
定年退職以降、地元のシルバー人材センターに籍を置いて、ゴルフ場の球拾い、設備管理などの仕事に従事してた私の父。
先月末を以て、シルバー人材センターの仕事を卒業。
今日、スーパーで父の大好物のお寿司や揚げ物を買ってきて、細やかなお疲れ様宅呑みしました。
ちなみに、お寿司代は私が持ちました。
本当は、回らないお寿司屋さんでってとこだけど、コロナ禍で外食も自粛してるし、最近のスーパーのお寿司も中々捨てたもんじゃないし、スーパーの鮮魚コーナーのお寿司を、今回は奮発しました。
思えば、父は大学受験3浪して、地元の割と大きな私立大学で学び、その後東京のステンレスを扱う中堅どころの鉄鋼会社で5年働き、その間母と知り合い、結婚し、私が東京で生まれてから程なくして、色々あって福岡に帰郷。
本当なら実家に帰って、地元で再起を図ろうというところが、亡き祖母(父からすれば実の母)や祖母の父(私からすれば曾祖父)らの猛反対に遭い、母方の実家に親子3人身を寄せながら、眼鏡屋で働いて、その後、母親が新聞の求人欄で、県職員の募集記事を見つけて、そこから猛勉強して、試験に合格。
合格を機に、父方の実家に戻り、福岡県の職員として、学校の事務職として40年近く働きました。
その後、定年退職が間近に迫った時期に、家族の問題に巻き込まれ、紆余曲折の末、彼らと距離を置く決断をして、私たち家族が実家を出て、最後の2年間は、雇用延長で後に九州北部豪雨で被災した地域の学校の事務職を勤め上げ、県職員、公務員としてのキャリアを終えて、今住んでる地域のシルバー人材センターに登録し、マンションの設備管理などの仕事、霊園の設備管理の仕事を経て、ウチの近所のゴルフ場で設備管理などの仕事に従事し、7年務めて、この春の卒業と相成りました。
これまで社会に出て、48年間の職業人人生だったそうです。
これまで、デスクワーク中心だった父が、シルバー人材センターでほぼ初めてであろう肉体労働な仕事をこの年齢でやることには心配してたけど、彼もどうにか努力して、見事に順応して勤め上げました。
若い頃は、私は父に反発しまくってたけど、ここまでの父の歩んできた道は、面と向かっては言えないけども、本当に尊敬しています。もし仮に、父と同じ事をしろって言われても、逆立ちしても出来ないでしょう。それくらい凄い人生を送ってきたし、30代半ばでガンの手術を経験したり、家族の問題にも巻き込まれたりで酷い目に遭ったけども、そのたびに乗り越えてきた様には、男の私としても尊敬しています。
父が私に若い頃、こんな言葉をくれました。
「神は自ら救う者しか救わない」「恒産なきもの恒心なし」
この2つの言葉が、私の座右の銘になってるし、それを胸に生きたからこそ、私もこうして恩返しできるとこまで来ました。
本当は旅行にも連れて行きたいけど、まだまだ無理臭いので、出来る仕事、出来る事でしか返せないですが、コロナが本当に収束して、治療法も完全に確立した暁には、ドライブに連れて行きたいなと思ってます。
そして、これまで父を明るく優しく、時に厳しくしながらも支えてきた母には本当に感謝です。
まずは父に対しては「お疲れ様でした。」って感じですね。
何時までも長生きできるよう、私も頑張って生きたいなと思った夜でした。
Posted at 2022/04/02 23:24:29 | |
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