
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」など宇宙や冒険をテーマにした壮大なSF作品や、「ザ・コックピットシリーズ」など戦争や友情をテーマにしたアニメ作品などで知られる、漫画家の松本零士先生(享年85歳)が今月13日、宇宙へ旅立たれました。
心からご冥福をお祈りいたします。
拙ブログで、松本零士先生の「男のロマン」について、
以前、取り上げさせていただいきました。
再生できなくなっていたYouTube動画を貼り直し、
改めて、大好きだった松本先生の作品に触れ、
子ども時代に松本作品から受けた感銘や影響について思いを巡らせていました。
「宇宙戦艦ヤマト」との、衝撃的な出会い。
テレビ放送の途中で、家の隣の川が護岸工事でせき止められて床上浸水してしまったこと、
小学校の音楽コンクールで、鍵盤ハーモニカで編曲して伴奏した主題歌をクラスのみんなで歌ったこと、
テレビアニメや映画「ヤマト」や「999」の主題歌を歌った、ささきいさおさんの歌声とゴダイゴの楽曲にしびれたこと。
「ザ・コックピットシリーズ」でSF作品以外の松本先生の想いを知り、
しろにいさんにおしえてもらった「スタンレーの魔女」を読んで慟哭し、
Wikipediaで松本零士先生のご両親の逸話を知り、感銘を受けたこと。
昭和に生まれ、松本先生の作品に一期一会の真剣な気持ちで出会えてよかった、
大東亜戦争後の戦争の無い時代に生まれて幸せだった、
この日本を先人の皆さんが護ってくださったことへ感謝しました。
2016年09月20日
男のロマンと松本零士先生。
宇宙戦艦ヤマト OP
【松本零士さん死去】ちばてつやさん「体中の力が抜けていく」
2023年2月20日 18時26分
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など宇宙や冒険をテーマにした壮大なSF作品で知られる漫画家の松本零士さんが今月13日、急性心不全のため亡くなりました。85歳でした。
親交のあった漫画家などから惜しむ声が相次いでいます。
ちばてつやさん「体中の力が抜けていくよ」
松本零士さんと長年親交のあった漫画家のちばてつやさんは、公式ホームページに追悼メッセージを掲載しました。
(メッセージ全文)
「松本零士さんが高校を卒業して北九州の小倉から上京したばかりのツメエリ姿、当時19歳の彼と出会って60年以上が経ちました。ワシもデビューした翌年の18歳。同じマンガ家の卵、トシが近いせいもあって意気投合、本郷三丁目にあった西陽差し込む4畳半の彼の下宿にはよく遊びに行ったものです。二人ともまだ稼ぎも少なく満足に食べられなくてね。松本さんはよく『座布団のようなビフテキを食べたい!』なんて言いながらマンガを描いていました。二人そろって締め切りに追われ、同じ旅館にカンヅメにされて一緒に机を並べて仕事をしたものです。当時からワシは遅筆だったので、先に原稿を終わらせた彼に手伝ってもらうこともありました。忙しい盛りの40歳の頃に、一緒に世界旅行にも行きました。その時に訪れたアマゾン川やマチュピチュの遺跡などはいちばんの思い出です。海外で体調を崩し、中々調子が戻らないとは聞いていて、ずっと心配していたのですがまさか…言葉もありません。ここ数年、親しいマンガ家仲間が次々と旅立って淋しい思いをしていたのに、君も逝ってしまったのか。もう…体中の力が抜けていくよ」
声優 野沢雅子さん「楽しい旅を続けてください」
アニメ「銀河鉄道999」で主人公・星野鉄郎の声を演じた声優の野沢雅子さんは「松本先生とは銀河鉄道999の全国縦断イベントで本当にいろいろなところにご一緒させて頂きました。気さくでお話が上手、山口では車掌さんの制服を着てとても喜んでいらっしゃったお姿を昨日のことのように思い出します。劇場版を録る時にはスタジオにいらして下さって、いいですね~と仰って下さるので私たちもとても演りやすくて・・優しい方でした。お会いするといつも『そのうち999で何かやりましょうね』と仰られていて、またご一緒出来るのを楽しみにしていたのですが、叶わなくなってしまい寂しい気持ちでいっぱいです。既に車掌さんが999号で待ってると思いますので、どうか一緒に楽しい旅を続けてください」とコメントを出しました。
声優 池田昌子さん「私の一生の宝物」
アニメ「銀河鉄道999」でメーテルの声を演じた声優の池田昌子さんは「あまりにも突然のことで何と言っていいものか、言葉が出てまいりません。松本先生にはただただ感謝を申し上げるしかありません。先生と一緒に旅ができたことは私の一生の宝物です。出来ることならもう一度お会いしたかった。心よりお悔やみを申し上げます」とコメントを出しました。
歌手 ささきいさおさん「作品の心を大切に歌っていく」
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などのテレビアニメで主題歌を歌った歌手のささきいさおさんは、松本零士さんが亡くなったことを受けてコメントを出し、「果てしない夢をいだきながら、宇宙に旅立たれたことと思います。ご存命中は、色々とご指導いただき、有難うございました。これからも作品の心を大切に歌っていきます」などと死を悼んでいました。
漫画家 里中満智子さん「大きな柱の1本でした」
松本零士さんと長年親交があった漫画家の里中満智子さんは「漫画家にとって大切なことを形で示してくれた大きな柱の1本でした」と語りました。
里中さんは中学生のころから松本さんの作品を読んでいたということで、「私がこの道に進もうというきっかけのひとつでした。すばらしい作品のひとつひとつが自分を育ててくれました。改めて、ありがとうございましたと伝えたいです」と振り返りました。
そして、里中さんは「漫画家は、自分だけのものを描かなければいけないと強く意識することが大切で松本先生はそれを形で示してくれた本当に大きな柱の1本でした。松本先生自身がすごくロマンチストで、夢みる少年みたいな感じで、それがそのままキャラクターに反映されていました。国境や民族を超えて感じるロマンみたいなものでだからこそ色あせないし、これからも廃れないと思います」と話していました。
そして、「松本先生の作品をどう生かしていくのか、どう残していくのかは、私たち世界全体の使命だと思うので、きっちりと守っていきたいと思っています」と話していました。
元宇宙飛行士 山崎直子さん「これからも見守ってください」
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など、松本零士さんの作品が最初に宇宙に興味をもつきっかけとなったという元宇宙飛行士の山崎直子さんはNHKの取材に対し、「とても残念で、悲しい気持ちでいっぱいです。松本さんはいつも未来の少年少女への教育に力をいれておられた。私もその遺志を引き継いで次世代につなげていきたいと思う。宇宙に帰られた松本さんに祈りをささげたい。これからも宇宙から私たちを見守ってください」と話していました。
<中略>
「人は生きるために生れて来るのだ」
松本零士さんは2019年に、旧陸軍の大刀洗飛行場の跡地の近くにある福岡県筑前町の大刀洗平和記念館で講演を行いました。
松本零士さんの父親は、福岡県にあった旧陸軍の大刀洗飛行場でパイロットとして勤務していました。
父親は、のちにフィリピンの戦線に派遣。
教育隊長として若者を特攻に送り出しました。
そして、終戦の2年後、生きて帰国しました。
松本さんは、2019年に大刀洗平和記念館で行った講演で「終戦後、父は、『あんたはなぜ生きて帰れて、部下だったせがれを連れて帰ってこなかったんだ』といろいろな人に言われ、父は深々と頭を下げて『すまん』と言っていた。くどいくらい言われたのは、もうこのような戦いを二度とやってはダメなのだということ。なぜこんなに多くの人が死んだのかと、さんざん聞かされました」と話していました。
そして、父親が語ったという「人は死ぬために生れて来るのではない。生きるために生れて来るのだ」という直筆のメッセージを寄贈しました。
松本さんが講演した当時のことについて、大刀洗平和記念館の岩下定徳事務長は「人柄は非常に穏やかな方でした。講演会では自分の生い立ちや特に平和や戦争に対する気持ちをとうとうと語られていて、非常に強い思いがあると感じました」と振り返りました。
そのうえで、「寄贈されたメッセージにあるような思いを発信し続けたかったのだろうと思います。今後は私たちがその思いを語り継いでいかないといけない」と話していました。
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【訃報・松本零士の功績】宇宙戦艦ヤマトがあらゆるアニメの中で僕は一番好きなんです【銀河鉄道999】【岡田斗司夫/切り抜き】【訃報】
彼がいなければ今日のアニメ文化は存在しなかった【追悼 松本零士先生】【銀河鉄道999 宇宙戦艦ヤマト】【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパスおじさん】
日本の伝説的な漫画家、松本零士さん死去 85歳
BBCニュース
2023年2月21日
日本の伝説的な漫画家でアニメ製作者の松本零士さんが亡くなった。85歳だった。事務所の零時社が20日、発表した。
零時社によると、松本さんは2月13日に都内の病院で亡くなった。東映によると、死因は急性心不全だった。
「銀河鉄道999」、「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」、「クイーン・エメラルダス」、「宇宙戦艦ヤマト」など、壮大なSF大作で知られた。反戦をテーマにした情感豊かな物語を多く描いた。
松本さんの娘で零時社代表取締役の松本摩紀子さんは、松本さんが「星の海に旅立ちました」と発表し、「漫画家として物語を描き続けることに思いを馳せ駆け抜けた幸せな人生だったと思います」と書いた。
松本さんの本名は、松本晟(まつもと・あきら)。1938年に福岡県久留米市に生まれ、15歳で投稿作「蜜蜂の冒険」によって雑誌デビューした。高校を卒業すると上京し、漫画家の道を突き進んだ。
1961年には少女漫画の草分け的存在だった牧美也子さんと結婚。夫婦の合作も複数発表した。当初のペンネームは「松本あきら」だったが、1960年代後半から「松本零士」を使うようになった。
四畳半の下宿に住む貧しい若者たちを描いた「男おいどん」が1971年から連載され、初の大ヒット作となる。「男おいどん」は、1972年の講談社出版文化賞児童漫画部門賞を受賞した。
地球を滅亡から救うための戦いを描いた「宇宙戦艦ヤマト」、無法者とされる宇宙海賊が異星人の侵略と戦う「キャプテン・ハーロック」、命の意味などを描いた「銀河鉄道999」など、複数の作品がアニメ化され、大ヒットした。
第2次世界大戦の終戦時に7歳だった松本さんは、150以上の作品で戦争の悲劇を描いた。後に松本さんは、帝国陸軍航空部隊のパイロットだった父親から、戦争は「未来を破壊する」から絶対にあってはならないのだと教えられたことを、作品への影響として話している。
松本作品の多くを英訳したアメリカの作家ザック・デイヴィソンさんは、「世界は圧倒的な巨人を失った」とツイッターで書いた。
デイヴィソンさんはさらに、松本作品のアニメは、幼い少年や青年が感情を揺さぶられる様子を描いており、男の子は勇敢なだけでなく、悲しんで泣いてもいいのだという描写が、子供の自分には衝撃だったとも書いた。「宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999は、みぞおちを殴られたような衝撃だった。人が……死ぬんだ。人が……泣いて。人が……恋に落ちる」。
「松本作品にはとてつもない悲しみが、ほかでは見当たらない壮大さがあった。神話的であると同じくらい未来的な、強力なビジュアルに包まれて」とも、デイヴィソンさんは書いた。
フランスの電子音楽デュオ、ダフト・パンクは松本作品のファンで、2000年発表の「ワン・モア・タイム」など楽曲用のミュージックビデオ制作をいくつか依頼している。
ダフト・パンクのトーマ・バンガルテルさんとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストさんは、松本さんは自分たちの子供時代のヒーローだったと話している。
2005年にはアルバム「ディスカバリー」の曲をフィーチャーしたアニメ映画「インスターステラ5555」を、松本さんと一緒に作った。太陽系外の惑星を舞台に、4人組のロックバンドを描いた物語で、日本のオンライン雑誌ペンは、「公開前からすでにカルト的ヒット作だった」と評した。
1999年には、福井県敦賀市の駅前通りに「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」を題材とした複数のブロンズ製モニュメントが設置された。
松本さんは2010年に旭日小綬章を受賞。2012年には、フランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエを叙勲されている。
今なお絶大な人気を得ている松本作品は、数々のリメイクやスピンオフ作品を生み続け、何世代にもわたる漫画・アニメファンに影響を与え続けている。
(英語記事 Leiji Matsumoto, legendary manga creator, dies aged 85)
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松本先生の素晴らしい作品と登場人物に出会って影響を受け、
戦場まんがシリーズで先の戦争での先人の想いに触れられたことに、
心から感謝しています。
「宇宙戦艦ヤマト」を見て育ち、「ザ・コックピットシリーズ」を知った私たちが、この国をこの国のままで次の世代に引き継げるように行動します。
どうか安らかにお眠りください。