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角鹿のブログ一覧

2022年04月20日 イイね!

徳を積む

 君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。
 これは松下幸之助の言葉だ。ちなみに「人間として一番尊いものは徳である」とまで松下幸之助は言っている。
 昨今あまり徳という言葉は耳にしないような気がする。徳を積むというのは人間性の練磨や精神修養と重なる言葉である。万事慎みを忘却し心なき現代世相においては徳という言葉は半死語化しつつあるのかもしれない。ときどき聞くのは、徳ではなく、不徳である。
 政治家が選挙で落選して「不徳のいたりです」と話したりする。落選の決まり文句だ。
 
 一般には徳を積むとも言うが、徳は懺悔などと並んで仏教用語でもある。
 仏教界では「功徳」という。
 仏教的には簡単に言えば徳を積む行為とは善行である。
善行とは「悪いことをせず、良いことをする」のである。具体的には「施し」が徳を積むことになる。
 だからお布施を惜しんではいけないよ、なんて坊主が言うのは如何なものか。それこそ不徳のいたりというものだろう。

仏教では布施を施すことが最も大切な仏道修行とされている。
「施しは無上の善根なり」と云う言葉もある。
仏道修行をする者はとして六波羅蜜を実践実行しないといけない。
六波羅蜜とは大乗仏教で説く悟るための六つの修行徳目のことで「六度」とも言う。この六項目は布施(ほどこし)・持戒(戒律を守る)・忍辱(耐え忍ぶ)・精進(努力する)・禅定(心を落ち着かせる)・智慧(学ぶ)である。
 布施は六波羅蜜の冒頭にあげられているように特に重要である。
「布施」こそが仏道修行する菩薩であることの必須条件なのだ。

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画像 量子禅縁
https://qtzen.com/giving/

 「布施」の修行には、財施、法施、無畏施の三種類がある。 
 「財施」とは文字とおり人にお金や物を施すことだ。
 「法施(ほうせ)」とは、仏教の教えを説いてきかせること。
 「無畏施(むいせ)」とは、人の恐怖や不安を取り除き安心させることである。
 布施についてお金を施すことだと思いがちだがそうではない。
 たとえば法華第一の日蓮聖人は弟子への消息文の中で「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」と述べている。蔵の財であるお金を貢ぐより仏に尽し仏道修行することがより大事である。それよりもなお法華経の信心を全うする心を持つことが最高の布施であると信者に教えている。心というものはうつろいやすく頼りないものである。だが心ほど千金に勝って強いものはない。
「一切は心より転ず。」とは「華厳経」にある言葉だ。
扇で言えば、心は、扇の要である。扇は要が壊れれば骨も扇面もばらばらになって使い物にならない。心は一切の要である。
 
 善行、美徳、徳行、篤行なども総じては徳と同じ意味だ。
 「美徳のよろめき」は三島由紀夫の書いた長編小説だがこれはこの際何の関係もない。ただ徳という言葉を聞くと、三島由紀夫を思い出すのはこの「美徳のよろめき」という秀抜なタイトルの言葉の力のせいだ。閑話休題。あだしごとはさておきまして。閑話休題に、こういうしゃれた和名を与えたのは井伏鱒二である。それもまた無関係な雑談である。
 
 陰徳あれば陽報あり、とも言う。
 人に知られずひそかに善行をすれば、いずれ、よい報いを得られる、という諺である。
 サントリー創業者の鳥井信治郎氏はこの言葉を座右の銘にしていたという。
 「ある者がない者に施しをする。そんなんは当たり前や。いばることもないし黙ってしてやったらよろし。」と言っていたという。なかなかできそうでできないことだ。神仏の霊魂ともいうべき慈悲の心を体現して生きた御仁なんだろう。心から敬礼!

 ふと思い出したが小学校三年か四年のころだと思うが国語の教科書にシュバイツアーの話が載っていた。恵まれた子供だったシュバイツアーは朝はふかふかのベッドで明るい朝日が差し込み小鳥の囀りで目覚めた。自分は幸せだと実感した彼はやがて貧しい人々のために貢献しようと考えはじめた云々。学校の授業でのこと。この文章を読ませて教師がどんな感想を持ったかを生徒に質問していた。たぶんシュバイツアーの伝記の一節だったのだろう。
 私は「はい」と手をあげて「金持ちが貧乏人に施すのは当たり前のことであって偉人など持ち上げて褒めることではない。そうしない多くの金持ちの方がおかしい。貧乏なら人に施しをしたくてもできないのだ」と反論した。
 先生は私の意見がおもしろいと思ったのか「今度PTAで父母の授業参観があるのでいまの意見を言ってほしい」と言った。そして「○○くんの意見はなるほどと思うけど貧乏人だから人に施しができない、と決めつけるのはどうだろうかな。人にはどんな人でも何かできることはあると思う」とも言った。
 「なぜ自分だけが裕福なのか。同じ人間なのに他の貧乏な子供たちと違って恵まれた生活をしているのか」とシュバイツアーは子供心に苦悩したと伝記には書いてある。この子供の時の体験、人間の社会を支配する不条理な貧富の差を身をもって痛感したことがその後のシュバイツアーの人生を決定的に変えていく動機となった。
 シュバイツアーをめぐる国語の時間がPTAの授業参観となった。それはまもなくあって私は先生に指されて同じような意見を述べた。それをもとに皆の意見を聞くというような授業があった。だが残念ながら父も母も仕事で来ることはなかった。それはいつものことなのだった。戦後まもないベビーブーム世代の当時は世の中ほとんどが貧しい時代でありPTAの授業参観に来られない親のほうがむしろ多かったのではないだろうかか。
 
 徳を積む。これほど今の世相と乖離した心構えはないのかもしれない。昨今の金銭万能、金銭崇拝の世相にあっては「徳」ではなく、「得」を積む方に皆さんお忙がしいようだ。何か得する方法はないのかと鵜の目鷹の目。儲け話に飛びついて大金を投入し、挙げ句の結果に詐欺とわかって大損するというニュースが後を絶たない。寒々しい世相である。有り金、老後資金を失って「得」ではなく「求不得苦」に喘ぐとは洒落にもならない。

 ちなみに求不得苦は仏教でいう八苦の一つである。
 八苦とは生・老・病・死の四苦に加えて次の四苦を言う。
 愛別離苦(愛する人と生き別れる苦)
 怨憎会苦(おんぞうえく)(うらみ憎む人と会う苦)
 求不得苦(ぐふとくく)(求めるものが得られない苦)
 五陰盛苦(ごおんじょうく)(心身のはたらきに執着して起こる苦) 
 これらの苦を称してよく言う「四苦八苦」となる。
 
 このなかで最後の五陰盛苦は少しわかりにくいかもしれない。
 【五陰盛苦】(五蘊盛苦)
 五陰盛苦とは肉体と精神が思うようにならない苦しみのことをいう。
「五陰」は「五蘊」と同じである。
色(物体、形あるものすべて)
受(五感による知覚、感覚)
想(受を心のなかでイメージすること)
行(イメージを意志に移行させること)
識(判断し認識すること)のこと。
 この五要素は もともと人間に備わっている心や身体の機能でありそれ事態が苦なのではない。これらの五つの要素に「執着する」ことで苦が起こるのである。
 煩悩は執着から起こる。だが欲しい物が得られたとしても物欲は絶えることがない。欲望は満たされれば満たされるほど飢餓感も増すものである。また最愛の人と巡り会えてもいつかは別離の宿命が待っている。
 では執着しなかればいいではないかというのは屁理屈である。人はやはり物や心に執着する煩悩の塊のような生き物なのである。

 そこで仏教的解決の知恵としては、「五蘊は皆空なり」と悟ってこそ一切の苦しみから解放されることになる。これは般若心経の最初に出てくる。歳を取り病み死にいたるすべてが悩みであり苦である。だがそれは誰も逃れられない人間の宿命である。したがって人生はすべてが苦ではあるが四苦八苦の五陰盛苦から救われるには五陰盛苦を五陰皆空と悟ることである。
 人の肉体といい心といい永遠不変ではなくいつかは消えていく夢幻であり諸行無常なのである。
刹那への慕情。それが人生なのかもしれない。
 一切皆苦・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静。
 仏教の悟りを示すこの四法印も言ってみれば、この世のすべては変化し実体がないものであると悟ればそこに執着する心が無くなり煩悩に悩まされなくなるという教えである。
 人間が執着してやまない「五陰」というものの実態はすべて「空」であると悟ることが妄執による苦から逃れられる道なのである。
 一切皆苦を一切皆空と悟ることができるかできないか。その辺が人生一切皆楽への転換ポイントであり仏教の奥底のように思われる。

 最後に、というかこれを単に紹介したいと思っていたのだが前置きが長くなってしまった。毎度の前座の本番倒しみたいな文章で申し訳ないが次の画像を見てほしい。
これで簡単に「徳が積める」という漫画のようなオチが今回のブログである。
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 奈良県橿原市の会社が考えた商品だということである。
 徳を積むという、日本人が古来大切にしてきた心が失われつつある昨今。せめてこのお手軽な徳積みで徳を積む経験をしてみられては如何だろうか。何ですか?それだと徳罪だろう、と?かもしれませんな。いずれにしても「徳」は遠くになりにけり、ということで。おあとがよろしいようで。
 
この徳積みブロックの商品情報のリンクは下の関連情報にあります
Posted at 2022/04/20 11:50:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日々の雑感 | 日記
2022年01月23日 イイね!

テーブルに沈んでいく桃

この絵はなんなんだろう。
一枚の絵が目の前にあった。一見静物画という油絵である。
応接間のような部屋のなかに一台の木製テーブルがある。チェックの柄のテーブルクロスがかけられている。
その上に桃が描かれている。桃は器に入っていない。一個の桃がぽつんとテーブルに乗せられている。
まあそこまでは普通の絵のように見える。
だがよく見ると熟れた美味しそうな桃が乗っているテーブルクロスが少し歪んで見える。歪んでいるというか凹んでいる。桃の乗ったテーブルクロスがテーブルにめり込んでいる。大げさに言えば桃が硬い木のテーブル沈みつつあるのだ。桃がテーブルの木に半分ほどめり込んでいる。物凄い重力のある桃としか思えない。厚みのあるテーブルをそのうち貫通してしまいそうだ。しかし見た目にはごく普通の桃でしかない。
不思議な絵であった。

 その絵を見たのは東京の立川の駅ビルの上階にあるそう広くない展示場で開催されていた美術展である。そこは同じフロアーに世界堂という画材屋もあり朝日カルチャーセンターも一階上にあったように思う。いまもその駅ビルはあるかもしれない。もう40年位前のことである。その美術展はたぶん立川市とか国分寺市とか多摩の地元の画家たちが作品を展示したたとえば「多摩美術展」といったような小規模のものだったように思う。
そのとき偶然なのかちょっとした知り合いだったのかいまとなっては判然としないのだがその絵を描いた画家と話をしたのだった。その画家の言った言葉はもう仔細は忘れてしまった。だがその画家はテーブルの上に置かれた桃がテーブルの木よりも重いこともあり得るのだという意味のことを喋った。そしてこの絵は桃がテーブルに沈んでいくところを描いたという説明をしてくれた。そのとき物の重量は軽いだの重いだのは錯覚であって実際には軽く見えても重いかもしれないしその逆もあるはずだというようなことを画家は言った。
 まさしく桃とテーブルの重量関係はこの画家によって逆転しているのだ。はっきりとそういう意図でこの絵を描いたと彼は言った。
 いや桃は一つではなかったかもしれない。いくつか無造作に果物がテーブルの上に乗せられており中央にある桃だけが凹んだテーブルクロスの中心にあるという構図だったのかもしれない。ともかくテーブルにめり込む桃という絵であることだけは確かに記憶している。
 その画家は「このほかにもう一つ絵を出品している」と言った。
 「そうですか、どこにあるんですか」
 「これです」
  画家は桃の絵のそんな遠くない場所にある一枚の絵を見せてくれた。それは青というか黒というかそういう背景のなかに黄色い蝶々が列になって飛んでいる絵だった。
 「これは蝶々ですね」
 「地球にはいろんな生物がいますよね」
 「いますね。いろんなのが」
 「たとえばこいう蝶々なんて私は地球から生まれた生物とは思えないんですよ」
 「・・・・・・・」
 「たぶん私は蝶々はどこか宇宙の彼方にある星から地球に渡ってきたのだろうと思いましてね。それでこれは暗い宇宙の彼方から地球へ向かって旅してくる蝶々を描いたんですよ。いまもね宇宙をいろんな生物が飛んでいるかもしれない。まあそんな光景をこの絵は描いたんですけれどね」
 「はあそうなんですか」
  その画家はほかにもいろんな生物が地球にいるがほかの天体から地球に降ってきた生命があると思うと言った。 
  その画家は自分の想像世界を絵にしていた。
  自分の想像なのか直感なのか哲学なのか。
  私は想像ダニしなかった世界の扉をその無名の(多分そうだと思う)画家によって開かれた思いがした。目から鱗というか、凡人の常識ではありえへん世界が芸術家の目にはリアルに見えるのか、と衝撃を受けたのである。
  その人はごくありふれた風体の人だったが話していることは詩人のように想像力豊かだった。ほかに何を話したのか、その後、どうしたのか?そもそも何という名前の人だったのか。まったく記憶にない。ただ美術展会場で二枚の絵を前に画家と会話したことと絵の記憶があるばかりである。
 なぜそんな昔の記憶が蘇ったのか。
 今日、実は一冊の本を読んだのである。その本は「時間は逆戻りするのか」
 宇宙から量子まで、可能性のすべて 高水裕一著(講談社 ブルーバックス)である。

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 時間というものは過去から未来へと一方向にしか流れない。なんとなく漠然とそう思っていないだろうか。だがほんとうにそうなのか?未来から過去へと流れる時間は本当にないのか?という疑問に答えるべく英国でホーキング博士に薫陶を受けた高水氏が最新の量子力学をはじめ理論物理学の先端知識をわかりやすく説いている。
 数学も、物理も、化学もまるで理解不能な私でも著者の筆法のおかげてなんとなくわかったような錯覚(この辺、うぬぼれもいいところでバカ丸出しですけど)を覚えるありがたい本だ。理系の人なら楽しんで読めるでしょうね。
 なんとなく時間は一定であると思っているのだがそうとは限らないと著者は軽く言ってのける。
 たとえばよく知られれいる浦島太郎の物語がある。
 あの物語では海底の龍宮城では時間のスピードは物凄く遅い。地上では普通に時間が経過していくのだが竜宮城時間はのろのろである。そしてほんのしばらく滞在した気分で浦島太郎がもとの浜辺に戻ったとき陸上の時間はとっくに過ぎ去り玉手箱を開け元の時間に戻った彼はよぼよぼの老人になっている。この物語は時間は空間によって遅かったり速かったりして一定ではないということを示している。これなら文系脳でもどうにか時間論が理解できるヒントにはなりそうだ。著者はこの浦島伝説について(アインシュタインの)「特殊相対性理論を彷彿とさせる昔話」だと述べている。
 
 まだ半分ほどしか読んでいなのだがその中でアインシュタイの一般相対性理論が解説されているくだりを読んでいるうちにふっと何の脈絡もなくあ40年ほど前の桃がテーブルに沈んでいく絵を思い出したである。
 アインシュタインの相対性理論には二種類あり最初が特殊相対性理論というもので光速に近いスピードで物が移動している特殊な状況においては時間や空間が伸び縮しているという理論である。
 次に説かれた一般相対性理論というのはテーマが呪力いや間違えた呪力もとい重力である。
 アインシュタインは重力とは時空の歪みによって生まれると予言しブラックホールの存在も予言したのだ。私が書いたのではなく、この本にそういうことが書かれております。
 その箇所の図解の絵を見たとき「これは・・・・・・」と鳥肌立つ思いがした。この図解をそのまま油絵にしたものこそがあの立川駅ビルの美術展で見た桃の絵だったのである。
 その図解が下の画像だ。先に紹介した「時間は逆戻りするか」の本の58ページにある。

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 この黒い●を桃だと思って下さい。そうすればあの画家の描いたテーブルはなんとブラックホールだったのではないでしょうか。
 桃は自重でテーブルにめり込んだのでなくブラックホールに吸い込まれていく途中だったのかもしれない。
 恐ろしいのはまさにあの画家である。もしかしてあの画家は物凄く物理を勉強しアインシュタインの理論を油絵にしたのかもしれない。絶句するしかない。
 そしていま私の脳裏にはもう一枚の絵が浮かんでいる。
 もしかして蝶々も地球から発生したものではなく宇宙をはるばる旅してやってきた生命なのかもしれない。そう本気で少し思い始めている。

この文章に一つ追加をします。
今日は令和4年6月7日ですが今朝の産経新聞に次の記事が掲載されていた。
日本の宇宙探査機「はやぶさ2」が小惑星「りゅうぐう」から持ち帰った石や砂の中から生命の元となるアミノ酸が20種類見つかったというビッグニュースである。
私はこの文章で何十年か昔に無名の画家が描いた蝶々が宇宙から地球へ渡ってくるという幻想的な絵を見たトイウ話を書いた。その画家は地球の生命体は地球で生まれたのではなく宇宙から飛来したのだと思うと話をした。そのとき私は半信半疑でその画家の話を聞いていたのである。
だが今回の宇宙探査機の成果を見るとあの画家の言っていたことはあながちありえないことではないのかもしれない。

最近私はサボテンの花を見てこんな妖しい花が地球上で生まれたものか疑惑を感じるようになった。乾燥に極度に強いなどというサボテンは地上の水分を欲しがる植物とは系統を異にしている。もしかしてサボテンの花は宇宙から隕石に含まれた種が地上にもたらした奇跡の花なのかもしれない。
みなさんはどう思われるだろうか。
以下は今朝の産経新聞の記事です。

リュウグウの試料からアミノ酸 20種類以上、生命の起源解明の手掛かりに
2022/6/6 11:36
ライフ
科学
はやぶさ2



日本の探査機「はやぶさ2」が2020(令和2)年に小惑星リュウグウから地球に持ち帰り、成分や状態などの詳細な分析が進められている試料から、タンパク質の材料となる有機物のアミノ酸が20種類以上検出されたことが6日、関係者などへの取材で分かった。生命の源となる極めて重要な物質のアミノ酸が地球以外の天体で発見されたのは初めてで、地球の生命の起源を解明する上で大きな手掛かりとなりそうだ。


はやぶさ2は、太陽系の起源や生命誕生の謎を解き明かすことなどを目的に、リュウグウの表面や地下から試料を採取。砂状の試料約5・4グラムを持ち帰った。これまでの分析で、水や有機物の存在を示唆するデータが得られており、より生命の構成物に近いアミノ酸の発見が期待されていた。

生命に欠かせないアミノ酸の起源は、46億年前に誕生した地球上でさまざまな現象が起きる過程で作られたという説と、宇宙から飛来したという説があり、今回の発見は後者の説を補強することになる。アミノ酸は隕石(いんせき)からもしばしば発見されているが、リュウグウの試料は地球の大気に全く触れていないことから状態が非常によく、より試料としての価値が高い。

はやぶさ2は一昨年12月に約6年の飛行の末に帰還。リュウグウの試料を入れたカプセルを地球に持ち帰ることに成功した。宇宙航空研究開発機構(JAXA)や東大、広島大など全国の研究機関で本格的な分析が始まっており、試料は高温にさらされた痕跡がみられなかったことや、過去の隕石に比べて最も密度が低いことなども判明している。


Posted at 2022/01/23 21:15:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々の雑感 | 日記
2022年01月12日 イイね!

春 宵 一 刻 値 千 金

毎日寒いですね。少し早いですが春の来るのを先取りして漢詩を一つ。

蘇軾(そしょく)の詠んだ『春夜』という漢文の詩を紹介します。
左から右によんでください。

「春夜」  蘇軾 作

春 宵 一 刻 値 千 金

花 有 清 香 月 有 陰

歌 管 楼 台 声 細 細 

鞦 韆 院 落 夜 沈 沈



●書き下し文

春宵一刻 値千金

花に清香有り 月に陰有り

歌管 楼台 声 細細

鞦韆 院落 夜 沈沈

現代語訳(口語訳)

春の夜は、ひとときでも千金の値があると思えるほどすばらしい

花は清らかに香り、月はおぼろにかすんでいる

歌声や楽器の音が鳴り響いていた楼閣も、今はかすかに聞こえるばかりで

ぶらんこのある中庭では、夜が静かにふけてゆく


https://manapedia.jp/text/3816

以上は↑「manapedia」よりの引用です。


 この解釈では「manapedia」というブログは受験関係のサイトのようですからもちろん漢文の試験で点の取れるように記述されております。
 
 しかし、それでは少し味も素っ気もなくて物足りないと思われる方もおられるかもしれません。
 中国詩文では暗に恋愛感情を詠んだものも多いのでこの詩もそういう解釈で読んでもおかしくはありません。
 
 この『春夜』という詩を詠んだのは中国有数の詩人で政治家でもあった蘇軾(そしょく)という人です。この詩は「値千金」という言葉で有名です。
 
 以下は私の勝手な解釈です。
 
 退屈な宴会に義理で出たものの蘇軾はそこで出会った意中の女を酔いにまかせ「おおそなたは美しいのう。少し酔ざましの散歩に付き合ってくれぬか」などと甘言を弄してうまく連れ出した。 中庭を歩いていると高殿の宴会の騒ぎ声は低くなりそろそろお開きになるようだ。
 ここは宴会とは違い別世界で気に入りの女をそばにして二人きりだ。
 たおやかな女の腰まで届く長い黒髪はまさに柳腰の風情さながら春の夜風に揺れて艶かしく髪の甘い脂粉の香りが鼻孔をくすぐる。まわりは夜の帳と春霞に覆われて誰にも見られことはない。二人だけの甘味な時間が漂うばかりだ。
 ちょうどおあつらえにブランコがある。
 美女と二人でブランコに乗ってしばし値千金の春の夜を楽しんでいる。
 この時間がいつまでも続けばいいのだけど。
 春の夜は朦朧として霞んだまま更けてゆく。

ざっとこんな感じの詩である。
さらに勝手な妄想を言えばこの詩に出てくるブランコは一つである。
宴会を離れて一人で庭に出てブランコを見たという解釈もある。たしかに春の宵はいい気持ちだという気持ちはわかるが値千金とも言うには至らないだろう。春の宵に絶世の美女がいればこそ蘇軾のような天才詩人の詩魂が揺さぶられるというものだ。そして春の夜の天から値千金の言葉が詩人の手のひらにはらりと降臨してくるのだ。

そういうことで独断と偏見によってブランコは一つとする。
そこにどのように二人で乗るのか?そこに見えない情景を見るのが詩というものである。
野暮は言わないけど中国文学の挿絵にそういう春画の図を見たことがある。
このような情景を思い浮かべれば「値千金」「夜沈沈」の「春夜」は蘇軾の書いた傑作というほかはない。

 たわけた妄想を書いてきたが現実に戻れば今年は例年になく毎日が寒くて春の宵など永遠に来ないかと思われるほどだ。
 値千金という言葉は今ではいろんな場面で使われている。あなたにとっての値千金は何だろうか。
 この詩のようなそんな美女がいるなら値は千ではなく値万金だろうが美女とデートする場面など妄想を尽くしても想像すらできない。まことに残念である。人生に悔いが残るとすればそのあたりだろう。だろうではなく断定できる。とまあこんなところに力こぶを入れる必要もないのだけれどものはついでなので蛇足ながら。
 昨年は歯医者通いで明け暮れた。かろうじて残った自前の数本の歯。これこそがこの身にとっては値千金である。なんでこんなことを書かねばならないのか。最後は惨めな気持ちになるではないか。まあでもそんなものだろう。案外、蘇軾さんも実際には私とどっこいどっこいであるのだが妄想癖があってあんな詩をでっち上げたのかも知れない。中国の詩人に負けるのもちょっと口惜しいのでそういうことにしておこう。
 
 「これがまあ 終の栖(すみか)か 雪五尺」  一茶



●漢詩や中国語に興味のある方向け。漢詩の紹介、朗読の動画リンク。↓。
 北京語は聞きやすいですが単なる棒読みで詩の朗読としてはイマイチ。
 それでも中国語で漢詩を読む雰囲気は少しは味わえます。
【漢詩】中国人なら300首暗記は当たり前⁉︎中国で一番有名な漢詩は?
Posted at 2022/01/12 11:47:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々の雑感 | 日記
2022年01月02日 イイね!

橿原神宮 初詣

地元の吉野神宮へ初詣に行く人も多いのですが私は元旦の昼前に橿原市の橿原神宮へ参拝しました。
橿原神宮では毎年2月11日に「紀元祭」が行われます。
武漢肺炎病毒がおさまらないために今年も関係者のみで一般参加は取りやめのようです。
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人は少なくはないですがそんなに多いようには思えませんでした。

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参道は一方通行で入る道と帰りに出る道は別になっています。参詣者の密集を避けるための配慮です。

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今年は令和4年ですが皇紀は2682年です。

皇紀はインドネシアの独立宣言でも使われました。

皇紀の日付で署名されたインドネシア独立宣言文

1945年8月15日、日本は敗戦国となりました。その2日後、独立運動を指導していたスカルノとハッタは独立を宣言しました。おどろくべきことに、日付は皇紀でした。手書きの草稿ではDjakarta 17-8-´05とあり、タイプ打ちの宣言にはDjakarta, hari 17 boelan 8 tahoen 05とみえます。05は言うまでもなく皇紀2605年のことです。


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下に関連リンクを貼りました。↓

https://543life.com/campus/backnumber151/


インドネシアの記事は「こよみの学校」ブログより引用。 


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橿原神宮名物の大きな絵馬。
この前で記念写真を撮影する人たちが大勢並んで撮影の順番を待っていました。

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拝殿の前で祈りを捧げる人々。とっつもない寒さのためか高齢者の姿はほとんどなかった。むしろ若い人が多かった。
若い人たち子供を連れた若い世代の親子も多く見られた。
賽銭箱の前が一番混んでいる場所だった。
独(毒)裁国家もたらした世界的大災害の武漢肺炎コロナ感染症が消滅し平穏な世界が戻ってくることを祈った人も多いことだっただろう。

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Posted at 2022/01/02 11:44:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2021年09月17日 イイね!

「心寂しい」、どう読みますか?

面はオモテ、心はウラ/心が表(面)に現れて来ぬように
 
 「心」の古訓に「ウラ」があり、「面」の訓に「オモ(テ)」がある。

 古人は、「心」を「ウラ」と読むことができた。そして「面」という漢字に「オモ(テ)」という訓(読み)を与えた。

「うらなふ」「うらむ」「うらやむ」というのは、みんなウラ(心)の動詞化であり、「おもふ」「おもねる」「おもむく」は、オモ(面)の動詞化である。

 「おもふ」「おもねる」「おもむく」は、オモ(面)の動詞化で、みな「現れたるオモ(面)」と関わりがある。

「おもふ」はもともと、むしろ思考よりも感情についてのコトバで、表情に(感情などが)現れることをいった。「面(オモ)」が「顔つき」や「面影」を意味するように、感情なんかがオモテに、つまり表情(面)に現れることを意味した。

 我々は、表情をコントロール可能なものだと思っている。
 すぐ顔に出すのは、あまり賞賛されない社会に生きている。
 けれども、表情はもともと意識的にはコントロールしにくいものだ。人間はそういう風にできている(そういう風に進化してきた)らしい。


 ところで、ある時「おもふ」の意味に一大革命が生じた。

 『万葉集』ってのは、やんごとなき連中の恋の歌がたくさん入ってるが、大体は不倫か何かで、結ばれるどころか、表沙汰になった時点でヤバい相手に恋慕してる。

 そのせいかどうか分からないが、『万葉集』に出て来る「おもふ」の半分が「念(おも)」を使って表記してある。

 「念」という漢字は、「今」、これは元の形からして「器の蓋」が元の意味だが、こいつで心(ウラ)を上から抑え込んでる文字だ。
 
 つまり『万葉集』の「おもふ」の半分は、心が表(面)に現れて来ないように抑えられた「おもふ」なのだ。

 『万葉集』で「おもふこころ」と言えば恋愛感情のことだし、「おもひびと」は今と同じ「恋しい相手」を指すけれど、それはそれまでの「おもふ」からすると、かなり違った意味だったのだろう。

 我々がもっともよく使う「思う」の「思」は、心の上に乗っかってるのは、アタマを描いた象形の成れの果てだ。「思」は知情意の全部を含む。だからいま「おもう」と書くとすれば、「思う」としか書きようがない。

 平安末期の漢和辞書『類聚名義抄』には、50の漢字に「おもふ」という訓があててある。
 逆に言えば、50種類の「おもふ」が登載されている。
 そこには「思う」も「念ふ」も「想ふ」も「懐ふ」も「憶ふ」もある。

 そのすべてが厳密に「棲み分け」している訳ではないだろう。
 しかし、常用漢字には「おもう」はただ「思う」一種類しかない。
 なんということだろう。
 常用漢字に従うなら、我々は「念願」し、「想像」し、「懐古」し、「追憶」することはできても、「念ふ」ことも「想ふ」ことも「懐ふ」ことも「憶ふ」こともできないことになる。


 「想ふ」は、「相」(姿、イメージ)を「心」に持つこと。IMAGINEは心象を創出する意味であるが、それに近い。その創出は自由であり(少なくともかなり融通がきく)、あり得ないもの(形象)を「おもう」=目の前におもいうかべるのも「想ふ」である。未だないもの(形象)を「おもう」=目の前におもいうかべるのも「想ふ」である。

 「懐ふ」は、逆に、死者、今はもうないものを「おもう」こと。かつて懐(ちか)しかった人を、懐(なつか)しく、懐(おも)ふこと。

 「憶ふ」は、過去を通じて未来を「憶測」すること。「懐ふ」はひたすら過去に向かうが、「憶ふ」には現在を挟んでの未来への折り返しがある。たとえばノスタルジーは、「かつてあったもの・ことに、再び相まみえることがないだろうこと」を巡って構成される。「失われたもの」への「おもい」ではなく、「失われたものが、今後永久に失われている」についての「おもい」なのだ。我々はもはやそこに帰ることはできない《だろう》、我々はもはやその人の会うことはない《だろう》と、人は「憶ふ」のである。
 
 https://readingmonkey.blog.fc2.com/blog-entry-254.html
 Author:くるぶし(読書猿)
 
 
平安歌人の恋歌に「心」の有り様を少し見てみよう。 
 
しのぶれど 色に出でにけり わが恋(こひ)は
ものや思ふと 人の問ふまで
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歌意
私の恋心は、誰にも知られまいと心に決め、耐え忍んできたが、とうとうこらえきれず顔に出てしまったのか。何か物思いがあるのですかと人が尋ねてくるほどに。 

この歌は小倉百人一首の歌で作者は平兼盛(たいらのかねもり。?~990)で平安時代の官人、歌人。三十六歌仙の一人。光孝天皇のひ孫・篤行王の3男で、臣籍に下って平氏を名乗り従五位上・駿河守となった。後撰集の頃の代表的歌人。赤染衛門の父という説もある。

私はこの歌は女性が詠んだ女心の歌だろうと長い間思っていましたが実はこの歌の作者は男性なのです。たしかに忍ぶ恋は男の恋であり女の恋の歌とは違う。隠さねばならぬ恋をしていながらそれが隠しきれずに顔に出てしまう。

心に押し包んで隠している恋。この心というのは「裏」の自分であり、顔(色)に出てしまうという顔は「表」の自分なのである。心というものは表面には出てこないで自分の中の奥深く沈んでいるのだ。だから「心が面に出てしまう」と言った表現になる。
 ここで漢字の読み方なのだが「心」は「うら」と読む。「面」は「おもて」と読むのである。「心」という言葉には「裏」と同じように「表に見えないもの」「隠されたもの」という意味を持っている。
 
 
 では「心寂しい」はどう読むのでしょうか。

  これまでの説明でおわかりと思いますが「こころさみしい」ではなく「うらさみしい」と読みます 
  裏の心が面に出てこないように耐えしのでする恋が「しのぶ恋」ということになります。辛いですが恋は病なので仕方ありません。でもそうまでしても恋しい人に出会えたことは幸せなことかもしれませんね。


 男の恋歌にくらべて女性の恋の歌は行動的だ。
 
 小野小町の恋の歌二首。
 
 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを

 歌意
 あの人のことを思いながら寝たら夢であの人と会った。それが夢とわかれば目を覚まさなかったのに、(悔しい)。

 わびぬれば 身をうき草の 根をたえて 誘う水あらば いなむとぞ思う

<歌意>
 生きるのが辛くなった。私の身は根のない浮き草なの。根なし草が水に流されるように、私を誘う人がいたら、その人に流されて都を去ろうと思う。(誰か誘ってくれないかしら)
 

 恋多き歌人と言われた和泉式部「小倉百人一首」にある次の歌はどうだろうか。
 
 
 あらざらむ この世の外の 思ひ出に
                今ひとたびの 逢ふこともがな
                
 歌意
 もうすぐ私は死んでしまう。あの世へ持っていく思い出として、今生の思い出としてもう一度だけ、あなたに会いたい。
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 そうか、もう一度だけ会いたいんだな、と思うのは女心を知らない朴念仁の言うことだ。
 この場合の「逢ふ」というのはそのものずばり「男女関係」であって「死ぬ前にもう一度抱かれたい、あの人に」という意味だ。
 
 もはや命尽きる死の床にあってあなたどこにいるの私を抱いて、と悶え苦しむ心の内を晒して絶唱しているというひたむきさを越えた、狂おしいほどの心の内の情念歌う激白の一首である。
 
 男の歌う気取ったしのぶ恋どころの騒ぎではない。
 
 
Posted at 2021/09/17 13:46:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読後感想文 | 日記

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