
幕末に倒幕の狼煙を上げながら、その途上で費え去った天誅組。明治維新の魁とも云われています。
その終焉の地が大和の地にあると知って興味が涌きました。また天誅組には十津川郷士と呼ばれる志士たちも多く参加したと。
そこは現在の東吉野村。
吉村寅太郎など天誅組の最後の戦いが行われた場所です。
毎年奈良県近辺の温泉めぐりをしていますが、
今年最初の場所はその近くのやはた温泉と決め、本日行ってきました。
名阪国道から針インターで降りて南に。宇陀、菟田野を越え東吉野村に入り、鷲家集落の手前に最
初の天誅義士の墓があります。湯之谷墓所と呼ばれています。
ここには隣に集落の共同墓地がありますが、義士たちのお墓も村人に丁寧に守られているようですね。
その集落から少し南下すると道の左側に吉村寅太郎終焉の地の碑があります。
小川を渡ると、
顕彰の碑と、
お墓が。
これは寅太郎辞世の句といわれています。
時に寅太郎27歳と。それにしてもこの句は凄まじいですね。
さらに南下すると東吉野村中心部。鷲家口と呼ばれる場所で最後の戦闘が激しかった場所です。村内のあちこちにそれらを伝える碑が残されています。
そのすぐ南に明治谷墓所と呼ばれるお墓が。
お墓は道路から約50m上がった場所に。
天誅組の蜂起後に8月18日の政変が起こり、後ろ盾だった三条実美らが失脚して孝明天皇が変節せざるを得ず、蜂起の大儀を失い単なる賊軍になってしまいます。しかし明治になり維新の魁として再評価されて、寅太郎は明治10年に武智半平太、坂本竜馬、中岡慎太郎らと共に正四位の官位を贈られます。
そこから南に下ると丹生川上神社(中社)があります。ここは水の神様です。
珍しい、なでフクロウ。フクロウの体の部位をなでると良くなると。
水の神様らしく、清め水の井戸が。
長い柄と鎖の付いた桶で掬って、
頂きます。美味しい。
ここから最後の目的地。やはた温泉とふるさと村に。
着きました。
ここには川を挟んでやはた温泉とふるさと村が立っていますが、先ず周囲を一周してきます。
温泉に入ります。シーズンオフなのか今日は貸切の雰囲気が。
男湯(本日は檜風呂)内部。
良い湯だなア。(笑
風呂場は実は2階で、1階は和、洋の2部屋の休憩室があります。

どちらも良さそうです。(^^
12時半を過ぎましたのでお昼を食べることにします。ふるさと村内の食堂「いちえ」に。
ここは100年前に建った小学校の元校舎を改造したものと。
中に入ると懐かしい薪ストーブが。
小学校の廊下の雰囲気が。
食堂は教室を2部屋使用、かな?
吉野杉の割り箸。これは間伐材を使用していますので自然破壊はしません。むしろ森林保全には必要なことなのですが、世間の理解は・・・?
風呂の後はこれがないと。当然帰りの運転は女房殿が。
私はしし鍋定食を。
女房殿は鴨鍋定食。
肉を1切れずつ交換して食べるに、「ししのほうが美味しい。」と。
最後ご飯で雑炊をと思いましたが汁が多すぎたのでご飯にかけました。これがまた美味しい。(^^
完食!
〆のソフトクリーム。と言うよりジェラートの味。
帰り際に。昔の小学校の教科書。 らしいですね。
ビールも手伝って、「余は満足じゃア!」
Posted at 2016/12/24 23:06:37 | |
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