
昨日は大和郡山市の老人クラブ連合会主催のウォーキング会でした。私は初参加でした。
今回の場所は大和郡山市南西部の小泉地区です。ここは江戸時代は郡山藩とは別に小泉藩がありその縁の歴史遺産が残っています。ちなみに奈良県には江戸時代に8藩ありました。(幕末まで存続した藩)柳沢郡山藩15万石と高取藩2.5万石以外は1万石前後の小大名で天守閣は無く陣屋と呼ばれた屋敷跡が残っています。
9時30分に片桐公民館に集合。参加者は約90人。
簡単なセレモニー、市長も来賓出席の予定でしたが上京で副市長がご挨拶。
西に向け出発。
先ず慈光院に。臨済宗大徳寺派の寺院。今年春のNHKの「心たび」は奈良出発でしたがこのお寺も出ていました。秋田から奈良に転勤になった「奈良さん」が関西になじめず落ち込んでいたがこのお寺の庭で癒されたというお手紙でしたね。
お寺の中には入らず外から庭を眺めるのみ。
そこから県道を西に。小泉大塚古墳。

元は前方後円墳でしたが宅地造成で今残っているのは円墳のみ。出土した土器や銅鏡から3世紀後半から4世紀の築造と考えられています。
そこから西へ行く道路沿いに草に埋もれた碑らしき物。「小白水」の碑。

伝説によると平安時代からあった井戸でどんな日照りでも枯れることがなかったと。江戸時代に茶道石州流を開いた小泉藩主片桐石州が茶をたてる時に愛用したと伝わっています。白水は小泉の泉の字を分解したもののよう。
更に西に行くと法起寺が。実はここは大和郡山市から150m外れていかるが町なのですが、堅いことは言わずに。

ここは法隆寺、四天王寺などとともに聖徳太子御建立7ヶ寺のひとつに数えられています。
重文 木造11面観音菩薩立像が収められている収蔵庫をお参り。
国宝三重の塔の前で記念写真。国内最古の三重の塔だそうです。
ここからUターン。ヒガンバナが満開でした。
この辺りはコスモス畑も多く名所です。今は三分咲くらいかな。
畑沿いの道を東に向かうと善福寺に。ここは江戸時代に片桐氏が小泉藩の藩主になる前に藩主だった小泉氏の菩提寺でした。戦国時代の創建です。
小泉四郎左衛門の墓。

筒井順慶の十七人衆の一人でしたが、順慶が織田信長に従い越前攻めの際留守を守っていましたが、松永久秀に大軍で攻められ衆寡敵せず壮烈な最期を遂げたと伝えられます。今もご子孫が大阪に居られお墓参りに来られているそうです。
こんな狭い道も通り、
小泉城跡。城とは言え1万6千石の小大名でしたので天守閣などはなく「陣屋」でした。
その少し北にある碑、親子塚。これは悲しい実話です。
この話は当時(江戸時代)有名になり、「和州小泉敵討(かたきうち)親子塚」という話になったそうです。少し長い話なのでネットをご参照ください。
https://www.ne.jp/asahi/monkiti/momo/densetu/oyakozuka.htm
最後の訪問地、小泉の庚申堂です。
大和の庚申信仰の本山だったそうです。

座布団の上にあるのは手足を縛られた猿で、庚申さんのお使いのサルがいたずら好きでじっとしていないので縛られているそう。
ウォーキングも終わり富雄川に沿って、

12時ちょうどにスタート地点に帰還。
午前中ほぼ曇りで絶好のウォーキング日和でした。
Posted at 2022/09/30 11:15:01 | |
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