
今日は5月18日(日)、観光の4日目です。
今日はスプリットの旧市街観光と国境を越えてボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルを観光します。国境を2回超えるので時間が読みにくいので朝早く出発します。
まずはホテルで朝食を。

量はほどほどに。
バスは午前7時30分に出発、15分で旧市街、ディオクレティアヌス宮殿前に到着。
写真スポット。市の文字が。スプリットはクロアチア第2の人口です。
この宮殿が作られた当時の絵の前で添乗員が案内。
ディオクレティアヌス帝はローマ帝国の284年から305年までの皇帝で、自分の意志で退位した初めての皇帝。退位後ここに宮殿を建てて余生を過ごしました。彼の死後は荒れ果てていましたが、いつしか人が住むようになり街となりました。古代遺跡と人々の生活が混然一体となったところがここの魅力です。1979年にユネスコの世界遺産に登録されました。
宮殿の海側の壁。
その真中にある青銅の門から入場。
すぐ左側に地下室への入り口。
列柱に囲まれた中庭。

後ろの高い塔は裏にある大聖堂の鐘楼。
前庭。かつて皇帝はここで人々と謁見していました。
今はこの床にスマホを置いて自撮りをするのが流行。
遺跡と生活、営業などが混然一体に。
宮殿の北側にある金の門を外側から。
そこにグルグールの像。

彼はラテン語化に反対してスラブ語の保護に貢献して英雄と呼ばれている司教。
彼の足下を撫でると幸せになるといわれています。
又、城壁の中に。
大聖堂。
宮殿東側の銀の門から外に。
青空市場があります。

開いてる店が少ない。時間が早いから(現在AM8:50)?それとも今日が日曜日だから?
ここでイチジクの干したのをお買い上げ。

7ユーロ也。
スプリットの港。

美しい港です。
約1時間半でスプリットに別れを告げて、バスはモスタルに向け出発。郊外にかつてのローマ時代の石造りの水道橋が。
早く出発したのは国境でいくら時間がかかるか読めないから。私たちのバスが検問所に到着したとき、前に2台。
クロアチアの出国検問に30分、
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの入国検問に50分かかりました。
かつて両国が属していた旧ユーゴスラビアは複雑な多民族の連邦国家でした。2つの文字、3つの宗教、4つの民族、5つの言語、6つの共和国からなる1つの連邦共和国と言われていました。カリスマ大統領のチトーが1980年に死去してから各共和国間の経済格差問題が生じそれが民族間の対立となり、スロベニア、クロアティアが分離独立します。もっとも複雑だったのはボスニア・ヘルツェゴヴィナで1国内にセルビア、クロアティア、モスリムの3民族が住んでそれぞれ宗教も違いました。やがて3民族が入り乱れて争うボスニア紛争と呼ばれる内戦となりました。民族浄化・虐殺などの非人道的な行為が1990年代前半に世界の耳目を集めましたが、1995年にNATO軍の介入などもあり終結しました。
検問を終えてボスニア・ヘルツェゴヴィナに。
これから向かうモスタルという町もボスニア・ヘルツェゴヴィナの複雑性を象徴する町です。オスマントルコ帝国が隆盛を誇った頃、ここモスタルは帝国の最前線でした。多くのトルコ系の人が住んでいましたがやがてオスマン帝国の後退で支配者は何度も変遷します。そしてボスニア紛争の時、この町でも戦闘が行われました。
午後1時半ごろ街のバス駐車場に到着。
旧市街に入るとトルコの風情が。
市内を流れるネトレバ川。
この橋がスタリ・モスト(古い橋)。
もともとは木の橋でした。スレイマン1世の命で1566年に石の橋になりましたが、1993年の紛争の際にクロアティア側の民兵により破壊されました。その後ユネスコや民間の援助で再建され2004年完成。2005年に民族の和解と共生の象徴としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。
真ん中が高く勾配はかなり急。
川の上流。コスキ・メフメド・パシャ・モスクとミナレットが。
右の若者はここの名物の飛び込み屋。

彼が「フィフティーンユーロ」で飛び込むと聞いて、添乗員が私が出そうと言ってくれましたが、「フィフティユーロ」の間違いだとわかり撤回。彼女、冷静でしたね。
ここへ飛び込むのですが。
オールド・バザールに。
石の橋の下りも急でおまけに表面が滑ってちょっと怖い。
トルコ風のお店が続いています。
道に敷いてある石に凹凸があるので歩きにくい。
スタリ・モストが良く見える場所に来ました。
コスキ・メフメド・パシャ・モスクに。
少し戻ってこのレストランで昼食。
橋を背に記念撮影を。
また橋を渡って帰ります。
この町で少し心が暗くなる光景を。それは乞食が多いこと。百m毎にと言ったら大袈裟かもしれないが、ワンパターンで幼子を連れた小柄で痩せた女性でした。この国の社会保障はどうなっているのでしょう?それともそのネットに入らない人達?
バスで移動の途中で見た真新しいお墓。紛争の犠牲者だろうか?
又クロアティアに入りますが、運転手さんが違うコースを取りましたので約30分で検問所を通過。
ペレシャツ橋。美しい斜張橋でドブロブニク側から伸びた半島とを結ぶ橋です。
橋を越えると、
ドブロブニクの新市街の港。

クルーズ船がいつも停泊しているようです。
旧市街も超えて、
隣のチャフタット市にある「ホテル クロアティア」。部屋は、
今までで一番かな。
食事も、

港らしい海鮮料理が豊富でした。味も一番。ホテルの外見はあとで。
今日は二つの異なった世界遺産を見学しましたが、歴史の奥深さを感じた一日でした。
Posted at 2025/05/25 19:08:28 | |
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