2009年07月07日
先日、エヴァの新劇場版「破」を見てきました。新キャラがどんな感じなのか、どう話に絡んでくるのかという点に最大の関心を寄せていたのですが、いざ開幕すれば、そんなことも忘れてしまうくらいに最後まで圧倒されっぱなしでした。さすがに「破」というタイトルは伊達ではなかったようです。「序」ではまだ独特の陰気臭さが残っていたのですが、あれはファンにかつての感覚を思い起こさせようとする呼び水としての意味があったのでしょう。「破」は見事に快活なストーリー展開(シリアスな場面もあるけど、とにかくひたすらアクティブでアグレッシブ)になっていて、エンターテイメント作品としては満点に近いと思います。
新劇場版では特に興味深い点が幾つかありました。まず一つ目は、新キャラの真希波・マリ・イラストリアスです。私は新劇場版に関してあまり予習をしていなかったので、このキャラについては絵を数点見たことがあるだけで、他には何の情報も得ていませんでした(ちなみに正確な名前もさっき調べて初めて知りました)。従来のキャラにはないような「軽さ」が感じられたので、「こいつぁ世界を引っ掻き回してくれるかな?」とワクワクしていたのですが、冒頭のパワフルなバトルこそ新たな時代の到来を予感させてくれたものの、その後の出演の仕方はどれもスポット的なものであり、重要なキャラとして扱われているようには見えませんでした。アスカの替わりに使徒に半殺しにされた時点では、「雰囲気だけじゃなく存在も軽いのかな」とさえ思ったくらいです。エンドロールを見ている最中も、このキャラは何のために登場したのか、もっと別の使い道があったのではないかと、私は首を傾げざるをえませんでした。ところが、次回作の予告を見てから、その認識は一変しました。それというのも、どうやらエヴァは量産型でないタイプが更に数機登場するらしく、その流れから行けば新キャラも複数人追加されることが予想されるからです。マリは単に他の新キャラの先陣を切ってスクリーンデビューしただけであり、本当の見せ場はもっと後に用意されているのかもしれません。この点は、次回作に対する希望の一つとして、脳裏に留めておきたいと思います。
次に気になったのが、アスカの出演です。私は今回の新劇場版ではアスカが出ないと聞いていたので、マリがその代役なのだろうと予測していたのですが、意外や意外、ごく早い段階でアスカが当然の如く登場したではありませんか。他の人にとっては別に何ということもないのでしょうが、何も知らなかった私にとってこれは衝撃的なサプライズでした。シンジよりも自閉的なこのキャラが如何にして精神崩壊への道を辿っていくか、それが私の心に残っているエヴァという作品だったりします。そして、彼女が如何にして健全な精神を取り戻すのか。この点こそ、テレビ放送終了後からずっと胸中に引っ掛かっている最大の関心事でもあるのです。新劇場版のアスカはテレビ版に比べてほんの少しだけ素直さがアップしているようであり、心を開くタイミングが早く、しかも自発的にそれができた点に好感が持てます。結局は物語の後半でお約束通り悲劇のどん底に落とされてしまうのですが、きっと次回作では元気に復活することでしょう。旧劇場版であった「死亡フラグ的活躍」や「気持ち悪い蘇生」などはもう必要ありません。もしアスカに対して以前と同じように見せしめ的な扱いをするのであれば、私はこの新劇場版四部作を「製作者連中の同窓会」とか「集金目的のリメイク」という風に評価するでしょう。いい歳をした大人が作るアニメとして、最低限のモラルは守っていただきたいところです。庵野総監督にも10年分の成長の跡(技術的にも精神的にも)を期待したいですね。
もう一つ、どうしても腑に落ちなかったのが、不要と思える演出が幾つか散見されたことです。シンジとアスカを入れ替えた風呂上りのサービスシーンはまだ笑えましたが、マリとシンジが初めて出会う際のドタバタ劇やアスカの寝相の描写、カヲルの「今度こそ君を幸せにするよ」という台詞などには軽く引いてしまいました。どういう視聴者を想定してあのような映像・台詞を挟んだのかよくわかりませんが、少なくともお金を払って見る作品としては無駄な部分だと思います。セクシーとイヤラシイは紙一重です。ユーモアと悪ふざけも紙一重です。プロであるならば、その辺の演出はキッチリ分けてほしいものです。
幾つか気になる点があったとはいえ、今回の「破」は総じてハイレベルな内容に仕上がっていると思います。板野サーカスばりに飛び交うミサイルや全線一方向に進む列車の群れ、羽虫が如き膨大な数のヘリや丘陵地帯に広がる霊園の異様にして寂寞たる様など、アニメでしか表現できない映像に関しては相変わらず卓越したセンスが感じられます。使徒たちのデザインが一新され、不気味さと派手さがより高まった点も良かったです。ドラマに関しても、オリジナルとリファインの配分、シリアスとコメディの配分が丁度良い塩梅で、テンポ良く楽しめました。やはり、ハリウッドのSF映画や日本のテレビドラマよりも、エヴァのようなクオリティの高いアニメの方が、私は素晴らしいと思いますね。
正直に言うと、今回の「破」を見終わった後である種の違和感を覚えたのも事実です。「快活なエヴァが見たい」と以前ブログにも書きましたし、実際その点では満足できたものの、面白いと感じた割にそれほどスッキリした気分になれなかったのです。映画館から出るまでの間、私は色々考えて「歳を取ったせいだろう」と結論付けようとしたのですが、入り口に貼ってあった劇場版グレンラガンのポスターをふと見たとき、その違和感の意味が理解できました。「ああ、この『破』は21世紀の作品なんだな」と、「90年代のあの熱気はもう再現できないのだな」と、その理不尽とも言うべき懐古の情こそが違和感の原因でした。テレビ放送終了後から「Air / まごころを君に」が公開されるまでの間、ネット上や同人市場で氾濫した批評論文・アンソロジー作品の殆どは、行き場を失った希望や嘆きや怒り、そして本当の結末が知りたいという切実な欲求に満ち満ちていました。あの当時の混沌とした熱さを、私は心のどこかで期待していたのかもしれません。しかし、「序」にしろ「破」にしろ、新劇場版は現代のアニメとして誰が見ても真っ当に楽しめる内容になっていました。私はその真っ当さに馴染めなかったというわけです。
次回作の「Q」(ウルトラシリーズと掛けたのかもしれませんが、すごいネーミング)では更にエンターテイメント性が増幅するはずであり、旧作との乖離は益々進むことでしょう。アニメ業界ではそう何度もないせっかくの盛り上がれるイベントなのに、このまま昔の思い出に囚われていたのでは私も損をしてしまいます。なので、新劇場版には全く別の作品として期待を寄せたいと思います。願わくば、「トップをねらえ」を初めて見たときのような壮大な感動が得られんことを…。
Posted at 2009/07/07 04:39:03 | |
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