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青と緑の稜線のブログ一覧

2016年05月28日 イイね!

われわれはなぜ、広島に来たのか。

われわれはなぜ、広島に来たのか。 71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。

 われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。

 その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。

 (略)



……以上、 【オバマ大統領広島演説(全文)】産経ニュースより 一部引用 …………………・・


2016年5月27日。

現職のアメリカ大統領として初めて、オバマ大統領が広島を訪れました。

私はこの時間、車で外出中で、その後も田んぼにいたので、久しぶりにAMラジオを聴いていました。

夕方から晩のテレビのニュースも、この話題で持ちきりだったと思われますが、田植え後の苗挿し(田植え機で植えられなかったところに苗を手植えする作業です)でへとへとになってしまったので、ニュースも見ないで早々に寝てしまいました。
今日も朝早くから田植え作業…。涼しくなったらまた田んぼへでかけます。


そして、先ほどの休憩時間に『政府インターネットテレビ』で動画をみました。

テレビのように余計な情報がなくて、淡々と流れる映像が、いいですよ♪




政府インターネットテレビ
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg13768.html
日米両首脳による広島訪問-平成28年5月27日(38分16秒)
公開日 平成28年5月27日


報道カメラのシャッター音とかすかな風の音、静かな喧騒だけが聞こえてきます。

テレビのようにアナウンサーや解説者の音声はありません。

オバマ大統領が星条旗と日の丸を付けた大統領専用車「キャデラック・ワン」から降りてきます。
安倍総理大臣が迎えます。
二人並んで、厳かに、引き締まった表情で原爆慰霊碑に向かいます。
オバマ大統領から先に、献花します。目を閉じて、何か語りかけているようにも見えます。
安倍総理も続きます。頭(こうべ)を垂れて、礼をします。

その後、安倍総理が話しかけると、二人は向かい合って握手し頷きながら、優しい表情になります。


演説が始まりました。
同時通訳さんの音声が控え目に入っています。
ヒアリングの練習になりそうな、ゆっくりとはっきりとした格調高いスピーチです。
約、17分間だったそうですね。

(「朝鮮人」と、ラジオの同時通訳の人は訳しましたが、ネットで読んだ翻訳文では、「朝鮮半島出身者」となっていました。ほんとに、めんどくさい人たちですわね )


スピーチが終わり、被爆者の方々の肩を抱き、真摯に耳を傾けていた米国大統領、オバマ氏。

「ひばくしゃ」の皆さん、広島、長崎、日本が味わった苦しみは、太古から現在まで起こる普遍的な争い、紛争、戦争として今も世界中で、石や木の道具から始まった科学の進歩による怖ろしい兵器によってもたらされ続けていることに言及しました。

そして、外交によって紛争は回避されるべきであり、一人ひとりが戦争が起こりにくい人類共通の価値観を持つことの意義を語りました。


今回のオバマ大統領の広島訪問を、謝罪をするかどうかだけにこだわることは愚かなことだと感じます。

大国のリーダーが、確固たる強い意志で、核兵器のない世界へ一歩ずつ進む覚悟と決意を語りました。
あのアメリカの大統領が、です。

原子爆弾は、第二次世界大戦を終わらるために必要なものであり、正当な手段であったと学ぶアメリカ、今でもそう信じて疑わない人たちも多く存在するアメリカ。

かつて世界を牽引し、世界の警察とも云われた超大国は、今や、繊維などの軽工業、自動車、電化製品などの重化学工業なども斜陽となり、兵器情報エネルギーなどの軍需産業が主力となっているアメリカ。

むしろ、国益のため紛争や戦争を引き起こしたがっているようにも思えてしまう「自由の国」「正義の国」アメリカ。

7年前、大国アメリカの若き大統領となった理想と希望に満ちていたオバマ氏が、核兵器廃絶の世界を目指すことを訴え続けることに、自国に於いてどれほどの情熱と信念が必要であったか、どれほど反対勢力の抵抗にあい挫折感を味わってきたか、想像に難くありません。

大統領としての任期終了を控え、思いの丈を込めたよく練り上げられた17分間におよぶ一世一代の素晴らしいスピーチを、自国や世界中に発信することができたのではないでしょうか。


よくぞ、広島に来てくださいました。

元米兵捕虜を同席させず、短い時間ではあってもご高齢の被爆された方々と握手し、肩を抱いて、お話に耳を傾けてくれました。

原爆ドームを、その目で見てくれました。

原爆資料館を訪れた際、自作の2羽の折り鶴を小中学生に手渡し、残りの2羽を芳名録の脇に添えました。


この日、広島を訪れたオバマ大統領の言動は、原爆の犠牲になった皆さん、大東亜戦争で命を落とされた市井の方々、日本を守るために闘ってくださったご英霊の、それぞれの御霊の慰めとなり、被爆国日本、核を持つ国々の指導者や国民、次世代へ思いを繋ぐ私たちへの教訓となったのではないでしょうか。

この訪問を実現させるための日本、米国両国の関係者の皆さんの尽力にも、感謝しています。



オバマ大統領の広島訪問 所感の全文

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160528/k10010537911000.html



5月28日 0時26分
オバマ大統領の広島訪問 所感の全文
アメリカのオバマ大統領は27日午後、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。被爆者の人たちを前に述べた所感の全文です。

71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。
そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。

なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?
私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。
この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。

犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。
もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。

戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争は古くから行われています。われわれの祖先は火打ち石で刃を、木片からやりを作る方法を覚えました。こうした道具は、ただ単に狩りのためではなく、人類を殺すための武器として使われてきました。

どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭し、衰退しました。人々は支配され、解放されました。

それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。
そして、犠牲となった人たちの名前は、時がたつと、忘れられていきました。

広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。
これらの国の文明は、すばらしい都市を築き、壮大な技術を生み出しました。思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。

しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。
古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。ほんの数年の間に6000万人の人たちが亡くなりました。
私たちと同じ、男性、女性、子どもたちです。
撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されています。

世界中には、戦争を記しているところや、勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑があり、墓場やからっぽになった収容所などが、声にならない悪行を伝えています。
しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。

私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。
そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。

物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。
どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。
すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。

国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました。

科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。
そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。

私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。
原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。

広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。

私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。

彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。
しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです。

被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。
その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。

そして、変わることも可能にするのです。
あの運命の日以来、私たちは希望を持つことのできる選択をしてきました。

アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情で結ばれました。その同盟と友情は、戦争が奪う命の数よりも、はるかに多くの人たちに恩恵をもたらしました。
ヨーロッパの国々も連合をつくり、かつての戦場を商業と民主主義で結ばれた場所に変えました。

迫害されている人や国々は自由を求めています。
そして、国際社会は国際機関や国際条約を成立させ、戦争を回避するとともに、核兵器を制限し、減らし、究極的には、廃絶させることを追求してきました。

とはいえ、国家間のあらゆる対立、テロ、腐敗、残虐、迫害といった、世界各地でいまも見られる出来事が、私たちの任務に終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。

だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。
しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。

私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。
そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。

ただ、それでも足りません。どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。

私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。
しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。

起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです。
もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。

このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。

私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。

そうしたものを、私たちは被爆者の方々の話しの中にみることができます。最も憎んでいるのは戦争そのものだとして、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性の被爆者の話。肉親を失ったのは自分と同じだとして、広島で原爆の犠牲になったアメリカ人の遺族を探した男性の被爆者の話。

アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。
ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。

しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。

どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。
それが、私たちが広島に来た理由です。

愛する人たちのことを考えるために。朝、子どもたちが見せる最初の笑顔。妻や夫といったパートナーがキッチンのテーブル越しに見せてくれる気遣い。そして、安心をくれる両親からの抱擁。

私たちは、同じような大切な瞬間の数々が、ここ広島で71年前、多くあったことに思いをはせることができます。

亡くなったのは、私たちと同じような人たちです。普通の人たちには理解できると思います。人々はこれ以上の戦争は求めていません。彼らは、科学のすばらしさが人生を終わらせるためではなく、向上させるために使われることを望むでしょう。

国々が選択をするとき、リーダーたちの選択にこのシンプルな英知が反映されれば、広島の教訓は生かされます。

ここで、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。

広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。(英文全文は関連リンクに掲載)

 (以上、 転載 了)



広島訪問 日米両首脳によるステートメント
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/0527hiroshima.html
平成28年5月27日



【安倍総理発言】

 昨年、戦後70年の節目に当たり、私は、米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において、日本の内閣総理大臣として、スピーチを行いました。
 あの戦争によって、多くの米国の若者たちの夢が失われ、未来が失われました。その苛烈な歴史に、改めて思いをいたし、先の戦争で斃(たお)れた、米国の全ての人々の魂に、とこしえの哀悼を捧げました。
 そして、この70年間、和解のために力を尽くしてくれた日米両国全ての人々に、感謝と尊敬の念を表しました。
 熾烈に戦いあった敵は、70年の時を経て、心の紐帯(ちゅうたい)を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となりました。そうして生まれた日米同盟は、世界に「希望」を生み出す同盟でなければならない。私は、スピーチで、そう訴えました。
 あれから1年。今度は、オバマ大統領が、米国のリーダーとして初めて、この被爆地・広島を訪問してくれました。
 米国の大統領が、被爆の実相に触れ、「核兵器のない世界」への決意を新たにする。「核なき世界」を信じてやまない世界中の人々に、大きな「希望」を与えてくれました。
 広島の人々のみならず、全ての日本国民が待ち望んだ、この歴史的な訪問を心から歓迎したいと思います。
 日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に、新たなページを刻む、オバマ大統領の決断と勇気に対して、心から皆様と共に敬意を表したいと思います。
 先ほど、私とオバマ大統領は、先の大戦において、そして原爆投下によって犠牲となった全ての人々に対し、哀悼の誠を捧げました。
 71年前、広島、そして長崎では、たった一発の原子爆弾によって、何の罪もない、たくさんの市井の人々が、そして子供たちが、無残にも犠牲となりました。一人一人に、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実を噛みしめる時、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
 今なお、被爆によって、大変な苦痛を受けておられる方々も、いらっしゃいます。
 71年前、正にこの地にあって、想像を絶するような悲惨な経験をした方々の「思い」。それは、筆舌に尽くし難いものであります。様々な「思い」が去来したであろう、その胸の中にあって、ただ、このことだけは間違いありません。
 世界中のどこであろうとも、
 再び、このような悲惨な経験を
 決して繰り返させてはならない。
 この痛切な「思い」をしっかりと受け継いでいくことが、今を生きる私たちの責任であります。
 「核兵器のない世界」を必ず実現する。その道のりが、いかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく、努力を積み重ねていくことが、今を生きる私たちの責任であります。
 そして、あの忘れ得ぬ日に生まれた子供たちが、恒久平和を願って点(とも)した、あの「灯(ともしび)」に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす、それが、今を生きる私たちの責任であります。
 必ずや、その責任を果たしていく。日本と米国が、力を合わせて、世界の人々に「希望を生み出す灯」となる。この地に立ち、オバマ大統領と共に、改めて、固く決意しています。
 そのことが、広島、長崎で原子爆弾の犠牲となった、数多(あまた)の御霊の思いに応える、唯一の道である。
 私は、そう確信しています。

 (以上、転載 了)


世界は少しずつ、変わってきている。

「和をもって貴しとなす」「卑怯なことはしない」「人の上に立つものはその鑑となる」
そんな日本人の古くからの価値観に、世界中の人も感化されているような近づいてきているような、そんなほのかな期待を抱いてしまう。

一度に劇的な変化は期待してはいけない。

自分は何もしないのに、文句ばかり言っている人はカッコ悪いし、滑稽だ。



「やらない善より やる偽善!」
~ 『鋼の錬金術師』 ウィンリィ父 ~

「人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がして見たいものだ」
~ 『こころ』 夏目漱石 ~

「最後まで・・・希望を捨てちゃいかん。 あきらめたらそこで試合終了だよ」
~ 『スラムダンク』 安西先生 ~

自分のためでなく、誰かのために何かをしようと努力している人は、ステキです。


ありがとう、オバマ大統領。

ありがとう、安倍ちゃん!
あなたは誇らしい、素晴らしい日本の総理大臣です。





Posted at 2016/05/28 16:58:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記
2016年05月24日 イイね!

「志を抱く政治家」がなぜ「私腹を肥やす政治屋」になるの?

「志を抱く政治家」がなぜ「私腹を肥やす政治屋」になるの?
朝の農作業もひと段落。
子供たちも登校し、ようやく一息ついてのコーヒータイム。

スマホに届いていたメールマガジンのタイトルにふと目が止まり、読んでみました。

以前、
『正直に言うと、よくわからないのですが【フランス同時多発テロ】』

を書いた後に、どうしても読んでみたい記事があり、会員登録をした情報サイト。

『ちょっとだけわかった、…気がしますσ(゚ー^*)【IS・移民・テロ】』

この記事の中で、引用させていただきました。


玉石混合、真贋不明な記事もあることは承知の上、メールマガジンで届く記事の中で、興味を惹かれるものはときどき読んでいます。


  ☆ ☆ ☆


都知事選の時からモヤモヤしていた思いを昨日のブログで一気に吐き出して、自分の心のデトックスは終了しました。

でも。

自分にとって一番許せない「日本の敵」「子供たちに真似してほしくない」「大嫌い」な人について書いたものだとしても、毒とトゲだらけの文章なのは、大人気(おとなげ)なかったわ。
読んでくださった方も、イヤな気分になってしまっただろうなあ。

まっ、どうしても許せない人だったし、私の性格も悪いんだから仕方ない…、とその後、ちょっと凹んでいました。

今朝、洗濯物をを干しながら、
(もっと、ユーモアやひねりで明るく笑い飛ばせるような書き方はできなかったのかな・・・)
(まだまだ修行が足りないな~)、なんてことを考えてました。

 
  ☆ ☆ ☆



先月、都知事選に立候補して闘った田母神さんも、政治資金を私的に流用した疑いがあるとして逮捕されてしまいました。

自分は東京在住の友人たちに、「都知事選では舛添氏にはゼッタイ投票しないでね。田母神さんは日本や東京にとって必要な人だから、ぜひ、投票してね」とお願いしていた手前、薦めた人たちに対しても申し訳なく思っていました。

ただ、田母神さんは選挙で集まった資金を私腹を肥やすために自分のポケットの中にしまい込んだわけではなく、一緒にがんばってくれた人にも配ろうとした。

やってはいけないことなのは、承知しています。

でも、自分や自分の家族のためだけに公費をセコくちょろまかしてネコババしている舛添氏と比べたら、その動機は100万倍同意できて、その人柄は1000万倍好き。


ダメなことは、ダメ。
それは大原則だけど、自分が大好きで尊敬できる人のことは、心の底から信じたいと思ってしまう。
悪いことだけど、みんなにお金を配ってしまった田母神さんのことは、やっぱり憎めないし、好きだわ。
脇が甘いし、ブレーンに恵まれていないし、政治家には向いていないかもしれないけど。



私が大嫌いな人、自分の闘う敵は、やっぱり『自分だけがよければいい人』なんだわ~と、またしても思う。

…小学校のPTA役員になって、またまたそんな人ばかりがいることに気づいて、気が滅入ってしまうのことも多いの。
もちろん、そうでない人もいるし、そんな人たちと一緒にイヤイヤながらではなく、子供たちや学校のために、できるだけ明るく楽しくやっていこうとは思っています。


私たち「一般国民」「市井」がお手本にしたい「本物の上級国民」。

志が高く、私利私欲ではなく公のために心を尽くし、頑張ってくださっているご皇族、政治家もいらっしゃいます。
尊敬する大好きな方々のご公務、ご活躍は、拙ブログでも紹介させてもらっています。


でも、そうではない人もたくさん見受けられてしまうのも、事実です。


どうして「政治家はカネに汚い」と云われるのか、「志を抱く政治家」がなぜ「私腹を肥やす政治屋」になってしまうのか、などについて、これから転載する記事に詳しく書かれています。

個人の資質、性格の問題だけではないんだなあ。
根本的な解決方法についても、なるほどと考えさせられた記事をご紹介します。

ちょっと長いのですが、お時間があればご一読を。



舛添都知事ら大物政治家ほど「せこい」事件を起こす理由(上)
ダイヤモンドオンライン
松井雅博 [政治ジャーナリスト]
2016年5月24日

 5月20日(金)、舛添要一東京都知事がかねてから問題視されている自身の政治資金を私的に流用した疑惑などについて会見を開き、第三者に調査を委ねることを明らかにした。家族旅行や飲食代、果ては美術品の購入費まで政治資金を利用していたという疑惑について、特段具体的な説明はなかった。

 贅沢な海外出張や週末に別荘に通うための公用車の私的利用、似顔絵饅頭の大量購入や白紙の領収書を集めていた事実も批判の対象となった。会見で舛添都知事は謝罪した上で続投を宣言しているものの、辞職を求める動きは止まらないだろう。来週にも開かれる都議会本会議で追及されることは免れない。

 そもそも、2012年12月に東京都知事に当選した猪瀬直樹前都知事が、たった1年で「政治とカネ」の問題で辞任。空席を埋めるために行われた選挙で選ばれたのが、舛添都知事だった。それゆえ、一連の舛添都知事の「政治とカネ」をめぐる報道に落胆し、あきれかえった方も多かったのではなかろうか。

 それにしても、日本の首都東京のトップともあろう大物政治家がこんな「せこい」ことをしてしまうのはなぜなのか。俗っぽい欲求を満たすために、政治生命を危機に晒すのはどう考えても釣り合わないように思える。

 さらに、公用車の利用や公費出張などは舛添都知事に限ったことなのか、これまでの都知事や国会議員にも同じような税金の無駄遣いの仕組みがありはしないのか。

 猪瀬前都知事や舛添都知事だけでなく、今年1月に経済財政・再生大臣を辞任した甘利明前大臣など、叩かれても叩かれても「政治とカネ」の問題が政界から尽きないのはなぜなのか。

「政治家はカネに汚い」という悪い印象だけが独り歩きしがちだが、これを放置したままでは、来年も再来年も、永遠に同じ問題が続く気がする。それを止めるためには、制度として何を変えるべきで、有権者として何ができるのか――。

 こういった論点を「精査」することなく、単なる一過性のスキャンダルとして風化させてはならない。世の中の論調を眺めると、舛添都知事個人に対するバッシングが多いが、本稿ではそもそも「志を抱く政治家」がなぜ「私腹を肥やす政治屋」になってしまうのか、という根本的な問いについて論じてみたい。


 筆者は、マッキンゼーでコンサルタントとして働いた後、国会議員政策担当秘書として政治の世界へ飛び込んだ。与野党の国会議員事務所で2年半働いた後、兵庫県第10区(加古川市、高砂市、稲美町、播磨町)より衆議院議員選挙へ出馬し、5万1316票を獲得するも落選。一民間人の感覚で政治の現場や会計報告の実態などを見た経験を活かし、政治をできる限りわかりやすく面白く読者にお伝えしている。



「他人事」で終わらせないために
有権者や与党も「猛省」する余地はある?

 まず、議論に入る前に、1年半前に実施された東京都知事選挙を振り返ってみよう。

2014年2月9日投開票 東京都知事選挙 開票結果(主な候補者のみ)

舛添要一 211万2979票 当選
宇都宮健児 98万2594票
細川護煕 95万6063票
田母神俊雄 61万0865票
家入一真 8万8936票
ドクター・中松 6万4774票

 選挙の結果は、211万2979人の東京都民からの信託を得て、舛添要一都知事の圧勝で終わった。次点の宇都宮健児候補、小泉純一郎元総理の応援を受けた細川護煕元総理大臣の得票を足してもなお、舛添氏に勝てないほどの圧勝である。ちなみに、この時、立候補していた田母神俊雄候補もまた、今年4月に公職選挙法違反で逮捕されている。

 しかしながら、当然であるが、この時東京の有権者のほとんどは、まさか舛添候補と田母神候補がこんなことになるとは思ってもいなかったはずで、有権者の責任を問うのは酷かもしれない。

 ここで筆者が伝えたいのは、有権者として「自分が投票用紙に名前を書いた」都知事が不祥事を起こしているという事実を噛みしめてほしい、ということだ。今回の事件も都知事になる前に公開していた情報から明らかになっているのであって、選挙の際に誰一人気づかなかったという点は、我々有権者もマスコミも猛省すべきところである。有権者からの監視の目こそが政治を浄化する大きな力になるからだ。

 自民党の谷垣幹事長も舛添氏に「猛省」を促し、厳しく批判した。都知事選挙で舛添都知事を推薦した身としては、今回のスキャンダルが7月に参議院議員選挙へ影響するのを防ぎたい意図があるのだろう。

 確かに、推薦したからといって自民党に責任があるとは一概に言えないが、自分たちが推薦した都知事が「せこい」事件で世間を騒がせた点についてはしっかりと「猛省」してほしいところである。せめて収支報告書の身体検査くらい、推薦を決める際にやっていただきたい。

 そして、私たち有権者もまた「次こそは」よりよい選択をできるよう、選挙の際には可能な限り政治家個人の資質を見て選択すべきだし、収支報告書があるなら目を通してみてもいいと思う。



「せこい」と言わざるをない
舛添都知事の公費使用例



 舛添都知事の公費の使用例を眺めると「せこい」と言わざるを得ない。

 家族旅行で訪れた千葉県内のホテル宿泊代を「会議費」名目で政治資金から支出したり、回転寿司での食事やインターネットオークションでの美術品の購入といった、どう見ても政治活動とは関係のなさそうな高額の出費についても政治資金を充てている。美術品については、舛添都知事は「海外の方との交流を行う際のツール」と説明しているが、相当に無理があろう。

 そもそも、上述した通り、東京都知事は高所得者である。都知事になる前はこれまた高所得者である参議院議員を務め、大学の教員やテレビタレントなどで大活躍だった舛添都知事ならば、それくらいのお金はポケットマネーで持っているはずだと思う。

 実際、疑惑が発覚してから一部の支払については返金することとしたが、それなら最初から自腹で払うこともできたに違いない。

 多くの方が誤解されているかもしれないが、実は、政治資金というのは使い道が特に規制されていない。したがって、何に使っても「法的には」問題ない。たとえば、舛添都知事が「家族旅行」の名目を「会議費用」と偽って報告していた件についても、道義上の責任はあれ、法的な問題はない。だから「せこい」のである。

 たとえば、筆者はホームページで平成26年分の東京都議会議員の収支報告書を適当に拝見してみたが、ある議員が代表を務める政党支部の収支報告書によれば、組織対策費として553万円が計上されているが、詳細は一切公表されていない。これは都議会議員の場合、5万円未満の支出は総額を書けばよいことにされているためである。すなわち、「法的には」問題ない。

 しかし、5万円未満の出費が553万円分もあるというのは、なんとも不思議な感じもする。このように、実際に収支報告書を眺めてみれば、多かれ少なかれ変なところが多いのが今の政治における会計報告の仕組みなのだ。

 読者の皆様も時間に余裕があれば、せめて自分の地域の政治家の収支報告書を眺めてみることをオススメする。


舛添都知事ら大物政治家ほど「せこい」事件を起こす理由(下)
ダイヤモンドオンライン
松井雅博 [政治ジャーナリスト]
2016年5月24日


当選してしまえば政治家も役人と同じ
「使わねば損」という慣習が諸悪の根源

 とはいえ、多額の報酬をもらっている政治家が、なぜ政治資金を使ってしまうのか。

 実は、この問いの答えは「使わねば損」という発想があると筆者は考えている。

 これは都知事よりもむしろ、実は議員の方にあてはまると思う。実際、千葉県のホテルでの宿泊費を「会議費用」の名目で政治資金から流用していたのは、舛添都知事が都知事になる前の出来事である。

 議員の場合、政党交付金が受けられるが、これは使途が定められている。一方、自分で作った政治団体へ寄附でもらうお金については別に何に使おうが自由である。だから、政党交付金もいったん管理口座に入れた後、政治団体へ寄附してしまえば、何に使ってもいいお金に変わる。そうやって使い切ってしまわないと、政党交付金が余った場合、返金しなければいけなくなってしまうのだ。

 だから、舛添都知事はかつて代表を務めた新党改革に振り込まれた政党交付金を自分の政治団体に寄附することで、「返金しなくていいお金」に変えたのだ。このこと自体は多くの議員がやっていることである。

 この「使わねば損」という発想は、役所が年度末になると不要な道路工事を発注する構図と似ている。一度得た予算は使い切らないと「余っている」と思われてしまう。

 一時期、国会議員のお小遣いと批判された、月100万円支払われる文書通信費についても、理屈は同じである。現在、いまだ文書通信費の使い道は公開する必要がないが、これはなぜかと言えば、多くの政治家は「特に使い道がないので、選挙費用にあてるために貯めているだけ」だからだ。

 もし、これを毎月の使い道を公開しなくてはいけなくしたら、ほとんどを使わずに貯金していることがバレてしまう。おおさか維新の会の国会議員達は文書通信費の使い道を公開しているので、眺めてみるとよくわかるだろう。結局、もらえるお金は「使わねば損」という発想なのだ。

 自称改革派の政治家は、決まって役所の非効率や役人の無駄遣いを批判するが、政治の世界を内部から見てきた経験から言えば、むしろより改革が必要なのは政治の世界の方だ。

 公務員の人件費や人口あたり公務員数を国際比較しても、日本はOECD諸国中で見ればけして高い方ではない(もちろん天下りなど解決すべき問題はあるが)。むしろ諸外国と比べて際立って高いのは議員の歳費であり、東京都知事もおよそ2000万円の年収に加え、600万円以上ものボーナスまでもらえる高所得な職業だ。

 本来、役所の無駄遣いをただす立場にある議員が「使わねば損」「親方日の丸」「お金は天から降ってくる」という発想に毒されているようでは、役人を批判できない。まずは議員自らが議員定数を見直し、自分たちの報酬を削減し、政治活動に使ったお金はきちんと公表し、説明責任を果たすというように「襟を正す」ことが大切だ。



なぜ政治家は「本業」を忘れるのか
「政治屋ビジネス」にハマる理由


 数々の民間企業の経営改革に携わった目で政治の現場や裏側を見てきた経験から、「政治とカネ」の不祥事を起こす政治家たちは「政治家のビジネスモデル」を捻じ曲げ、独自の「政治“屋”のビジネスモデル」を確立している、というのが筆者の持論だ。

 政治家という職業をビジネスの業種で分類すれば、「サービス業」に分類されるだろう。「国をこうしたい」という政治理念に基き、具体的な政策や改革プランといった「商品」を提示し、「顧客」である主権者(有権者や選挙区外の人、未成年者などの選挙権がない人も含む)に提供する。その対価として、政治家は税金からお金をもらう。

 政治家の生殺与奪の権利を持っているのは「有権者」である。多くの政治家は選挙区を持つ。舛添都知事なら東京都民だし、甘利元大臣なら神奈川県の大和市、海老名市、座間市、綾瀬市であり、筆者自身も兵庫県の加古川市、高砂市、加古郡の方々の投票によって落選している。民間企業で経営陣が株主から経営を付託されるのと同じく、政治家は選挙で有権者から信託を受けて、政治を行っているのである。

 もちろん、政策は政治家が単独でつくり出せるものではない。政策を考えるために情報提供してくれる人や、企業や団体がいる。ビジネス風に言えば、これらは商品の原材料を提供してくれる「サプライヤー」ということになるだろう。

 そして、政治家は常に競争にさらされている。きちんと仕事をしていなければ、他政党の政治家に議席を奪われたり、同じ党内でも新しい候補に差し替えられたりするリスクと常に向き合っており、この競争原理が政治家にプレッシャーを与えるのだ。




 これが政治家の本来のビジネスモデルである。ところが、このモデルには致命的な欠陥がいくつかある。

 まず、政治家に対して支払われるお金の原資は、強制的に徴収される「税」によって賄われている、ということだ。強制的に徴収されるため、納税者は「こんな政府にお金を払いたくない」という拒否権が認められないことになる。すると、政治家は「商品(政策)」の質にかかわらず、とりあえず「株主」のご機嫌だけをうかがっていれば(有権者対策)、議員であり続けることができることになる。

 お客様を顧みず、株主対策ばかりしている企業はいずれ市場から淘汰されるのと同様、本来そんなダメ政治家は落選させたらいいのであるが、政党政治が根付いていることもあり、有権者には政治家個人を選択する術がない。たとえば、舛添都知事も自公が応援した時点で勝利は既に決まっていたようなものだった。

 言い換えれば、「選挙」という制度が政治家個人の資質や業績に対する評価になっていない、という致命的な問題がある。何万人もの人が1人の政治家を選ぶという制度自体が、無茶なのである。政党による選択や原発や安保といった特定の政策への姿勢のみで候補者を選ぶ傾向が強まっているため、個々人の資質はほとんど関係なくなってしまったのだ。

 しかも、有権者の投票基準は、単なる政党の勢いやキャッチコピー、ポスターの写真映りや候補者の学歴・職歴・知名度などに頼らざるを得ない。その結果として、競合との競争は「サービスの質」ではなく、より有権者に訴求しやすいスキャンダルの暴き合いや、地元での露出度合戦に陥ってしまうのである。

 これこそが、政治の世界から「政治とカネ」やスキャンダルが絶えない本質的な理由であり、すべては「政治屋ビジネスモデル」に陥った結果なのだ。そして、その理由は、政治家をきちんと評価する仕組みが存在しないことや、有権者が政治家の「成果」に無頓着であることに終始する。選挙の後に叩くのではなく、選挙の前に『週刊文春』にお金を払って調査・報道してもらうというのはどうか。



「政治とカネ」問題の本質
政治家にどこまで「クリーンさ」を求めるか


 今回の一件で、あたかもすべての政治家がカネに汚いという印象が流布してしまうのは残念である。

 実は、多くの政治家はそんなに多額のお金を集められるわけではない。特に若手を中心に多くの政治家は自己資金で政治活動を行っている場合も少なくない。その場合は政治資金を何に使おうが、元をたどれば自分のお金なわけで、さほど大きな問題にはならない。そもそも美術品を買う余裕などない。

 大物政治家ほど「せこい」事件が起きるのは、ある意味で「お金が集まる」からこそ生じる現象でもある。

 政治活動にはお金がかかる。いくらかけるかは個人差があるが、必要経費が発生することは事実だし、人間である以上生活もしなくてはいけない。こういった必要経費をどのように手当するのが公平なのか。

 究極的には、政治家個人の倫理観に委ねるしかない。どんな優れた制度でも抜け道を作ることはたやすい。せっかくリーダーになったのだから、小難しい法律論や弁解を振りかざすのではなく、高い倫理観を持って職責にあたってほしい。

 ただし、もちろん制度的な担保も設計せねばなるまい。筆者はコンサルタントだった時代、メーカーの内部統制の仕事に携わったことがある。不正が起きないように社内業務を業務フローに落とし込み、関係者や経営層と話し合いながらリスクアセスメントを行うことで、組織のルールやガバナンスを構築する。政治の世界もブラックボックス化させないよう、たとえば経理・財務を各事務所に委ねるではなく一括で管理したり、人の質を確保するための研修会の実施やシステム化も検討すべきだ。

 さらに、会計担当秘書を設置したり、定期的な監査制度を導入するべきだ。今も政治団体は税理士による監査を受けているはずだが、今回の事件からもわかるように形骸化していると言わざるを得ない。問題となっている政治団体の監査人も糾弾されるべきだろう。

 また、収支報告書も公開されているものの、団体名に政治家個人の名前が入っていないものも多く、選挙管理委員会のホームページを訪れても、どれが誰の報告書なのか、実にわかりにくい。国会議員関係の政治団体ならば1万円以下、それ以外なら5万円以下の支出についてはすべてを足し合わせた金額のみを報告すればよく、上で例示した通り、ザル法と言わざるを得ない。

 一方で、我々有権者は「どこまで政治家にクリーンさを求めるか」について真剣に議論した方がよい。政治家事務所の秘書やスタッフが、領収書を集めたり、公開書類を作成することばかり時間やコストをかけているようでは、一体何のための政治活動なのか、わからなくなってしまう。

 リオ・オリンピックを目前にして、国営石油公社をめぐる汚職事件で有力な政治家たちが失脚し、政権運営が危うくなっているのがブラジルだ。この現状を見ると、4年後の東京オリンピックで同じ轍を踏まないために、今、抜本的な「精査」を行うべき時が来ている。

(以上、転載 了)



MAN / KAN







自分も、こんな MAN - 男であり人間 - になりたいと思う。


Posted at 2016/05/24 10:50:18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 所感・雑感 | 日記
2016年05月23日 イイね!

「公」の意識の乏しい「上級国民」は、糾弾されその座を降りるべき。

「公」の意識の乏しい「上級国民」は、糾弾されその座を降りるべき。

舛添要一東京都知事への糾弾は、当然にして已む無きこと。


国、首都、地方自治体の首長、国家および地方公務員は、「公(おおやけ)」の意識を常にまとい、身を律し、国民、県民市民町民村民のために行う自らの職責に誇りをもちつつ、職務に邁進するべきである。

「公(おおやけ)」の意識のない者は決して公務員を志してはならず、採用時にもその意識を本当に持って志望しているのか厳しく見極めるべきである。
また、現在その意識のない者、単に安定した給与や待遇を求めてその場にいるものは、職を離れるべきである。

給与をもらいながら公のために尽くせる仕事にやりがいと喜びを感じ、己の知識や技能、技術、見識、気づきが公共の利益や福祉につながることに使命感を感じる人こそが、「公務員」たる資格がある。


日本では古来から、役人が守るべき決まりごとを定めた「十七条の憲法」に見られる通り、憲法と云う大切な法律を定めて役人を律し、役人自らが身を糺すことで、民の幸せを担ってきた。

【聖徳太子】十七条の憲法を現代語訳したら超いいこと言ってた【公務員は読んどけ】より

第1条 お前ら仲良くしる

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

第2条 仏様とお経と坊さんは大切にしろよ

第3条 天皇陛下の詔勅は謹んで受けろ

第4条 役人は礼儀と身分をわきまえろ

第5条 人を裁く奴は賄賂とかに惑わされんなよ

第6条 DQNは叩け。いいことしろ

第7条 役人はちゃんと自分の仕事をしろ

第8条 役人は朝早く出勤して夜遅く帰れ。きっちり定時なんかに帰るなよ

第9条 信用は大切だぞ

第10条 他人が何か間違ったことしてもあんまり怒るな

第11条 功績や過ちはハッキリさせて、賞罰とかその辺きっちりさせろよ

第12条 役人は住民から搾取しちゃダメだろ

第13条 役人ども、おまいらは同僚が何やってるかはきっちり知っておけよ

第14条 役人は他の市とかの方が給料高いからって妬んだりすんな

第15条 役人どもはてめー財布のことばっかり考えてないで国のために働け

第16条 国民に何か課すときは、必ず時期とか空気読んでやれよ

第17条 重要事項は会議して決めろ。ひとりでコソコソやんなよ



なんて素晴らしい憲法を、先人は創ってくれたことだろう。
なんと素晴らしい「公(おおやけ)」の精神が、太古よりこの日本に存在していたことだろう。

古来より役人はその立場に応じた生活を保障され、武士は俸禄として生活が担保される代わりに、己の命をかけて主や幕府、藩を守り、死と隣り合う手本としての生き様を貫く鑑の存在であった。

明治時代より名目上階級は失われ、人々の規範となり、公の幸福を追求する立場である人は、その存在を自覚することが次第に難しい時代となっていった。

「エリート」である人が「エリート」としてあるべき真の自覚(優秀であり、社会をよりよい方向に導く指導的な役割)をもたず、「一般国民ではなく上級国民」などというモラルなき「特権意識(国を動かしているのは我々)」だけをもち、その立場を利用して私腹を肥やし、我欲の追求に邁進し、自分さえよければ他人はどうでもよいとする利己主義に立ち、公を思う気持ちが欠落していったことから、日本の崩壊は始まった。


そのきっかけとなったものは、大東亜戦争後の「WGIP-ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に基づくGHQによる日本人洗脳工作であり、「日本解放第二期工作要綱」に見られる中国共産党による対日工作活動など、外国による日本支配のための洗脳政策であるが、それを受け入れる下地は日本人自らが作りだしてしまったものだ。



はっきりと云おう。



日本人の心、精神の拠り所である「皇室」の内廷皇族。
(天皇陛下および皇后陛下、皇太子一家)。

内閣総理大臣をはじめ各大臣、政府関係者、国会議員。

各省庁の閣僚、国家公務員。

首都である東京都知事はじめ、都道府県知事。

最高裁判所長官をはじめ、裁判官。

公共放送、新聞、雑誌などのマスコミ。

財閥系企業、商社、銀行、広告代理店などの大企業。




こうした職務や職業のトップやそこに所属している人たちは、自己実現を図ったり、利潤を追求することだけが目的ではなく、国家全体、日本と云う国のために自分の能力を活かすことができる、この上ないやりがいのある職務を担い、その立場にある。

それを、「公」のためにではなく、「私(わたくし)」のため、利己的な我欲や金儲けのためだけにその地位と権力を行使したら・・・。

国民にとってもはや学ぶべきお手本、尊敬するべき存在ではなくなり、ずるく、卑怯で、私利私欲にまみれた蔑む存在として、怒りと諦念の思いを抱くであろう。

そして、本来ならお手本になるはずであった人、もはや恥ずかしくて尊敬できる対象ではなくなってしまった人たちが、「これが賢い生き方だ」とばかりに我先にと私利私欲に走っている姿を見て、国民の中にもそのような生き方に躊躇(とまど)いがない者がでてきても、追随する者がいても、なんの不思議もない。

自分さえよければいい「私」 >>>>|超えられない壁|> 自分以外の人のこと、社会のこと、日本全体を優先する「公」

利己的でエゴイズムな生き方が『お得で賢い』のだと本気で思っている人、自分の所属している共同体(家族、地域、職場、日本)への帰属意識をもつことができない人、日本人同士が団結することを良しとしない人、素直に他人のよい行いや幸運を認め称賛する寛容な心をもてず嫉妬心でゆがめられている精神の持ち主。

国や地方公共団体のなかで、より多くの人々に影響力がある役職についている人、
大企業といわれる国を代表する組織を動かしている人、
多くの人に必要で正しい情報を伝えるべきマスコミ、


これらの人々が、不正をし、社会の規範を守らず、施すことをせず搾取のみに走り、私利私欲、我欲に満ちた言動をすることは、法によって裁かれ、人々から厳しく糾弾されるべきである。

「エリート」「特権階級」「上級国民」を自認する人のあるべき本来の姿、上記に挙げた組織や要職の人のうち、「公」のために職務を全うしてくれている人はいったいどなたで、「私」が優先している利己的な人は誰なのか、私たち国民はしっかりと見極めなくてはならない。

それこそ、「公」の視線、立場から、先入観をもたずにフラットな目で!


今回の騒動について、

嫉妬心から
ストレスの解消で
世の中の流れに乗って叩いて楽しむ

そんな気持ちは、全くない。

しかし、相対化して、そろそろ非難するのを止めよという気持ちも、さらさらない。


責任ある人が、それ相応の心構えや覚悟を全く持たず、公共のためでなく私欲のため、共感できず賛同できない動機による言動に対しては、断固抗議し、罪を認めさせ、償わせなくてはいけない。

たとえ法に触れていないものもあったとしても、同義的に許される範疇には、ない。

選挙で一票を投じた都民をないがしろにし、どれほど都税を無駄遣いしたのか。
本来なら返金するべき国民の税金からの政党助成金を、どれだけズルい方法で横領したのか。
都民や日本国民のためではなく、自分自身や家族、朝鮮の同胞のためだけの独裁政治をどのくらい行ってきたのか。

日本で暮らしている大多数の日本人のために。

これからの日本で生きていく次世代の子供たちのために。

間違った方向に進んでいる日本を軌道修正するためにも、「やってはいけないこと」「ズルイことをすれば人々から非難され、罰せられる」という、当たり前の社会の厳しい目に晒される姿を見せることも、大切なこと。

日本にとって大切な要職に就きながら、これほど情けない人間を今まで知らない。
これほど軽蔑し、大嫌いだと思う人間は、いない。


こんなにセコくて卑怯で情けなく、全く共感できない生き方をしている人が、よりによって東京都民による選挙によって当選してしまい、「東京都知事」の地位について好き勝手し放題だったなんて。

投票した都民も、己の見識の無さ、見る目の無さを大いに反省してほしい。

これを許せる人は、舛添氏と同じメンタリティの持ち主か恩恵にあずかっていた同胞しかいないはず。
たとえば、生活保護を不正受給していた芸人のように…orz


気を付けなくてはいけないこともある。

「東京都知事」の人となりや反日的言動などを知り、都知事選のときから反対運動をしていたネット民は冷静だと思うが、テレビ出演による知名度の高さ、自民党公明党の推薦候補だという安心感(?)から、一票を投じてしまい、最近の週刊誌の報道から始まった後追いのマスコミの怒涛の報道により真実に気づいた人たちにとっては、刺激的で驚くべき事実の発覚から、世の中の大切な動き、もっと目を向けなくてはいけない巨大な不正や犯罪から目をそらすことになってしまっていないだろうか。
パナマ文書、2020東京五輪不正誘致事件の裏側にある思惑、陰謀から、目をそらしてはいけない。

また、以前から実態は分かっていても、この時期にスクープさせたフィクサーの存在。
日本にとってよい方向へ導くシナリオだと思いたいが、どうしてこれまで泳がせていたのか。
単なる目くらましのためであれば、そこにも注視しなくてはいけない。

常識的には考えられない、要職につく人のあまりに杜撰であまりに私利私欲に満ち満ちた金銭感覚、言動、私生活などに気を取られ過ぎてしまっていないだろうか。
・・・それも仕方ないほどの最低な人間だと思うが・・・。


責任ある立場の人間、公のために尽くすべく公費で生活を賄われている人は、どんな意識で要職を全うすべきなのか。
わが身を振り返り、これから先の日本のあるべき姿を真剣に今一度、みなで考える大切な時、絶好の機会が今であると思う。

もうすぐ、国や首都東京の方向性を決める国会議員や都知事を決め直す選挙が行われる。
初めて、18歳まで年齢が引き下げられて、未成年の若者も一票を投じることになる。


私たち国民にこそ、今の日本をつくってしまった責任がある。

大切なことに対して、無関心でいることはなかったか。

「不敬」の一言で、しっかり見つめなくてはいけない事実から目をそらしていなかったか。

物事の本質まで迫らずに、深くよく考えることはせずに、雰囲気や空気でものごとの判断をしていなかったか。



一人ひとりの国民が「公」の視線、立場から、先入観をもたずにフラットな目で、大切なことを見極め、考え、そして自分の意見を発信して共有し、議論し合い、よりよい日本を共に創っていくために、「本当の日本人」となりうるために、活動していこう。



  ・・・ ……………………………………………………………………………… ・・・

<個人的な見解ですが・・・おまけ>

舛添要一を大嫌いな10の理由


①本当はほとんどしていない親の介護を美談として選挙に利用した卑怯者 
 (同居して面倒を見ていた長姉夫婦を侮辱、非難して、自分を正当化したズルい奴)

②生活保護を受けている実の姉に、全く金銭的な援助をしなかったセコすぎる薄情者
 (自民党福田内閣・厚生労働大臣時代に、姉の住む自治体から要請されたのにも関わらず!)

③婚外子の子供の認知をせず、障害のある子への養育費も渋った非人間 
 元妻へのDV、利用価値のある創価学会幹部が現妻 結婚も自分の損得のための材料か。

④都知事という要職にありながら、私利私欲にまみれ、卑怯な手口で公費をちょろまかし私腹を肥やした史上最低の情けない男。
 非公開で人気の美術鑑賞視察を公務として、し放題。保育園、保育所などの視察は一切なし。
 公費で盆正月に家族旅行、食事、別荘通い、金魚のえさまで。贅沢海外旅行三昧。

 「私」 現在の家族 >>>>>>>>|ゼッタイに超えられない壁|>「公」 愛人 婚外子 

⑤東大卒業、留学の学歴自慢  自分をエライと思っている滑稽な人間  
  狭量で、人として最低な器が小さいみっともない男

⑥詭弁、言い負かし、口達者、ウソをついても誤魔化す。
  時間を稼いで凌げばなんとかなると思っている浅はかさ、
  そして絶対に謝らない、プライドだけは高い、最低最悪なチンケな男

⑦政治家や知事を目指すのも、人の上に立ち威張りたいだけ 総理大臣に対しても不遜な態度
 「公」のためにつくそうなどと云う気持ちは一切ない、見栄っ張りで傲慢な男
 自民党が政権から離れ苦しい時にさっさと出ていった、薄情で不義でサイテーな人間

⑧日本人の矜持がない 反日売国奴。
 韓国由来の「おもてなしボランティア制服」の超絶なダサさ。
 韓国愛のため都心一等地も無償で差し出し、正当な反論が多数寄せられても屁の河童 
 日本人ではないから仕方ないが…

⑨他人に厳しく、自分に甘い、甘すぎる。品性のかけらもない。
 この期に及んで逃げ回るのも、ボーナスがほしいから? 
 こんな最低ダメ男は、簡単に許してはいけない。反面教師として長く語り継がれる対象物件。 

⑩卑しい顔が嫌い。生理的に大嫌い。若い頃からイヤ。男の人生は、顔に顕われる。



Posted at 2016/05/23 06:55:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 斯くあるべき | 日記
2016年05月22日 イイね!

【秋篠宮御一家】悠仁さま、運動会。紀子さま、眞子さまがご声援♪

 【秋篠宮御一家】悠仁さま、運動会。紀子さま、眞子さまがご声援♪悠仁さま、運動会のリレーにご出場 紀子さま、眞子さまがご声援
産経ニュース
2016.5.21

 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは21日午前、東京都文京区のお茶の水女子大付属小学校で行われた運動会に参加された。

 4年生の悠仁さまは、学年を緑組、赤組、黄組に分け、4人一組で竹の棒を持って走るリレー形式の「台風の目でるかなでるかな」という競技にご出場。黄組の2番目で登場し、真剣な表情で駆け抜け、トップで棒を渡された。

 保護者席では、秋篠宮妃紀子さまと長女の眞子さまが観戦し、悠仁さまが走られる姿に拍手を送られた。黄組は最後に緑組に抜かれ、赤組と同着で2位だった。悠仁さまはボールを投げてかごに入れる「ボールキャッチ」にもご参加。午後にも「大玉おくり」などに出られるという。



お茶の水女子大付属小の運動会に出場された悠仁さま=21日午前、東京都文京区(代表撮影)


お茶の水女子大付属小の運動会で、悠仁さまを応援される秋篠宮妃紀子さまと姉の眞子さま=21日午前、東京都文京区(代表撮影)


日テレNEWS24



悠仁さま 小学校の運動会に参加 NHK‎


………………………………………………………………………………………・・

ここで、悠仁さまの懐かしいワンシーンを、お写真とイラストで振り返ってみましょう。





懐かしい、昭和天皇御一家の皆さま。

昭和天皇のすぐおそばには、いつも礼宮さまが。
皇后陛下も、紀宮さまを大変可愛がっていらっしゃいました。





………………………………………………………………………………………・・



昨日は、豚児たちが通う小学校も運動会でした。
上の息子は、悠仁さまと同学年です。

「運動会と云えば秋」だと思っている自分も、春の運動会にそろそろ慣れてきました。

ここ3年間は、曇り空のため、風が冷たく肌寒く感じる天候が続いていましたが、今年は快晴で陽射しが強く照り、降り注ぐ紫外線が痛く感じるほどの好天でした。


競技に応援に、最後まで力いっぱい頑張った息子たちと、母。(PTA種目の学年対抗綱引きに2学年とも勝ち続け、決勝まで5回続けて出場w) 
昔ながらの伝統で、家族は町内会ごとテントで応援するので、主人はテントの設置と撤収、しかし徒競争を見た後は、農作業でした。

友達と笑顔で応援する姿や一生懸命走る姿に、喜びと安堵の気持ちで見守ることができた素敵な一日でした。


心も身体も健やかに成長していることに感謝しつつ、どうか日本中の子供たちが安心して元気で暮らせる国でありますようにと・・・。



帰宅しては冷たい飲み物を飲んで着替えをして、涼しい場所で久しぶりにみんなでお昼寝しちゃいました。



お弁当です♪ リクエストの太巻きと唐揚げをたくさん作りました(つω`*)

Posted at 2016/05/22 05:57:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 皇室 | 日記
2016年05月18日 イイね!

【日本の誇り】お帰りなさいませ、秋篠宮両殿下【イタリア公式訪問】

【日本の誇り】お帰りなさいませ、秋篠宮両殿下【イタリア公式訪問】秋篠宮ご夫妻、イタリアからご帰国
産経ニュース
2016.5.17

日本とイタリアの国交樹立150周年を記念する行事などに出席するため、イタリアを訪問していた秋篠宮ご夫妻は17日、羽田空港着の民間機で帰国された。

 ご夫妻は、現地時間の10日夜にローマにご到着。11日にはイタリアのマッタレッラ大統領を表敬し、大統領府での国交150周年の祝賀式典に出席された。

 12日にはバチカンに足を運び、ローマ法王フランシスコともご会見。共通の関心事である環境問題や平和問題などについて意見を交わされた。

 滞在最終日の16日はローマ日本人学校を訪れ、同校や地元の公立小学校の児童、生徒らと交流された。




秋篠宮ご夫妻 イタリアへ出発



Qirinale, Mattarella riceve il Principe Akishino



秋篠宮ご夫妻がイタリア訪問 式典に出席 - 日テレNEWS24



秋篠宮ご夫妻 コロッセオのライトアップ点灯式に出席



RIVV 秋篠宮ご夫妻 ローマ法王を表敬訪



NNN (皇室)秋篠宮ご夫妻 ローマ法王を表敬訪問



The Pope meets with the Prince and Princess of Japan



秋篠宮ご夫妻 ローマの学生と交流



秋篠宮ご夫妻 イタリア フィレンツェを訪問



秋篠宮ご夫妻、システィーナ礼拝堂を訪問 - 日テレNEWS24





【海外の反応】「両殿下に会いたい!」 秋篠宮両殿下のご訪問に沸くイタリアの人々!!




秋篠宮家画像収集ブログ様 より、画像をお借りしています。




どこにいらしても、穏やかで上品な佇まい、そして素敵な笑顔。

現地にいる日本人の皆さんも、さぞかし我が国の皇室、皇族を誇りに思ったことでしょう!
現地のイタリア人の皆さんも、日本人と日本について、好印象をもったことは間違いないでしょう!

素晴らしい国際親善。
上品で知的な、この上ない日本国のアピール。
両国の友好の懸け橋として最適で最上の素晴らしいお方。


秋篠宮両殿下の心のこもった御訪問に心から感謝し、誇りに思います。


ご無事のご帰国、安堵いたしました。

悠仁さまとゆっくりとお話しになられて、ごゆっくりと休養され、少しでもお疲れを癒せますように・・・





扇子、センスいいね。 涼しいね(^-^;)

東京五輪のエンブレムも、こんなシンプルな感じがよかったなあ~。


Posted at 2016/05/18 08:43:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 皇室 | 日記

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