2007年03月26日
愛よりも密やかに
私は幼少の頃からアニメが大好きだったのですが、実は登場人物もストーリーも知っているのに肝心の本編を見たことが無いという作品が多々あったりします。何故なら、週一で放送されるテレビアニメは回を追うごとに絵のクオリティが下がっていくのが必然であり、殆ど動きの無い紙芝居的な作品もあるため、ジャンルとしてどんなに好きでも見る気が低下してしまうからです。殊にロボットアニメは、後半になるほどロボットや戦闘シーンの描写が御座なりになる傾向が強く、本当に「幼稚なもの」としてしか認識できないことがあったりします。それゆえに、私は幾つかの作品をわざと見ないようにしてきたのでした。ただ、最近は実写(映画)も含めて特にこれといって見たいものが無くなってきたため、それまで避けていた作品にも触れてみようかと思うようにもなりました。そんな「マイ・リバイバル」の第一弾として目をつけたのが、今回取り上げる「重戦機エルガイム」でした。
改めて見直して思ったのは、やはり画質は閉口ものながら、物語としては至極真っ当な作り方をしているということでした。主人公が各地を放浪しながら同志を募っていくという展開は、古典的であるがゆえの楽しさをもたらしてくれます。前半部分のオフザケ振りに好き嫌いが分かれるかと思いますが、むしろこれだけ屈託の無い少年少女が主人公である物語が今や殆ど無いことを考えれば、懐かしさにも似た面白味を感じることもできるでしょう。個人的には、こういうテイストも嫌いでなかったりします。
しかし、歳を取ると見方も変わるもので、今回全編を通して見て心に残ったのは主に二つの点に関してでした。まず一つ目は、永野護のデザインが「動くもの」として見られることです。私にとって永野護はアニメの「エルガイム」よりも漫画の「F.S.S」であり(劇場版はまだ見ていない)、あの精緻な静止画こそが氏の作品に対するイメージ源になっています。「エルガイム」において氏の持ち味が充分に発揮されているとは言い切れませんが、「F.S.S」との関連性は随所で見ることができ、それぞれを相互補完的に楽しむことができます(「エルガイム」をして「F.S.S」の一部とする向きもあるようですが…)。何より、各キャラクターの髪型や服装が氏の不変的な好み(つまりロックやパンクのスタイル)を反映していて、他のアニメ作品にはないお洒落感を醸し出しています。また、ロボット(本作品ではヘビーメタルと称される)のデザインも、当時において革新的であると同時に、実は今の時代においてもスタンダード(ムーバブルフレームや全天型モニターの採用など)であり続けていて、非常にメカニカルでありながら芸術的という相反する要素を両立させています。後の「F.S.S」に出てくるモーターヘッドが、中世の騎士のイメージを重ねていることから少々華美な傾向があるのに対して、ヘビーメタルはまだ兵器としての無骨さを残してるといえるでしょう。いずれにせよ、永野護のセンスに共感する人にとって、本作品は間違いなく楽しめる内容であると思います。
また、この「エルガイム」で私が特に興味を惹かれたのは、ポセイダルとミアン、フル・フラットの三角関係でした。およそ子供向けの作品には相応しくない、完全にアダルトな三人の言動は、歳を取った今だからこそ理解・共感できる内容でした(逆にダバ、アム、レッシィの三角関係は見ていて少々気恥ずかしかった…)。当たり前の話ですが、実際にアニメを作っているのは良い歳した大人だったりします。その大人達が、子供向けの物語の中にほんの少しだけ現実世界での本音を含ませる、それが日本のアニメの本当の魅力だと個人的に思っています。そういった意味で、特にフル・フラットの存在感は、作品全体から一人浮きかねないくらいにリアリティーがあって興味深いものでした(あれは絶対に誰かの体験・経験の上に成り立っているキャラクターだと思うんだけどなぁ…)。物語が終盤に差し掛かると、敵味方の間でやたら「愛」という言葉が飛び交うようになるのですが、最後に全てを捨ててまでオリビーに付き添うことを決意したダバに代表されるように、本作品のテーマはまさにそこにあると思います。無償の、しかも報われない愛。よくよく考えてみれば、エンディングのシーンにおいて、願いが叶って幸せになれたキャラクターは一人もいなかったりします。結論的にはやはり富野作品らしく、一筋縄で片付けられない物語だといえるでしょう。
暇な方には全編通して見ることをお勧めします。確かに前半はストーリー的にも画質的にも見苦しい部分が少なくないですが、最後まで見終わったとき、むしろその前半の軽い雰囲気のおかげで幾分救われることになりますから。
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Posted at
2007/07/14 02:03:44
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