
今日は旅行2日目。
朝のうち博多駅周辺を見物して、九州新幹線で長崎に行きます。
九州新幹線と言っても、博多から武雄温泉までは在来線の特急ですが。
ホテルでの朝食。

ついつい食べすぎるので自重を。
地下鉄で博多駅に到着。東側の筑紫口を。

こちらはあまり変わっていない。実は昨年まで勤務していた会社の福岡出張所が新宮にあるので、一昨年まで毎年一回出張していました。なのでここはよく見ていました。
博多口に出て駅ビルを。

私がいた頃は井筒屋百貨店があったが遠い昔だなア。
この福銀のビルは昔から。
大博通り。

右手前のビルに私がいた銀行は移転しています。もう20数年前に。
地下街も伸びていますが、まだ朝早いのでシャッター街。
そろそろ電車の時間。リレーかもめ号。
グリーン車。(しか無かった)
車両を半分に仕切って前半分が運転席とグリーン車。
武雄温泉駅に到着。同じホームに九州新幹線が待ってる。文字通りリレー。リレー号の方が2分遅れたので新幹線も2分遅れて発車。
車内は4列シート。快適です。
23分間で長崎駅に到着。
長崎駅は東西のコンコースをいなさ口とかもめ口と呼ぶのね。
かもめ口(東)でコインロッカーに荷物を預けて。
駅前は工事中。
さらに東の電車通りに。長崎は坂の町とよく言ったものだ。もうそこまで坂が。
NHK長崎放送局の前の坂道を登ると西坂公園。
ここに日本二十六聖人の像と記念館があります。
「日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」というが、西洋諸国では「聖パウロ三木と仲間たち」とも呼ばれる。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。」Wikipediaより
中には日本でのキリスト教の布教の歴史、迫害の歴史、隠れキリシタンたちが使用した偶像など資料が沢山陳列してあります。
フランシスコ・ザビエル像
キリスト教禁教の高札。
磔された聖パウロ三木の像。二十六聖人の一人です。
隠れキリシタンたちが使用した物で,中央の絵は雪のサンタマリア。
同じく。弥勒菩薩像をキリストの像と見立てました。
貴重な資料を見せていただきました。
記念館から出るとNHKの取材部隊に掴まりインタビューを受ける羽目に。

それらしいことを述べました。(笑
昼を過ぎましたので駅近くに下りて、アミュプラザの中の紫瑠璃という店で。

長崎ちゃんぽんと小籠包を。小籠包は中身が五種類あって色々楽しめます。
長崎市内の主要交通機関は市内電車です。これで北に向かい平和記念公園に。
到着。
長崎の鐘が。
♬こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ♬
名曲ですね。
平和記念像。

中学生の修学旅行。鹿児島の鹿屋市からと。
公園の北東の角の天主堂の見える丘から。

勿論行きます。
天主堂の建つ丘の麓に原爆により崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼と被爆したレンガが。
天主堂。

内部は撮影NGです。今も敬虔な信者の祈りの場です。
浦上天主堂は明治になりキリスト教が認められるようになって、もともと隠れキリシタンが多かった当地に1879年小聖堂が建てられました。その後大聖堂に立て直されましたが、1945年8月9日近くに原爆が投下され倒壊。その後現在のように信者の熱意で再建されました。
信仰の礎。
平和記念公園に戻り、そこから歩いて爆心地に。
公園入口から100m位の所。同心円の中心の上空でプルトニウム原爆が爆発しました。
原爆が投下された場所の近くの当時の地層。

瓦礫が堆積しています。
そこから再び歩いて200mちょっとで原爆資料館が。
中に。
原爆で黒く焼けた浦上天主堂の像。
落とされた原爆(Fatman)の原寸大の模型。かなり大きい。
被爆した建物の部分など。
他にも被爆した遺体などの写真が沢山陳列してありますが・・・。
ここを出て長崎駅に市内電車で戻り、そこへホテルの御迎えのバスが。
ホテルの夕食。

大皿の中の5つの小皿は出島を象っているのだと。
ホテルの展望台から世界3大夜景の長崎の夜景を。
先ず稲佐山展望台(テレビ塔)。
長崎市の北方、浦上方面。
真下、長崎駅方向。
南東の長崎湾方向。
ここのホテルは稲佐山の中腹なので、稲佐山の頂上程はきれいではないですが肉眼では十分絶景です。
今日はしんみりする場所が多かったですが、これも長崎ですね。
本日の歩数は14,104歩でした。
Posted at 2023/12/03 05:15:00 | |
トラックバック(0) |
旅行 | 旅行/地域