2007年03月08日
とある調査機関が「若者の車離れ」について統計を取ってみたところ、「車をプロデュースしてほしい企業」としてソニーとアップルが大きな支持を獲得したそうです。両社は共にスタイリッシュな精密機械を造ることに定評があり、今回の統計の結果もそれを反映したものであると思われます。
しかし、実際にソニーやアップルがプロデュースをしたところで、その車が売れるという確証は全く無いと言ってもよいでしょう。何故なら、自動車という工業製品はPCやデジタルオーディオの類とは異なり、それ自体で完結しないもの、不特定多数の外部的条件・環境が混在する公道上で使用することで初めて真価が証明される商品だからです。一台のモデルを設計・生産するためには膨大な法的制約・時代的要求をクリアする必要があり、今や個人の感性や芸術的センスといったものだけで車という商品を成立させることは不可能になっています。ソニーやアップルに車のデザインを任せたとして、何のノウハウも無い彼らに「視認性を確保しつつスタイリッシュに見えるようAピラーの角度を決める」などという作業ができるでしょうか。プロデュースという言葉が曖昧なのもありますが、ソニーやアップルにできることと言えば、内装やオーディオの質を高めるとか、ボディパネルを一部変えるとか、飽くまでも「カスタマイズ」と呼ばれる範囲に限られます。つまり、車という商品の根幹を成す部分は絶対的にメーカーに委ねられているわけです。どんなに格好良いモデルでも、動力性能が低かったり操縦安定性が悪ければ人気車種にはなれません。逆に、工業製品としての質が高ければ、どこの誰がプロデュースしても売れます。「ソニーやアップルにプロデュースしてほしい」という要望は、結局のところ「内装にもう少し気を使ってほしい」という不満の表れであり、それを解消したところで「若者の自動車離れ」という根本的な問題は解決しないでしょう。そういった意味で、今回の統計は自動車の売り上げ低下に関して何ら解決方法を示唆するものではないと思います。
先日、会社の女の子(今年二十歳)から「どうしてスポーティな車が良いの?」と聞かれたときに、私は「運転してて楽しいから」と答えました。すると、その女の子は目を丸くして「運転して楽しいて何?意味不明」と仰られました…。おそらく彼女のような見解は性別を問わず今時の若者に共通するものであるかと思われます。この辺の意識改革に取り組む気がメーカー側に無い限り、国内における自動車の耐久消費財としての地位は低下し続けることでしょう。国産セダンの人気が低迷している傍ら、欧州セダンの人気は着実に伸びています。国産スポーツカーが絶滅の危機に瀕しているのに、欧州の各メーカーは今も多種多様なスポーツカーをラインナップして日本にも導入しています。セダンやスポーツカーというジャンルに若者の興味が失われたという以前に、国産セダン・スポーツカー総体として魅力ある商品を提示できていないということが問題の根源的要因ではないかと思います。
かつて日産は901運動に取り組み、その集大成としてBNR32という傑作モデルを生産しました。当時も高性能な欧州製スポーツカーが数多く存在していましたが、それでもBNR32は爆発的な人気を獲得し、今もなおたくさんの人々によって愛され続けています。BNR32が人気を博したのは、何も動力性能が圧倒的に優れていたからだけではありません。消費者がそこに込められた日産の意地を感じ取ったからでした。これと同様に、トヨタのセルシオも、ホンダのNSXにも、マツダのRX-7にも、三菱のGTOにも、企業としての意気込みが、ヨーロッパのメーカーを追い越そうとする気合が見受けられました。当時はある種のプライドを持って国産車に乗れたと言えるでしょう。
翻って現在はどうでしょうか。たとえば「BMWの3シリーズが売れているなら、それ以上の物を造ってやる」という意識が各メーカーにはあるのでしょうか。「似たようなスペック・パッケージングで値段を安く設定しておけば、国産の方が安心という理由で客は流れてくるだろう。どうせ機械としての魅力では輸入車に敵わないんだから」…そんな不埒な気持ちで物を造ってはいないでしょうか。少なくとも、実際に生産されたものを見る限りでは、まだまだ造り手の意地が足りないように思います(新型スカイラインはかなり頑張っているように見受けられますが)。国内の各メーカーには、かつてのように消費者がプライドを持って選べるようなモデルを是非造って頂きたいと思います。スポーツセダンやスポーツカーの復権、運転して楽しい車の復権は、そこから始まるはずですから。
Posted at 2007/03/17 05:27:11 | |
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車 | 日記