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青と緑の稜線のブログ一覧

2015年12月06日 イイね!

【一個人】人生、最高に面白い「名作映画」【2015年4月号】

【一個人】人生、最高に面白い「名作映画」【2015年4月号】
晴れ。ときどき、にわか雪。

これと云って、何も用事のない日曜日の午後。

子供たちは、リビングのテレビで「ベイビーステップ 頭脳テニスゲーム」に夢中です。

昨日は、スケート場に行って、図書館で本を借りてきたから、今日は家でまったりと過ごすのだと。


「おかーさんも、今日はお休みの日にしてね~!」と、お休みをいただいてしまいました☆

でも、いくら部屋が暖かいからといって、半そでのTシャツを着ているのは、どうなんだい、弟くん!




 何も予定がない = 何をしてもいい自由な時間。 幸せなひととき。



熱~いコーヒーを淹れて、昨日図書館で借りてきた雑誌、「一個人」のバックナンバーを読むことにしました。


2015年 4月号。 
映画史100年間の最高傑作はこれだ!

人生、最高面白い 「名作映画」


それでは、ちらりと、ご紹介しましょう。




ラブストーリー「洋画」部門。選・文/ よしひろまちみち


1位 ラブ・アクチュアリー    <2003年>
2位 ホリディ           <2006年>
3位 アバウト・タイム      <2013年>
4位 (500)日のサマー     <2009年>
5位 ブロークバック・マウンテン<2005年>
6位 テイク・ディス・ワルツ  <2012年>
7位 ローマの休日       <1953年>
8位 卒業             <1867年>表記、ママ  ← 誤植ですよねw 
9位 恋人までの距離(ディスタンス)<1995年>
10位 美女と野獣        <1991年>


2000年以降は、あんまり映画を観ていないから、上位は知らない映画ばかりだわ。
DVDで観る参考にするわね。


同じく、ラブストーリー「邦画」部門。選・文/ 轟夕紀夫。


1位 お嬢さん乾杯     <1949年>
2位 近松物語        <1964年>
3位 浮雲           <1954年>
4位 憎いあンちくしょう  <1962年>
5位 泥だらけの純情    <1963年>
6位 卍            <1964年>
7位 愛のコリーダ     <1976年>
8位 翔んだカップル    <1980年>
9位 ハル           <1995年>
10位 ジョゼと虎と魚たち  <2003年>


・・・・・・・・。

ほとんど観たことがない映画ばかり。
撰者の方の趣味に、走りすぎてやいませんか?


さっ、次。

手に汗握る!アクション部門。 選・文/ 斎藤博昭


1位 レイダース 失われた≪聖椻 アーク≫  <1981年>
2位 マッド・マックス2                <1981年>
3位 ブラック・ホークダウン            <2001年>
4位 七人の侍                    <1954年>
5位 ボーン・アルティメイタム           <2007年>
6位 プリット                      <1968年>
7位 ポリス・ストーリー/香港国際警察     <1965年>
8位 ダイ・ハード                   <1988年>
9位 ワイルド・パンチ                <1969年>
10位 ロード・オブ・リング/王の帰還      <2003年>

よっしゃ~! やっと観たことある映画ばかりが、ランクイン!
やっぱり、ハリソン・フォード様の「インディ・ジョーンズ」シリーズは最高ね。
そうなると、「地獄の黙示録」や「パトリオット・ゲーム」、「今そこにある危機」、「エアフォース・ワン」も♪



ワクワクするなあ。SF部門。 選・文/ 添野知生


1位 ブレードランナー            <1982年>
2位 スター・ウォーズ/帝国の逆襲   <1980年>
3位 2001年宇宙の旅           <1968年>
4位 エイリアン                <1979年>
5位 ターミネーター             <1984年>
6位 宇宙戦争                <2005年>
7位 トゥモロー・ワールド         <2006年>
8位 her/世界で一つの彼女       <2013年>
9位 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー<2014年>
10位 インターステラ            <2014年>

キタコレ。2006年以降の映画は観たことないけど、5位までは順当かな。
BTTFも、ランクインしてほしいわ!
ただ、「宇宙戦争」。実はこれが長男出産前、主人と映画館で観た私の最新ww映画でしたが、「時間とお金を返せ~!」って心の中で叫びながら映画館を出てきた記憶が。H・G・ウェルズの原作は大好きです。


フレードランナー <強力わかもと> のワンシーン


ミステリー&サスペンス部門。選・文/ 北野明弘


1位 サイコ              <1960年>
2位 第三の男           <1949年>
3位 太陽がいっぱい       <1960年>
4位 ドクトル・マブゼ        <1922年>
5位 ダーティ・ハリー       <1972年>
6位 十二人の怒れる男     <1957年>
7位 オリエント急行殺人事件  <1934年>
8位 天国と地獄          <1963年>
9位 サスペリア           <1977年>
10位 インファナル・アフェア   <2002年>

往年の名作がズラリ。「羊たちの沈黙」はランクインしてほしいな。
「推定無罪」も「シックスセンス」も、いかがかしら。
関係ありませんが、「十二人の怒れる男」をモチーフにした、三谷幸喜監督の「十二人の優しい日本人」は大好きですw


♪♪♪゛




もしも。異次元の世界に、もう一人の私がいたら…。
<子供たちと一緒に居る私、じゃなくてね>

こんなのんびり過ごせる休日は、大好きな人と映画館へデートにいきたいわねえ~♪

素敵なお車で迎えに来てもらって、海岸線をドライブ。
海が見下ろせるあの山まで、シーズンオフの道路をかっ飛ばして。

ロマンチックなラブストーリーのつもりが、となりで上映しているアクション映画かSF映画に、急遽変更。

だって、私がこれまで映画館で観てきた映画は、なぜかこのジャンルばかり。

・・・私の中味は、もしかして男、なのかしら。


ポップコーンとコーラ、私はコーヒーを片手に、ハラハラドキドキ☆
ちょっと怖いシーンでは、思わず彼の腕にしがみついてしまって・・・キャー♡♪


映画が終わったら、ちょっと興奮しながら、ドキドキしたシーンを振り返りつつ、お食事へ。

何がいいかしらねえ。

車の運転をするから、彼はお酒を飲まないのかしら。
それとも、帰りは私が運転するから、ちょっと飲むのかな。


「(*´ノ-`) 今夜は、帰りたくない…」なんて、小さな声でつぶやいて。

車は夜の海岸通りから、彼の家へ。


 ・・・ちょっとぉ~。まだ明るいうちから、こんな妄想をしちやって、いけない私www




「おかーさん。今夜はご飯、何合研ぐの~? やっておくよー♪」

-「わぁー♪ たすかるわ~(^O^*)」

なんて、親孝行息子なの ♡♡

「五時になったら、スイッチおすね~!」

-「ありがと~♪」



やっぱり、おかーさんは、あなたたちが一番大好きよ~ ♡ (*^^)^* )チュッ




Posted at 2015/12/06 16:39:30 | コメント(6) | トラックバック(0) | 映画・ドラマ | 日記
2015年12月05日 イイね!

「パーソナリティ(人格)障害」と「発達障害」

「パーソナリティ(人格)障害」と「発達障害」身の周りの知人、友人、同僚、住人、さらに家族の中で、どうしても気が合わない、うまく付き合えない、トラブルが絶えないという人はいませんか。

人間同士だから、ウマが合わない、性格が違う人がたくさんいるのは当然なことです。

自分で選べる友人や恋人などは、気が合う人、似ている人、または、性格が自分とは正反対であったり、自分が持っていない長所や美点を兼ね揃えているため、惹かれることもあります。

しかし、自分で選んだ友人や恋人、配偶者であっても、時には意見が対立したり、衝突したりする場合もあります。

ましてや、自分で選択したわけではなく、どうしても付き合わざるを得ない家族、職場、地域、学校などのコミュニティの人間関係では、お互いに譲り合ったり我慢したりしながら、何とか折り合いをつけていることも多いはず。

そんな中でも、常識や良識が全く通用しない人、自分の考えを押し通したり、自分に非があることや自分の間違いは全く認めず、ひたすら相手の責任だと考える人とは、どうしてもうまく付き合えず、苦痛を感じたり、関わりを避け、逃げ出したくなることもあります。

自分が狭量であるためだと反省したり、自分がうまく折り合わないことを省みる人は、ますます相手に責め立てられ、弱くつらい立場に追いやられてしまうこともあります。


そんな時。



知っていると、楽に生きられるキーワードがあります。

「パーソナリティ障害」(2003年ころ、「人格障害」から改められる)と、「発達障害」 です。







その二つのキーワードについて説明する前に、自分の体験をちょっとだけお話します。

・・・・・・・・・・・


私は十数年間、小学校の教員を経験しましたが、子供たちは、様々な個性や資質、家庭環境、友人関係などが影響して、その子の人格を形成していくものだと考えていました。

どの子にも、よいところも、改めた方がよいと思われるところもあり、長所だけの子供も、短所ばかりの子供もいませんでした。

よさを認めて、励まして、誉めることで、その子の可能性を伸ばしていきたい。
そして、よくないと思われる点も、自分で気づかせ、自覚し、友達と上手に付き合えるために少しずつ改めていくことは、可能だと考えていました。


しかし、どうしても、気持ちが伝わらない。通じ合えない。
対教師とだけでなく、友達ともかみ合わない。
そんな女の子がいました。

友達とうまく付き合えないのはある友達のせいだと家で話し、自分の娘の言葉を鵜呑みにした両親は、一方的にいじめにあっていると誤解し、突然、学校に怒鳴り込んできました。それも、朝の七時に。

両親とも、客観的に自分の子供のおかれた状況を把握できず、双方の言い分を冷静に聞くこともできないため、被害者意識ばかりがつのり、担任やクラスメイトを責め続けました。校長も学年主任も、担任の私も、どうしたらいいのか困り果て…。


ある学年では、こんな男の子が。
みんなと一緒に勉強について行けない。本人は頑張っているのに、ある特定の分野だけ、どうしても理解できない。
毎日同じことを繰り返しても、忘れてしまい、身につかない。

ある日、放課後教室に残って一緒に勉強している時、
「先生。ぼく、どうしても分からない。覚えられない」と、五年生の男の子が、ポロポロ涙をこぼしました。
一年生で学習する引き算の勉強をしながら・・・。

これは、「学習障害」と云われる、「発達障害」の一種であることがその頃、ようやく教員の間でも認知され始めました。


前例の女の子、そしてご両親も、発達障害の「自閉症スペクトラム障害」であるかもしれないことは、私が教員を退職してから想起することになりました。



・・・・・・・・・・・・・

私が「パーソナリティ(人格)障害」「発達障害」について関心を持ったのは、実は、皇室の皇太子妃と愛子内親王の言動に疑問を持ったことがきっかけでした。

普通では考えられない、常識では図れない言動は、これらの障害に由来するものではないか、そこにあてはめることでようやく腑に落ちることに気づきました。

私の教え子の中にも、その障害に該当する子はたくさんいて、それを知らないばかりに、本人も保護者も教員も悩み、適切な対処の仕方が分からないまま時間が過ぎてしまったことを悔やみ、申し訳なく思いました。


もしも。
どうしても気が合わなかったり、分かりあえなかったり、トラブルばかり起こしてしまう人がいたら・・・。

その人は、「パーソナリティ(人格)障害」「発達障害」を持つ個性の人かもしれません。
  



◆パーソナリティ障害とは 


厚生労働省こころの健康や病気、支援やサービスに関するウェブサイト」より一部転載

パーソナリティ障害は、大多数の人とは違う反応や行動をすることで本人が苦しんでいたり、周りが困っているケースに診断される精神疾患です。認知(ものの捉え方や考え方)や感情、衝動コントロール、対人関係といった広い範囲のパーソナリティ機能の偏りから障害(問題)が生じるものです。注意したいのは、「性格が悪いこと」を意味するものではないということです。

パーソナリティ障害には、他の精神疾患を引き起こす性質があります。パーソナリティ障害と合併したほかの精神疾患が前面に出ることが多いので、パーソナリティ障害は背後から悪影響を及ぼす黒幕のような病気だということができます。
治療を進めるためには、患者と治療スタッフとが協力して問題を認識し、対策を検討するという作業が重要です。最近の研究からも、この障害は経過中に大きく変化する、治療によって改善する可能性が高いものと考えられるようになっています。


パーソナリティ障害にはいくつかのタイプがあり、アメリカ精神医学会の診断基準で10種世界保健機構の診断基準で8種があげられています。

アメリカ精神医学会の診断基準では大きく分けて、次の3つに分類されています。括弧内にそれぞれの特徴を記します。

A群(奇妙で風変わりなタイプ)

妄想性パーソナリティ障害 (広範な不信感や猜疑心が特徴)
統合失調質パーソナリティ障害 (非社交的で他者への関心が乏しいことが特徴)
統合失調型パーソナリティ障害* (会話が風変わりで感情の幅が狭く、しばしば適切さを欠くことが特徴)


B群 (感情的で移り気なタイプ)

境界性パーソナリティ障害 (感情や対人関係の不安定さ、衝動行為が特徴)
自己愛性パーソナリティ障害* (傲慢・尊大な態度を見せ自己評価に強くこだわるのが特徴)
反[非]社会性パーソナリティ障害 (反社会的で衝動的、向こうみずの行動が特徴)
演技性パーソナリティ障害 (他者の注目を集める派手な外見や演技的行動が特徴)


C群 (不安で内向的であることが特徴)

依存性パーソナリティ障害 (他者への過度の依存、孤独に耐えられないことが特徴)
強迫性パーソナリティ障害 (融通性がなく、一定の秩序を保つことへの固執(こだわり)が特徴)
回避性[不安性]パーソナリティ障害 (自己にまつわる不安や緊張が生じやすいことが特徴)


これらのパーソナリティ障害の共通の特徴としては、発達期から(遅くとも思春期から成人期早期から)その徴候が認められること、認知、感情、衝動コントロール、対人関係といったパーソナリティ機能の広い領域に障害が及んでいること、その徴候が家庭や職場など広い場面で見受けられるなどを挙げることができます。


パーソナリティ障害の頻度、臨床的特徴


アメリカの研究では、人口の15%の人がパーソナリティ障害であると報告されています (Grantら2004)。しかし治療につながる例は少なく、実際に医療機関を受診するのは、他の精神障害を合併しているケースがほとんどです。
他の精神障害の合併については、境界性、反社会性パーソナリティ障害と薬物依存、回避性、依存性パーソナリティ障害とうつ病、回避性パーソナリティ障害と社交不安障害など、とくに結びつきが強い組み合わせがあることが知られています。
医療機関を受診するケースが最も多いのは、若い女性に多くみられる境界性パーソナリティ障害です。境界性パーソナリティ障害の方は、しばしば自殺未遂や自傷行為を行うことがあるので、救急医療機関につながるケースも少なくないようです。
パーソナリティ障害の原因は、まだ十分に明らかになっていません。しかし現在急ピッチで解明が進められていて、生物学的特性や発達期の苦難の体験が関連していることがわかっています。たとえば、衝動的な行動パターンは中枢神経系を制御する神経伝達物質であるセロトニンが作用している神経系の機能低下によるものだと考えられています。また、養育者が身近にいられなかったなどの養育環境が不十分だったことや、養育期につらい体験をしたことなどが、発症と関連しているともいわれています。

治療・予後について

パーソナリティ障害の治療には、比較的長期にわたって患者と治療者が協力して努力を続けることが欠かせません。そこでは、どんなことが問題になっているのかということや、その対策について一緒に検討します。ここではとくに、患者が積極的に治療に参加することが大切です。
治療では、支持的精神療法、認知行動療法、精神分析的精神療法などの精神療法(orカウンセリング)が行われます。境界性パーソナリティ障害に対する治療プログラムが科学的に有効であることがわかり、効果の高い治療法も開発され、実際の治療に活かされています。
薬物療法では、感情調整薬や選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)や少量の抗精神病薬がパーソナリティ障害の症状を軽くするのに有効であることがわかっています。また、合併しているほかの精神疾患の治療も重要です。
かつては、パーソナリティ障害はなかなか変化せず、長期間にわたって患者を苦しめると考えられてきました。しかし最近の研究では、パーソナリティ障害の特徴の多くは、年齢とともに徐々に軽快することが明らかにされています。また、治療によって回復が早くなると考えられるようになっています。


◆発達障害とは

発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違っているために、幼児のうちから症状が現れ、通常の育児ではうまくいかないことがあります。成長するにつれ、自分自身のもつ不得手な部分に気づき、生きにくさを感じることがあるかもしれません。
ですが、発達障害は「先天的なハンディキャップ」ではなく、「一生発達しない」のでもありません。発達の仕方が通常の子どもと異なっていますが、支援のあり方によって、それがハンディキャップとなるのかどうかが決まるといえます。
人は、家庭環境や教育環境など、様々な外的要因に影響を受けながら一生を通して発達していく存在であり、発達障害の人も同様です。つまり、発達障害の人にも成長とともに改善されていく課題が多くあります。幼い頃には配慮が受けられず困難な環境の中で成長してきた発達障害の人も、周囲からの理解と適切なサポートが得られれば、ライフステージのどの時点にあっても改善への道は見つかるでしょう。

発達障害はいくつかのタイプに分類されており、自閉症アスペルガー症候群注意欠如・多動性障害(ADHD)学習障害チック障害などが含まれます。
これらは、生まれつき脳の一部の機能に障害があるという点が共通しています。同じ人に、いくつかのタイプの発達障害があることも珍しくなく、そのため、同じ障害がある人同士でもまったく似ていないように見えることがあります。個人差がとても大きいという点が、「発達障害」の特徴といえるかもしれません。

自閉症スペクトラム障害とは

現在の国際的診断基準の診断カテゴリーである広汎性発達障害(PDD)とほぼ同じ群を指しており、自閉症アスペルガー症候群、そのほかの広汎性発達障害が含まれます。症状の強さに従って、いくつかの診断名に分類されますが、本質的には同じ1つの障害単位だと考えられています(スペクトラムとは「連続体」の意味です)。典型的には、相互的な対人関係の障害、コミュニケーションの障害、興味や行動の偏り(こだわり)の3つの特徴が現れます。
自閉症スペクトラム障害の人は、最近では約100人に1~2人存在すると報告されています。男性は女性より数倍多く、一家族に何人か存在することもあります

注意欠如・多動性障害(ADHD)とは

発達年齢に見合わない多動‐衝動性、あるいは不注意、またはその両方の症状が、7歳までに現れます。学童期の子どもには3~7%存在し、男性は女性より数倍多いと報告されています。男性の有病率は青年期には低くなりますが、女性の有病率は年齢を重ねても変化しないと報告されています。

学習障害(LD)とは

全般的な知的発達には問題がないのに、読む、書く、計算するなど特定の事柄のみがとりわけ難しい状態をいいます。有病率は、確認の方法にもよりますが2~10%と見積もられており、読みの困難については、男性が女性より数倍多いと報告されています。

発達障害のサイン・症状
治療について


<略>

厚生労働省のサイトをご覧ください。

………………………………………………………・・



つづいて、パーソナリティ障害(人格障害)かどうかのテストができるサイトのご案内です。

精神病ネットホームページ より転載

人格障害テスト DSM 

人格障害 診断基準 チェックリスト

◆妄想性人格障害 (次の7つの基準のうち、4つ以上が当てはまります。)

□ 十分な根拠がないにもかかわらず、他人が自分を利用したり危害を加えようとしていると思い込む。

□ 友人などの誠実さを不当に疑い、そのことに心を奪われている。

□ 何か情報を漏らすと自分に不利に用いられると恐れ、他人に秘密を打ち明けようとしない。

□ 悪意のない言葉や出来事の中に、自分をけなしたり、脅かすような意味があると思い込む。

□ 侮辱されたり、傷つけられるようなことがあると、深く根に持ち、恨みを抱き続ける。

□ 自分の評判やうわさ話に過敏で、勝手に人から不当に攻撃されていると感じ取り、怒ったり、逆襲したりする。

□ 根拠も無いのに、配偶者や恋人に対して「愛人がいるのではないか」といったような疑惑を持つ。

◆分裂病質人格障害 (次の7つの基準のうち、4つ以上が当てはまります。)

□ 家族を含めて、人と親しい関係を持つことを楽しいと思わず、持ちたいと思わない。

□ ほとんどいつも孤立したような行動をとる。

□ 他人と性体験を持つことにあまり興味を見せない。

□ 趣味のような、喜びを感じる活動にあまり関心がない。

□ 親、兄弟以外に親しい人や信頼できる人がいない。

□ 他人の称賛にも批判にも無関心に見える。

□ よそよそしく冷たい。感情の幅が乏しい。


◆分裂病型人格障害 (次の9つの基準のうち、5つ以上が当てはまります。)

□ 分裂病の症状に似た「関係念慮」を持っており、「あらゆることが自分に関係している」と考える傾向がある。
例えば、他人が話をしているのを見ると、自分の噂をしていると思う。

□ 迷信深かったり、「自分はテレパシーの能力を持っている」「第六感が働く」と言ったりするなど、魔術的な思考や奇妙な空想を信じている。

□ 実際には存在しないはずの力や人物の存在を感じるなど、普通にはあり得ない知覚体験や身体の錯覚が見られる

□ 考え方や話し方が奇異である。例えば、会話内容が乏しい、細部にこだわりすぎる、抽象的、紋切り型など。

□ 疑い深く、妄想じみた考えを持っている。

□ 感情が不適切で乏しい。例えば、よそよそしくてほほえんだりすることがない。うなずくなどの表情や身振りがめったにない。

□ 奇妙な宗教に凝ったり、迷信を信じていたりするために、行動や外見もそれに合わせて、奇妙で風変わりになっている。

□ 親子関係以外では、親しい人や信頼できる人がいない。

□ 社会に対して過剰な不安をいつも持っている。
それも、ほとんど妄想に近い恐怖であることが多い。


◆演技性人格障害 (次の8つの基準のうち、5つ以上が当てはまります。)

□ 自分が注目の的になっていないと楽しくない。

□ しばしば不適切なほど性的に誘惑的・挑発的な態度をとる。

□ 感情表現が浅く、変わりやすい。

□ 絶えず自分の身体的な魅力を強調して、人の関心を引こうとする。

□ 感情表現がオーバーなわりには内容が乏しい。

□ 芝居がかった態度や感情表現をする。例えば、感傷的に泣いてみせたり、ささいなことに大げさに喜んでみせる。

□ 周りの人や環境の影響を受けやすい。

□ 対人関係を実際以上に親密なものと思い込み、たいして親しくない人にもなれなれしく振る舞ったりする。


◆自己愛人格障害( 次の9つの基準のうち、5つ以上が当てはまります。)

□ 自分を特別重要な人間だと考えている。

□ 限りない成功、権力、才気、美しさ、理想的な愛の空想に取りつかれている。
例えば、自分は才能にあふれているから、どんな成功も思いのままだし、素晴らしい相手と素晴らしい恋愛ができるなどと思い込んでいる。

□ 自分は特別であって独特なのだから、同じように特別な人たちや地位の高い人達にしか理解されないし、そういう人たちと関係があるべきと信じている。

□ 過度な賞賛を要求する。

□ 特権意識を持っている。自分には特別に有利なはからいがあって当然だと思い込んでいる。

□ 自分の目的を果たすために、いいように他人を利用する。

□ 共感する部分に欠けている。つまり、他人の感情や欲求が理解できず、認めようともしない。

□ しばしば嫉妬する。または、他人が自分に嫉妬していると思い込んでいる。

□ 尊大で傲慢な行動や態度が見られる。


境界性人格障害 (次の9つの基準のうち、5つ以上が当てはまります。)

□ 愛情欲求が強いために、愛情対象が自ら去ろうとすると、異常なほどの努力や怒りを見せる。

□ 相手を理想化したかと思うと、こき下ろしてしまうといったように、
人に対する評価が極端に揺れ動くので、対人関係が非常に不安定。

□ アイデンティティが混乱して、自分像がはっきりしない(同一性障害)

□ 非常に衝動的で、ケンカ、発作的な過食、リストカット(手首を切る)衝動買いなどの浪費、覚せい剤などの薬物乱用、衝動的な性行為が見られる。

□ 自殺行為、自傷行為や自殺を思わせるそぶり、脅しなどを繰り返す。

□ 感情が極めて不安定。

□ 絶えず虚無感にさいなまされている。

□ 不適切で激しい怒りを持ち、コントロールできない、そのため、物を壊したり、人を殴ったりといった激しい行動を起こす。

□ ストレスがあると、妄想的な考えや解離性症状が生じることがある。


◆反社会性人格障害
(15歳以来反社会的な行動が認められ、次の7つの基準のうち、3つ以上が当てはまります。)

□ 逮捕の原因となる行為を繰り返し行うことで示されるように、法を守るという社会的な規範に従うことができない。

□ 人をだます傾向がある。例えば、自分の利益や快楽のために嘘をつく、偽名を使う、人をだますといったことを繰り返す。

□ 衝動性が強く、将来の計画が立てられない。

□ 怒りっぽく、攻撃的で、頻繁にケンカしたり、繰り返し暴力をふるう。

□ 向こう見ずで、自分や他人の安全を考えない。

□ 一貫して無責任である。例えば、一つの仕事を続けられない、借金を返さないといったことを繰り返す。

□ 良心の呵責を感じない。例えば、人を傷つけたりいじめたり、人のものを盗んだりしても、反省することなく、正当化する。

※ 18歳以上であること。
※ 行為障害が15歳以前に見られている。
(例:盗み、ケンカ、放火、家出、不登校、窃盗、嘘をつく)


回避性人格障害(次の7つの基準のうち、4つ以上が当てはまります。)

□ 人から批判、否認、拒絶されるのを恐れて、重要な人と会わなければならない機会を避けてしまう。

□ 「好かれている」と確信できる人としか、付き合おうとしない。

□ 恥をかかされたりバカにされたりすることを恐れて、親密な相手に対しても遠慮してしまう。

□ 人が集まっているような社会的な状況では、批判されないか拒絶されないかと、そればかり考えてしまう。

□ 「自分は人とうまく付き合えない」と思っているため、新しい対人関係がつくれない。

□ 「自分は社会的にうまくやっていけない」「自分にはいいところがない」「人よりも劣っている」などと思っている。

□ 「恥をかくかも知れないから」と思い、新しいことを始めたり、
個人的にリスクを冒すようなことに対して異常なほど引っ込み思案である。


◆依存性人格障害(次の8つの基準のうち、5つ以上が当てはまります。)

□ 日常のことでも、人からあり余るほどのアドバイスと「大丈夫だよ」
「何かあったら助けてあげるよ」といった保証をもらわなければ決められない。

□ 自分の生活上の重要なことでも、たいてい人に責任を持ってもらいたがる。

□ 人の支持を失うのが怖くて、人の意見に反対できない。

□ 自分の判断力や能力に自信がないために、自分自身の考えで計画を始めたり、物事を行うことができない。

□ 人から愛情や支持を得るために、不快なことまでやってしまうことがある。

□ 「自分で自分のことができない」という強い恐怖や無力感を感じている。

□ 死別生別を問わず、親しい関係が終わった時に、自分を世話し、支えてくれる別の関係を必死に求める。

□ 「自分がだれにも世話されずに放っておかれる」という恐怖に、非現実的なまでにとらわれている。



◆強迫性人格障害 (次の8つの基準のうち、4つ以上が当てはまります。)

□ 細かいこと(規則、順序、構成、予定表など)にとらわれて、ポイントを失う。

□ 何か一つでも落ち度があると、それを理由に計画の達成を丸ごとあきらめてしまうというような完全主義。

□ 娯楽や友人関係を犠牲にしてまで、仕事にのめり込んだり、効率よくすることにのめり込む。

□ 一つの道徳、倫理、価値観に凝り固まっていて、融通が利かない。

□ とくに思い出があるわけでもないのに、使い古したもの、価値のないものを捨てられない。

□ 自分のやり方に従わない限り、人に仕事を任せたり、一緒に仕事をすることができない。

□ 金銭的に、自分に対しても他人に対してもケチである。
将来の破局に備えてお金は貯めておくものと思っている。

□ 頑固である。

………………………………………………………………………………・・

いかがでしたか?
自分自身、そして、気になっている「あの人」が当てはまっている場合。

コメント欄には書き込まずw、↓をご覧になり、適切な相談機関や医療機関にご相談ください。

治療や生活へのサポート 
厚生労働省ウェブサイト 知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス


こころの健康や病気のことが気になるとき、一人で悩まないで、身近な人や周囲の人、地域の相談機関などに相談することが大切です。
家族や友人など、身近な人たちからのサポートは心強いものですが、身近な存在だけに相談しにくいこともあるかもしれません。そんなときは地域の公的な相談機関を利用しましょう。
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Posted at 2015/12/05 23:08:05 | コメント(3) | トラックバック(0) | 憂う | 日記
2015年12月04日 イイね!

【失われた】 子供たちの放課後 【かけがえのない宝物】

【失われた】 子供たちの放課後 【かけがえのない宝物】
<長男>「ただいまー!」

<母>「おかえりー!」

「おかーさん。今度の○曜日の放課後、学校が早く終わるから○○君達と遊ぶ約束したよ」

「どこで遊ぶの?」

「う~ん。まだ決まってないけど、晴れてたら、秘密基地をつくる作戦中!」

「おもしろそー♪ 楽しみだね~!」




今朝、屋根や庭の木々の上がうっすらと白くなっていて、初雪が降りました。

母親と似てあんまり寒がりではない次男は、雪の舞う中帰宅するも、今日も、半ズボン!

「手にしもやけができそーっ」と、ストーブの前に飛び込んできましたが、なんと、来週もまだ半ズボンで登校するつもりだそうです。


赤くなった次男の手を、すりすりとこすって温めていると、

「今日ね。跳び箱ではじめは失敗して、手がぐきっとなったけど、初めて5段とべたんだよ。こんど、6段もとべるかも♪」

ニコニコと今日の学校での出来事を話してくれました。

子供たちが帰ってくるまで頭痛で寝込んでしまっていた母も、負けずに元気に頑張らなくては!



♪♪♪



冬至が近づき、日に日に、日暮れが早くなります。
雪が降る前に、今年度の自転車乗りは禁止となったお便りが小学校から届きました。

春から秋にかけては、子供たちは、放課後に友達と遊ぶことも多かったのですが、今の時期は、休日か早く帰宅できる日くらいしか、友達とゆっくり遊ぶことができません。

スポーツ少年団や習い事で忙しい子も多く、友達同士で遊ぶのは学校だけ、と云う子も少なくないようです。


そんな中。
秋の終わりのある日、こんな嬉しい出来事があったことを、長男から聞きました。


午前中だけで放課となったぽかぽか陽気の午後。

いつもは遊べない少し離れたところに住む友達と遊ぶ約束をし、
「宿題、帰ってきたらすぐやるから・・・」と、ランドセルを置いて、おやつを食べると、急いで自転車で出かけました。

集合場所の公園には、同じ学年の友達が6人ほど、そして2年生から6年生までの異学年の友達も、20人くらい集まったそうです。

はじめに、いつも学校の休み時間に運動場で対戦している「キックベース」をチームに分かれてやることになったそうです。

学校では、学年ごとにチームで対戦するそうですが、長男たちの学年は野球をやっている子も多く、先輩の学年に勝ってしまうこともあるので、負けてしまったお兄さんチームと敵対してケンカになってしまうこともたびたびあり、仲が良くないことを聞いていました。


その日も、いつもの調子で険悪な感じになりかけた時・・・。

6年生の◇◇さんが、双方の学年の子供たちにこんなことを言ったそうです。

「おまえら、いつもけんかばっかりしているけど、そろそろ仲良くやろうぜ!」
「上の学年は下の学年にちょっとおまけするくらいでいいんだから、ムキになって勝とうとするな」
「下の学年も、あんまり生意気なことばかり言うな」

息子からそれを聞いたとき、あまりの嬉しさに、息子の身体をギューッと抱きしめてしまいました。

なんてカッコいい先輩がいるの! いい体験をさせてもらったね。 素晴らしい!!

こんな男気のあるお兄さんの言葉を聞いて、下級生たちはみんな憧れを抱いたことでしょう。


これよ、これ!

忘れかけていた、懐かしく、愛しい思い出。


♪♪♪♪♪



私たちが子供の頃。そして自分が教員をやっていた時には、放課後の運動場で、いつもたくさんの子供たちが自然に集まって、いろんな遊びをしていた。

そこでは、同じ学年の友達同士、異学年の友達、時には先生も一緒に、ドッチボールやサッカー、キックベース、リレー、おにごっこ、だるまさんが転んだ、はないちもんめ、鉄棒、上り棒、雲梯・・・。

下校時間が来るまで、みんなで思い切り遊んだ。

学校で遊ぶから、家が離れている友達とでも、習い事やスポーツ少年団に入っている子でも、ちょっとの時間でも最後まででも、放送委員が下校のお知らせの音楽をかけるまで遊んでいられたっけ。

自分が小学生の時の下校時刻の音楽は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。

今でも、この音楽が聞こえると、もう帰らなくてはいけない淋しさと切なさを思い出す。





今、どうして放課後に、子供たちが遊んでから下校することができなくなってしまったのでしょうか。


あの、かけがえのない大切な時間。
子供同士で学び合い自然に身につけてくルール、約束、マナー、思いやり、体力、運動能力。

学校の休み時間や、早く下校できた日の午後だけでは、子供たちが友達同士でたっぷり遊べる時間は少なすぎる…。


授業が終わると、学年ごとの集団下校をして、ガランとして静かな息子たちの小学校の運動場を見るたびに、淋しさとともに、怒りがこみ上げてきます。


どうして、校庭で遊べる小学校の放課後が、消えてしまったのか。

習い事に行く子、少年団活動をする子が増えたから、だけではありません。


思いだすのも腹立たしく忌々しく、悲しすぎる、2001年(平成13年)6月8日に起きた、あの事件。


附属池田小・児童殺傷事件
http://yabusaka.moo.jp/ikeda.htm

附属池田小事件 - Wikipedia

附属池田小事件(ふぞくいけだしょうじけん)は、2001年(平成13年)6月8日に、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した、小学生無差別殺傷事件である。
以降、元死刑囚本人<宅間守>を“甲”(文中未修正箇所は“被告人”)と略する。


概要

~ 以下、一部転載します ~
 
甲の先祖は旧薩摩藩の下級武士で、甲の家系では事件発生前まで代々誇りにしていた。
 (略)
甲の父親は極めて平凡な頑固親父で、人生の勝利者にはなり得なかったけれども自分の人生にプライドを持っていたという。
父親は、家族全員に対して激しい暴力をふるっており、甲自身も父親から厳しく接せられていた(尚、父親自身も放任されて育っていた様子である)。甲は暴力をふるう父親を憎悪し、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともあると述懐している。甲が自衛隊を退職して非行に走るようになると親子関係はさらに悪化し、取っ組み合いをして父親が甲を何度も石で殴打する出来事もあった。事件後、父親は甲のことを「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」と評している。

甲の母親は、家事、育児が苦手であり、家事のほとんどは父親が担当し、一種のネグレクト状態であったと指摘される。甲を身ごもった時、父親に「これはあかん」「おろしたい」と語っていた。また、母乳をあげることも嫌がっていた。さらに、甲が中学を受験する際には、「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせられたと、事件後に甲のマンションから押収されたノートに書かれていた。

甲は両親に対して、喧嘩をした際に、「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる」「死ぬまで苦しめてやる」と語っていた。

幼少時代の甲は3歳の時点で三輪車で国道の中心を走って渋滞させたり、小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめた。いじめられっ子であると同時にいじめっ子であった。又、猫等の動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害した事もあった。中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」こともあるという。
小学生の頃から自衛隊に強い関心を持っており、「将来は自衛隊入るぞ~」と大声で叫んだり、一人で軍歌を大声で歌っていた事もあり、高校生になっても周囲の同級生に「俺は自衛隊入るからお前等とは後少しの付き合いや」と発言していた事もあったと言う。又、高校時代に停学処分を受けた際、反省文にも「自衛隊は内申書一切関係無しの一発勝負」等と綴っていた事もあった。

尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、定時制高校に編入学するも直ぐ退学し、数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、18歳の時航空自衛隊に入隊したが1983年1月に1年強で除隊させられている。除隊の理由について、鑑定書は「家出した少女を下宿させ、性交渉した」ために懲罰を受けたと記述している。


除隊後、甲は運送会社やトラック運転手、引越し業者等十数社転職を繰り返していたが何れも数週間から半年以内で辞職しており、精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、傷害、暴行などに走り、また高速道路を逆走するなど非行を行うようになっていった。1984年、マンション管理会社に勤務していた時には家賃の集金と称して女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こしている。事件後、甲は母親を伴い精神科を受診、入院するが、入院中に5階から飛び降りて重傷を負う。この出来事の後、統合失調症の診断を下されている。また、のちに母親に宛てた手紙によれば、入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」であったという。初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、1989年の出所後父親が甲の私物を下取りに出しその金を本人に手渡しして父親から勘当されている。1993年、30歳の時非常勤の地方公務員になり市営バスの運転手やゴミ収集、小学校の用務員等を勤めていたが、この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に「香水の匂いがきつい」ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし懲戒処分を受けている。1999年4月に小学校教諭等が飲む茶に精神安定剤を混入させる行為をしたとして分限免職されたものの、刑事処分は「責任能力なし」として受けなかった。その後再度職を転々とするが、その度に暴行事件等を起こした為長続きしておらず、2000年末頃から最終的に池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職であった。十数社の職歴の内ある程度長続きした(1年以上)のは航空自衛隊と非常勤の地方公務員の2ヶ所のみであり、それ以外は何れもおよそ半年以内で辞職したり解雇されている。又、初犯の強姦事件を除き全て自身の精神障害の偽装を楯にして15犯に亘る前科は不起訴処分を経験している。

甲は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた。

甲には実兄が一人居たが、破綻した実弟の存在に心を病み、起業の失敗と偽って小刀で首を斬って40代前半の時自殺している。甲の母親も長期に渡って心を病み、長らく精神病院に暮らした。

この厳しくも誇りのある家庭を破壊した人物は、甲の家族でも地域の環境でも社会の変化でもなく、甲自身だったと言われているが、前述の家庭環境を考えると必ずしも甲一人の責任とは言えない。


事件後の反響

学校側の対応不足

文部省(当時)は、1999年に京都市立日野小学校で発生した京都小学生殺害事件の後に「安全管理に関する通知」を出しているが、附属学校を設置管理する文部省及び大阪教育大学では、各附属学校の安全措置の状況を把握していなかった。通知に関しては、教官に対して一度口頭で伝えたに留まり、それ以外の格別の対応をとっておらず、事件当日も不審者に対して、教官による十分な対応がされていなかったことが、被害児童の救助の遅れや犯人逮捕の遅れにつながった。犯人を取り押さえてから警察による犯人逮捕までの間、学校側による状況把握ができず、管理職や教務主任は混乱の中で事件の全容をつかめなかったほか、組織的な対処行動(児童に対する組織的な避難誘導、救命活動、搬送処置など)ができなかったため、死亡した8名の児童は20分前後も放置されてしまった。
混乱の中、教員が救急車に乗らず児童に付き添わなかったため、保護者への児童の搬送先病院の連絡も遅れていた。事件直後、ある死亡児童の保護者は、早い段階で来校したにもかかわらず、学校内で負傷していた児童に会うことも付き添うこともできなかった末、自力で探し回った病院で死亡した我が子と対面することとなった。さらに事件後において、学校からの説明や弔問が遅れただけでなく、教員の心ない表現、発言および行動が遺族の心を大きく傷つけた。

学校の安全対策

この事件をきっかけに、学校(小学校など)、幼稚園、保育所などの児童・生徒・幼児が頻繁に利用される教育関連施設にも「警察官立寄所」の看板(プレート)またはシールが貼り付けられたり、学校にも部外者の学校施設内への立ち入りを厳しく規制したり、警備体制を強化するなどの方策を主張する声も増えた。また、防犯ブザーを携帯する児童も増加したほか、保育士や学校の教職員が防犯や心肺蘇生を学ぶ機会となった。
この事件は、日本の学校がそれまでの「地域に開かれた学校」から安全対策重視の「閉ざされた学校」に方針転換するきっかけとなった。それまで小学校は、地域のコミュニティに重要な役割を果たし、校庭は子供たちの遊び場にもなっていた。この事件後、学校に監視カメラを設置したり、部外者の立ち入りを原則禁止したりする傾向が強まった。小学校などの学校への警備員配置、集団登校時に保護者や地域のボランティアによる見守りも行われるようになった。また、この事件を境に、小学校においては児童の名札を廃止したり、あるいは校内のみの着用に限定したりする学校が増えるようになった。

~ 以上、Wikipedia より、一部転載  了 ~





誰もが、目を疑い耳を疑い、信じられず、受け入れがたい事件だった。

どこよりも安全であるはずの学校で、白昼、教師もいる教室の中で、8人もの子供の命が奪われ、教師を含む15人が重軽傷を負った

今でも、残された遺族や、その場にいた子供たちの心中を思うと、いたたまれず苦しい。


もし、自分がその現場に居たら、何ができただろうか。
刃物を持った恐ろしい大男が、八墓村の映画のように突然襲ってきたら・・・。子供たちを庇い、守ることはできただろうか。


その事件を境に、学校は変わってしまった。


全校児童が登校すると、正門、裏門を全て閉じた。
校舎の出入り口、一階の教室の後ろの出入り口、全て施錠するようになった。
学校に用がある来訪者や業者の人は、インターフォンで事務室の職員を呼び出して、鍵を開けてもらって入るようになった。

それまで、忘れ物をした子供の保護者が、児童の下駄箱などに届けにきていたが、それらもインターフォンで職員を呼んで、手渡しするようになった。

学校職員は、名札やネームプレートを付けるようになった。
学校によっては、子供たちの名札を、校内だけで付けるようになった。

児童の下駄箱の横、職員室の脇に、「さすまた」が設置された。
年に数回、放課後に職員が、「さすまた」を使って不審者を取り押さえる訓練をした。

放課後は、用事がない児童は、すぐに帰宅させるようになった。
校庭での遊びも、禁止となった。

地域のお年寄りや小さな子供を連れた母親が、それまでのように自由に散歩の途中に校内に入ることも、できにくくなった。

スクールガード、スクールボランティアの方に、学校内や校庭の見回りをお願いしたり、登下校時に、いっしょに歩いていただくようになった。




まさに、「開かれた学校」から「閉ざされた学校」へ、変わってしまった。


自分が教員になった時から、休み時間や放課後、時間がある限り、教室や校庭で子供たちと一緒に遊ぶことをモットーとしてきた。

年々、放課後に様々な会議が増え、先生たちの研修も熱心になってきたため、子供たちと過ごせる時間は少なくなっていった。

そけでも「先生、今日、遊べる?」と聞かれれば、できるだけ時間をつくって、一緒にドッチボールやなわとびサッカーなどをやった。

休日に出勤して教室で仕事をしていると、ガラス窓の外から声をかけられ、誘われれば喜んで一緒に遊んだ。


「学校は楽しいところ」
「教室は居心地のいい場所」
「思い切り友達と遊び、楽しく勉強するのが小学校」

そう思って、子供たちと一緒に過ごしてきた。



『宅間 守』。

たった一人の人格障害の凶悪犯のために、それまで日本の子供たちを育んできた「開かれた学校」、「自由で楽しい、子供の心と身体を育てる放課後」が奪われてしまった。

その影響は、どれほどのものなのか。


放課後に校庭で遊ぶことができない代わりに、保護者が家にいない子供たちは「児童クラブ」などの学童保育へ行くようになった。

狭く、自由な外遊びはあまりできない環境下に置かれている施設も多い。

低学年の子供は、近所の家の子供としか遊ぶ機会がなくなってしまった。

友達との外遊びよりも、家の中でゲームをして過ごす子供も多くなった。


子供同士の濃密な時間。

同級生同士で、また異学年の友達と遊ぶ機会から、仲良く遊ぶためのルールは子供たちの中で伝承され、改良され、人格の形成にも大きく影響を及ぼす。

決して、大人から教わるものではない、経験からしか学ぶことのできない大切なもの。

いじめっ子、いじめられっ子はどの時代にも存在するが、高学年の子が理不尽ないじめを諌め、卑怯なことをさせない空気をつくれば、次第に集団として、それを許さない雰囲気が生まれてくる。


今の子供たちは、異学年の子供たちと遊ぶ機会が少なく、同級生と遊ぶ時間も限られている。

家に帰れば、好きなことだけ(ゲームなど)やっていれば楽しいと思う子供が増えてくれば、子供同士のコミュニケーション能力は、ますます低下し、問題行動も多くなってくる。



放課後に、子供たちが責任ある保護者の下(家庭や学童保育など)に置かれていれば、確かに学校、先生方は安心し、自分たちの公務や研修、会議などに集中することができるだろう。
何かあった時に、必要以上に学校にクレームを出す『モンスター・ペアレンツ』も多くなったから。

安全面を考えれば、学校の責任の下で放課後に子供たちが残って遊んでいくことは、好ましいことではないかもしれない。

しかし、本当にそれで、子供たちにとって小学生の時期に獲得するはずの大切な経験や学習は、足りているのだろうか。

私たち世代の大人が、子供の頃に経験した友達同士での学びやかけがえのない記憶は、今の子供たちは体験せず、手に入れなくていいものなのだろうか。


いろいろな場面で目にする「自分さえよければいい」「おとなしくしていればその方がいい」という育て方をされた子供たちは、大人になったらどんな人間に育つのだろう。

取り返しのつかないことになっているのではないかと思ってしまうのは、私の杞憂に過ぎないのか。


………………………………………………・・
友達とあそぶ」に飢える子供たち…NPOが調査した現代っ子の本音
産経ニュース
2015.8.31

 子供たちの願いは「何をしたいか」ではなく「誰としたいか」-。全国の小学生に、放課後や夏休みに「何をしたいか」と聞いたところ、4人に1人が「友達と」「みんなで」という言葉を最も多く回答していたことがNPO法人の調査でわかった。同法人は、背景に「親と過ごす時間が増え、友達同士の時間が少なくなっている」と指摘し、「学校開放」など対策を促している。

 調査は子供たちの放課後の活動を支援する「放課後NPOアフタースクール」(東京都港区)が昨年6月~今年5月、全国の児童約1000人を対象に実施。計1029人が回答した。「放課後などにやりたいこと」として、最も人気があったのはサッカーで86人。2位ドッジボール(65人)、3位鬼ごっこ(50人)など4位まで外遊びが占め、「やりたいことがない」が5位、ゲームは6位で、塾は一票もなかった。

 一方、質問にはあげていなかったものの、回答中で目立ったのは「何を」するかではなく「誰と」するかという希望。4人に1人が「『友達と』海に行きたい」「『クラスみんなで』思い切り遊びたい」など、「誰」の部分を明確に回答し、中でも「友達と」が圧倒的に多かったという。

 調査結果の背景について、同法人の平岩国泰代表理事は、「子供は友達と想定外の約束をせず、親が子供の予定を作る傾向にある。いまの子供は(習い事などで)月曜~金曜まで予定がびっしりだ」と、子供の「多忙」を指摘。これに伴い、子供同士で遊びを生み出す創造性や喧嘩を解決する人間関係調整力といった「コミュニケーション能力も低下してきているのではないか」と警告する。

 同法人はこうした認識から「放課後改革」を提唱しており、「市民先生が来て、誰でも参加でき、子供たちの自主性を促す様々なプログラムができる空間」のため、学校施設の一時的な利用の促進など、放課後活動のインフラとして、学校開放の普及などを呼びかけている。

 アンケート結果の詳細は「小学生1000人に聞きました!放課後・夏休みにやりたいこと(放課後NPOアフタースクール)」(PDF)まで。


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私は、自分の子供たちが友達と遊ぶことは、大歓迎♪
外遊びは、とくに嬉しいです(^-^*)

どこかへ遊びに行く時は、自転車の事故に気を付けることを告げて元気に送り出し、我が家に友達が遊びに来る時は、明るく歓迎しています。

できるだけ、手作りのおやつをつくって、みんなにも食べさせちゃう。

子供たち同士で遊んでいる時には、仲良く遊べているかそっと様子を伺い、気になるときには声をかける。


いろいろな友達と触れあい、感化し合い、できればみんなで高め合ってほしい。

そう願い、子供たちの未来を明るく照らす日本人の一人となりたいと思っています。



Posted at 2015/12/04 22:31:27 | コメント(3) | トラックバック(0) | 憂う | 日記
2015年12月02日 イイね!

情けない週末

情けない週末コカコーラ製品を購入するともれなく付いてくる
「ふわもこ くつした」が欲しくて、
ジンジャーエールを買いました。

お風呂上りに、よく冷えたソレの中に、
梅酒に漬けた「梅」を二ついれて、
ウメッシュみたいに飲んでいます。

・・・・・。

それだけで、ちょっと酔っちゃったみたいww



今日は、月初め。
月末でも、週末でもないのに、こんな曲を聴いています。


情けない週末



※収録アルバム: BACK TO THE STREET


♪♪


12月に入って、日が暮れるのが本当に早くなってきました。
薄暗くなってきたので、農作業を終えてお家に帰ろうとしたら、
不意に、懐かしい人の声が聞こえてきたんです。


「この音色、何の楽器か、わかる?」


佐野元春さんのファースト・アルバム『BACK TO THE STREET』収録の名曲、「情けない週末」。
二人とも、大好きでよく聴いていたCDだわ~。

美しいストリングス。曲の終末で奏でる美しいホーンの響き。


「金管楽器だよね。うーん。トランペットのように強くて鋭い音色ではないから。
 ・・・・・。コルネットか、アルトホルン?」

その時、金管クラブの担当をしていたので、柔らかな音色(おんしょく)のホーン類を思い出してみたのだけど。


「フリューゲル・ホルンだよ」


当時お付き合いしていた彼は、私の音楽の先生でした。

ブライアン・ウィルソンやブライアン・フェリーの魅力はわかったけれど、
ボブ・ディランやニール・ヤングは、・・・よくわからなかったw


  どうしてあなたの声が聴こえたのか。 やっと気づいたわ。
       HAPPY BIRTHDAY!  お元気ですか?






佐野元春さんの素敵な曲はたくさんあるけど、

The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music
ベスト・オブ・ベスト Special Edition

に「情けない週末」が入っていない理由が分からない(怒)


「サムデイ」より「アンジェリーナ」より「ガラスのジェネレーション」よりも、「情けない週末」は名曲だと思いま~す。



【追記】

翌朝。
「情けない酔っ払い」の書いたブログとなっており、お目汚ししましたことをお詫びし、一部訂正させていただきます。

ウワーン.*゚*( ノдヾ)ハズカシイ…
Posted at 2015/12/02 00:50:56 | コメント(5) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2015年12月01日 イイね!

秋篠宮殿下<文仁親王殿下> 50歳のお誕生日 おめでとうございます。

秋篠宮殿下&lt;文仁親王殿下&gt; 50歳のお誕生日 おめでとうございます。秋篠宮殿下(文仁親王殿下)は、昭和40年11月30日に御誕生になられました。
昨日11月30日、50歳のお誕生日をお迎えになられました。

おめでとうございます。

←なに、この手前の、でっかい魚 (つ∀<。)キャハッ♪
 ナマズの仲間、ピライーバの剥製だそうですwww


秋から冬にかけて、皇族方のお誕生日がつづく印象があります。

ちなみに、本日12月1日は、愛子内親王殿下の14歳の誕生日です。
おめでとうございます。

秋篠宮家は悠仁親王殿下の9月6日のお誕生日から佳子内親王殿下の12月29日のお誕生日まで、9月から12月にかけてご家族の皆さんがお誕生日をお迎えになられます。

そこで、皇族方のお誕生日を調べてみました。


文仁親王殿下(秋篠宮殿下)昭和40年11月30日
文仁親王妃紀子殿下(秋篠宮妃殿下)昭和41年9月11日
眞子内親王殿下 平成3年10月23日
佳子内親王殿下 平成6年12月29日
悠仁親王殿下 平成18年9月6日


【1965年11月30日】 礼宮さまご誕生



天皇陛下 昭和8年12月23日
皇后陛下 昭和9年10月20日

徳仁親王殿下(皇太子殿下) 昭和35年2月23日
徳仁親王妃雅子殿下(皇太子妃殿下) 昭和38年12月9日
愛子内親王殿下 平成13年12月1日

正仁親王殿下(常陸宮殿下)昭和10年11月28日
正仁親王妃華子殿下(常陸宮妃殿下)昭和15年7月19日

崇仁親王殿下(三笠宮殿下)大正4年12月2日
崇仁親王妃百合子殿下(三笠宮妃殿下)大正12年6月4日

寬仁親王妃信子殿下 昭和30年4月9日
彬子女王殿下 昭和56年12月20日
瑶子女王殿下 昭和58年10月25日

憲仁親王妃久子殿下(高円宮妃殿下)昭和28年7月10日
承子女王殿下 昭和61年3月8日
絢子女王殿下 平成2年9月15日


先日11月28日に、常陸宮殿下が80歳、傘寿のお誕生日をおむかえになられました
おめでとうございます。

がん研究に40年以上尽力=今も「現場」に―常陸宮さま
時事通信 11月28日(土)

 28日に80歳となられた常陸宮さまは、皇族としての公務をこなす一方、がん研究に40年以上取り組んできた。
 多くの専門誌に掲載される研究成果を上げ、公益財団法人がん研究会の名誉総裁も務める。同会がん研究所(東京都江東区)の北川知行名誉所長は「学者として貢献されるとともに、日本および世界の比較腫瘍学分野の研究を振興されてきた」と語る。

 常陸宮さまは学習院大卒業後、東京大理学部動物学教室の研究生に。東大紛争に伴い1969年、がん研究の先駆者である故吉田富三博士が所長をしていたがん研究所の客員研究員となり、小動物のがんなどの研究を続けてきた。60歳の誕生日には、同会による「比較腫瘍学常陸宮賞」も創設されている。

 最近は車いすで公務に臨んでいるが、今も週3回ほどがん研を訪れ、論文を読み、多くの人と話し合っているという。北川名誉所長は「殿下はアカデミックで自由な雰囲気のここ(がん研)がお好きで、来るのを楽しみにされている。温厚で親しみやすいお方で、皆に敬愛されている」と話し、「80歳までお元気に活躍され、大変うれしく思います」と、長年一緒に研究してきた日々を振り返っていた。(2015/11/28-08:02)

常陸宮さま80歳 傘寿の誕生日




それでは、宮内庁ホームページより、秋篠宮両殿下のお言葉とご近影を転載させていただきます。


文仁親王殿下お誕生日に際し(平成27年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/kaiken-h27.html

文仁親王同妃両殿下の記者会見
会見年月日:平成27年11月19日
会見場所:秋篠宮邸



問1  殿下にお伺いします。この1年を振り返り,印象に残っている出来事とご感想をお聞かせください。50歳を迎えられる心境や今後の抱負についてもお聞かせください。

殿下
 この1年もいろいろなことがありました。その中で幾つか私自身の印象に残ったことを取り上げてみますと,今年も非常に自然災害が多かったという感じがいたします。例えば9月でしたでしょうか,台風の後,温帯低気圧に変わったところに温かい空気が入り,非常な大雨を降らせたことがあって,広い地域で被害が出ました。特に鬼怒川の堤防が決壊するなどして,大変大きな被害があったわけです。こういう,特に局地的な大雨が以前よりも多くなっているように思います。そのことは大変私も気になっています。そして,これは昨年でしたが,広島市で土砂災害があり,この4月に私もその場所に実際に行ってきました。映像などで見るよりも急峻しゅんな場所になっていて,これは実際に行かないとやっぱり分からなかったと思うのですけれども,日本はそういう所にも住宅が建っている場所がかなりあり,今後の防災についてしっかりと考えていかなければいけないなということを思いました。また,大雨でいうと,今日になるのでしょうか,八丈島でも50年に1度の大雨があったと聞いています。雨は収まっているようですけれども,土砂崩れとかがないことを願っているところです。

 また,つい先日はパリで大変痛ましい事件があり,多くの人が犠牲になりました。そのことも含めて尊い人命が失われていることや,その国が誇る文化的な遺産が破壊されたりしていることも,大変残念に思っております。

 一方,今年もノーベル賞の受賞という大変うれしい知らせが先月ありました。もちろん,ノーベル賞の領域に入らない分野ですばらしい業績を挙げている人も多々おられますので,一つだけ取り上げるのはよくないのかもしれませんけれども,それでもやはり,私たちにとって誠にうれしいニュースでありました。しかも,地道な研究が評価されているということを感じました。ただ,その一方で,今学術の世界でだんだん短期的な成果を求められるようになってきています。例えば論文数ですとか,インパクトファクターの高いところに掲載されるかどうかなどですね。それは非常に大事なことではあっても,それのみで学術・学問が判断されることになると,地道に長い年月かけて行われて,良い成果が出るということがだんだんに無くなってくるのではないかなと,気にかかるときもあります。

 それ以外に,先日,日本とブラジルの外交関係樹立120周年の年に当たって,私にとっては27年ぶりでしょうか,ブラジルを訪問いたしましたけれども,この2週間弱の訪問も,私にとって大変印象深いものでありました。そのときの印象につきましては,今,宮内庁のホームページに私の印象をつづったものが掲載されていますので,ここでは省くことにいたします。以上がこの1年の印象に残った出来事ということになります。

 その次は50歳の(感想と抱負)ですか。年齢というものは非連続的なものではなくて,連続的なものですね。ですから,私自身,50という響きについてはちょっと年を取った感じがありますけれども,それについての何か感想があるということではありません。また,抱負についても抱負自体が突然出てくるということではなく,今までどおり,以前にもお話ししたように,例えば公的な仕事の面ですと頂いたものを一つ一つ大切に務めていきたいと思っております。私的には,以前から50の手習いで何かしてみたいなと思うことがないわけではないのですけれども,それはまだ実行に移す予定もないものですから,ここではお話ししません。

問2  殿下にお伺いします。戦後70年にあたり,殿下は玉音放送の原盤の音声をお聞きになり,御文庫附属庫を視察されました。両殿下では佳子さま,悠仁さまをお連れになり戦争関連の企画展などに足を運ばれました。また,この1年は両陛下のパラオご訪問をはじめ,皇室全体として戦後70年の節目にあたってのご活動を重ねられています。これらを通じて戦争についてご自身が改めてお考えになったことや,お子さま方がどう受け止められたかをお聞かせください。

殿下
 今年は戦後70年ということで,いろいろな展示があったり,それから新聞などでも様々な戦争に関する記事が掲載されたりいたしました。私も,今お話があったように玉音放送の原盤を聞く機会があり,また,御文庫附属庫も見学をいたしました。ただ,私としては,確かに70年というのはそのことをふり返る一つのきっかけになるとは思いますけれども,そうでなくても,常に,戦争があったということを記憶に残しておくことが必要だと思います。私自身は戦後20年たって生まれました。ですから,物心付いた頃に,何かその痕跡みたいなものを感じるということはほとんどなかったわけです。戦争のことをきちんと理解するためには,当時のことを知っている人から話を聞いたり,書籍で読んだりとか,そういうことを自分で意識しながら行っていくことが大事なのではないか,と考えております。 

 また,子どもたちでしたか。これは娘とも話したことがあるのですが,やはり娘たちの世代というのは,非常に戦争のことを知らない。そのことを彼女たちは意識しているようで,この70年という年を一つの契機として戦争のことについて知る努力をしていかなければいけない,ということを話しておりました。また,息子はまだ小さいですけれども,今年(行きました)幾つかの戦争に関連する展示,それから催し等を通じて,だんだんと理解をしていってくれればよいかと思っております。


問3  両殿下にお伺いします。3人のお子さま方の近況やご成長ぶりについてお聞かせください。中でも,成年皇族となられた佳子さまのご活動は幅広い世代から高い注目を集め,様々なメディアでも大きく取り上げられています。佳子さまに対するこうした注目のされ方について,どのように受け止めていらっしゃいますか。

殿下
 まず長女についてですが,長女は昨年から今年の9月までイギリスで大学院の生活を送りました。そして,その課程を修了して戻ってきたわけですけれども,いわゆる専攻は博物館学で,取り上げたテーマが自然史とアートの両方にまたがる分野でした。それを論文にまとめたのですが,そういう自然史とアート両方の要素を含んだテーマというのが私自身にとっても興味深いところがありますので,そのことについて話をしたりすることがあります。どうでしょうか。(と,妃殿下にお答えを促される。)

妃殿下
 長女は,昨年の秋から今年の9月の末まで英国の大学院に修学していましたが,1年余りの修士課程の短い期間の中で博物館学の講義を受け,博物館実習に参加するなどし,また,修士論文もまとめ,充実した日々を過ごしたようです。また,私たちが10月下旬から11月上旬にかけてブラジルを訪問した際,私たちの代わりに宮中行事や地方の式典に出席しました。一つ一つを丁寧に深く考えて務めていると感じました。一方で,留守の間,自分の弟の世話をよくしてくれ大変助かりました。

殿下
 次に次女についてですけれども,次女は今年の春から大学1年生をしているところになります。結構忙しい日々を送っているようで,大学からの課題などもかなりあるみたいで,それに夜遅くまで一所懸命取り組む日々を過ごしております。少なくとも父親が学生だったときよりは,かなりまじめな学生生活を送っているようです。

妃殿下
 そうでございますか。(と,殿下のお答えの「少なくとも父親が学生だったときより」の部分に,笑顔で応じられる。)
 次女は昨年の12月の誕生日に成年を迎え,幾つかの公的活動に携わる一方で,今年の4月から大学生としての新たな生活が始まりました。学業に励みつつ,公的な活動では,初めて式典で挨拶し,また一人で地方の行事に出席し,手話で挨拶するなど,慣れないことや緊張することもあったと思いますが,頂いた務めを大事に果たそうとするけなげさが伝わってきました。

殿下
 次に長男のことですけれども,昆虫好きは相変わらず続いています。ただ少し昨年までと違うのかなと思うのは,虫そのものもそうなのですが,それが生息している環境に興味を持つようになってきています。例えば,どういう環境のところで,自分の関心がある種類が生息しているのかとか,そういう環境を,自宅の庭で再現できないかとかですね,これはビオトープ的なことだと思うのですが,そういうことを考えるようになったりしています。長男は自分の水槽を持っていまして,これは虫ではありませんけれども,そこに川とか池で捕った魚を入れているのですが,それが棲すんでいる雰囲気,水の中の様子を再現しようといろいろと試みているようです。そういうところは少し去年から変化してきたかなと思います。

妃殿下
 1年をふり返りますと,長男は以前からの興味が更に広がり,また新たな興味も加わってきました。田んぼの生き物などにも興味を持つようになり,そのほかでは,今まで興味を持っていました昆虫の採集や飼育をするだけではなく,今,宮様が話されましたように,生き物が暮らす環境にも関心を向けています。例えば,トンボやホタルなどが棲すみやすい場所,好む環境を作りたいと,自分の家の庭や御用地内を歩いて植生などを確かめ,また小川のところでは,水の流れを止めないように枯れ葉や小さな枝を取り除いています。
 
 ほかに興味を持っているものの一つに文字があります。旅行先などで地図を見るのが好きで,書かれている漢字の地名や,調べ学習で使う漢字辞書に載っている旧漢字を覚えることもあります。また,世界の文字の絵本を見ながら,まねて書いたりもします。このように長男は,知らない文字が分かるようになり,書けるようになることが面白いようです。
また,学校のことについてですが,3年生になりましてからも様々な活動に参加しています。今年の春は遠足があり,また,公園探検や学校での宿泊もありました。そこでは子どもたちがグループに分かれて,自分たちで計画を立て,係を決め,協力して行動していますが,その後に,達成できたことや計画どおりいかなかったことなど活動の内容をふり返り,次の活動へつなげていく大切さを,友達と一緒に学んだようです。

 なかなかすぐにできるようになるのは難しいことですが,友達と一緒に長男は,早めに行動するよう心がけることに取り組んだようです。これは学校でのお話ですが,家庭でも見られることがありまして,それは朝学校に出かける時間を,余裕を持って守ろうとする様子が見られ,こういう意識を持つことによって,日頃の生活の中でできるようになることの大切さをつくづくと感じました。
明日は小学校の音楽会が開かれる予定で,3年生のミュージカル劇を始め,各学年が練習に励んでいるようで,子どもたちの発表を楽しみにしています。

記者  佳子さまの注目のされ方についてはどのように受け止めていらっしゃいますか。

殿下
 メディア等で写真や記事等が頻繁に掲載されていることは承知しています。実際にどれくらい注目をされているのかということは,私は知りませんけれども,どのように受け止めているかといえば,メディア等に掲載される機会が多いということをそのまま私としては受け止めております。

妃殿下
 私もそのように思っております。次女を含めて子どもたちの公的な活動の報道が,その分野の大事な事柄に対して理解を深めていただく機会になればと思っております。


問4  両殿下にお伺いします。両陛下は傘寿を迎えられて以降も積極的に公務に臨まれ,お忙しい日々を送られています。このような状況の中,皇后さまに心筋虚血の症状が確認されました。要因の一つとして宮内庁は「強いストレス」を挙げていますが,このことについてどうお考えでしょうか。敬老の日にちなんだ施設訪問を,高齢を理由に両陛下から引き継がれたご感想も併せて教えてください。


殿下
 ストレスについて,普段,例えば御所等で一緒に話をしている時に,話題になったことはほとんどありません。ですから,私として推測できるのは,例えばこの何年かで天皇陛下が2回大きな手術をされています。前立腺がんと心臓の冠動脈のバイパス手術ですね。特に後者については,その後の回復がそれほど早くなかったということもあると思いますが,恐らくそれらの陛下のご病気というのが,ストレスの要因の一つにあるのではないかと思います。もちろん非常に重い立場で日々過ごされていますので,その他のストレスに関わることも幾つもあるとは思いますけれども,それを今私が忖そん度をしてお話しするのは控えることにいたします。
 ただ,普段非常に制約の多い中で生活をされているわけですけれども,不思議なほど自由,そして,豊かな心というか精神の領域を持っておられるのではないか,と私には見受けられます。これからそういう領域の中でより多くご自身が過ごせる,若しくはその中で自分自身を遊ばせるという言い方がいいのでしょうか,そういう機会が増えていったらいいのではないかと思います。

妃殿下
 皇后さまが心臓の検査を受けられることを伺い,私たちも大分心配いたしましたが,検査の結果,様子がお分かりになり皇后さまもかえって安心されたようで,私たちも安堵どいたしました。両陛下には,どうぞお身体からだを大切に遊ばされますよう,お健やかな日々をお過ごしになりますよう,心から願っております。

殿下
もう一つは。(と,記者に質問を確認される。)

記者 敬老の日にちなんだ施設訪問に行かれたご感想について。

殿下
 「敬老の日」の施設訪問,これは「こどもの日」の施設訪問と共に,両陛下が非常に大切にされてきた活動だと私は考えております。今年は私たちが「敬老の日」にちなんだ施設の訪問をしました。来年も「敬老の日」にちなんだ施設になるのか,それとも「こどもの日」にちなんだ施設に行くことになるのか,これはまた皇太子殿下とも話合いをしながら決めていきたいと思います。
私たち自身この秋に施設を訪問して感じたのは,例えば地方で何かの行事が行われるときに,その地域の特別養護老人ホームなどに行く機会は今までもかなり多かったです。ところが,私たちが住んでいるこの東京都内でそのような施設を訪れたことは,あまりなかったように思うのですね。そこでふと各地のそういう施設,特別養護老人ホーム等に行ってはいたけれども,すぐ自分の身近な所のことがちょっとおろそかになっていたのかな,と思いました。(と,妃殿下の方を向かれ,お答えを促される。)

妃殿下
 両陛下が長く大切に遊ばされてきました施設訪問を,私たちも心をこめて引き継いでまいりたいと考えております。


問5  殿下にお伺いします。イルカの追い込み漁問題で注目された5月の日本動物園水族館協会の通常総会で,殿下が総裁としてなさったあいさつは,賛否が分かれる話題に言及したもので,驚きを持って受け止められました。また,銀婚式の際に公表された文書は,両殿下の対談形式という異例の試みでした。殿下は皇族の発言や情報発信のあり方についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。

殿下
 皇族の発言について言えば,一つは政治的なことの発言をしない。これは,私は基本にあることだと思っています。今質問にありましたイルカの追い込み漁について,私は本年の日本動物園水族館協会の総会の折に言及したわけです。これは,あくまでも日本動物園水族館協会は世界の動物園水族館協会に加盟している一つの組織であり,日本動物園水族館協会に加盟している動物園,水族館が行っていく,若しくは果たしていく使命の一つである種の保存活動を世界動物園水族館協会の一員として果たしていくことが私は大事であると考えたわけです。したがって,イルカの追い込み漁それ自体について,私は何か言ったつもりはなく,あくまでも,文化の問題と組織の問題を分けて考えるべきではないかと,そう思って話をしました。
 また,皇族の情報発信といった場合,構成しているそれぞれの人たちによって考え方が異なると私は思います。私自身,ブログもツイッターもしていません。私は,自分のことを自分から発信していくというタイプの人間でもありませんし,恐らく今後も自分から例えばSNSを利用して,何か情報発信をするということは,しないだろうと思います。ただ,情報発信というのは,やはり大事なことでもありますし,それからもう一つは,皇族の情報発信と皇室全体としての情報発信とはまた別のことですので,どういう形が一番好ましいのかということについて,これからよく考えていく必要があると思います。


関連質問1  先ほど戦後70年のことで質問でも玉音盤の原盤のことと,御文庫附属室の質問をさせていただきましたが,殿下は実際に両陛下,皇太子殿下と共に玉音盤を聞かれ,また,御文庫附属室にも足を踏み入れられたと伺っておりますけれども,改めてその時のご感想を,それから実際に,特に御文庫附属室は私たちも映像でしか見ておりませんが,そこで感じられた,見て感じられたことを改めてお教えいただければと思います。

殿下
 玉音盤,私も聞かせていただきました。今までよく映像で流れてきた玉音放送とは時間,長さなども少し異なるわけです。今回この機会に貴重な玉音盤の再生ができたというのは,大変価値があると私は考えています。そして,玉音盤と共に御文庫附属庫の方も映像が公開されたということは,やはり,昭和の歴史の一端を知る一つの機会であると思います。私自身,玉音盤と御文庫附属庫の見学を通して感じたのは,感じたという表現は適切かどうか分かりませんけれども,その時の昭和天皇がどのような気持ちでマイクの前に立たれ,若しくは終戦を決める時にどのような気持ちで話をしたのか,そのことに思いをはせていました。


関連質問2  先ほどの質問との関連なんですけれども,常に,戦争があったことを記憶に残しておくことが必要だというふうにおっしゃいましたけれども,その関係で,両陛下のパラオ訪問がありましたが,戦没者慰霊の姿をどのように受け止めていらっしゃいますでしょうか。

殿下
 両陛下は,相当以前から戦没者への慰霊を,強く常に念頭に置かれていました。今回戦後70年の機会にパラオの慰霊をされたわけです。ずっと遡ると沖縄,一番最初は多分海洋博のときですから1975年,私はまだ小学生の子どもでしたけれども,沖縄戦のことと共に,戦没者を慰霊することについての話を折々に伺いました。そういう中で私も私の兄妹だいも育ちましたので,そのことの大事さ,これからも慰霊していくことの大切さは常に頭の中に入れていますし,そういう機会に,私自身も実際に慰霊祭とかですることがありますけれども,慰霊する行為と共に戦争で亡くなった人たちのことに思いをはせる,そのことの大切さを感じています。
よろしいでしょうか。


関連質問3  来月には眞子さまがホンジュラスとエルサルバドルをご訪問されますけれども,両殿下としてはどのようなことを経験され,期待されているのか,教えていただけるでしょうか。

殿下
 彼女にとって初めての海外の公式訪問になるわけですけれども,私の最初の海外公式訪問がブラジルだったのです。当時22歳ぐらいで,もうちょっと若かったですね。海外の公式訪問を通して,私自身も様々なことを学ぶことができました。私自身はエルサルバドルもホンジュラスも行ったことがないので,どういう感じなのかは分かりませんけれども,やはり公式訪問を通して得ることは非常に大きいと思いますので,様々な経験をしてきてくれたらいいな,と思います。
あなたは。(と,妃殿下にお答えを促される。)

妃殿下
 はい。12月の外国訪問は宮様がお話しされましたように,長女にとりまして初めての公式訪問となります。今まで国内で,都内そして地方の公的行事に出席する経験をしていますが,今回は初めて日本を離れて遠く海外でのお務めをさせていただきます。私たちはこの前ブラジルから帰国しましたが,その留守中にも関係者から話を聞き,自分でも本を読んでいたようです。そのような準備をしながら,訪問の日を迎えることになると思いますが,体調を整えて,訪問先でも元気に務めることができるようにと願っております。


※お言葉の重複や助詞など,わかりにくい表現の箇所は,若干の修正をしてありますが,ご発言の内容は変更しておりません。

文仁親王殿下のお誕生日に際してのご近影






毎年抱く感想ですが、お誕生日会見の機会に、見目麗しく品行方正、頭脳明晰な殿下と妃殿下がお揃いになって、仲睦ましく、率直なご発言を伺う機会があり、大変有難く、幸せな気持ちでいっぱいになります。

皇族が、軽々しく政治に関するご発言、偏った思想をうかがわせるようなご発言をなさらないことに対する安定感と申しますか、ご自分の立場をご自覚されての慎重かつ率直なご発言に、ほっと安堵いたします。

私はほとんどテレビを見ないので、どのくらい秋篠宮殿下のお誕生日が注目されているのか分かりませんが、おそらく、控えめな報道であったのではないでしょうか。


元気ではつらつとした佳子内親王殿下の露出を控えるよう、千代田(皇后陛下)から指示が出ていることなどうかがうと、にわかに怒りを覚えてしまいます。
お健やかにお元気に成長されている悠仁親王殿下の映像などは、お誕生日などほんの少しの機会にしか、私たちは拝見することができません。

英国のウィリアム王子が来日された際も、悠仁親王殿下との御面会を強く希望されたのに、秋篠宮殿下と佳子さまを、突如、さして意味もないご自分に縁のある地方公務に追いやり、秋篠宮家ではなく東宮家との面会を設定したのは、皇后陛下だといわれています。


国民がお手本にしたい、憧れている秋篠宮家の露出を控えさせているのは、何のためでしょうか。


人気のない(お手本にしたくない)あのご家族を不憫に思ってなのか、皇統は男女構わず皇太子の第一子に継がせたいという皇后の野望を果たすためなのか。

皇族それぞれのお誕生日会見や文書の発表から、国民は、どなたが皇族としてのご自覚を持たれ真摯にお務めになられ、祭祀を引き継ぎ、皇統を守り、国民のためのご公務をなさっているのか、マスコミの視点を通さずにきちんと見極める必要があります。


「皇室に対する疑問や批判 = 不敬、皇室不要論につながる」 

などと骨髄反射する、ステレオタイプの頭の固い、情報弱者な方。


秋篠宮両殿下の会見、さらに天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下の会見や文書から、本当の皇室の危機は何か、きちんと読み取ってください。

私たち国民が気づかないうちに、皇族の皆さまの個人の資質とか適正とか言うレベルではない、危険な変質が起こってしまっていたことに、早くお気づきになってください。


Posted at 2015/12/01 09:37:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 皇室 | 日記

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