2007年03月31日
■八意永琳
私は漫画やアニメを見て作品自体に嵌ることはあっても、登場人物に嵌ることは滅多にないのですが、最近例外的に興味を持ったのがこの八意永琳というキャラクターでした。何が魅力かといえば、まずその正体が判然としない点です。設定上は宇宙人(月人)ということになっていますが、実際は地球から月に移住したのであって、生粋の月人であるとは言えません。では地球人(人間)なのかというと、年齢が最低でも千年を超えている(ZUN氏の発言が公式化されるなら更に億を超える)点を考えれば、もはやヒトではないと断言できます。勿論、人間を捕食する妖怪でもありません。ならば、八坂神奈子や洩矢諏訪子のような純然たる神様なのかというと、過去の歴史を振り返ってみても、そこまで霊験あらかたな所業は行っていないようです。月夜見の月面移住計画に協力して月の都を造り、その後も月社会の発展に寄与し続けたことは、確かに神懸った能力の賜物だと考えられますが、その月に住む人々を裏切って輝夜と共に罪人になったことまで含めれば、崇高な理念で動いている(周囲に御利益を与える)というより、むしろ個人的な意思で行動しているきらいがあります。何より、永琳自身は他者からの信仰を全く必要としていません。そこが、東方世界における他の神様とは決定的に異なる部分でもあります。恐らく「八意思兼≒八意永琳」という図式は確定的なのでしょう。しかし、私はそれを否定することに浪漫を覚えます。神様でも人間でも妖怪でもない、ヒトのカタチをした別の何か…。そう考えれば、あの「綾波レイ」以来久々に登場した、最高に不気味なキャラクターと言えるのではないでしょうか。
もう一つ、八意永琳の魅力を挙げるなら、それは蓬莱山輝夜に対する異常な執着が指摘されます。設定上では「蓬莱の薬を与えたことの罪悪感」から輝夜に付き従うようになったとありますが、儚月抄(小説と漫画)から判断すると、そもそも永琳は教育係をしていた頃から輝夜のことを気に入っていた節があります。大体、「月の頭脳」と呼ばれるほどの者が、蓬莱の薬を欲しがる輝夜の目的を見抜けないわけがありませんし、もし本当に見抜けなかったのだとしたら、その時点で既に輝夜に対して盲目になっていたと言えます。出会った時から現在に至るまで、永琳はいつも輝夜の意思に沿う形で行動しています。この事実を考慮すれば、「罪悪感」というのが半分建前のように聞こえても不思議ではありません。一方輝夜はというと、永琳のことを完全に信頼しているとはいえ、束縛するつもりも無ければ、己の全存在を懸けるほどの存在だとも認識していないようです。つまり、永琳の輝夜に対する愛情や献身は自発的なものであり、外的要素に起因するものではないということです。自分より遥かに年下で、自分ほど才能に恵まれているわけではない輝夜に、果たして永琳は何を見出したのか。最高レベルの地位や権力を有していた彼女が、その全てを擲ってまで一人の小娘に付き従うことを選んだという、その本当の動機は何であったのか。これらの点が解明されれば、永琳の異常な執着の本質を理解することも可能だといえるでしょう。しかし、ZUN氏の手法を考えれば、この辺の設定が明文化されることは恐らく無いかと思われます。むしろ、こういう部分の説明に関しては、優秀な同人作家さんに期待した方が良いのかもしれません。
永琳に関して疑問に思うことがあるとすれば、それは彼女が人間を造ったことがあるのかという点です。出産であれ、科学的製造方法であれ、凡そ万能で好奇心も旺盛なはずの永琳が、圧倒的に長い人生の中でヒトという生き物を一度も造らなかったとはどうしても考えにくいのです。恐らくは、何人か出産、もしくは試験的に何体か製造したことでしょう。もしそうであれば、「輝夜は永琳と血の繋がりがあるのではないか」とか、あるいは「十六夜咲夜は永琳によって造られた生物ではないのか」というような妄想を膨らませることもできます。この辺の設定も考え始めたらキリが無いので、同人作家さん達に任せるとしましょう。ただ、八意永琳というキャラクターの成り立ちを考えるとき、あまり取り沙汰されることはないですが、この出産経験の有無(人体製造経験の有無)は、非常に重要な位置を占めると思うのです。ZUN氏がこの辺についてどのように考えているのか、できることなら一度伺ってみたいものですね。
どんな物語もそうですが、主役と同じくらいに脇役が魅力的でなければ、作品として人気を獲得することはできません。そして、それは偏に作者が脇役のキャラクターにどれくらい愛情を注げるかにかかっています。東方シリーズのキャラ達は皆が個性的であり、ZUN氏の配慮が満遍なく行き渡っていると思います。ただその中にあって、本来なら薬が作れる程度の能力であるにも関わらず、業績が宇宙規模に達しているという点で、永琳は特異な存在だと言えるでしょう。神奈子や諏訪子ですら生き残りを懸けて幻想郷に移住してきたというのに、永琳の場合はいざとなれば幻想郷を破壊することも躊躇わないほどの不敵さがあります。八雲紫や西行寺幽々子が永遠亭の勢力を潜在的なリスクと認識しているのは、実質的なリーダーである永琳の行動原理があまりにも単純すぎること(輝夜の安全を最優先にすること)に危機感を持っているからに他なりません。儚月抄では、そういった政治的思惑を背景にした上で、年増キャラ達のシビアな直接対決が見られるのかと期待していたのですが、現時点(漫画版第15話終了時点)では若者達が月で弾幕ごっこをしているだけに留まっています。儚月抄の連載が終了すれば、永琳や輝夜がクローズアップされる機会も無くなるでしょうから、せめて連載中だけでも彼女達の出番を増やして、他のキャラクター達(勢力)と絡むエピソードを描いていただきたいところです。
儚月抄の連載が開始されて以降、永琳のポテンシャルはインフレの一途を辿っています。次々と明らかになる設定の殆どが後付のような気がしないでもないのですが、その壮大さはまるで「ファイブスター物語」にも似ていて、色々と想像を掻き立ててくれます。最初は単なる従者として登場したはずの永琳がどんどん神格化していった背景にZUN氏のどのような意図があるのか、定かではありません。「最初からそういう設定のキャラだったんだよ」と言われればそれまでですが、ゲーム内で自機として使えない割にエンディングでの登場回数が多いことや、儚月抄本編でもそれほど目立つ役割が与えられていないのに単行本の著者近影には八意思兼神社の写真が使われていたりする辺りに、何かしら思い入れがあるようにも見受けられます。敢えて推察すると、現実世界のアンチテーゼである幻想郷においてZUN氏の思想・世界観を象徴するものが八雲紫であるならば、月という神秘の世界に対する憧憬の念を象徴するものが八意永琳なのではないかと思うのです。儚月抄の企画が成立したのは、これからも東方シリーズを続けていくにあたって月とそれに関する様々な事柄に決着を付ける必要があると、ZUN氏が判断したからではないでしょうか。そういう風に考えてみると、彼女の能力や立ち位置が変化していったことにも納得がいくというものです。
東方シリーズでは単なる脇役の一人ですが、私にとって八意永琳は近年で最も興味を惹かれたキャラクターでもあります。正体が判明するのも良いですが、できればこれからもミステリアスなままでいてほしいですね。
Posted at 2008/10/10 17:01:01 | |
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2007年03月30日
音楽に続いて、登場人物にも触れてみたいと思います。東方シリーズは旧作時代も含めれば10年以上の歴史があり、その間の各作品に登場したキャラクターを合計すると優に50名を超えるという、かなりの大所帯でもあります。しかも、どのキャラクターも設定が凝っているので、一通り覚えるだけでも大変な作業になります(一回だけ登場して終わりというキャラが多いのも事実ですが)。また、原作の設定に曖昧な領域が残されていることから、ファンによる二次創作が非常に盛んであり、現在では公式・非公式が絡み合った混沌とした様相を呈しています。正直言って、私もその区別が完璧にできる自信は無いのですけどね。
今回は数多いる魅力的なキャラクターの中でも特に興味を惹かれた4名について述べてみたいと思います。
■八雲紫
優れた物語には主人公以外にも核となれる名脇役が出演するように、東方シリーズにも作品世界を根底から支える重要なバイプレーヤーが何名かいます。その中でも特に存在感が際立っているのが、スキマ妖怪と呼ばれる八雲紫です。当初は妖怪の中の妖怪として権威や恐怖の対象とされていましたが、四季映姫の登場によって中間管理職的な立場にいることが判明し、最近の「緋想天」や「地霊殿」で苦労人としての側面が描かれるようになってからは、割と共感し易いキャラクターへと変化しつつあります。自己中心的なキャラクターが圧倒的多数を占める中で、彼女はいつも状況を俯瞰する立場にいます。外見や言動の怪しさとは裏腹に、秩序を守るという意思が明確な点で、八雲紫はわかり易いキャラクターであるとも言えるでしょう。幻想郷という箱庭世界の象徴としては、主人公である博麗霊夢よりも、むしろ彼女の方が相応しいのではないでしょうか。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」という「萃夢想」での紫の台詞は、東方シリーズの真理を言い当てているのと同時に、一つの未来を暗示しています。つまり、幻想郷の崩壊です。いずれ終末が来ることを知りながら、紫は幻想郷の維持・管理に尽力しているわけです。そういう風に考えると、人を煙に巻くような彼女の振る舞いが、実は悲壮な決意を隠すためのベールのようにも見えてきます。八雲紫の本当の目的とは、人間と共存できずに消えていくもの全てを保護することなのかもしれません。元は人間であったとも噂されている彼女ですが、これまでに如何なる人生を歩み、そしてどのような経緯で妖怪の賢者として行動するようになったのか、興味深いところです。
妖怪という基準で見れば、八雲紫は水木しげるの作品に登場しても違和感が無いほどに胡散臭い傑作キャラクターだと思います。最近は天人や神様達の勝手な振る舞いに少々手を焼いていますが、これからも最高の妖怪として知略の限りを尽くしてほしいものです。
■西行寺幽々子
個人的な感想を述べるなら、数十名にも上る東方シリーズの全キャラクターの中で、最も切ないエピソードを背負っているのが、華胥の亡霊こと西行寺幽々子だと思います。特に「妖々夢」では、西行妖との因縁を軸に彼女の生と死のパラドックスが提示されていて、シューティングゲームとして攻略する以前に色々と考えさせられます。生前の記憶を失くしたまま西行妖を満開にさせようとする彼女の姿は、無邪気であるがゆえに悲劇的であり、思わず同情してしまいます。物語の因果関係が彼女一人に集約されることを考えれば、「妖々夢」は幽々子のための作品と言うこともできるでしょう。華麗な弾幕と叙情的な音楽、そして戦闘中の背景に巨大な扇が開く演出など、彼女のステージは日本人であればごく自然に感嘆できるような美しさで満ちています。また、ネット上で見かける創作イラストも、西行妖や反魂蝶が一緒に描かれた煌びやかなものが多く、ファンの愛情の深さが伺えますます。恐らくは、シリーズ中で最も優雅という言葉が似合うキャラクターではないでしょうか。
暢気そうに見えて実は勘が鋭く、日常生活は怠惰でも有事の際には積極的と、極端な二面性を持っているのが西行寺幽々子の特徴でもあります。しかも、会話の中で暗喩や皮肉を多用することから、一見しただけでその真意を理解することは至難の技です。東方シリーズには幽々子や紫のように千年以上も活動し続けている超年増が何名か存在しますが、そういう一筋縄ではいかないキャラクター達がいるからこそ、物語に奥行きが出てくるのだと思います。
■蓬莱山輝夜
蓬莱山輝夜を一言で説明するなら、「竹取物語」に出てくるかぐや姫ということになります。しかし、東方シリーズの中では「竹取物語」での履歴に加えて、様々な設定が付与されています。表向きは日本人なら誰でも知っている存在でありながら、実際はZUN氏が作り上げたオリジナルのキャラクターとも言えるでしょう。二次創作の世界では「てるよ」「蓬莱ニート」などと呼ばれてギャグ要員にされることも多いですが、原作の「永夜抄」や「儚月抄」では好奇心旺盛で行動的な上に割と良識もあり、他者に対して余裕と寛大さを失わない姫様らしい姫様として描かれています。これほど極端に乖離したイメージを無理なく両立できるキャラクターも珍しいのではないでしょうか。
輝夜には無視できない謎が一つあります。それは、月世界において彼女は最も高貴な姫であったのか、それとも複数存在する姫のうちの一人だったのかということです。綿月姉妹の登場により、月に複数の姫がいることは確定的となっています。月の都の創設メンバーである八意永琳が家庭教師を務めたくらいですから、綿月姉妹も輝夜もそれなりに高い身分にあることは間違いないのですが、「儚月抄」で輝夜の存在が月の勢力から完全に無視されていることを考えれば、彼女が政治的影響力を殆ど持たない種類の姫であることが予想されます。そもそも、月夜見という絶対的な神が君臨する社会において、姫という身分にどれほどの権威があるのか、定かではありません。綿月依姫が「玉兎を束ねるリーダーにまた目を付けられる」などと発言していることから、綿月姉妹ですらその立場が危険と隣り合わせであることも判明しています。恐らく、月における「姫」とは一部の貴族の婦女子に与えられる称号であり、蓬莱山輝夜もその内の一人にすぎないのではないでしょうか。そう考えれば、彼女の王族らしからぬ奔放な性格やどこか砕けた言動も納得できるというものです。
見知らぬ世界に憧れるだけならまだしも、蓬莱の薬を服用した罪により処刑・追放されるという手段を選んでまで地球に降りてきた輝夜の心理には、何かしら影のようなものが見受けられます。家族・友人・恋人など、大切と思える人間が周囲にいたなら、もしくは他人からの愛情をちゃんと受け取るができていたなら、そこまで無茶な行動は起こさなかったことでしょう。また、綿月姉妹のように才気煥発で優秀な技能を持っていたなら、月でも自分の居場所・目標を見つけることができたはずです。原作者であるZUN氏からも「設定が重い」と言われる永夜抄のキャラクター達の中で、この微妙に暢気であからさまにポジティブな輝夜こそが、実は一番大きな闇を、それも無自覚なまま心の内に抱えているのかもしれません。そして、次回でも取り上げる予定なのですが、八意永琳が過保護なまでに輝夜を庇うのも、その闇に気付いたからではないかと思うのです(もっとも、永琳が輝夜に執着するのは他にも理由がありそうですが)。
原作での出番が殆ど無いため、月関連の物語である「儚月抄」でやっと出自が明らかにされるのかと期待していたのですが、これまでの展開を見る限り、やはり輝夜に関する描写は望めそうにありません。「月のイナバと地上の因幡」では楽しそうに遊んでいるみたいですから、もはやそれで良しとするしかないのでしょうね…。
Posted at 2008/11/15 02:15:21 | |
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2007年03月29日
原曲・アレンジと続いて、最後はパロディにも触れてみたいと思います。東方関連の音楽作品においては、シリアスな楽曲だけでなく、荒唐無稽なパロディソングもまた重要なポジションにあると考えられます。実際には原作の内容と無関係な歌詞・世界観を持つ作品が大多数を占めるのですが、しかしある意味ではそういったパロディ作品こそ、客が抱くイメージや妄想を最もシンプルに具現化しているといっても過言ではありません。我々人間という種族は、何か真面目で真剣なものを見るに付け、そこから冗談の種を探してしまうものです。何故ならそれは、現実の息苦しさから逃れるための一つの有効な手段であるからです。幻想郷は息苦しさと全く無縁の世界ですが、それでもまあ「輝夜がニートだったら…」「アリスがツンデレだったら…」などと想像してみれば、いくらか楽しみも増えることでしょう。今回は、そんな風に東方シリーズの世界観を広げてくれる(破壊してくれる)パロディソングを幾つか挙げてみました。
■Help me, ERINNNNNN!!(原曲:竹取飛翔)
あの麗しき「竹取飛翔」が、もはや原型を留めていない形にまで変化した名曲です。ノリが良くて楽しいわりに、スッキリと纏まっています。YouTube等のコメント欄にやたらと顔文字が並んでいるのは御愛嬌ですね。東方シリーズに関連する全ての二次創作物の中でも、永く語り継がれるであろう快作だと思います。
■最終鬼畜全部声(原曲:U . N . オーエンは彼女なのか?)
清く正しい青少年達が感動的な歌と技術を披露するハモネプなどでは到底実現不可能な、それ故に「こちらのほうが素晴らしい」と拍手喝采を贈りたくなる怪作です。音楽のジャンルが何であれ、こういうパフォーマンスを実行できる点にロック魂を感じてなりません。ただ面白いだけでなく、感動もさせてくれるパロディ作品ですね。
■ひれ伏せ愚民どもっ!(原曲:竹取飛翔)
究極の下僕ソング(陽性)です。歌詞が面白く、ヴォーカルの声も可愛いのですが、それよりも実は楽曲のアレンジ具合が素晴らしい良曲です。特にラストの1分30秒間は、ファミコン世代には懐かしい電子音に満ちていて、これが単なるパロディソングではないことを明確に示しています。一曲で二度美味しい珍しい作品です。
■ゆかりんファンタジア☆カオスフル(原曲:ネクロファンタジア)
究極の下僕ソング(陰性)です。一部の日本成年男子の醜悪さを如実に表現した作品でもあります。一切の褒め言葉が似合わない珍曲であり、歌い手の対象キャラクターに対する倒錯した愛情と業の深さには、思わずニヤニヤしてしまいます。有り余るほどの情熱と執念を、全く生産的でない方向にしか発揮できないのだとしたら、それは正しく「罪」だと言えるでしょう。
■これはキモちのいいけーね(原曲:プレインエイジア)
ネタ元のキャラクターが東方シリーズにしては珍しく真面目で良心的であることを考えると、その歌詞の落差が面白い一曲です。そして何より、単純に楽曲としてお洒落に仕上がっている点が素晴らしいと思います。東方関連のパロディとしては、一番上品な曲ではないでしょうか。
■株式会社ボーダー商事・社歌(原曲:ネクロファンタジア)
歌詞のフザケっぷりと楽曲の格好良さが見事に融合した、「これぞパロディ」と言える良曲です。「魔理沙は~」「患部で止まって~」「ウサテイ」の三曲によって東方シリーズの存在を知った私が、初めて意識的に探索・発見し、そして気に入った曲でもあります。東方シリーズに嵌るきっかけが、原作のゲームではなくこのような二次作品であったという点に多少の負い目を感じなくも無いのですが、今や毎日原曲を聴くほどのファンになったので許してもらえるのではないかと思っています。
■宴は永遠に(原曲:御伽の国の鬼が島)
数多ある酒類賞賛ソングと同じく、ひどく能天気な一曲です。しかし、よく聴いてみると歌詞が中々風流で、侘び寂びを踏まえているところに奥深さを感じます。パロディソングの様相を呈しながらも、実は「宴会で大団円を迎える東方シリーズ」の精神性を端的に表現した曲なのかもしれません。これも含めて、IOSYSの作品は本当にレベルが高いと思います。
■行列のできるえーりん診療所(原曲:千年幻想郷)
何をもってパロディとするかは個人の感性によって異なるのでしょうが、私にとってはこの曲もパロディの内に入ります。歌詞が東方の世界では珍しい恋愛物であり、ヴォーカルの声も透き通るようなハイトーンボイスで、何ら笑いを誘う要素は無いようにも思えますが、唯一、某薬師がこれを唄っているかと思うと「ありえないな」という意味で密かに笑みが洩れてしまいます。それを除けば、本当に綺麗な曲と言えますね。
■患部で止まってすぐ溶ける~狂気の優曇華院(原曲:狂気の瞳)
YouTubeやニコニコ動画をよく利用している人であれば、一度は耳にしたことがあるはずの曲です。かくいう私も、以前は東方のことなど何も知らずにこの曲のPV動画を見て「面白いなぁ」と楽しんでいました。あまりに有名すぎて、今では様々な類似品が溢れていますが、「洗練された混沌」という点においてはどれも本家に劣ると思います。ネットで動画を見る時代の、代表的な作品ではないでしょうか。
■魔理沙は大変なものを盗んでいきました(原曲:人形裁判)
もはや語る必要も無いくらいの名曲(迷曲)だと言えるでしょう。一度聴いてしまえば、二度と忘れることができないくらいのインパクトがあります。初めてタイトルを見たときには「ルパンのパクリじゃないか」と思って胡散臭く感じていたのですが、実際に聴いてみると、中身があまりにも無関係すぎたのでつい笑ってしまいました。米米CLUBの「FUNK FUJIYAMA」によって邦楽を聴くようになった私にとっては、原点に立ち返らせてくれたパロディソングでもあります。
上に挙げた作品群は、飽くまでも私が面白いと思った楽曲の一例であり、ネットを探せばこれら以外にも本当に様々なタイプの楽曲が見つかります。中には表に出すのも憚れるようなモノも幾つかあるのですが、そういう幅広さ・懐の深さもまた東方の魅力だと言えるでしょう。東方関係のパロディ作品は、音楽だけでなく動画も充実しているのですが、あまりにも多種に亘り過ぎているので、このブログでは触れないことにしておきます。そもそも、「面白い」と感じるセンスは「美しい」「素晴らしい」と感じるセンス以上に個人間での差が激しいので、いくら「良いですよ」と紹介しても、それが人によっては単なる押し付けになってしまう可能性もありますからね。
東方の世界に興味を持った人がいたら、とりあえずネットで探索してみることをお薦めします。シリアスであれ、パロディであれ、何かしらきっと気に入る作品が見つかるはずですから。
Posted at 2008/10/04 23:56:43 | |
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2007年03月28日
東方シリーズの音楽に関して、今回は原曲を元にしたアレンジ曲について触れたいと思います。通常、アニメや漫画の二次創作は同人誌が中心なのですが、東方シリーズにおいては同人CDも主要な表現手段として認知されています。実際、そこで発表される作品の中にはレベルの高いものが多々あり、もはや「原曲が良いから、誰がアレンジしても良いに決まっている」と単純に片付けることができないレベルにまで至っています。私も現在色々探索しているのですが、その内で特に気に入ったものの幾つかを下に並べてみました。
■竹取飛翔-Vocal-(原曲:竹取飛翔)
原曲の雅な雰囲気をそのまま活かした良曲です。輝夜の物語に則した歌詞と、それを優しく幽玄に歌い上げるヴォーカルがとても魅力的です。東方関連のアレンジ曲だけでCDを一枚作るとしたら、私はこの曲をオープニングナンバーに選びますね。
■Sweet Time Midnight リアレンジ(原曲:U . N . オーエンは彼女なのか?)
この曲を初めて聴いたときは、真夏の蒸し暑い夜であったにも関わらず、効果音と歌詞のあまりの不気味さに、背筋に寒気を覚えてしまいました。「U . N . オーエン~」のアレンジはノリの良いものが多いのですが、これは「恐怖」をテーマにして原曲を大胆に再構築している点が素晴らしいと思います。
■7 days a week(原曲:ラクトガール)
原曲をよりポップにしたアレンジ版としては最も完成度が高い一曲だと思います。これなら有線放送などから流れてきても全く違和感を覚えないでしょう。歌詞の世界が完全にアレなのも、東方の二次設定を知らない人にはバレないはずです。
■永遠に幼き紅い月(原曲:亡き王女の為のセプテット)
元々隙が無い原曲を、バラード化しつつより濃い風味にした名曲です。歌詞もカリスマ全開で申し分ありません。恐らくは、きちんとした音楽教育を受けた人か、プロ並の音楽的素質を持つ人が作ったものと推測されます。これほどのレベルの人達を惹きつけてしまうのも、やはり作曲者であるZUN氏の才能が深遠だからと言えるでしょう。
■緋色のDance(原曲:亡き王女の為のセプテット)
こちらは同じ原曲を使いながら、全く別の風味(ロック)に仕上げられている点が面白い一曲です。特にイントロの特徴的なリフが格好良さを際立たせています。曲全体が短いのも、スカッと爽快で良いですね。ある意味、原曲をモチーフにした全く別の作品、と言えるのかもしれません。
■にとり(原曲:芥川龍之介の河童)
この曲を初めて聴いたときには、あまりの神々しさに脳髄を刺激されてしまいました。純和風な音と歌詞、それにどこかシャーマンチックな高音のヴォーカルが、日本人としての郷愁の念を煽って仕方ありません。まさしく「琴線に響く」一曲です。
■神々の祈り(原曲:厄神様の通り道)
あえて言うなら、昔どこかで聴いたことがあるような気になるくらい、耳に馴染み易い一曲です。80年代のアニメの主題歌か、あるいは90年代に流行ったポップスの一種か…。いずれにせよ、凄く居心地の良い曲であることに間違いありません。何か特別な思い出があるわけでもないのに、何となく甘く切ない気分にさせてくれる、私にとってはそんな良曲です。
■張子の虎(原曲:六十年目の東方裁判)
こういうアレンジは大好物ですね。良し悪しではなく、ごく個人的に好きだと言える一曲です。本当に美味しいリフがあれば、それだけでロックは成立します。この曲をアレンジした人はその辺がしっかりわかっているのだと、私は勝手に共感している次第です。できれば、エンドレスで聴き続けたいですね。
■蒼空に舞え、墨染めの桜(原曲:幽雅に咲かせ、墨染めの桜)
原曲の雰囲気を忠実に守りつつ、某幽霊お嬢様の気分を歌詞で見事に表現した良曲です。「幽雅に咲かせ~」のアレンジは他にもたくさんあるのですが、私はこの曲が一番美しいと思います。「さくら、さくら」という部分の儚げな声と、「風を斬れ」「舞い上がれ」という部分でしっかり高音が出ている点が好印象ですね。
■永遠のメロディ(原曲:月まで届け、不死の煙)
誤解を恐れずに言うと、これほどオタク心を擽るアレンジ曲も無いと思います。まるで何かのアニメのOPのように華やかで、格好良いギターや甘味が残るヴォーカルも含めて、極めて「萌え且つ燃え」な曲に仕上がっています。少々照れくさい歌詞も、この際良しとしましょう。ジャンルを限定すれば、パーフェクトな傑作と言えますね。
■Happy Rabbit's Silver Bullet(原曲:狂気の瞳)
初めて聴いたときに「これは一本取られた」と思わされた曲です。原曲同様にサビの格好良さを最大限活かした曲なのですが、そこに至るまでのメロディと歌詞の作り方がとても上手いのです。「ああ、こういうアイデアもあったのだな」と素直に感心させられました。原曲やそれを元にしたパロディばかり聴いた後で、このファンシーで繊細なアレンジに出会ったことは、かなり衝撃的でしたね。
■Phantasm Brigade(原曲:ネクロファンタジア)
東方関連のアレンジ曲だけでCDを一枚作るなら、私はこの曲をラストに持ってきたいと思います。これに関しては曲もさることながら、歌詞に惹かれてしまいます。恐らくは「妖々夢」における某スキマ妖怪の気分を表現しているのだと思われるのですが、「アヤカシの全ての力をここで捧げるから」という部分に、彼女の幻想郷代表としての意地と気合とプライドが見受けられます。また「あなたには死しても見えぬ幻のあの桜」という部分は、一体誰に向けた言葉なのでしょうか。真面目に考えるだけ無駄と知りつつも、聴くたびに興味を覚えてなりません。原曲の壮大な雰囲気のままに歌詞を乗せることができている点が素晴らしく、大トリを務めるに相応しいと個人的には思っています。
「アレンジ曲だけでCDを一枚作るとしたら…」と何度か述べましたが、実際にやろうとしたところ失敗に終わりました。それというのも、好きな曲を全部集めたら40曲以上にもなったからです。上に挙げた曲は、その内のごく一部に過ぎません。原曲といいアレンジといい、東方関連の楽曲は本当に良いものが多いです。果たして、それらを全て味わい尽くせるのはいつになることやら。
Posted at 2008/09/30 03:53:31 | |
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2007年03月27日
世の中には自分の知らない素晴らしい娯楽作品が本当にたくさんあるもので、ふとした機会にそれらの作品に出会ったりすると、「もっと前から知っておけばよかった」とつくづく痛感させられます。今回採り上げる東方Project関連の作品も、私が久々に「しまった!」と思わされた存在で、最近は二次を含む膨大な作品群の消化に日々勤しんでいます。サブカル系の作品にここまで嵌るのは、「新世紀エヴァンゲリオン」以来ですね。とにかく物語の世界観やキャラクターの設定が奥深くて、なかなかに唸らせてくれます。
東方Project関連の作品はシリーズ物として既に長い歴史を有していて、現在では同人市場のみならず一般の市場でもかなりのシェアを形成しているようです。純粋に原作と呼べるものは弾幕系のシューティングゲームの方なのですが、作品世界の実質的な肉付けを受け持っているのは、むしろ漫画や小説等の同人誌、アマチュアミュージシャン達によるアレンジCD、YOUTUBEやニコニコ動画等のムービーの方であり、これら真偽・清濁を内包する懐の深さこそが東方というジャンルの一番の特徴だといえるでしょう。今回は、それらの中でも東方世界の核と言える原曲(ゲーム中のBGM)について触れてみたいと思います。
何故BGMが作品の核なのかというと、原作者であるZUN氏(作曲・作画も担当)自身が「音楽を聞いてもらうためにゲームを作った」とかつて公言したためであり、私もまさしく原曲こそが東方という世界の大黒柱であると思うからです。その楽曲群はかなりの数の上るのですが、以下に幾つか私の好みの曲を挙げてみました。
■おてんば恋娘
ポップな歌謡曲とでも言いましょうか、爽快なリズムと昭和チックな切ないメロディが同居した不思議な曲です。
■上海紅茶館
冒頭の切ないメロディが強く印象に残る曲です。これも何処かしら懐かしい雰囲気があり、同時にタイトルから想起されるような異国情緒も味わえます。錯綜する二つのメロディがやがて合流してサビへと至る、その流れが素晴らしいですね。
■ラクトガール
西洋的なクラシカルさが特徴的な一曲です。紅魔郷の舞台(紅魔館)自体が西洋的であり、この曲はそれを一番忠実に反映したものだと思います。紅魔郷の曲は熱くなれるものが多いですが、それらに比べるとこの曲には割と落ち着いた雰囲気があります。低血圧な熱血、という感じですかね。
■亡き王女の為のセプテット
ゲーム音楽という枠を超えた名曲です。格調の高いメロディといい、抑揚の効いた構成といい、最初から最後まで隙がありません。レーダーチャート風に分析すれば綺麗な真円ができるくらい全体のバランスが良いと思います。「様式美」という言葉が一番似合う曲かもしれません。
■U . N . オーエンは彼女なのか?
こちらはむしろゲーム音楽として最高の部類に入る曲だといえます。どんなジャンルのゲームでも、この曲を使えば少なくとも音楽面では評価されるでしょう。一度聴いただけで確実に憶えられるようなキャッチーなメロディが特徴的かつ最高です。
■人形裁判
この曲を元ネタにしたパロディソングがあまりに有名になりすぎたために誤解されがちなのですが、原曲は少々暗く不安感を煽るような曲だったりします。和のテイストが濃い妖々夢の中では、珍しく西洋的な雰囲気があります。
■幽雅に咲かせ、墨染の桜
シューティングゲームのBGMとしては異様な美しさを誇る名曲です。桜の花のイメージと、そこに含まれる日本的な趣を見事に反映していて、誰が聴いてもほぼ無条件に賞賛できる楽曲となっています。幽霊お嬢のテーマ曲なのですが、彼女の放つ美しい弾幕を見ながらこの曲を聴けば、軽い恍惚状態になれること請け合いですね。
■ネクロファンタジア
好き嫌いを別にして、もし東方シリーズを象徴する曲を一つだけ挙げろと言われれば、私はこれを選びます。強大な力を持ちながらも滅び行く妖怪達の気概や悲哀が全編雄大なスケールで展開されていて、聴くたびに心を打たれてしまいます。何を考えているかわからないスキマ妖怪のテーマ曲なのですが、これは単なるBGMではなく、ひょっとしたら幻想郷に対する彼女の愛着の念を表現した曲ではないか、と個人的に考えています。
■狂気の瞳
サビとそれ以外のパートが明確に分かれているものが多い永夜抄の楽曲群の中で、最もシンプルなのがこの曲です。一瞬の静寂からサビに移る部分は劇的ですらあります。この曲もパロディ化されて有名になっていますが、どんな歌詞を付けてもサビの良さだけは失われないのが面白いところです。
■恋色マスタースパーク
タイトルには「恋」とありますが、実際は少年漫画チックな格好良い曲です。他のテーマ曲が多少なりとも世界観を表現しているのに対して、この曲に限っては完全に白黒の魔法使いのキャラクター性で作られていると思われます。誰が聴いてもそのキャラを思い出すという意味では、最も純粋なテーマ曲だと言えるでしょう。
■千年幻想郷
ネクロファンタジアと並んで、こちらもスケールが大きな一曲です。旋律が和風な分だけイメージは限定されますが、それでもドラマチックな展開でとても楽しめます。幻想郷と対をなす世界である月。そこに込められているのはZUN氏の永遠なるものに対する憧れか、それとも進化の極地で精神文化が停滞した理想郷に対する一抹の皮肉か…。とりあえずは怒涛の如く高みへと駆け上がっていくサビのメロディに身を任せることが肝要ですね。
■竹取飛翔
神様や妖怪をモチーフにしたキャラクターが大勢出演する東方の世界の中で、唯一本人そのものとされているのが「かぐや姫」こと蓬莱山輝夜です。この曲はその輝夜のテーマ曲なのですが、初めてこの曲を聴いたときに私は非常に驚かされました。それというのも、この曲が単に輝夜のテーマ曲として似合っているだけなく、御伽噺のかぐや姫のテーマ曲としても充分通用すると思ったからです。例えば、東方シリーズのことなど何も知らない人にこの曲を聴かせて、「これ、かぐや姫のテーマ曲なんだけど」と言えば、ある程度の人は理解を示してくれるのではないでしょうか。イントロの雅な旋律とサビの繊細で物悲しいメロディは、永遠の時を生きる者の切なさを余すところ無く表しています。これもまた、ゲーム音楽という枠を超えた名曲だと言えます。
■月まで届け、不死の煙
最初に流れるメロディを、アレンジを変えながらひたすら繰り返す曲です。何故同じメロディを繰り返すのか。それはこの曲が逆恨み娘の不死性(殺されてもすぐ生き返る)をテーマにしているからです。普通に聴くと格好良い曲ですが、人間としての感情を保ったまま千年以上も生きてきた彼女の人生に思いを馳せれば、また違った趣が味わえるでしょう。
以上に挙げたものは「気に入った曲の幾つか」であって、これでもまだ全てではありません。他にも好きな曲はたくさんあるのですが、それらはまた別の機会に触れてみたいと思います。
ゲームの音楽(とその世界観)で感動したのは、「ドラゴンクエストIII」「ファイナルファンタジーVII」に続いてこれが三度目になります。いつ何時良い作品と巡り合えるかもしれないこと考えれば、やはり各方面にセンサーを張り巡らせておかないといけないと、今回この東方の件で改めて実感させられました。単にメロディーが良いだけではなく、きちんと世界観が盛り込まれた音楽を聴くことは、小説を読むのと同じくらいの充実感があります。当分の間は、東方関連の楽曲を聴く日々が続くでしょうね。
Posted at 2008/09/25 06:15:27 | |
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