1975年 (昭和50年)3月。
アマチュア無線局 JI1CZH 開局。
まだ、14歳、中学2年生でした。
その前年、昭和49年度10月期の電話級アマチュア無線技士国家試験に合格し、念願の第一声を大空へと放ったのが、かれこれ、41年前のことです。
無線で、自分のことば(声)を遠くへ飛ばしたい。
遥か遠くの、見知らぬ、まだ出会ったことのない人と交信(会話)をしたい。
それが、小学生の頃の夢でした。
まだ、アマチュア無線が、“King of Hobby”(趣味の王様)と、呼ばれていた頃です。
当時、川崎に住んでいたので、アマチュア無線の免許を取得する前から、秋葉原へは、何度となく足を運び、色々な無線機を目にして、夢を膨らませておりました。
その中でも、憧れの無線機、特別な無線機。
それが、TRIO(現JVC KENWOOD)TS-900Sでした。
アマチュア無線関連の雑誌やカタログを、幾度となく眺めては・・・・・
手に入れることが出来なくても、いい。
触れることが出来なくても、いい。
けれども、一度だけでもいいから、自分の目で、見てみたい。
そんな想いを抱かせてくれる、特別な機械でした。
その頃の秋葉原と言ったら、どこを見ても、電気店ばかり。
アマチュア無線専門の店も十数店、いや、もっともっと、あったでしょうか。
しかし、店頭にTS-900Sは、どこの店でも、展示されておらず、実物を見ることは、一度もありませんでした。
国内で製造・販売されていたアマチュア無線用の無線機としては、確かに、高額な製品でした。
ただ、、海外製の特別な製品というわけでもなく、どこに行っても展示されていないなんて、今、考えてみても、不思議でなりません。
それほど、憧れを抱いていた無線機。
高校に通うようになると、段々と、アマチュア無線への興味が薄れていき、いつの間にか、忘れてしまっていました。
TRIO TS-900S。
いつの間にやら・・・・・やって来て(!?)。
“我楽多館” というものが、“かたち” になる前の、まだ、アタマの中に、イメージさえされていない頃です。
アンテナは無く、電話級の免許しか持っておらず、ただ、自分の部屋の片隅に、置かれているだけの機械。
ある意味、それで、満足だったのかもしれません。
実は、この無線機、送信出力が100Wのため、当時、取得していた電話級(現・第4級)の免許では、運用することが出来ない機械だったのです。
つまり、この無線機で電波を出すためには、上級アマチュア無線免許(第1級/第2級)が、必要なわけで。
そして、ついに、昨年12月期の上級アマチュア無線技士(第2級)国家試験、3回目にして、やっと、合格。
本日、従事者免許証が、届きました。
“41年前の想い”
手に入れることが出来なくても、
触れることが出来なくても、
一度だけでもいいから、自分の目で、見てみたい。
子供の頃に憧れていた無線機、TRIO TS-900Sで、
自分のことばを、
大空に向けて、
電波という翼に乗せて、
飛び出させることが出来るようになりました。
やっと、その時が来ました。
『電話級アマチュア無線技士従事者免許証(郵政大臣 印)』
そして、41年後に取得。
『第2級アマチュア無線技士従事者免許証(総務大臣 印)』
JI1CZH(川崎で免許を受けた1エリア局)は、あえてこのまま、10W出力の昔ながらの “電話級” 免許にしておくつもりです。
JR2XQI(岐阜で免許を受けた2エリア局)は、100W/200W出力(移動しない局)の申請はせずに、10/14MHz帯の追加申請をして、50W出力(移動局)のままにします。
TS-900S等の100W/150W機は、JJ2YOR(少年倶楽部 2エリア/HF帯200W免許)での運用をしようと思っております。
さてと、次は、もちろん ・・・・・ “いっきゅうさん” でしょう!
Posted at 2016/01/21 19:42:17 | |
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