ママ)」
上記談話は杉家の教育方針を如実に物語っているもので、その教育の甲斐あって松陰は天才兵学者として出世し、文も毛利家に仕える守役に抜擢されました。このような資料を読み解いていくと、母滝が生まれた村田家は読書好きで自ら杉家に嫁ぐことを希望したにも関わらず、自身は結婚後も読み書きに不自由していたことになります。若干の矛盾とも受け取れますが、村田家は読書好きであっても、娘の滝が学問に親しんでいた訳ではないのかもしれません。
冗談好きで今風に言えばムードメーカー
ただ、小難しい学問や辛い経験ばかりしていた訳ではなく、非常にユーモアが溢れ人を笑わせるのが好きだったようです。今でいうダジャレを言っては家族を笑わせ、和ませていたという話も残っていますし、その影響からか吉田松陰の書き記した書物にも度々ダジャレが登場するんだそうです。
実際読んでみましたが、現代のダジャレと昔のダジャレは少し違うらしく(当時使われていた言葉のニュアンスが今とは多少違う)、よくわかりませんでした(笑)。分かりやすかったのは、吉田松陰の「身についたクソは臭(くそ)うない」の一文ぐらい。吉田松陰もこんなことを書き記していたんですね。
しかし、このような談話を聞くと昔ながらの肝っ玉が据わった母親といいますか、自身のつらい経験を子供には絶対させまいという強い決意、そして子供の為を想う一種の犠牲心と明るく朗らかな母親という印象を感じ取れます。
松陰の良き理解者であり、一番の支援者
支援者というと経済的な部分をイメージするかもしれませんが、それだけではありません。松陰が国禁を犯し、密航に失敗して萩の実家に帰ってきたとき、どのように松陰を迎え入れるかを家族会議したといいます。当時は国禁を犯した大罪人として戻ってくるのですから、周囲の目も厳しいものであったのが実情です。ただ、松陰にとって最も嬉しいと感じるのは「自分の話や講義を聞いてくれる人がいることだろう」と家族は結論付けます。
そのため、松陰が自宅に幽閉し松下村塾を継承するまでの間は家族が孟子の講義や女性陣への講義を聞き入りました。後にそれが評判となって塾生が集まるのですが、母親の滝は息子の講義を人一倍楽しみにしており、夕食後の雑務を急いで終わらせると「さぁさぁ、大さん(松陰)のお話が始まりますよ」と家族の皆に知らせていたという逸話まで残っています。
ただ、女性としてどう生きるべきかを説く「女大学」という講義だけはどうにもこうにもつまらなかったようで、家族内ですらあまり評判が良くなかったという資料の記述もありましたw それは事実かどうかわかりませんが、いずれにせよこの記事では”いい話”に水を差すのでこれ以上書きません(笑)
息子松陰の死と母滝
吉田松陰が罪を犯して帰郷した際も、母親は優しく迎え入れました。松陰が江戸での取り調べで江戸へ送られる直前に1日だけ自宅に戻った際も、風呂を沸かしてあげ、再会を誓った話は有名です。結局その約束果たされることなく松陰は処刑され、この世を去ってしまいました。
処刑当日、枕元に松陰が立つ夢を見たという話が残っていますが、それは嘘か真か…。ちなみに、姉の千代による談話では長崎遊学から帰ってきたときのような、壮健な姿だったといいます。
幕末の動乱期まっただ中に夫の百合之助が他界し、維新後は萩の乱で身内から何人かの関係者、死者、処罰者が出たため、肩身が狭い思いをしたといいます。仲睦まじい近所の人ですら、厄介ごとに巻き込まれないよう、彼女に近寄らなくなったとも。
末っ子の敏三郎は障害があり言葉が話せず若くして病没していますし、三女は3歳ほどで早世。次女の寿も母より先に他界してしまいました。1890年、滝84歳で永眠。
当記事参考資料
※四女文による談話は斎藤鹿三郎著「吉田松陰正史」に収録されたもので、下記参考書籍でも掲載されていたものをまとめました。この著者が吉田松陰研究のために明治39年(1906年)から数十回にわたり、文(美和子)が晩年暮らした山口県防府市を訪れて取材されたものです。
吉田松陰とその家族-兄を信じた妹たち (中公新書)
[NHK大河ドラマ]『花燃ゆ』完全ガイドブック (TOKYO NEWS MOOK 458号)
松陰と妹 松下村塾の志士 変革の原動力 長州藩 (歴史探訪シリーズ・晋遊舎ムック)
吉田松陰・川口雅昭著(致知出版社)
・・・・・・・< 以上、 転載 了 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに、
この母にして、この子あり
爪の垢を煎じていただきとうございます(>_<")