先日福岡に帰省した際に、親の郷里である鹿児島に母親と二人で行って来た。
博多から鹿児島までの移動は新幹線で、さくらに乗車。
鹿児島中央駅までの所要時間は僅か1時間25分と、首都圏の通勤時間並みで、昔の感覚からするととてつもなく早い (@_@)

一番古い記憶では、小学校低学年の時に急行かいもん(以下借り物画像)で行ったことがあるが、調べてみると所要時間は5時間15分とあった。
当時は途中で駅弁を食べたり、昼寝したりして、飽きた頃にようやく到着していたと思うが、それが今ではコーヒーでも飲んで、ちょっとダベったりしているうちに着いてしまう。
で、あっけなく鹿児島に到着 (^◇^)
そこからはレンタカーでの移動。
1200ccクラスで予約していたが、登場したのは日産ノートだった。
ナビの設定にちょっと戸惑ったが、何とか出発。
指宿有料道路を南下し、途中で知覧の武家屋敷に寄ってみた。
案内板によれば、江戸時代の中期に薩摩藩は領地を113の地区に分けて武家集落を造り、武士をそこに分散させて統治したとあり、知覧もその一つとのこと。
屋敷通りを歩いて行くと、どこも石垣の塀が立派で、垣根もとてもきれいに剪定されている。
一気に攻め込まれることのないよう、門と家屋との間には塀が二重、三重に設置されている。



こちらは古民家を利用した休憩所や土産物店である。

この近くには知覧特攻平和記念館もあり、見ておきたかったが、時間の関係で先に進むこととした。
そして、ようやく到着。
向かった先は、今春にリタイヤして埼玉から鹿児島に戻った従妹夫婦の家。

ケル君がお出迎え。
「今日は遠い所をわざわざお越し頂き、恐縮でごわす。主はもうすぐ出てまいりますので、刀を置いてしばらくそこでお待ち下され。拙者はこれから集会に行かねばならず、残念ながらこれにて失礼つかまつりまつる。」
と、きっと言いたかったのだろう。
この他にも親戚宅を訪問した後、鹿児島市内にある宿泊先の城山観光ホテルに向かう。
当日の天気は曇り時々雨で、ホテルの玄関先から見える桜島もちょっと雲がかかった状態だった。

ホテルのギャラリーで、薩摩切子と呼ばれるガラス工芸品が展示販売されていた。
なかなかのお値段なので、とりあえず写真だけでも。

夜には先程会った従妹夫婦がホテルに来てくれて、一緒に食事となった。
翌朝は、晴れていればご覧のような風景(借り物)が眺望できる露天風呂にゆったりと浸り、昨夜、大量に注入したアルコールを浄化させた。
朝から温泉って、やっぱ、最高だわ!
朝食後にまたもや温泉に浸かり、しばらくまどろんだ後は市内観光に出かけた。
まず、向かった先は銅像作家の作品が展示されている美術館で、隣にはアトリエが併設されていた。
この美術館には各地に奉納、建立されている銅像と、同じものが展示されているようだ。
釈迦十大弟子の像で、奈良の薬師寺に奉納されているとのこと。

ミゼーレという教会音楽をモチーフにした作品群。

戦死した兵士の鎮魂として作られた作品。
奥の日の丸は、作者の中村氏が出征の際に実際に贈られたもので、寄せ書きが記されていた。
大久保利通像で、鹿児島中央駅の近くに建てられている。
次に向かった先は、軍艦島などと共に世界遺産に登録された場所で、まずはこちらの尚古集成館。
幕末に、薩摩藩主島津斉彬がここに東洋最大の工場群「集成館」を築き、製鉄、大砲、造船、紡績、薩摩切子などの研究、製造を行っていたそうである。
鎖国前には海外と直接の交流があり、鎖国後も琉球を通しての貿易を行っていたが、海外の情報に触れる中、欧米列強の植民地化を恐れていち早く強く豊かな国づくりを目指したとのこと。
尚古集成館は、その集成館事業を語り継ぐための博物館である。
内部は撮影禁止のため、右側写真は尚古集成館HPより借用。

そして、尚古集成館の近くにあるのが、こちらの異人館である。
当時、日本初の洋式紡績所を作った際に、その技術指導を受けるために招いたイギリス人技師の宿舎として建てられたそうである。

この頃にはようやく晴れ間も見え始め、桜島もようやく全景を見ることができた。
この後は鹿児島中央駅に戻り、一路、福岡へと向かった。

考えてみると、母親と二人だけで旅行したのは初めてであったが、良き思い出となった。
Posted at 2015/08/01 17:39:16 | |
トラックバック(0) |
ドライブ日記 | 日記