
71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。
われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。
その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。
(略)
……以上、
【オバマ大統領広島演説(全文)】産経ニュースより 一部引用 …………………・・
2016年5月27日。
現職のアメリカ大統領として初めて、オバマ大統領が広島を訪れました。
私はこの時間、車で外出中で、その後も田んぼにいたので、久しぶりにAMラジオを聴いていました。
夕方から晩のテレビのニュースも、この話題で持ちきりだったと思われますが、田植え後の苗挿し(田植え機で植えられなかったところに苗を手植えする作業です)でへとへとになってしまったので、ニュースも見ないで早々に寝てしまいました。
今日も朝早くから田植え作業…。涼しくなったらまた田んぼへでかけます。
そして、先ほどの休憩時間に
『政府インターネットテレビ』で動画をみました。
テレビのように余計な情報がなくて、淡々と流れる映像が、いいですよ♪
政府インターネットテレビ
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg13768.html
日米両首脳による広島訪問-平成28年5月27日(38分16秒)
公開日 平成28年5月27日
報道カメラのシャッター音とかすかな風の音、静かな喧騒だけが聞こえてきます。
テレビのようにアナウンサーや解説者の音声はありません。
オバマ大統領が星条旗と日の丸を付けた大統領専用車「キャデラック・ワン」から降りてきます。
安倍総理大臣が迎えます。
二人並んで、厳かに、引き締まった表情で原爆慰霊碑に向かいます。
オバマ大統領から先に、献花します。目を閉じて、何か語りかけているようにも見えます。
安倍総理も続きます。頭(こうべ)を垂れて、礼をします。
その後、安倍総理が話しかけると、二人は向かい合って握手し頷きながら、優しい表情になります。
演説が始まりました。
同時通訳さんの音声が控え目に入っています。
ヒアリングの練習になりそうな、ゆっくりとはっきりとした格調高いスピーチです。
約、17分間だったそうですね。
(「朝鮮人」と、ラジオの同時通訳の人は訳しましたが、ネットで読んだ翻訳文では、「朝鮮半島出身者」となっていました。ほんとに、めんどくさい人たちですわね )
スピーチが終わり、被爆者の方々の肩を抱き、真摯に耳を傾けていた米国大統領、オバマ氏。
「ひばくしゃ」の皆さん、広島、長崎、日本が味わった苦しみは、太古から現在まで起こる普遍的な争い、紛争、戦争として今も世界中で、石や木の道具から始まった科学の進歩による怖ろしい兵器によってもたらされ続けていることに言及しました。
そして、外交によって紛争は回避されるべきであり、一人ひとりが戦争が起こりにくい人類共通の価値観を持つことの意義を語りました。
今回のオバマ大統領の広島訪問を、謝罪をするかどうかだけにこだわることは愚かなことだと感じます。
大国のリーダーが、確固たる強い意志で、核兵器のない世界へ一歩ずつ進む覚悟と決意を語りました。
あのアメリカの大統領が、です。
原子爆弾は、第二次世界大戦を終わらるために必要なものであり、正当な手段であったと学ぶアメリカ、今でもそう信じて疑わない人たちも多く存在するアメリカ。
かつて世界を牽引し、世界の警察とも云われた超大国は、今や、繊維などの軽工業、自動車、電化製品などの重化学工業なども斜陽となり、兵器情報エネルギーなどの軍需産業が主力となっているアメリカ。
むしろ、国益のため紛争や戦争を引き起こしたがっているようにも思えてしまう「自由の国」「正義の国」アメリカ。
7年前、大国アメリカの若き大統領となった理想と希望に満ちていたオバマ氏が、核兵器廃絶の世界を目指すことを訴え続けることに、自国に於いてどれほどの情熱と信念が必要であったか、どれほど反対勢力の抵抗にあい挫折感を味わってきたか、想像に難くありません。
大統領としての任期終了を控え、思いの丈を込めたよく練り上げられた17分間におよぶ一世一代の素晴らしいスピーチを、自国や世界中に発信することができたのではないでしょうか。
よくぞ、広島に来てくださいました。
元米兵捕虜を同席させず、短い時間ではあってもご高齢の被爆された方々と握手し、肩を抱いて、お話に耳を傾けてくれました。
原爆ドームを、その目で見てくれました。
原爆資料館を訪れた際、自作の2羽の折り鶴を小中学生に手渡し、残りの2羽を芳名録の脇に添えました。
この日、広島を訪れたオバマ大統領の言動は、原爆の犠牲になった皆さん、大東亜戦争で命を落とされた市井の方々、日本を守るために闘ってくださったご英霊の、それぞれの御霊の慰めとなり、被爆国日本、核を持つ国々の指導者や国民、次世代へ思いを繋ぐ私たちへの教訓となったのではないでしょうか。
この訪問を実現させるための日本、米国両国の関係者の皆さんの尽力にも、感謝しています。
オバマ大統領の広島訪問 所感の全文
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160528/k10010537911000.html
5月28日 0時26分
オバマ大統領の広島訪問 所感の全文
アメリカのオバマ大統領は27日午後、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。被爆者の人たちを前に述べた所感の全文です。
71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。
そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。
なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?
私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。
この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。
犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。
もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。
戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争は古くから行われています。われわれの祖先は火打ち石で刃を、木片からやりを作る方法を覚えました。こうした道具は、ただ単に狩りのためではなく、人類を殺すための武器として使われてきました。
どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭し、衰退しました。人々は支配され、解放されました。
それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。
そして、犠牲となった人たちの名前は、時がたつと、忘れられていきました。
広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。
これらの国の文明は、すばらしい都市を築き、壮大な技術を生み出しました。思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。
しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。
古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。ほんの数年の間に6000万人の人たちが亡くなりました。
私たちと同じ、男性、女性、子どもたちです。
撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されています。
世界中には、戦争を記しているところや、勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑があり、墓場やからっぽになった収容所などが、声にならない悪行を伝えています。
しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。
私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。
そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。
物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。
どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。
すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。
国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました。
科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。
そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。
私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。
原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。
広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。
私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。
彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。
しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです。
被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。
その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。
そして、変わることも可能にするのです。
あの運命の日以来、私たちは希望を持つことのできる選択をしてきました。
アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情で結ばれました。その同盟と友情は、戦争が奪う命の数よりも、はるかに多くの人たちに恩恵をもたらしました。
ヨーロッパの国々も連合をつくり、かつての戦場を商業と民主主義で結ばれた場所に変えました。
迫害されている人や国々は自由を求めています。
そして、国際社会は国際機関や国際条約を成立させ、戦争を回避するとともに、核兵器を制限し、減らし、究極的には、廃絶させることを追求してきました。
とはいえ、国家間のあらゆる対立、テロ、腐敗、残虐、迫害といった、世界各地でいまも見られる出来事が、私たちの任務に終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。
だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。
しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。
私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。
そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。
ただ、それでも足りません。どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。
私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。
しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。
起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです。
もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。
このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。
私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。
そうしたものを、私たちは被爆者の方々の話しの中にみることができます。最も憎んでいるのは戦争そのものだとして、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性の被爆者の話。肉親を失ったのは自分と同じだとして、広島で原爆の犠牲になったアメリカ人の遺族を探した男性の被爆者の話。
アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。
ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。
しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。
どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。
それが、私たちが広島に来た理由です。
愛する人たちのことを考えるために。朝、子どもたちが見せる最初の笑顔。妻や夫といったパートナーがキッチンのテーブル越しに見せてくれる気遣い。そして、安心をくれる両親からの抱擁。
私たちは、同じような大切な瞬間の数々が、ここ広島で71年前、多くあったことに思いをはせることができます。
亡くなったのは、私たちと同じような人たちです。普通の人たちには理解できると思います。人々はこれ以上の戦争は求めていません。彼らは、科学のすばらしさが人生を終わらせるためではなく、向上させるために使われることを望むでしょう。
国々が選択をするとき、リーダーたちの選択にこのシンプルな英知が反映されれば、広島の教訓は生かされます。
ここで、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。
広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。(英文全文は関連リンクに掲載)
(以上、 転載 了)
広島訪問 日米両首脳によるステートメント
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/0527hiroshima.html
平成28年5月27日
【安倍総理発言】
昨年、戦後70年の節目に当たり、私は、米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において、日本の内閣総理大臣として、スピーチを行いました。
あの戦争によって、多くの米国の若者たちの夢が失われ、未来が失われました。その苛烈な歴史に、改めて思いをいたし、先の戦争で斃(たお)れた、米国の全ての人々の魂に、とこしえの哀悼を捧げました。
そして、この70年間、和解のために力を尽くしてくれた日米両国全ての人々に、感謝と尊敬の念を表しました。
熾烈に戦いあった敵は、70年の時を経て、心の紐帯(ちゅうたい)を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となりました。そうして生まれた日米同盟は、世界に「希望」を生み出す同盟でなければならない。私は、スピーチで、そう訴えました。
あれから1年。今度は、オバマ大統領が、米国のリーダーとして初めて、この被爆地・広島を訪問してくれました。
米国の大統領が、被爆の実相に触れ、「核兵器のない世界」への決意を新たにする。「核なき世界」を信じてやまない世界中の人々に、大きな「希望」を与えてくれました。
広島の人々のみならず、全ての日本国民が待ち望んだ、この歴史的な訪問を心から歓迎したいと思います。
日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に、新たなページを刻む、オバマ大統領の決断と勇気に対して、心から皆様と共に敬意を表したいと思います。
先ほど、私とオバマ大統領は、先の大戦において、そして原爆投下によって犠牲となった全ての人々に対し、哀悼の誠を捧げました。
71年前、広島、そして長崎では、たった一発の原子爆弾によって、何の罪もない、たくさんの市井の人々が、そして子供たちが、無残にも犠牲となりました。一人一人に、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実を噛みしめる時、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
今なお、被爆によって、大変な苦痛を受けておられる方々も、いらっしゃいます。
71年前、正にこの地にあって、想像を絶するような悲惨な経験をした方々の「思い」。それは、筆舌に尽くし難いものであります。様々な「思い」が去来したであろう、その胸の中にあって、ただ、このことだけは間違いありません。
世界中のどこであろうとも、
再び、このような悲惨な経験を
決して繰り返させてはならない。
この痛切な「思い」をしっかりと受け継いでいくことが、今を生きる私たちの責任であります。
「核兵器のない世界」を必ず実現する。その道のりが、いかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく、努力を積み重ねていくことが、今を生きる私たちの責任であります。
そして、あの忘れ得ぬ日に生まれた子供たちが、恒久平和を願って点(とも)した、あの「灯(ともしび)」に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす、それが、今を生きる私たちの責任であります。
必ずや、その責任を果たしていく。日本と米国が、力を合わせて、世界の人々に「希望を生み出す灯」となる。この地に立ち、オバマ大統領と共に、改めて、固く決意しています。
そのことが、広島、長崎で原子爆弾の犠牲となった、数多(あまた)の御霊の思いに応える、唯一の道である。
私は、そう確信しています。
(以上、転載 了)
世界は少しずつ、変わってきている。
「和をもって貴しとなす」「卑怯なことはしない」「人の上に立つものはその鑑となる」
そんな日本人の古くからの価値観に、世界中の人も感化されているような近づいてきているような、そんなほのかな期待を抱いてしまう。
一度に劇的な変化は期待してはいけない。
自分は何もしないのに、文句ばかり言っている人はカッコ悪いし、滑稽だ。
「やらない善より やる偽善!」
~ 『鋼の錬金術師』 ウィンリィ父 ~
「人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がして見たいものだ」
~ 『こころ』 夏目漱石 ~
「最後まで・・・希望を捨てちゃいかん。 あきらめたらそこで試合終了だよ」
~ 『スラムダンク』 安西先生 ~
自分のためでなく、誰かのために何かをしようと努力している人は、ステキです。
ありがとう、オバマ大統領。
ありがとう、安倍ちゃん!
あなたは誇らしい、素晴らしい日本の総理大臣です。
