2017年03月12日
別に想い出シリーズにするつもりはなかったが、前回のブログを書いている時に思い出したことがあったので。
大学を卒業したのはかれこれ三十数年前のこと。
卒論の締め切り近くになると研究室のメンバーと共に何日も徹夜を重ね、ようやく完成したと安堵する間もなくその後は学科内での発表準備に追われ、それも何とか無事に終わることができた。
単に自分の怠慢が原因ではあるが、再試などに苦しめられた5年間ともこれでおさらばできると思うと、晴々した気持ちになった。
後は卒業式を迎えるのみだ。
そして式の当日は就職試験以来となるスーツを着て会場の市内体育館へと向かい、友人達との別れを惜しんだ。
式が終わった後の予定は、一旦、実家に寄った後にそのままその日の夜の北九州発東京行きのフェリーで上京することにしていたので、あわただしい中残りの荷物をバイクにくくり付け、5年間を過ごした街を後にした。
途中から九州自動車道へと入ったが、フェリーの時間までそれほど余裕もなかったこともあって、CBX400Fのアクセルは開き気味になっていた。
大宰府ICを過ぎた辺りだっただろうか。
実家までもう少しというところでロックオンされ、停止させられることとなった。
済みません、卒業式も終わったばかりで東京行きのフェリーに乗るので急いでいたんですよ!
という泣きが通用するはずもなく、赤切符をありがたく頂くこととなった。
その後は高速を降りて実家に着いたものの時間もあまりなかったので、確か玄関先で親には先程の顛末を伝え、卒業証書を渡した後はそそくさと家を後にしたと思う。
再び高速に入って北上を続け、何とかフェリーには間に合うことができた。
船内で夕食を済ませてしばらくした後は特にやることもなかったので、船内にあったカウンターバーに行って飲んだ覚えがある。
何もこんな人生の節目の日にこんな目に合わんでもと思ったが、自分らしいと言えばそうかも知れん。
ホロ苦い味だったに違いない。
翌々日の早朝にフェリーは東京湾へと入港し、その後は戸惑いながらも都心を抜け、寮のある神奈川へと向けてR246を走った。
そこから社会人としての第一歩がスタートしたが、その後は裁判所に行ったり反則金を払ったり、免停の講習を受けたりと、初任給はそんなことや同期との飲み会などに浪費され消えて行った (^◇^)
Posted at 2017/03/12 14:18:37 | |
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