
おどろおどろしいタイトルで済みません。
実は私の実家の近く(直線距離で5Km,道のりで10Km)に
曽我兄弟(十郎、五郎)の首塚があります。
先日帰省の際に行ってきました
仇討ちは武士の社会では美徳とされました。そのような状況になれば親の為、主君の為にせざるは寧ろ不孝、不忠とされたものでした。
あまたの仇討ちの中でも、世上三大仇討ちとされているのが歴史が新しい順から、「赤穂浪士の討ち入り」「伊賀越え鍵屋辻の決闘」、そしてこの「曽我兄弟の仇討ち」とされています。
曽我兄弟の仇討ちとは、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曽我十郎祐成(すけなり:兄)と曾我五郎時致(ときむね:弟)の兄弟が父親の仇である工藤祐経(すけつね)を討った事件です。
仇の工藤祐経は所領争いから兄弟の父親を殺害します。そのとき兄は9歳、弟は7歳でしたが、苦難の中でも兄弟は心の中に仇討ちの炎を絶やさず、ついに18年後に大願を成就させます。
この事件は「曽我物語」としてまとめ上げられ、江戸時代になって能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などの題材に取り上げられ、民衆の人気を得ます。
その場所は愛媛県内子町大瀬乙成にあります。
私は7.8年前にも行ったことがありますが、その時は実家の4WDの軽四で行き、狭くて急な山道を登った覚えがありました。今回はA6ですので大丈夫か、地元の人に聞くとやはり無理そうで遠回りにはなるが広い道を教えていただきました。
国道から少し狭い道を川沿いに上がっていくと3Km程度で橋があり道案内もありました。
そこから山に向かって上ると230高地(203高地ではありません。標高が230Mだから)に到達し、
すぐ近くに又標識が。
さらに標識に従って山を少し下ると目的地に着きます。
右側奥の上のほうが兄:十郎さんの社で下の方の極めて小さいのが弟:五郎さんのです。
十郎さんの社の前には鳥居も。
十郎さんの社です。
周りは深い山の中です。
地元では毎年5月に「曽我十郎神社大祭」を催して祭っているそうです。
http://www.town.uchiko.ehime.jp/soshiki/18/sogajyuurou.html
この首塚には次のような言い伝えがあるようです。
http://iyokannet.jp/corporate/spot/detail/place_id/1576/
しかしこれは本物の兄弟の首塚でしょうか?
Wikipediaによりますと全国には兄弟の墓所は14箇所あるそうです。これもそのひとつでしょうね。
でも誰が何故このような首塚を作ったのでしょうか?ミステリーですね。
Posted at 2015/03/18 23:30:54 | |
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