• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

くまとっどのブログ一覧

2018年04月25日 イイね!

「KNY」ってDAI語ではありません。

「KNY」ってDAI語ではありません。日本車がGr AのWRCを席巻した90年代。

そのひと昔前の80年代、日本メーカーの目指したWRCは、即ちサファリラリーでした。






日産がブルーバード510でサファリ総合優勝したのは、1970年。

以降、各社がアフリカのカーブレーカーラリーに参戦し、自身の性能を磨いてきました。

当時のラリーカーは90年代とは違い、日本で作って日本のスタッフがチーム運営。

なのでラリーカーには、日本のナンバープレートがついていました。





国内のナンバーでは、陸運支局の所在地が書いてある部分。

ブルーバードは「TKS」となっています。

これは「東京 品川」の略です。

日産で品川ナンバーということは、旧本社の銀座での登録なんでしょうね。

この国際ナンバープレートが、ワークスラリーカーっぽくて、かっこよかったです。




こちらは、日産が優勝した最後の車、1982年のバイオレットです。

この時は、1979年からの4連覇でした。





このバイオレットのナンバーです。

「KNY」に変わっています。

このナンバー、「神奈川 横浜」の意なので、横浜ナンバーです。

現在ならば、グローバル本社が横浜なので納得ですが、当時はまだ銀座です。

では、なに故に横浜ナンバー?

それは、ここが登録地だからなのです。





追浜工場です。

所在地は、神奈川県横須賀市になります。

ここにあった「特殊車両部 第1実験課」が、海外ラリーを担当していました。

通称「追浜ワークス」とも呼ばれていた所です。

この「KNY」ナンバー、日産ワークス車両の証だったんです。


ちなみに、他のメーカーはどうだったのでしょう?

例えば、ダイハツ。





1993年、シャレード TR-XXです。

1000ccツインカムターボという、ハイスペックなエンジンは、熱と埃には弱そうです。

ですが、この年は総合4位、クラス優勝でした。

ちなみにこの年、1位から3位までは、トヨタワークスのTTEから参戦したセリカGT-Four(ST185)。

ということは、ワークストヨタに次ぐ順位ですから、大健闘ですね。





ナンバーは「TKN」。

これは「東京 練馬」の略です。

「大阪」ではないんですね。

これは、運営をしているDCCS(ダイハツ カー クラブ スポーツ)と車両製作担当のDRS(ダイハツ レーシング サービス)が、東京の池袋にあった為です。





そして、うちの地元、スバル。

STI設立以前は、レオーネで参戦していました。

ナンバーも当然「GM」、「群馬」です。

群馬なんですが、富士重工の本体ではありません。

JAC(上州オートクラブ)を母体とした、SMSG(スバル モーター スポーツ グループ)が運営をしていました。

その後、スバルはプロドライブと組んで、1990年よりWRC本格参戦。

ですが、サファリだけは1995年まで、STIと組んだSMSGが担当していました。

やはりサファリだけは、特殊なラリーだったからでしょうね。

SMSGが運営していたからでしょうか、1993年にはこんな飛び道具を出しています。





ヴィヴィオ RX-Rです。

エントリーがSMSGなので、ボンネット左上にあるナンバー。

見づらいのですが、よく見ると「GM」です。

ちなみに軽自動車の国際ナンバープレートは、黄色ではなく白です。





この国際ナンバーで、気になることがあったんです。

先日の前橋中心商店街で見た、モンテカルロラリー参戦のフェアレディZ。

ナンバーが「GMG」だったんです。

あれ? 群馬は「GM」では?

そうしたら、今は表記方法が変わっているそうで。

「県名+都市名」で表記されるのだそうです。

「品川」とか「横浜」ならわかります。

「群馬」も「高崎」ナンバーならば「GMT」なんだそうです。

じゃあ「群馬」は?

これは「群馬 群馬」となるので、「GMG」なんだそうですよ。

群馬の他にも、県名と都市名が同じナンバーってありますよね。

例えば「大阪」。

これは「OSO」。

「鳥取」ならば「TTT」なんだそうです。


今やご当地ナンバーもあり、より種類が増えています。

なので、この地名表記、かなり複雑になっているみたいですよ。
Posted at 2018/04/26 10:09:48 | コメント(6) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記
2018年04月23日 イイね!

太郎さんの鐘 in 前橋

太郎さんの鐘 in 前橋岡本太郎さんの作品が、群馬県前橋市に設置されたということで、見に行ってきました。




白いものは作品ではありますが、これは付帯物です。




主役は、こちらの鐘です。

それにしても、ちょっと樹木が多過ぎやしませんかね?





さらに近づいて見ました。

これでやっと全容が掴めます。




これは「太陽の鐘」という作品です。

むかし、マクセルのCMで「芸術は爆発だ!」って叩いていた鐘かなぁと、思っていました。

そうしたら、さに非ず。

あれは「歓喜の鐘」という別の作品だそうで。




これは昭和41年(1966年)の作品です。

ということは、万博の太陽の塔よりも古いんですね。

元々は伊豆にあったレジャー施設にて、展示されていました。

ですが1999年、その施設が閉園。

以降、倉庫に保管され非公開とされていました。

それをこの度、前橋市が譲り受け、今回の展示と相成ったそうです。



久しぶりに街中に出てきたので、ちょっとブラブラしてみました。





前橋中心商店街には、伊香保の「おもちゃと人形 自動車博物館」前橋別館という、展示スペースが3ヶ所あります。

まず1ヶ所目の展示は、ミゼットです。

やっぱり、前橋はスバル360ではなくて、ミゼットなんですよね。

というのは、ミゼットは前橋生まれだからなんですよ。

ミゼットはダイハツなので、大阪池田で生産されていました。

ですが、池田で生産したものを全国に配送するのは、ちょっと大変。

そこで関東甲信越向けは現地で作ろう、ということになりまして。

前橋市にダイハツ前橋製作所が設立されまました。

それが後にダイハツ車体となり、現在は大分に移転してダイハツ九州となっています。





この、カタカナのダイハツロゴ。

ちょっと懐かしいです。





続いて2ヶ所目は、くまさんの展示です。

伊香保の博物館は、テディベアの展示でも有名なんです。

左の黒と隣のベージュは、コストコくまさんではないでしょうかね?





最後、3ヶ所目は、フェアレディZです。

この車両は、今年開催されたラリー モンテカルロ ヒストリックに参戦したものです。






イメージは、1972年にモンテカルロラリーで3位入賞した車両のレプリカ。

当時のモンテラリーは、FFのミニクーパーやRRのポルシェ911の様に、駆動輪にエンジンが乗っていないと勝てない、と言われていました。

雪と氷のラリーですが、駆動力(トラクション)の確保が大事だったんですね。

ですが、そんなジンクスを破りフェアレディZは、不利なFRで見事3位入賞を果たしています。





ちょっとブラブラにも疲れてきたので、ここで一休み。

中心商店街では、有名なお店です。





数量限定のプリンパフェを食して参りました。

プリンが、ちょっと懐かしい味です。





今年も5/20に、この商店街を会場としたクラシックカーイベントが、開催されます。

ここにはアーケードがありますので、雨天でも快適に見学出来ます。

お時間がある様でしたら、是非!
Posted at 2018/04/23 10:09:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | 群馬 | 日記
2018年04月15日 イイね!

ホンダコレクションホール <初の四輪市販車編>

ホンダコレクションホール <初の四輪市販車編>ツインリンクもてぎ内にある、ホンダコレクションホールへ行ってきました。

ここは年度単位で、少しずつ入れ替えをしています(多分)。

そういえば昨年度は、一度も行ってませんでした(反省)。

今回は、この車のご紹介を。





T360


ホンダ初の四輪市販車で、なおかつ日本初のDOHCエンジン搭載車です。

デザインがカエルくんみたいで、かわいいですね。

スポーツカー用高性能エンジンの象徴とも言える、DOHCエンジン。

日本における歴史は、意外にもトラックから始まっています。





搭載されたのは、このAK250E型。

354ccの水冷で、しかも4気筒。

エンジンが極端に前傾しているのは、シート下に搭載するので高さを抑える為です。

なので、あのボンネットを開けてもエンジンは見えません。

代わりに鎮座されているのは、スペアタイヤです。

軽トラックは、低回転での力強さが重視されます。

でもこのエンジン、全く正反対の高回転高出力型になっています。





キャブレターも、前期型は4キャブです。

1シリンダー1キャブレターなんて、当時でも一部のスポーツカーくらいしか採用されていませんでした。

ところで、どうして軽トラなのに、こんな高回転高出力なエンジンを搭載していたのでしょう。

それは、この車との関係もあるのでしょう。





S360


ホンダは初の四輪市販車として、この2車種を並行で開発していました。

「速く走れるスポーツカーこそが、自動車のあるべき姿」と考える本田宗一郎さん提唱のS360。

「経済復興途上の日本で、必要なのは商用車」と考える藤澤武夫さん提唱のT360。

それぞれ異なった用途なので、専用エンジンをそれぞれ用意出来れば良かったのでしょう。

ですが、当時のホンダにそこまでの設備投資は、負担が大き過ぎます。

そこで、この2車はエンジン共用となったのでした。


それから、実はもう1つ理由がありまして。

T360の性能要件に「最高速100km/h」というのがありました。

それを実現する為に必要な馬力は、30馬力。

馬力は、トルクと回転数に比例しますので、高回転化出来れば高出力になります。

そこで要求馬力から逆算された必要回転数は、9000rpm以上。

その為には、4気筒で1シリンダー1キャブレター(4キャブ)が必須となりました。





エンジンをシート下のスペースに収める為には、高さを抑えなければなりません。

そこで開発当初は、空冷水平対向4気筒で行われていました。

ですが、スペースの都合なのか、この方式では4キャブを収めることが出来ません。

そこで、エンジンは水冷直列4気筒に変更されました。

つまり、T360にスポーツカーの様なエンジンを搭載しているのは、この30馬力要件を達成させる為です。

実はS360の存在とは関係なく、T360はこのエンジンにせざるを得なかったのです。

ただ、S360との共用化で、製造コスト低減は狙っていましたが。






排気も慣性効果を狙い、パイプによる等長化が施されています。

現在ならば機械曲げですが、当時は設備がなかったのか火あぶり手曲げだったそうです。

量産部品なのに、手作りだったとは・・・





ここまで並行で開発された2車ですが、結局市販されたのはT360だけ。

当時、自動車自体の普及が進んでいない日本で、スポーツカーの投入は時期尚早と判断されたのです。

そこでスポーツカーは、海外での販売も視野に入れ、世界で通用する車へと進化させました。

排気量も日本の軽規格とは関係のない、500ccへ。

それに伴いボディも大型化され、この車で市販されました。





S500


排気量が拡大されたのには、もう1つ理由がありまして。

当時、貿易自由化に対応すべく、特振法を成立させる動きがありました。

この法律は特定産業を指定して、その業界が海外勢と十分渡り合える様に強化するというものです。

自動車は、この特定産業に指定されました。

その結果、新規参入メーカーの制限、既存メーカー再編(合併)を行う動きが出てきました。

プリンスと日産の合併劇も、実はこの影響なのです。

当時のホンダは、まだ二輪専門メーカー。

この法律が施行されれば、四輪メーカーになれません。

その為には、早く四輪生産を開始して実績を作らなければならないのです。

その実績を軽自動車と普通車で作っておけば、施行後、車種拡充する際に有利に働くのでは、との思惑もあった様です。

ですが特振法、結局は廃案となり施行されませんでした。

しかもこのS500、発売から1年も経たずして、馬力不足を理由にS600になっています。

ホンダの四輪車メーカー黎明期は、いろいろと大変だった様です。
Posted at 2018/04/15 05:50:01 | コメント(6) | トラックバック(0) | ホンダ | 日記
2018年04月09日 イイね!

ダイハツ 繋がる名前

ダイハツ 繋がる名前今年2月のことです。

ダイハツ ミラの生産が終了しました。

40年近くに渡る、老舗のブランドだったのですが。





実は最後のミラ、ちょっと特殊なシリーズ形態になっておりまして。

乗用1モデル、商用1モデルしかなかったんです。

その心は・・・




ちょっと分かりにくい写真ですが・・・

ミラは、MT専用モデルだったんです。

販売メインのATは、実質後継モデルのミラ イースに集約されまして。

逆に言うと、ミラ イースでカバー出来ないMTと商用バンを、ミラは担っていた訳です。


私自身は、ミラを所有したことはないです。

ですが、以前お願いしていたポリマーコーティング屋さんの代車が、3代目ミラでして。

年1回はお世話になってました。


この代のミラにはお約束らしい、天井の垂れ下がりもありましたが、元気に走ってくれてましたよ。






そういえば、ダイハツの乗用軽って、名前付け方にルールがあるみたいです。

例えば、最新はこれですよね。





ミラ イース


先代ミラの名前を受け継いでいます。

で、ミラなんですが、今でこそ「ミラ」だけですけど、デビュー時はもうちょっと長い名前でした。





ミラ クオーレ


この頃はスズキが開拓した、軽ボンバンの大ブーム。

スズキは、乗用のフロンテ、商用はアルトがラインナップされていました。

対するダイハツ。

乗用はクオーレ、商用はミラ クオーレでした。

でも、ミラ クオーレ、2年程で今の短い名前「ミラ」に改名しています。






さらに遡っていきましょう。

クオーレの1つ前、それはこれでした。





MAX クオーレ


軽自動車の規格が、360ccから550ccになりまして。

当初は先代の360cc用ボディを流用して、エンジンだけ550ccを搭載して対応していました。

満を持してボディも新規格対応にしたのが、このMAXクオーレです。

と言っても、先代に対して幅を広げたくらいで、全体のデザインは先代を踏襲しています。

では、その先代はと言うと・・・





フェロー MAX


この頃は、軽スペシャリティが流行りまして。

ホンダZ、フロンテクーペ等がありました。

そんな中、ダイハツから誕生したMAXは、軽自動車初のピラーレスハードトップでした。

あと、やっぱりフェローMAXと言えば、これでしょう。





40馬力のど根性


当時の軽自動車は360cc。

という事は、リッター換算すると111ps/L。

今見ても、かなりなハイパワーです。


更にもう1つ遡ります。





フェロー


とうとうダイハツ初の軽乗用車に、たどり着きました。



ダイハツ乗用軽の名前ですが、先代モデルの名前を継いで、その後ろに新しい名前が付くみたいです。

「ミラ クオーレ」という例外もありますが。

そういうルールがあるのか、たまたまそうなったのかは不明です。


となると、現行ミラ イース。

次のモデルでは、8代目としてミラの名前を襲名するのか。

それとも、このルールに則り「イース ○◯」という名前になるのか。

どっちなんでしょうかねぇ。
Posted at 2018/04/09 10:10:44 | コメント(4) | トラックバック(0) | ダイハツ | 日記
2018年04月01日 イイね!

増車しました。

増車しました。ホンダ好きを自認しています、わたくし。

4輪は、乗り継いできた19台のうち、16台はホンダ車です。

初めてのホンダ車は、これでした。





ワンダーシビック Si


S800以来、14年ぶりに復活したホンダDOHCです。

このZCエンジンが、凄かった。

低回転からトルクが出ていて、高回転はレブリミッターまできれいに吹き上がる。

それでいて、燃費もよかったですね。


2輪は、15台乗り継いで、ホンダ車は3台。

2ストが好きだったので、実はヤマハの方が多くなっています。

そんな私ですが、1つ大きな買い忘れをしています。


それは・・・

スーパーカブを買ったことがない


・・・なんです。


ホンダという会社、その歴史は決して順風満帆なものではありませんでした。

創業当初は、倒産の危機に瀕する様な時期も。

そこから大きく脱却し、現在の礎ともなったモデルが、これです。






それがスーパーカブです。

運転は、1度だけあります。

友人の父親が飲んでしまった為、それの引き上げ要員として。

なので時間にしたら、10分くらいでしたかねぇ。

シフトペダルがあるのに、クラッチレバーがない。

これをどう操作して良いものかが、わからないまま。

アクセル戻さずにシフトチェンジしてしまい、とんでもないことにもなりました。

ようやく慣れた頃には、はいゴールと。

正直、よくわからないうちに終わってしまいました。





ホンダ初のミッドシップオープンカー、ビートは買いました。

同じくホンダ初のハイブリットカー、インサイトも買いました。

でもスーパーカブを買わずして、ホンダを語る資格はないのでは?

そんな風にも思えています。






今年から、スーパーカブは日本生産に戻りました。

あの異常とさえ思える高品質は、やはり日本生産であってのものかと思います。

最近私の周りは、空前のカブブーム。

みん友さんで1台、お仕事の知り合いでも1台買われています。

とにかく歴史の長いスーパーカブ。

特徴と年式が、なかなか覚えきれません。

かもめハンドル、あんどん、そんな言葉も最近覚えました。


今回入手したのは海外生産モデルです。

それでも、程度は極上で良く作り込まれています。

なかなか良い買い物をしたなぁ、と思っています。













話半分くらいは、本当でしょ?

そんな4月1日のお話でした。
Posted at 2018/04/01 09:59:24 | コメント(4) | トラックバック(0) | ホンダ | 日記

プロフィール

「@中島乗り さん UDの意味、時代と共に変わりますね。私が学生の頃、先生からは「ユニフロー ディーゼル」の略だと教わりました。」
何シテル?   05/30 12:53
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2018/4 >>

1234567
8 91011121314
15161718192021
22 2324 25262728
2930     

リンク・クリップ

エコからオフ in 呉 追加情報 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/10/06 17:02:28
【告知】令和5年、那須合同ミーティング開催日決定♪  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/02/27 12:42:29
ダァ〜イアトーン♬ ポップスベスト10っ♪ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/03/14 12:53:29

愛車一覧

ホンダ N-ONE ホンダ N-ONE
2019年購入 インサイトが追突事故により修理不能となり、代替えしました。 購入候補 ...
ヤマハ YSR50/80 ヤマハ YSR50/80
1999年購入 当時RZ250Rに乗ってましたが、ビビリィな私、とても性能を使い切って ...
スバル スバル360 スバル スバル360
2019年購入。 ヘッドランプリングの黒塗装、大型のテールライトから、1968年の52 ...
スズキ ジェンマ スズキ ジェンマ
2017年購入 「購入」と言っても、物々交換で入手しています、スバル最中と。 友人がお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation