• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

アクティブアスパラのブログ一覧

2024年10月09日 イイね!

懐かしいクルマ達(トヨタ産業技術記念館)

懐かしいクルマ達(トヨタ産業技術記念館)アスパラは時間に余裕がある隠居ですから、社会貢献も多少はしなければと福祉関係のお手伝いをしております。先週木曜日(10月3日)はそのメンバー達と名古屋まで研修に出かけてきました。
まずは本来業務で障害者施設を訪問して、たっぷり福祉のお勉強をさせていただき、その後は社会勉強に移ります。行先は名古屋駅近くの「トヨタ産業技術記念館」です。

ここはトヨタグループの17社(豊田自動織機、トヨタ自動車、愛知製鋼、ジェイテクト・・・)が共同で運営しているそうで、トヨタグループのシンボル的な施設です。元々は豊田自動織機の工場だった場所で、内部は「繊維機械館」と「自動車館」に分かれています。

alt
「産業技術記念館」としては豊田佐吉翁の遺徳を偲んで自動織機をじっくり見てもらいたいとお考えのようです。
しかし団体行動で時間が限られていたので、アスパラは「繊維機械館」をスルーさせていただき、真っ直ぐ「自動車館」に向かいました。

「自動車館」は「各時代を代表するトヨタ車を展示」というコンセプトで、我々爺さん、婆さんの心に響く懐かしいクルマばかりです。

【初代クラウン(1955-62年)】
alt
最初に展示されていたのは初代クラウン。
アスパラがこどもの頃に初めて我が家に来たクルマだったので、とっても懐かしいです。
我が家のクラウンと同じ「スタンダード」なので、フロントガラスの中央に支柱があります。
当時の技術では1枚もののフロントガラスでは高価なため、2枚に分割されているという事情です。

ナンバープレートの上にある小さな穴も懐かしいです。何かというと、トランクにしまってあるクランク棒をここに刺して、手動でエンジンを回せば掛けられるというものです。昔はバッテリーが弱くて、スターターの力でエンジンがかからないなんてことはしばしばでした。そんな時に、うちの母親なんか平然とトランクからクランク棒を出してきて、ここに差込んでゆっくり2~3回転させてから、腰を入れてエイッと引き上げて上手にエンジンを掛けていました。まことに手慣れたものです。

このクルマ、実はラジオは付いていないし、クーラーどころかヒーターさえありません。冬場になると母親が豆炭を起こしてくれて、こども達は炭を入れた「品川あんか」という暖房器具を抱えてクルマに乗っていました。車内で炭を燃やしているのですから、しょっちゅう車酔いもしました。

alt alt
こちらは同じクラウンでも「デラックス」で「スタンダード」とは歴然と差があります。フロントガラスは1枚ものになり中央の支柱はありません。バンパーにも角が生えたり、フォグランプが付いたり、フロントには「TOYOPET」というエンブレムまで追加され装飾が豊富です。タイヤは側面が白のホワイトタイヤで目立ちますが、高級車はホワイトタイヤというある時期までの常識が、いまやすっかり昔話になりました。

リアの後退灯もとってつけたような簡単なものです。

【3代目コロナ(1964-70年)】
alt alt
3代目コロナは大人気のクルマで、懐かしがる仲間が多かったです。
コロナは初代、2代目ともブルーバードの後塵を拝していましたが、3代目で遂に立場を逆転しました。
お洒落でブルジョアになったような気がするし、ちょっと誇らしくなるクルマでした。

【初代カローラ(1966-70年)】
alt
カローラが登場して、クルマというものがぐっと身近なものになりました。
アスパラは大学3年の時(1972年)に、友人の家のカローラで17泊18日の北海道一周をしてきました。(1972年に北海道を一周
若かったですね~。いま見ると、よくこんなクルマでフェリーも使わず北海道までいったものだと感心します。

【初代セリカ(1970-77年)】
alt alt
このクルマは憧れました。
1974年に就職してからすぐに新車に手を出しましたが、憧れていてもセリカには手が届かずに、そのベース車だったカリーナハードトップに落ち着きました。それだって思いっきり背伸びしています。会社に入った頃の我々にとって、セリカはどんなに憧れても手が届かないという存在でした。

【初代ソアラ(1981-86年)】
alt alt
昭和の終わり、バブルが膨らんで行く時期に現われて、大いに心を揺すぶられました。
「クルマも遂に400万円を超える時代になった」と新聞では騒いでいました。

【トヨタ2000GT(1967-70年)】
alt alt
「各時代を代表するトヨタ車を展示」と謳う以上は、このクルマを展示しない訳にはいかないでしょう。

alt alt
2000GTのエンジン(3M)も展示されていました。

展示されているクルマは、私ら世代にちょうどマッチしているので、どんどん引き込まれました。
時間を忘れるほどの内容でした。
次はぜひ念願の「トヨタ博物館」に行ってみましょう。
Posted at 2024/10/09 19:30:59 | コメント(4) | トラックバック(0) | 昔の話 | クルマ
2021年02月07日 イイね!

1972年に北海道を一周

1972年に北海道を一周先日は、「国鉄で日本一周早周り(1970年) 」をアップしましたが、その2年後にはクルマで北海道を一周しました。高校時代のサッカー仲間5人組で、現役合格組が大学3年生、一浪組が2年生だった1972年です。すみません。また半世紀前の話です。

当時の日本は為替がまだ固定相場制で1ドル360円の時代ですから海外旅行なんて考えられず、学生にとっては北海道を回るのが一番大きな夢でした。普通は国鉄の周遊券を買って大きなリュックを背負って行くのですが、我々は無謀にもクルマで回りました。

5人とも免許を取ってまだ2年程度の未熟者で、タイトル写真にあるカローラセダンとスプリンタークーペで17泊18日という途方もない大旅行です。泊るのはユースホステルと国民宿舎ですが、札幌だけはホテルを奢っています。

いや~っ、遠かったです。
当時の北海道はまだ道路が未整備で、特に道東はほとんど未舗装でした。いま写真を見ても、よくぞこのクルマでと思いますが、若かったのでしょう元気もりもりでした。

【本州内】
alt
東北道の岩槻→宇都宮間が開通したのは1972年11月ですから、我々が出かけた8月にはまだ高速道路がありません。仙台までは東北線沿いの国道4号より、トラックが少ない常磐線沿いの国道6号が良いと教えられ、そちらから行きました。
ところが東京を出た途端に、スプリンターがさっそく千葉県警に捕まりました。

【北海道内】
alt
このあと函館に上陸した途端に、今度はカローラセダンが北海道警に捕まります。いずれもスピード違反です。当時は北海道に行ったら、スピード違反で内地の者はほぼ全員が捕まると言われたくらいでした。お灸を据えられた効果はてきめんで、その後はどんなにクルマがいなくても道内は法定速度60km/hをきっちり守りました。1kmを1分のペースになるので、走行距離計が時計代わりになるなんて言っていました。

【行程表】
alt
北海道の地名に馴染みがない方も多いでしょうから、地名にはルビを振りました。
懐かしい地名ばかりです。

タイトル写真は【1日目 盛岡】です。

【2日目 八幡平】
alt

【2日目 十和田湖 発荷峠(はっかとうげ)】
alt

【3日目 函館五稜郭】
alt

【3日目 函館トラピスト修道院】
alt

【3日目 函館山夜景】
alt
青函連絡船華やかなりし頃です。正面手前が連絡船桟橋でしょう。

【5日目 昭和新山】
alt

【5日目 室蘭本線白老付近】
alt
イベントではありません。
現役で蒸気機関車が活躍し、貨物列車を牽いています。

【10日目 宗谷岬】
alt
さいはてまで来たと感慨に浸っています。

【13日目 糠平湖】
alt
左に写り込んでいるのは、マツダのルーチェでしょうか。

【15日目 積丹半島泊村 茂岩】
alt

【16日目 国道5号線】
alt

【18日目 寒風山】
alt

alt
最終日に秋田から鎌倉まで、徹夜覚悟で一気に走ろうとしたのはいささか無茶でした。もう疲れていたのでしょう、新潟で強引に目の前を右折してきたクルマを避けきれず、後部にぶつけてしまいました。事故処理に時間をとられ、帰り着いたのは午前4時でした。

いろいろ想い出が盛りだくさんの旅です。
えりものユースで一人旅の女の子と知り合って、「良かったら乗ってきな」と誘ったので、そこからは楽しい旅行になりました。ところが根室のユースホステルに着いたら、その女の子は事務室に呼ばれ、「知らない男5人のクルマに乗るなんて、危なすぎる」と説教されてしまい、そこで別れました。
なのに礼文島から帰ってきたら桟橋で待っていて、また稚内から旭川まで一緒に行きました。5人の中の一人がすっかり熱を上げて、別れた後の札幌では悶々としていました。帰ってきてから彼女の家を訪ねた奴がいて、出てきた母親に「娘はつい先日結婚しました」と教えられたそうです。
どうやら結婚を前に最後のアバンチュールをしていたようです。
いかにも人畜無害な5人組で、お嬢さんには幸いでした。

Posted at 2021/02/07 20:52:32 | コメント(6) | トラックバック(0) | 昔の話 | クルマ
2021年01月30日 イイね!

国鉄で日本一周早周り(1970年)

国鉄で日本一周早周り(1970年)ブログネタが無くなり、今日は50年前の話です。

先日、nonchanさんが「昭和生まれとしてはこんな出張をしてみたかった、というお話。 」をアップされていますが、昭和26年生まれのアスパラにとって、このブログは大いに刺激あるものでした。

夜行列車の旅に憧れるお話に、夜行列車を乗り継いで1週間旅をした昔の想い出が蘇りました。昭和45年(1970年)のことですからもう50年以上前の話で、新幹線もまだ東京・新大阪間しか走っていない時代です。その代わり夜行列車は百花繚乱、さらに有名列車が各地に走っているという、いま思えば鉄キチにとって夢のような時代でした。

何故1週間も乗り継いだかと言えば、日本一周早周りにチャレンジしたからです。
当時は時刻表愛読者の間で、「日本一周早周り」というものがブームでした。ルールは細かな違いがありましたが、最初に「旅行読売」が企画した内容が主流でした。
私の通った大学(東京理科大)の鉄道研究会もそれに準拠して、次のように決めていました。

1.日本一周とは
東京駅を起点とし、46都道府県庁所在地を通り、東京駅へ帰ってくること。この場合46都道府県庁駅(都道府県庁所在都市の名のつく駅、新横浜、新前橋、新大阪などは認めない)には必ず停車すること。(沖縄返還は1972年5月なので、現在は47都道府県ですが当時は46都道府県でした。)
2.使用交通機関
①全ルート国鉄線列車・国鉄連絡線だけを使うこと。(国鉄バス及び修学旅行列車は除く。季節列車と臨時列車の使用は認める)
②国電を使用する場合、時刻表に時刻が記載されていないときは待ち合わせを10分とし、乗車区間の所要時分は時刻表に掲載されている電車に準ずるものとする。又、中央線快速、阪和線快速など始発駅時刻のみ載っている電車は、所要時分のみを前の要領で計算する。途中駅からこれに乗る場合は、その駅までの所要時間によって途中駅の時刻を決定する。
3.同時発着の場合乗換え不可能とする。

難しいことを言っていますが、最後は熾烈な戦いになるので、ルールはきっちりしておくことが大切です。
当時は時刻表だけが頼りで、各列車ごとの時刻が記載されていない国電は、特別なルールを定めて計算していました。いまなら「ナビタイム」等で各列車の時刻なんかすぐわかりますが、パソコンもスマホも無い時代の話です。

「日本一周早周り」は時刻表マニアの机上のお遊びですが、これを実際にやってみたのです。
この年は大阪万国博が開かれ、国鉄は大量の万博輸送に追われていました。時刻表以外に情報がないが、時刻表なんか大多数の人は使い慣れていません。国鉄はテレホンセンターを用意して、問い合わせに電話で対応していましたが、なにしろ万博輸送という特需で人員がまったく足りず、電話がつながらないと大クレームでした。国鉄の中には知恵者がいて、関東学生鉄道研究会連盟(通称:学鉄連)に協力要請があり、各大学鉄道研究会メンバーが夏休み期間の7,8月に動員されました。
時刻表に精通しているという特殊技能を活かしているというのに時給は一般アルバイト並で、学鉄連幹事が国鉄に交渉した結果、精勤したら1週間の無料パスを褒美にもらうという交渉が成立しました。「1週間の間に行きたいところ」を申告しろと言われたので、日本一周をお願いした次第です。

有効期間は1週間ですが、慌てて作った日本一周プランは6日14時間49分になり、なんとか収まりました。
ただし、1週間ずっと車内に寝泊まりして、風呂に入る時間もありません。時間短縮のため特急は使いまくるし、疲労を考えれば寝台車も使います。
乗車券と急行券は無料パスでOKでしたが、特急券、寝台券は買わなければならず、働いて国鉄からいただいたお金のほとんどを、再び国鉄にお支払いしました。アルバイト代を巻き上げられてしまい、どうやら国鉄の方が一枚上手だったようです。

思い出してはみるものの、なにしろ50年前のことですから記憶が曖昧です。乗った列車も何だったか、ちょっと怪しくなっています。もう一度確認しようと「やふオク」でタイトル画の「交通公社1970年10月号時刻表」を落札しました。いや~、安くは無いですがこういう手段があったのですね。

かなり真剣に再検証した結果、当時のルートを探り出しました。
興味のない方にはご迷惑でしょうが、どうぞご覧ください。

時刻表の索引地図にルートをかき込みました。
alt alt

alt alt

alt alt

乗り継いだ列車リストは
alt

alt

alt

alt

alt

alt

alt
懐かしい列車名が並んで、涙が出てきます

早周りするには、夜行列車を活用することが重要です。
6泊していますが、それぞれルートの中のハイライトです。
 1泊目 青函連絡船1等寝台
 2泊目 特急ゆうづる B寝台
 3泊目 土讃線普通列車グリーン車
 4泊目 急行雲仙B寝台
 5泊目 日豊線普通列車B寝台
 6泊目 急行きたぐにB寝台
いまとなっては味わえない、貴重な体験です。

いま同じルールで日本一周早周りをしたらどれくらいになるのか、実は気にしています。
 ①新幹線網が整備された
 ②連絡船が無くなって、青函トンネル、本四架橋に変わった
ことが、大きな変更点ですが、
 ③夜行列車がほとんど無くなっている
ということも影響は大きそうです。

ルールの解釈も整理する必要がありますね。
日本一周とは
 沖縄が返還されましたが沖縄県にはJRが無いので
 ここは46都道府県のままで勘弁してもらいましょう。
使用交通機関
 国鉄は無くなったので、ここはJR各社になるでしょう。
 第三セクターの扱いが問題ですが、一応NGにすべきでしょう。
 第三セクターを入れて他の私鉄(例えば近鉄)を入れないでのはおかしいですからね。
都道府県庁駅
 ・新青森、新山口、鹿児島中央等ができましたが、これも前例通り認めないでしょう。
 ・埼玉県は浦和市がさいたま市になりましたが、「さいたま」という駅はありません。
  福岡県の「博多」に習って、旧来の「浦和」を採用しましょう。
国電の時刻
 ・いまでは「ナビタイム」等で調べられるので、計算ではなく実際の時刻を使いましょう

ここまで整理しましたが、状況があまりに変わっているので、どこから手をつけたら良いのか当惑しています。

すみません。クルマネタからすっかり離れましたが、鉄ちゃんも多数いらっしゃるでしょうから、どうぞ大目に見て下さい。
ステイホームの時間つぶしには、時刻表趣味なんかとても良さそうです。
Posted at 2021/01/30 13:04:49 | コメント(4) | トラックバック(0) | 昔の話 | クルマ
2017年07月06日 イイね!

昭和32年のバス遠足

昭和32年のバス遠足妹が、家に残っていた写真を整理しデジタル化しました。世の中便利になりましたね~。
アルバムはかさばって置場に困りますが、デジタル化すれば家の中の整理ができます。
理屈はそうですが、妹はデジタル化を済ませたアルバムも捨て難くて、まだとってあるとのことです。う~ん、何のためのデジタル投資かと首を傾げますが、わかる気もします。

折角だからと私にもコピーさせてくれました。
お陰で懐かしい写真と対面しています。
おそらく昭和32年(1957年)で、私が幼稚園、右の兄貴が小学3年生でしょう。親父が働く会社の日帰りバス旅行に、川崎から江ノ島へ出かけています。職場の慰安旅行に連れて行くことが、最大の家族サービスでした。因みに私と兄貴の洋服は、この日のためにお袋が手作りしています。こどもの洋服を買うということは、当時はほとんどありませんでした。
左に写っているサングラスは、バスの運転手さん。こどもにとって、バスの運転手さんは飛び抜けたヒーローです。


うれしくって、バスの前で記念写真を撮っています。
いまや懐かしのボンネットバスです。精悍な顔をしているではないですか。


駐車場に並ぶバス
リアエンジンバスが登場して、ボンネットバスが駆逐され始めた頃です。まだボンネットバスとリアエンジンバスが半々位でしょうか。
こども心に、自分の乗るバスが最新のリアエンジンで無いのが残念で、よそのリアエンジンバスの前で写真を撮ってもらいました。

60年前ですから、我が家はやっと電気炊飯器を買って、親戚からお古の洗濯機(脱水は手回しのローラー)をいただいた頃で、テレビも電話もありませんでした。日本中まだまだ貧しかったですが、夢と希望は溢れていました。
Posted at 2017/07/06 12:13:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | 昔の話 | クルマ
2015年08月06日 イイね!

なんとなく、クリスタル

なんとなく、クリスタル先日、何気に新聞の書評に目がとまりました。田中康夫の「33年後のなんとなく、クリスタル」。久しぶりに田中康夫が書いた小説です。元々の「なんとなく、クリスタル」は80年代の風俗をちりばめた小説として、つとに有名なのですが、私はその名前とブームだけしか知らず、小説そのものは、まだ読んでいませんでした。

最近は、目がかすんで小さな活字が読みづらく、Kindleに乗り換えて文字を大きくして読書していますが、これがたいへん便利で助かっています。さらにKindleで購入すると、同じ本をiPhoneでも、iPadでも、家のパソコンでも、会社のパソコンでも読むことができ、機種を買えても前に読んでいた頁に移動して、そのまま続きが読めると、ウソみたいに便利な時代になりました。

そこで、元々の「なんとなく、クリスタル」を読んでみたいと探してみると、ちゃんとKindleにあります。さっそく購入、ダウンロードして読み始めましたが、いや~懐かしいというか、肌感覚が合うというか、すっかりはまり込んでしまいました。

この小説の特徴は、仲間内でしか通用しない用語がちりばめられながら話が進むのですが、その用語をくどくどと隣の頁で解説するという形です。ところが読み始めると、用語解説など見ないでも、本文の話しについて行けるどころか中に引き込まれ、80年代がどんどんよみがえります。本文を読み終わってから、今度はくどくど偏見に満ちて書かれている用語の解説を、ひとつひとつ頷きながら楽しむことができました。

ものがあふれて、みんながハイテンションだった80年代。懐かしい時代です。

追伸
 それに引き換え「33年後のなんとなく、クリスタル」は、ほとんどおもしろくありません。
Posted at 2015/08/06 22:41:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 昔の話 | 日記

プロフィール

「@福六 さん、やっぱり先を越されてしまいました~!宿とお風呂とお料理の詳細な報告を、よろしくお願いしま~す。」
何シテル?   11/05 19:18
アクティブアスパラです。 42年間の会社勤めを終えて、いまや隠居生活です。体が動くうちにしっかり遊んでおかなければと、テニス、スポーツジム、写真にと毎日大忙し...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234 567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

昔は10円玉を何枚も用意して彼女の家に電話していたもんじゃ。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/11/29 13:14:00
ライダーの苦悩 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/12/19 09:37:57
いやだわ、何でこんなに混んでるのかしら?お前らのせいだよ(怒) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/12/12 13:21:15

愛車一覧

BMW アクティブハイブリッド 3 AH3 (BMW アクティブハイブリッド 3)
2014年9月26日大安吉日に納車されて以来、5年が経過しました。 6気筒とハイブリッ ...
トヨタ ヴィッツ ピースケ (トヨタ ヴィッツ)
通勤用に購入して、退職後はもっぱら町内を走るだけ。稼働日数は多いが、距離はちっとも伸びま ...
トヨタ アリスト (チカラ)アリスケ (トヨタ アリスト)
トヨタ アリストには14年18万5千キロ乗りました。49歳~63歳でしたが、思い出深く充 ...
ローバー 200シリーズ ハッチバック ローバー200 (ローバー 200シリーズ ハッチバック)
長く続いた名古屋、東京勤務から解放され97年に沼津に戻りましたが、既にアスパラ奥様はクル ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation