
最近すっきりしない天気が続きます。
こんなときには良いブログネタが見つかりません。
古い話で恐縮ですが、また、MPVネタを披露したいと思います。
長野県は時々バス旅行などで行く機会はあるのですが、
車でじっくり廻ることはなかなかできませんでした。
ところがリーマンショック後の景気対策で千円高速が導入されたことがありました。
その折に長野県内の永年の念願の場所を訪ねました。
2009年10月31日と11月1日にかけて2日間で行ってきました。
朝6時頃自宅を出発。MPV君頼むよ!
名阪国道、東名阪道、伊勢湾岸道路、東名高速を経由して、小牧から中央高速に。
10時半頃松本インターから松本市内に。
10時50分頃松本城近くの市営駐車場に。
ここには6階建ての大きな駐車場が2棟。1000台くらいは収容できそう。
ここから歩いて松本城に。お堀端の南側を通って、南東の角にある追手門に。
中に入るとお城に相応しくないものが。宇宙つつじ?

向井千秋さんが宇宙に出たとき一緒に持っていったつつじの種が発芽したものだと。松本市は日本の「花いっぱい運動」の発祥の地なので寄贈を受けたそうです。フーン。
追手門からお城の中に。
お城の真正面に。天守閣は東に向かって建っています。
これが天下の名城、国宝松本城です。
複合連結式層塔型5重6階の白と黒のコントラストが美しいお城です。
一番高いのが勿論大天守で、右側(北側)の3階建の建物が乾小天守、左側の大天守の前の1階の建物が月見櫓、その後ろの2階の物が辰巳附櫓です。
早速天守閣に昇ります。
天守閣から松本市の東を望みます。
松本城の城主は1590年から1869年まで六家23代に及びます。石高は6万石から10万石で意外に少ないのですね。
下に下りてお濠の外側から見ます。
北西から南東を見ます。
今度は真南から北を。
どの角度から見ても美しいですね。是非一度は見たいと思っていましたので満足しました。
松本城を後にして次の目的地、上田城を目指し、MPV君は信濃路を駆け抜けます。
2時過ぎに上田城に到着。
ここの追手門は東虎口櫓門といいます。
門の礎石に真田石と呼ばれる巨石があります。
来年のNHKの大河ドラマは「真田丸」です。大坂冬の陣で大坂方が作った出城のひとつに真田丸があり、それと真田一族が一丸となりあたかもひとつの船に乗る様子を形容した双方の意味を掛けているそうです。
それにしても失礼ながら堺雅人さんが幸村役らしいのですが、大丈夫かな?イメージ違うような。それと三谷幸喜さんも。「新撰組」みたいにならなければよいが。
それはともかく、北櫓に入りそこの展示物をみます。

ここには真田、仙石、松平三氏の資料や、
真田昌幸、幸村、幸昌3代の人形などがあります。
真田神社をお参りします。
上田城を後にして本日の最終目的地の小諸城址に向かいます。
小諸城址は懐古神社が運営する懐古園と言う組織が管理しています。
ここは紅葉の名所でもあります。今が紅葉真っ盛りです。
ここが天守跡で、神社になっています。
小諸城はそんなに有名なお城ではありませんが何故ここにわざわざ来たか?
それは、これです。
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
ご存知、島崎藤村の千曲川旅情の歌です。
これが何故? 私の極めて個人的な思い入れです。
話は40数年前に遡ります。
私は四国は愛媛県の山中の高校の受験生でした。都会のように塾や予備校は無く、高校も進学校ではなかったので先生たちも大学受験用の勉強はしてくれませんでした。受験準備はしっかりした参考書を徹底的にやる、のみでした。現代国語の参考書の最初の題材にこの歌が採り上げられていました。私はそれこそ穴があくまで(開きませんが)、暗証できるまで詠みました。現代国語の勉強は難しいのですがこの歌のお蔭ですんなり入れました。そしてそれは灰色の私の受験勉強を鮮やかに彩色してくれました。お蔭で広島県の某国立一期校に合格できました。国語と社会(世界史)で点数を稼ぎました。
島崎藤村はここ小諸で教師生活を6年続け、千曲川のスケッチとかこの歌とか残しています。この小諸城址に歌碑があると聞いていましたので是非行きたいと思っていました。
それがこれです。
折角ですから、もちろん。
すぐ近くの崖の下には千曲川が。
まさに、 千曲川いざよふ波の・・・ですね。
ともかく永年の夢が叶いました。
その夜の宿は上山田温泉の清風園さんです。温泉、設備、おもてなし三拍子揃った良いお宿でした。
翌朝は早めに善光寺に。
お寺の北側の専用駐車場に。ここからだとお寺の裏側から入ることになりますが。

今日から11月なので七五三のお参りの方も。
善光寺の本堂。日本で最古のお寺とも言われています。仏教が各宗派に分かれる前にできましたので無宗派といわれています。
山号は定額山です。
本堂に入ります。
びんずる尊者、体の悪い部分があればそこと同じ場所をなでれば良くなると。頭をなでました。(笑
また、お戒壇めぐりと言って、真っ暗闇の部屋で大きな柱を手探りで廻り極楽の錠前を探り当てると秘仏のご本尊と結縁できるそうです。
これは何でしたか?忘れました。(笑
日本忠霊殿です。
三門です。今、北から南に通常とは逆の方向に向かっています。
仲見世通りです。
一生に一度は善光寺をお参りしなければいけないようです。これで達成できました!
ここから最後の目的地の川中島古戦場に向かいます。
古戦場址に着くと名物のオジサンが熱心にガイドを。この近くでりんごを売っている方ですが、ボランティアでガイドも。
あちこち案内も。
武田信玄と上杉謙信は計5回戦いましたが、最大の戦いがここ川中島でありました。第4回目です。両軍合わせて戦死者は6千人を越えたそうです。
信玄の策の隙を衝き、謙信がまっしぐらに信玄の陣地を突き信玄は軍配で謙信の大太刀を防ぐ有名なシーンです。
信玄方の高坂弾正が、ここで戦死した者を敵味方の区別無く手厚く葬った首塚のひとつです。謙信がこれを聞き感激して後の信玄に塩を送る行動になったひとつの契機となりました。
ここは八幡社にもなっています。
今回は永年に亘り行きたかった場所を訪ねることができた、良い旅でした。
Posted at 2015/09/01 00:13:19 | |
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