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2011年12月06日 イイね!

「はやぶさ」と名付けられたSA22C

「はやぶさ」と名付けられたSA22C先にご紹介した島根県警察仕様と同時にRAI'Sからリリースされたのが、秋田県警察に配備された初代・マツダサバンナRX-7の制服仕様パトロールカー。
12Aロータリーターボを搭載するピュア・スポーツモデルをベースとした高性能パトロールカーは、秋田県警察でも交通部交通機動隊に配備されて、交通取締りや事故処理などの任にあたっていました。

当時はセダン型の車種については今ほどの優れた運動性能を有するものが無く、一方でスポーツモデルは性能向上が著しかったことから、ピュア・スポーツモデルをベースとした交通取り締まり用のパトロールカーが必要とされたのでしょう。
さらに言えばこうした車種選定には性能的な要求によるものに加えて、存在そのものが抑止力となることで交通事故の防止につながるという側面もあるように思えます。実際にこうしたスポーツモデルのパトロールカーは広報活動の主役にもなっており、テレビ番組や交通安全啓蒙活動イベントなどでの露出も少なくありませんでした。

私自身、さすがにこのモデルの実車にお目にかかったことはありませんが、例えば同時期に東名高速などで使われていたS130型・日産フェアレディZのパトロールカーなどは、道路上をただ流しているだけの状態でも圧倒的なオーラを撒き散らしていたものです。

また、実は私の記憶の中に、この「はやぶさ」と名付けられた秋田県警察のサバンナRX-7は鮮烈に残っています。何故なら当時、「はたらくくるま」の絵本に掲載されていたのを見て、とても印象に残っているのです。やはりパトロールカーなのにリアフェンダーにわざわざ「はやぶさ」と愛称が記されていたことは、子供心に印象深いものでした。
さらに当時、トミカダンディというミニチュアカーのシリーズでもこの車両はモデル化されており、私自身が秋田県警察仕様とされた一台を所有していた記憶もあるのです。

近年はベースとなるべきスポーツモデルそのものが減少し、かつ使い勝手に優れているセダン型の車種でも優れた動力性能を有していることから、国内ではピュア・スポーツモデルをベースとしたパトロールカーは減少しています。
ロータリーエンジンを搭載した車種で言えば、古くはコスモ・スポーツに始まり、3世代に渡るRX-7、そしてRX-8までもが制服仕様パトロールカーとして採用され続けてきましたが、先にロータリーエンジン車の発売が終了されるというアナウンスもありましたから、しばらくはその歴史に空白が生まれることになってしまいそうです。
 
MiniCar|RAI'S マツダサバンナRX-7 (1979) 秋田県警察交通部交通機動隊車両
MiniCar|RAI'S マツダサバンナRX-7 (1979) 島根県警察交通部交通機動隊車両
MiniCar|RAI'S マツダRX-7 Type RS 1998 千葉県警察高速道路交通警察隊
MiniCar|RAI'S マツダRX-7 Type RS 1998 群馬県警察高速道路交通警察隊
MiniCar|RAI'S マツダRX-7(FC3S)1989警視庁高速道路交通警察隊車両(速11)
MiniCar|RAI'S マツダRX-7(FC3S)1989警視庁高速道路交通警察隊車両(速30)
 
Posted at 2011/12/18 00:45:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニチュアカー | 日記
2011年12月05日 イイね!

伝統あるロータリー・パトカー

伝統あるロータリー・パトカー宅配便で届けられては溜め込んでいた新たなミニチュアカー・コレクションについて、そろそろ整理をしながらコレクション・ノート代わりにフォトギャラリーとしてもご紹介していきたいと思います。
まずは本ブログではお馴染みの「RAI'S」から11月下旬にリリースされた新製品。このシリーズは実在の警察車両をモデル化していますが、時に今は存在していない懐かしい車両を再現した商品をラインナップに加えてきます。今回の新製品もそんな流れを受けたもので、初代のマツダサバンナRX-7が2タイプ発売になりました。

最初にこちらでご紹介するのは、島根県警察に1979(昭和54)年度に配備された車両。当時、島根県には高速道路が開通していませんでしたので、県警にも高速道路交通機動隊は存在しておらず、交通部交通機動隊への配備となっていました。

サバンナRX-7と言えば、RX-3や往年のコスモ・スポーツの血統を受け継ぐピュア・スポーツモデル。初代のSA22C、1985年にモデルチェンジを受けて2代目となったFC3S、そして1991年のモデルチェンジで3代目へと進化し、結果的には最終モデルとなったFD3Sに至るまで、一貫してロータリーエンジンのみを搭載してきました。そして、警察車両の世界においても、数は非常に少ないものの3代に渡って制服パトロールカーとして導入され続けたのです。

もちろん動力性能に優れるスポーツモデルのパトロールカーは、高速道路交通機動隊や交通機動隊に配備されて、交通取締りや事故処理などを主な任務としています。しかし、実用性という面ではコンパクトなキャビンや硬めのドライビングフィールが、決してその任に最適と言えるものではないでしょう。
ただ、この十年ほど前までの価値観で言えば、高性能を見た目でも表現しているスポーツカーをパトロールカーとすることそのものが、違反や事故の抑止効果を生んでいた面もあったでしょうし、交通安全啓蒙活動などでは広告塔的な役割も持たされていたようです。

ベースとなるべきスポーツカーそのものが絶滅状態にありますので、今後はなかなか2ドアボディのスポーツタイプ・パトロールカーが登場することは無さそうです。しかし一説によるとその昔にはランサー・エボリューションを導入していたという噂もある島根県警察、その真偽のほどは確かめようもありませんが、高速道路の延伸が続くという背景もある土地柄ですから、そのうちに興味深い車種選定を行ってくる可能性もありそうです。

MiniCar|RAI'S マツダサバンナRX-7 (1979) 島根県警察交通部交通機動隊車両
MiniCar|RAI'S マツダRX-7 Type RS 1998 千葉県警察高速道路交通警察隊
MiniCar|RAI'S マツダRX-7 Type RS 1998 群馬県警察高速道路交通警察隊
MiniCar|RAI'S マツダRX-7(FC3S)1989警視庁高速道路交通警察隊車両(速11)
MiniCar|RAI'S マツダRX-7(FC3S)1989警視庁高速道路交通警察隊車両(速30)
 
Posted at 2011/12/17 23:51:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニチュアカー | 日記
2011年12月04日 イイね!

東京で始まり、東京で終わる

東京で始まり、東京で終わる3日(土)から一般公開が始まっている「東京モーターショー」もそうですが、このような大規模なショーは各メーカーが新型車や新技術を発表する場として注目を集めます。今回の東京でも"ワールドプレミア"と呼ばれる世界初公開や、"ジャパンプレミア"と呼ばれる日本初公開を果たした新型の市販予定車やコンセプトカー、新しい技術などがいくつかありました。
残念ながら往年の「東京モーターショー」と比べると、その数はかなり寂しいものになってしまっています。これも、世界のどのショーで"ワールドプレミア"を行うかということは各メーカーの販売戦略によるものであり、日本の自動車市場が置かれている厳しい現実を見せられたようにも思います。

ところで今回は、これらとは逆にショーの開催期間中に、販売中である現行モデルの終売とブランド廃止の予定が発表されるという、珍しいニュースがありました。


●ダイムラー、最高級ブランド「マイバッハ」から撤退
asahi.com(朝日新聞)  2011年12月4日 19時01分

東京モーターショー」の開催にあわせて来日したダイムラー社の販売担当上級副社長が明らかにしたところによると、2013年までに同社の最上級ブランドである「マイバッハ」を市場から撤退させ、そのポジションはメルセデス・ベンツの「Sクラス」に引き継がれるということです。

マイバッハ」の歩みを振り返ってみると、1997年に開催された「第32回 東京モーターショー」のプレスディ初日に、このブランドが60年ぶりに復活することが発表され、ステージ上の「マイバッハ57」には世界中の報道陣から注目が集まりました。

1901年にダイムラー社が初めて“メルセデス”と名付けた車の設計者、ヴィルヘルム・マイバッハが独立して会社を起こし、飛行船のエンジン設計などを行ったのが「マイバッハ」の第一歩。その後、息子のカール・マイバッハが自動車の製造を始め、V12エンジンを搭載した“ツェッペリン”などは世界的な最高級サルーンとして王侯貴族や富裕層を顧客としていました。

その後、1950年代に入ってカールが引退すると会社はダイムラーの傘下となりましたが、マイバッハの名を冠した車は市場から消え、自動車としてのマイバッハ・ブランドは長い眠りについたのです。
この眠りから覚めたのが1997年、前述の通り「第32回 東京モーターショー」でのブランド復活は大きなニュースとなり、日本やアメリカはもちろんですが地元であるヨーロッパでもロールス・ロイスベントレーの将来が話題となっていた時期であったために、メルセデス・ベンツが展開する新しい最高級車戦略がどのようになるのか、という点からも注目を集めました。

そんな「マイバッハ」が市場に送り出されたのは、復活発表から5年が経った2002年のこと。標準型となる「57」とロングホイールベースの「62」は、ともにV型12気筒で排気量5,500ccにツインターボを組み合わせたパワーユニットを搭載。内外装は贅の極みを尽くしており、「62」では透過率を自由に変えられるガラスルーフなども注文装備することが可能でした。
なにしろ最高級車ゆえにデビュー時の発表会も贅沢なもので、2002年の6月にイギリスからアメリカへと向かったクイーン・エリザベスⅡ世号に積まれた「マイバッハ・62」はガラスケースに納められており、ニューヨークに到着するとガラスケースごとヘリコプターにつり上げられて街中へと運ばれていきました。

特定の顧客を対象としているため、販売手法も独特なものを採用。日本の場合は東京にただ一カ所だけ用意された「マイバッハ・セールスセンター」のみが窓口となり、展示車の確認や商談などは完全予約制。もちろん商談には専任のスタッフがあたるというものでした。ちなみに新車の価格はデビュー当時の日本仕様でおよそ4,100万円。これはあくまでも基本仕様であり、ボディカラーにはじまり、数多くの注文装備品が用意されているので、それこそ値段さえ気にしなければ完全に自分好みの1台を仕立てることが叶うものでした。

その後、いわゆる先進国では経済の低迷が厳しさを増し、一方で新興国は急成長という流れが加速。そんな中で「マイバッハ」はこれまでにおよそ3,000台が市場に送り出されたと言われていますが、この数字は正直に言って商業的には失敗であったと言わざるを得ないでしょう。
では世界景気の低迷などが要因なのかというと、2010年にはロールス・ロイスが過去最高となる年間2,711台を販売しています。もっとも、ロールス・ロイスの場合はブランド内に「ファントム」から「ゴースト」までラインナップの幅もあるので直接的な比較は難しいかもしれませんが、決して超高級車の市場がおしなべて低迷しているという訳では無さそうです。

今回の「マイバッハ」の撤退、そこからはやはり“高級ブランド”というものが一朝一夕には生まれ得ないということが見えてくるように思えます。60年という時間を経て復活したブランドも、実際の市場、特に新興国市場では全くの新参者として捉えられていたようですし、売り手が販売手法などを工夫してプレミアム感を演出しようとしても、ブランドそのものが持っている価値が追いついていなければ、単なる敷居の高さだけが残る結果になってしまいます。
また、デザインについても受け取り方は個々で様々でしょうが、少なくとも私個人の印象としてはデビュー時に初めてお目にかかったときから「物足りなさ」を感じていました。Sクラスとの近似性や共通性を持たせることの是非、そしてデザインそのものに覚えた質感の不足。超高級車の世界は保守的な価値観を持った客層が主となるため、あまり「マイバッハ」のデザインは好感を持って受け入れられなかったようです。

残念ながら実車のデビューから10年ほどで歴史の幕を閉じることになってしまった「マイバッハ」。この教訓も含めて、次のSクラスがどのような形で登場してくるのか、世界的に興味はそちらに移りつつあると言うのが現状でしょう。
 
2011年12月03日 イイね!

義務と責任

義務と責任2011年11月27日付のエントリに記したように、ツインリンクもてぎのロードコースで開催されたスーパー耐久シリーズ最終戦(第6戦)は、ST-2クラスについてのみレース結果が暫定のままとなっていました。

これは決勝終了後に優勝した車両に対して技術面の抗議が出されたことによるものですが、去る11月30日付で大会審査委員会は公式通知を発表しました。結果の行方については私も気になっていたのですが、発表された文書によると抗議対象となった車両から「再車検辞退の申告があったため、ツインリンクもてぎ四輪一般競技規則 第24条 ~6) (再車検辞退) により失格とする」というものでした。

この文書を見て、正直に唖然とさせられました。
今回の件で受理された抗議により、優勝車両についてシリーズ技術規則への適合を確認する必要が生じました。そのため、確認用資料の用意などもあるため、対象車両はサーキットの車検場に留め置きされて車両保管を継続し、後日用意が整ったら技術委員などが再車検を行って最終判断をする、という流れになる筈でした。

ここでおさらいすると、レースでは公式日程の最初に全ての参加車両を対象とした公式車両検査が行われます。ここでは技術委員によって安全面や車両重量などを中心に技術規則への適合が確認され、不備がある車両については改善できなければ競技への参加は認められません。
そして決勝レースが終了した後には「再車検」が行われ、基本的に各クラスの上位入賞車両について改めて規則への適合を確認されます。この「再車検」に合格することで初めて順位が認定されて、正式結果が発表されます。ちなみにレースを象徴するシーンのひとつであるシャンパンファイトなどが行われている表彰式は「暫定表彰式」であり、この間に行われた「再車検」の結果によっては順位の変動が生じる場合もあるわけです。

そして抗議についてですが、これは全ての参加者に平等に認められている権利のひとつ。モータースポーツは全参加者がひとつの規則の下で競っていますが、仮になんらかの規則違反であったり、競技運営団のジャッジに疑義を持った場合には、チームとして書面で抗議料を添えて抗議をすることが出来ます。これについての裁定は一般社会でいう「裁判所」の役割を担う「大会審査委員会」という独立した組織が関係者からの事情聴取や必要に応じてビデオでの検証、技術的なものの場合は技術委員による検査確認などを経て、最終的な判断を下します。

今回は正式な手続きを経て抗議が受理され、規則への適合を確認するために「再車検」が行われることになりました。
ここで今回の件で失格の根拠とされたツインリンクもてぎ四輪一般競技規則の該当条文を見てみると、「第24条 競技終了後の車両保管と入賞車の車両検査」という条文には6つの項目があり、その中の「~6) 車両検査に応じない車両は失格とされる。」という規則が適用されての失格処分となっています。
しかし、公式通知では「再車検辞退」という表現がされていますが、これは甚だ不適切な表現であるとしか言いようがありません。そもそも第24条には「~3) 入賞車および抗議対象車は、レース終了後または大会審査委員会の求めに応じて随時車両の分解その他必要な方法による車両検査を受けなければならない。」と明記されています。

そうです、「受けなければならない」。つまり、再車検は義務なのです。そのことは今回のレースの決勝正式結果でも明白で、公式通知では「第24条 ~6) (再車検辞退)」と書かれていますが、正式結果のペナルティ欄には「第24条 ~6) (車両検査義務) 違反」と失格の理由が記されています。
私がもっとも今回の件で残念に思ったのはこの部分です。当たり前のことですが、“義務”を“辞退”することは出来ません。ちょっと飛躍し過ぎた例えかもしれませんが、一般社会において例えば「納税の義務」を辞退することなど、出来るはずもありません。義務に対して意志を持って満たさないという行為は、辞退ではなく“拒否”と表現するべきなのです。

そして、モータースポーツはスポーツである以上、厳格に規則の下で競われるべきものです。この規則については完全な平等というのは難しく、必ずそれぞれの立場から大なり小なりの不平不満が出るものですが、それでも限りなく平等性を考慮して作られるものであり、それに従うことも参加者や主催者の義務です。
この義務を拒否するというのは、スポーツにおいて非常に深刻な事態です。そして、その深刻な事態を曖昧な言い回しで発表する主催者側の姿勢にも疑問を抱かざるを得ません。

個別案件のひとつとして今回の出来事を捉えたときに、多くの人がそれぞれの立場で色々な意見を持っておられることでしょう。
しかし、厳格で公正な規則の運用はスポーツにおいて基本中の基本、大前提なのです。そういう大局的な観点で見たときに、今回の問題は単なるひとつの大会におけるひとつの出来事として簡単に片づけるのではなく、この問題をしっかり解決して将来に向けて善処すべき点は正していくという姿勢が、スーパー耐久シリーズという20年以上に渡って続いているカテゴリーにとって、とても大切なことではないかと考えます。

結果的には規則に従った抗議があり、再車検拒否という前例が無いと思われる対象側の対応により、規則に従って失格という処分が下された今回の事案。私自身としてはどこのチームがどうとか、個別の誰がどうとかいうのではなく、義務を放棄したという今回の結果は非常に後味の悪いものであり、悪しき前例とならないことを願って止みません。
モータースポーツはスポーツであり、エンターテイメントです。しかしエンターテイメントという要素を多分に含んでいますが、あくまでもスポーツ。ならば規則に従うのは当然のことですし、もしも規則をないがしろにするような運営や参加形態がまかり通るのであれば、モータースポーツを称して入場料を徴収して観客を動員するというのは、ファンを愚弄する以外の何物でもないと思えます。
 
Posted at 2011/12/14 23:40:22 | コメント(2) | トラックバック(1) | モータースポーツ | 日記
2011年12月02日 イイね!

お薦めのお土産

お薦めのお土産カレンダーも12月に入り、年末年始の帰省や旅行の計画を立てているという方も多いのではないかと思います。ところで旅行と言えば、つきものなのが“お土産”。家族や親戚にはじまり、友人や職場の同僚などに向けて、お土産を購入していくというケースは旅行におけるお約束のようなものです。
そこで今回は、判る人からはちょっとした笑いもとれそうなお土産をひとつご紹介します。

写真がそのアイテム。ご覧の通り、いわゆる「ガムテープ」です。
このアイテムを見つけたのは関西国際空港の展望施設「SkyView(スカイビュー)」の中にあるスカイショップタウン。こちらではミニチュアプレーンや世界各地の航空会社グッズ、関西圏の名産品など、幅広い品揃えを用意しています。そんな中には関西国際空港のオリジナルグッズもあるわけですが、そのうちのひとつが写真の「ガムテープ」なのです。

飛行機を使って旅行した経験のある方ならピンと来るでしょうが、この「ガムテープ」は預託手荷物につけられるタグをイメージしています。その昔は荷札のようなものを使っていましたが、近年ではどの航空会社もテープ様式のものを使っており、表面に荷受地や経由地、目的地、搭乗便などが記載されており、管理用のバーコードもつけられているのが一般的です。
そんなタグを再現した感じの「ガムテープ」。もちろん出発地は関西国際空港とされており、IATA(国際航空運送協会)が定めている空港コードの「KIX」も明記されています。
目的地や搭乗便の欄は空欄とされていますので、ここは遊び心を持って自らで何かを書き加えても良さそうです。

ところで話はちょっと変わりますが、一般的に広く使われている「ガムテープ」という言葉が本来指すものは、皆さんのイメージとちょっと違っているということをご存じでしょうか。
“ガム(糊)”+“テープ”で「ガムテープ」となるわけですが、JIS(日本工業規格)の規格番号JIS Z 1511にある「紙ガムテープ(包装用)」について確認すると、その概要は「包装の封かんに用い,水で湿して粘着する紙ガムテープ」とされています。
そう、本来のガムテープとは、郵便切手のように使用時に糊面を湿らせて粘着力を高めて用いるものだったのです。

これに対して現在主流となっている簡単に貼れるテープは「粘着テープ」や「クラフトテープ」と表現するのが適当であるということになるようです。もっとも、既に一般的には「ガムテープ」として広く認知されていますから、ことさらに拘るようなことでも無いかもしれませんが。
ちなみに「ガムテープ」をこの世に生み出したのは、かのトーマス・エジソン。生涯に1,300を超える発明をしたと言われており、白熱電球や蓄音機、トースターなどは私たちの現代社会に欠かせないものとなり、多大なる功績を残しました。そんなエジソンが発明した「ガムテープ」も、やはり日常生活においては必要不可欠なものであると言えるでしょう。
 
Posted at 2011/12/14 05:41:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 航空・鉄道・海運 | 日記

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