実家に帰ってから父親の墓参りに行き、その後は弟の車に乗せてもらい、母親とドライブがてら飯塚市にある嘉穂劇場に行ってみた。
嘉穂劇場は飯塚を中心とした筑豊地方が、かつて炭鉱で栄えていた時代に建てられた劇場で(昭和6年~)、その後は石炭産業の衰退により年間興業数はかなり落ち込んでいたが、平成15年の大水害による被害をきっかけとした芸能人の呼びかけ支援もあって、以来、復活を遂げているそうだ
福岡で炭鉱というと筑豊のイメージが強いが、私の実家の近くにも炭鉱があって、今やマンションが立ち並ぶこの辺りはかつてはボタ山だったところである。
私の祖父は一代限りであったが、1台のトラックで運送屋をやっていて、石炭を貨車に積み下ろしたり、いろんな所へ運んでいたりした。
当時はスコップでの積み下ろしだったが、大変な重労働だったはずである。
小学校に入る前はボンネットトラックの助手席に乗って、佐賀や熊本とかに一緒に行っていた覚えがある。
私のドライブ好きはこれが原体験になっているのだろう。
実家から東に向かって一時間程度走り、飯塚に到着。
道に平行して流れるは遠賀川。
劇場の正面には公演予定のポスターがいろいろ掛けられていたが、一番目を引いたのは喜多郎のそれであった。
学生時代にNHKでシルクロードというドキュメンタリー番組が放送されていたが、その主題曲に使われていたのが喜多郎の絲綢之路 というシンセサイザー演奏の曲であった。
当時、ロマンと幻想に溢れたこの曲がとても好きで、レコードを買い何度も聴いた。
それ以来、喜多郎の名は耳にした記憶がほとんどなかったが、調べてみると以後は世界を舞台に活躍されているようで、前述の水害を機に嘉穂劇場でコンサートを開くようになったとのこと。
思いがけない場所での再会となった。

嘉穂劇場については芝居小屋のイメージしかなかったが、実際に中に入ってみると思った以上に大きく立派で、1,2階席を合わせると1200名のキャパがあり、中に柱が無いことが特長となっている。

花道横の座席の木枠はちょっと立派。
照明飾りも凝っている。

舞台に上がり、左奥にある奈落への階段を降りて行くと、
そこには回り舞台の駆動部があった。
これを人力で回しているとのことで、写真にはないがせりの上下も人力によるものであった。
劇場の廊下には当時の公演ポスターが時代毎に並べられていたが、一番馴染みがあるのはこのあたりか。

ポスターやチケットを作るのに、ブロマイド写真が使われていたようだ。
山口百恵も来ていたのか (@_@)

2階席からの眺めは、ちょっとニューシネマパラダイスの世界。

このデカい回り舞台を人力で回すって・・・。

入場料が¥300ということもあって、あまり期待せず気軽に入ったが、満足度はとても高かった。
ここで聴く喜多郎は、きっと素敵なんだろうな。
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museum | 日記
Posted at
2015/10/25 14:53:29