
アスパラは時間に余裕がある隠居ですから、社会貢献も多少はしなければと福祉関係のお手伝いをしております。先週木曜日(10月3日)はそのメンバー達と名古屋まで研修に出かけてきました。
まずは本来業務で障害者施設を訪問して、たっぷり福祉のお勉強をさせていただき、その後は社会勉強に移ります。行先は名古屋駅近くの「トヨタ産業技術記念館」です。
ここはトヨタグループの17社(豊田自動織機、トヨタ自動車、愛知製鋼、ジェイテクト・・・)が共同で運営しているそうで、トヨタグループのシンボル的な施設です。元々は豊田自動織機の工場だった場所で、内部は「繊維機械館」と「自動車館」に分かれています。

「産業技術記念館」としては豊田佐吉翁の遺徳を偲んで自動織機をじっくり見てもらいたいとお考えのようです。
しかし団体行動で時間が限られていたので、アスパラは「繊維機械館」をスルーさせていただき、真っ直ぐ「自動車館」に向かいました。
「自動車館」は「各時代を代表するトヨタ車を展示」というコンセプトで、我々爺さん、婆さんの心に響く懐かしいクルマばかりです。
【初代クラウン(1955-62年)】

最初に展示されていたのは初代クラウン。
アスパラがこどもの頃に初めて我が家に来たクルマだったので、とっても懐かしいです。
我が家のクラウンと同じ「スタンダード」なので、フロントガラスの中央に支柱があります。
当時の技術では1枚もののフロントガラスでは高価なため、2枚に分割されているという事情です。
ナンバープレートの上にある小さな穴も懐かしいです。何かというと、トランクにしまってあるクランク棒をここに刺して、手動でエンジンを回せば掛けられるというものです。昔はバッテリーが弱くて、スターターの力でエンジンがかからないなんてことはしばしばでした。そんな時に、うちの母親なんか平然とトランクからクランク棒を出してきて、ここに差込んでゆっくり2~3回転させてから、腰を入れてエイッと引き上げて上手にエンジンを掛けていました。まことに手慣れたものです。
このクルマ、実はラジオは付いていないし、クーラーどころかヒーターさえありません。冬場になると母親が豆炭を起こしてくれて、こども達は炭を入れた「品川あんか」という暖房器具を抱えてクルマに乗っていました。車内で炭を燃やしているのですから、しょっちゅう車酔いもしました。

こちらは同じクラウンでも「デラックス」で「スタンダード」とは歴然と差があります。フロントガラスは1枚ものになり中央の支柱はありません。バンパーにも角が生えたり、フォグランプが付いたり、フロントには「TOYOPET」というエンブレムまで追加され装飾が豊富です。タイヤは側面が白のホワイトタイヤで目立ちますが、高級車はホワイトタイヤというある時期までの常識が、いまやすっかり昔話になりました。
リアの後退灯もとってつけたような簡単なものです。
【3代目コロナ(1964-70年)】

3代目コロナは大人気のクルマで、懐かしがる仲間が多かったです。
コロナは初代、2代目ともブルーバードの後塵を拝していましたが、3代目で遂に立場を逆転しました。
お洒落でブルジョアになったような気がするし、ちょっと誇らしくなるクルマでした。
【初代カローラ(1966-70年)】

カローラが登場して、クルマというものがぐっと身近なものになりました。
アスパラは大学3年の時(1972年)に、友人の家のカローラで17泊18日の北海道一周をしてきました。(
1972年に北海道を一周 )
若かったですね~。いま見ると、よくこんなクルマでフェリーも使わず北海道までいったものだと感心します。
【初代セリカ(1970-77年)】

このクルマは憧れました。
1974年に就職してからすぐに新車に手を出しましたが、憧れていてもセリカには手が届かずに、そのベース車だったカリーナハードトップに落ち着きました。それだって思いっきり背伸びしています。会社に入った頃の我々にとって、セリカはどんなに憧れても手が届かないという存在でした。
【初代ソアラ(1981-86年)】

昭和の終わり、バブルが膨らんで行く時期に現われて、大いに心を揺すぶられました。
「クルマも遂に400万円を超える時代になった」と新聞では騒いでいました。
【トヨタ2000GT(1967-70年)】

「各時代を代表するトヨタ車を展示」と謳う以上は、このクルマを展示しない訳にはいかないでしょう。

2000GTのエンジン(3M)も展示されていました。
展示されているクルマは、私ら世代にちょうどマッチしているので、どんどん引き込まれました。
時間を忘れるほどの内容でした。
次はぜひ念願の「トヨタ博物館」に行ってみましょう。
Posted at 2024/10/09 19:30:59 | |
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