先日、「
日産追浜工場の想い出 」をアップしましたが、アスパラには思い出深くても50年以上前の話ですから、いまの若い方々には当時の時代背景は伝わらなかった気がします。
追浜工場で生産した新車を陸送していくという話ですが、その行先に横須賀駅があることに首を傾げられる方もいらしたでしょう。昭和の末期には鉄道による新車輸送が盛んに行われており、横須賀線横須賀駅も輸送基地の一つになっていました。
鉄道による新車輸送はその後すっかり廃れてしまい、アスパラの記憶も怪しいので、今回あらためてネットでいろいろ調べてみました。
1960年代には衰退して行く国鉄の貨物輸送を立て直すために拠点間輸送を指向して、その中で自動車メーカーで生産された新車を鉄道で各消費地へ輸送するというビジネスに大きな期待が生まれました。試行錯誤を経た後、1966年10月から本格的に自動車輸送が始まりました。開始時点では9ヶ所(籠原、大宮操、東小金井、川崎河岸、横須賀、厚木、笠寺、百済、川西池田)の輸送基地が用意され、その中に日産追浜近在の横須賀駅もありました。いずれの輸送基地もメーカー工場の近くあるいは大規模消費地です。
写真はWikipediaから拝借
輸送には自動車輸送に特化した「
ク5000形 」という貨車が使用されました。全長20.5mの車体に1200 cc - 1900 cc級なら8台、800 cc - 1000 cc級なら10台、360 cc級なら12台のクルマが積載できました。
始めたところ大いに好評で、国産自動車メーカー全てが鉄道による新車輸送を採用したため9ヶ所でスタートした輸送基地は1970年には29箇所にまで急速に増えました。専用貨車であるク5000形は合計932両も製作されて、1972年には国内自動車生産の30%にあたる79万台のクルマが鉄道で運ばれました。
当時の様子がよくわからないので、国土地理院の空中写真閲覧サービスを利用してみました。
【横須賀線 横須賀駅】
1977年12月26日撮影 国土地理院
横須賀駅
いまでは横須賀線末端部の寂しい駅ですが、当時は多くの貨物側線があることに驚きます。
一角にある車載設備は比較的小さな規模です。
【岡多線 北野桝塚】
1977年11月9日撮影 国土地理院
びっくりする規模なのはトヨタの上郷貨車センターです。
鉄道輸送の有用性が認識されたので、1970年にはまだ建設中だった岡多線をトヨタ自動車向けの自動車輸送用に北野桝塚まで部分開業させています。上郷貨車センターはトヨタ輸送が管理していて1万台分のモータープールがを用意され、北野桝塚駅から構内までは専用線で結びました。最盛期にはここから1日10往復、貨車140両で自動車1,300台を出荷するという規模となりました。
豊田市内には元町、堤、高岡といったトヨタの車両工場が集中しており、この上郷貨車センターは大変有用です。さすがトヨタで、やるとなったら一気呵成です。旅客営業が始まるまでの6年間、東海道線岡崎とトヨタを結ぶ10キロ近いこの区間はまさにトヨタの専用線でした。
(『日本の新しい鉄道』久保田博 昭和47年 保育社刊 p74-75より)
最盛期の上郷貨車センターの写真ですが、車運車ク5000へ積み込んでいる様子もわかり、その盛況ぶりが伺えます。
【御殿場線 岩波】
1976年10月6日撮影 国土地理院
今度調べていたら、さらに興味深いことを知りました。なんとご近所の御殿場線岩波駅から関東自動車(後のトヨタ東日本)東富士工場までもかつては専用線があり、なんとここから新車を出荷していたそうです。
専用線は、岩波駅の北1kmほどの場所で御殿場線から分岐し、カーブを描いて工場敷地へ入りますが、途中には川を渡る橋や東名高速道路の高架下を潜るトンネルもあります。この専用線は総延長は2.2kmで、1982年11月に廃止されたそうです。
東富士工場から東名を跨ぐ専用橋を渡るとそこには車載基地があるというまことに効率良い設計です。それまで沼津で車載していたものを1969年7月に専用線が完成して岩波に移転したそうです。と言うことは御殿場線を新車を満載した貨物列車が走っていたことになります。
VIDEO
実はYoutubeに「今もくっきり残る御殿場線の廃線跡」というのがあり、廃線跡があることは最近になって知りましたが、工場を建設するときの工事線かと勝手に勘違いしていました。
大いに盛んになった鉄道による新車輸送でしたが、1972年をピークにその後は国鉄では労働争議によるストライキが続発したため、安定輸送への信用を一気に失って衰退していきます。1984年末にトヨタが鉄道輸送を廃止してからは、日産栃木から横浜港に運ぶ列車が例外的にしばらく残ったものの、鉄道による自動車輸送は終わりました。
既にみなさんの記憶からも消えつつありますが、確かに「鉄道による自動車輸送」というのは一つの時代を築きました。できることなら産業遺産として記憶に残していただきたいものですが、年寄りの繰り言でした。
Posted at 2025/07/27 19:36:04 | |
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