2007年03月30日
音楽に続いて、登場人物にも触れてみたいと思います。東方シリーズは旧作時代も含めれば10年以上の歴史があり、その間の各作品に登場したキャラクターを合計すると優に50名を超えるという、かなりの大所帯でもあります。しかも、どのキャラクターも設定が凝っているので、一通り覚えるだけでも大変な作業になります(一回だけ登場して終わりというキャラが多いのも事実ですが)。また、原作の設定に曖昧な領域が残されていることから、ファンによる二次創作が非常に盛んであり、現在では公式・非公式が絡み合った混沌とした様相を呈しています。正直言って、私もその区別が完璧にできる自信は無いのですけどね。
今回は数多いる魅力的なキャラクターの中でも特に興味を惹かれた4名について述べてみたいと思います。
■八雲紫
優れた物語には主人公以外にも核となれる名脇役が出演するように、東方シリーズにも作品世界を根底から支える重要なバイプレーヤーが何名かいます。その中でも特に存在感が際立っているのが、スキマ妖怪と呼ばれる八雲紫です。当初は妖怪の中の妖怪として権威や恐怖の対象とされていましたが、四季映姫の登場によって中間管理職的な立場にいることが判明し、最近の「緋想天」や「地霊殿」で苦労人としての側面が描かれるようになってからは、割と共感し易いキャラクターへと変化しつつあります。自己中心的なキャラクターが圧倒的多数を占める中で、彼女はいつも状況を俯瞰する立場にいます。外見や言動の怪しさとは裏腹に、秩序を守るという意思が明確な点で、八雲紫はわかり易いキャラクターであるとも言えるでしょう。幻想郷という箱庭世界の象徴としては、主人公である博麗霊夢よりも、むしろ彼女の方が相応しいのではないでしょうか。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」という「萃夢想」での紫の台詞は、東方シリーズの真理を言い当てているのと同時に、一つの未来を暗示しています。つまり、幻想郷の崩壊です。いずれ終末が来ることを知りながら、紫は幻想郷の維持・管理に尽力しているわけです。そういう風に考えると、人を煙に巻くような彼女の振る舞いが、実は悲壮な決意を隠すためのベールのようにも見えてきます。八雲紫の本当の目的とは、人間と共存できずに消えていくもの全てを保護することなのかもしれません。元は人間であったとも噂されている彼女ですが、これまでに如何なる人生を歩み、そしてどのような経緯で妖怪の賢者として行動するようになったのか、興味深いところです。
妖怪という基準で見れば、八雲紫は水木しげるの作品に登場しても違和感が無いほどに胡散臭い傑作キャラクターだと思います。最近は天人や神様達の勝手な振る舞いに少々手を焼いていますが、これからも最高の妖怪として知略の限りを尽くしてほしいものです。
■西行寺幽々子
個人的な感想を述べるなら、数十名にも上る東方シリーズの全キャラクターの中で、最も切ないエピソードを背負っているのが、華胥の亡霊こと西行寺幽々子だと思います。特に「妖々夢」では、西行妖との因縁を軸に彼女の生と死のパラドックスが提示されていて、シューティングゲームとして攻略する以前に色々と考えさせられます。生前の記憶を失くしたまま西行妖を満開にさせようとする彼女の姿は、無邪気であるがゆえに悲劇的であり、思わず同情してしまいます。物語の因果関係が彼女一人に集約されることを考えれば、「妖々夢」は幽々子のための作品と言うこともできるでしょう。華麗な弾幕と叙情的な音楽、そして戦闘中の背景に巨大な扇が開く演出など、彼女のステージは日本人であればごく自然に感嘆できるような美しさで満ちています。また、ネット上で見かける創作イラストも、西行妖や反魂蝶が一緒に描かれた煌びやかなものが多く、ファンの愛情の深さが伺えますます。恐らくは、シリーズ中で最も優雅という言葉が似合うキャラクターではないでしょうか。
暢気そうに見えて実は勘が鋭く、日常生活は怠惰でも有事の際には積極的と、極端な二面性を持っているのが西行寺幽々子の特徴でもあります。しかも、会話の中で暗喩や皮肉を多用することから、一見しただけでその真意を理解することは至難の技です。東方シリーズには幽々子や紫のように千年以上も活動し続けている超年増が何名か存在しますが、そういう一筋縄ではいかないキャラクター達がいるからこそ、物語に奥行きが出てくるのだと思います。
■蓬莱山輝夜
蓬莱山輝夜を一言で説明するなら、「竹取物語」に出てくるかぐや姫ということになります。しかし、東方シリーズの中では「竹取物語」での履歴に加えて、様々な設定が付与されています。表向きは日本人なら誰でも知っている存在でありながら、実際はZUN氏が作り上げたオリジナルのキャラクターとも言えるでしょう。二次創作の世界では「てるよ」「蓬莱ニート」などと呼ばれてギャグ要員にされることも多いですが、原作の「永夜抄」や「儚月抄」では好奇心旺盛で行動的な上に割と良識もあり、他者に対して余裕と寛大さを失わない姫様らしい姫様として描かれています。これほど極端に乖離したイメージを無理なく両立できるキャラクターも珍しいのではないでしょうか。
輝夜には無視できない謎が一つあります。それは、月世界において彼女は最も高貴な姫であったのか、それとも複数存在する姫のうちの一人だったのかということです。綿月姉妹の登場により、月に複数の姫がいることは確定的となっています。月の都の創設メンバーである八意永琳が家庭教師を務めたくらいですから、綿月姉妹も輝夜もそれなりに高い身分にあることは間違いないのですが、「儚月抄」で輝夜の存在が月の勢力から完全に無視されていることを考えれば、彼女が政治的影響力を殆ど持たない種類の姫であることが予想されます。そもそも、月夜見という絶対的な神が君臨する社会において、姫という身分にどれほどの権威があるのか、定かではありません。綿月依姫が「玉兎を束ねるリーダーにまた目を付けられる」などと発言していることから、綿月姉妹ですらその立場が危険と隣り合わせであることも判明しています。恐らく、月における「姫」とは一部の貴族の婦女子に与えられる称号であり、蓬莱山輝夜もその内の一人にすぎないのではないでしょうか。そう考えれば、彼女の王族らしからぬ奔放な性格やどこか砕けた言動も納得できるというものです。
見知らぬ世界に憧れるだけならまだしも、蓬莱の薬を服用した罪により処刑・追放されるという手段を選んでまで地球に降りてきた輝夜の心理には、何かしら影のようなものが見受けられます。家族・友人・恋人など、大切と思える人間が周囲にいたなら、もしくは他人からの愛情をちゃんと受け取るができていたなら、そこまで無茶な行動は起こさなかったことでしょう。また、綿月姉妹のように才気煥発で優秀な技能を持っていたなら、月でも自分の居場所・目標を見つけることができたはずです。原作者であるZUN氏からも「設定が重い」と言われる永夜抄のキャラクター達の中で、この微妙に暢気であからさまにポジティブな輝夜こそが、実は一番大きな闇を、それも無自覚なまま心の内に抱えているのかもしれません。そして、次回でも取り上げる予定なのですが、八意永琳が過保護なまでに輝夜を庇うのも、その闇に気付いたからではないかと思うのです(もっとも、永琳が輝夜に執着するのは他にも理由がありそうですが)。
原作での出番が殆ど無いため、月関連の物語である「儚月抄」でやっと出自が明らかにされるのかと期待していたのですが、これまでの展開を見る限り、やはり輝夜に関する描写は望めそうにありません。「月のイナバと地上の因幡」では楽しそうに遊んでいるみたいですから、もはやそれで良しとするしかないのでしょうね…。
Posted at 2008/11/15 02:15:21 | |
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