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ミセガワのブログ一覧

2014年05月05日 イイね!

FSW アタック編 後編

FSW アタック編 後編yasukoyasuさん、写真勝手に転載させていただきました。ありがとうございます。

さて、2009年仕様で完成形、タイムもまあ限界ではと思いましたが、エイトリアン氏が2分2秒89だかで上回っており、何とか一矢報いたいとの焦燥感もあり、それまでOHまでして使用してきた車高調HKSのハイパーMAX Performerを手放し、まだ出たてでモニターを募集していたDG-5雨宮スペックに飛び付きました。それと言うのも、このセットのモニターはものの代金は支払うものの、当時雨宮に居た青木さんとコミュニケーションを重ねてセッティングを煮詰めていく事が出来る特典付きでした。この特典は少しでも速くしたいと言う私にとっては正に渡りに船、ついに脚のセットアップをプロにお願いすることになった訳です。(私の車で得られたデータや仕様変更が後のDG-5仕様に生かされています。)

こんな事が有って、2010年シーズンは新しい足回りの熟成やウイングの影響などセットアップに明け暮れる日々で、大した記録も残せませんでしたし、私自身が肩を怪我して入院するなど記録的には飛躍の無い年でした。


このDG-5での絡みから一気にRE雨宮&青木さんと関わりが深くなり、怪我も有ってなにもできなかった2010年シーズンの鬱憤、そして伸びない最高速、70000キロを超えたエンジン・・・・・。
色々考えて一大決心のOH&サイドポート加工エンジンに仕様変更する事を決断したのが2010年の春でした。
それまで雨宮のパーツで付いていたのは前述のDG-5とバッテリー移設キットくらい。そこからCPUは勿論のこと、最終的にはマフラーからエアクリから、ブレーキパッド、ボンネットやLSDに至るまで雨宮仕様となり、ちょっとしたデモカー並みのスペックへ。
この仕様変更は総額で諭吉100人を超えましたが、エイトを買ってから7年が経過しようとしていて、今までの自分ならば新車入れ替えとなるところでしたが、車も仲間もかけがえ無く、また適当な車も見当たらなかったことからカミさんに頭を下げ、了承してもらいました。まあ3年乗り増しすれば新車買うより全然経済的ですしね。

そんな訳で大規模リニューアルしたミセガワRX-8 PhaseⅡは辛い馴らしを終えて2010年11月6日にFSWでシェイクダウン。新しいミッションが絶不調であった(2010年3月ブローして乗せ換え)のにもかかわらず、当時期待して導入したHANKOOK R-S3と相まっていきなり自己ラジアルベストの2分6秒86を記録しました。気温は16℃位ありましたが、この時記録した最高速は何と217.43km/h。速ぇ。期待通り。

この時のストレートの速さは今も凄く印象に残っていますが、その後あんまりこの速さを感じる事が無くなったのは謎です。慣れとばかりも言えなくて2011年シーズンの真冬の富士で、211とか?な日も多々あり。しかしやはりパワーの恩恵は確かで、このシーズンSタイヤで2分02秒80、ラジアルで2分04秒99と各々自己ベストを更新する事が出来ました。

翌2012年シーズンは前年度、筑波で借りた265/35R18サイズが非常な好印象だったのでついに爪折りをして同サイズのMコン投入をした事と、エンジンも当りが出たのかタイムも安定して2分02秒前後を記録するようになり、まずシーズンスタートのイベントでもあるFSSTで2分02秒036、最高速は214km/hを記録。これは今でも車種別ランキング1位の記録で破られていません。
その後も2分1秒87とついに2分2秒台を切り、最終的には2012年3月13日に265/35R18の中古G/Sで2分00秒51を記録。これが現時点でのパーソナルベストとなっています。走り始めから色々とやりはしましたが、同じ車体、ナンバーも付いていNAのままでとうとう11秒短縮できた訳です。


ただ残念ながらこの記録を出した日に、エイトリアン氏が2分切りを達成してしまい、私の記録はかすんでしまいましたが、自分的にはこの時の走りはベスト-ベスト-ベスト繋がった感じでした。


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これ以降、何故かこの走りに迫る記録は全く出ず、せいぜい2分1秒5止まり。エンジンも心なしか元気が無いようにも思えたし、オイルシールの断裂も発生した為、2013年夏に二度目のオーバーホールを敢行し、同時にデフのOHやファイナルの5.1化を行い、ベスト更新の為に万全を期して2014年シーズンを迎えるはずでした。

ところがこの頃、ただでさえも多忙だった業務が殺人的に忙しくなり、単身赴任も続いて十分な準備や練習もできなく、もどかしい思いをしていて、2013年の12月のプロアイズでどうにか2分1秒2とベスト更新を予感させる記録を出したものの、その走行の後にエンジン不調を感じ、その予感は的中して皆さんがご存知の通り筑波でのトラブルとなりました。

いっそもう車を乗り換えようかとも思いましたが、あのエイトでもう一度でいいから走りたいと言う思いが強く、結局もう一度エンジンを組み直しする事となりました。幸いな事にRE雨宮殿のご協力が有ったり、エンジンそのもののブローでは無かった為、この4月から走行を再開できましたが、シーズンを失ってしまった事は間違いないです。

4月の復活以降、富士では気温15℃の条件下で2分03秒1を記録していますが、まあ私の見積もりでは気温で速くなるのは2秒程度。となるとまだ2分切りは出来ていない計算になります。

こんなアーカイブズを書いていると、もう終わりの様に思われるかもしれませんが、まだやり残した事があります。

もうそんなに時間も資源も有りません。2015シーズンこそは富士での目標達成をすべく、集中したいと思います。

練習も勿論ですが、やはりやれる努力は全部やらないとダメですね。

ちゃんと頑張って納得してから終わりにします。

Posted at 2014/05/05 14:32:46 | コメント(4) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記
2014年05月05日 イイね!

ベスト更新ならず 詳細割愛。

ベスト更新ならず 詳細割愛。今日は午後から函南に日帰り帰省の予定です。

カミさんは一足先に同窓会で前日から移動。

俺はせがれが部活から戻ったら拾っていく事になっていますが、午前中せがれを送り出したあと8時頃からは自由時間が取れたので、今日の気温が涼しいうちにと小富士に行ってきました。

もともとPeriさんが行かれると言う事でしたので、明日よりもせっかくなら今日行った方が仲間もいて楽しいという事で。

結果、Sタイヤで走りましたがベスト更新はならず。Periさんにも少し及ばない残念な感じでしたが、最終ラップがベストと言う事で、基本的に小富士の走り方が分かっていないという事が分かりました(笑)。
気温は15℃位で結構条件良かったんですがね。走っていないとやっぱり駄目ですね。


ラップタイムは秘密。

結局ミニサーキットになる程エンジンパワーの恩恵が小さくなり、遅くなって行ってウデが無いのがバレバレと言う事ですね。そこ行くとリーダーやPeriさんととかはスゲェな。

今後どんどん暑くなるだろうから、アタックするような事はもう秋まで無いだろうから、今後半年はエンジョイ系で頑張ります。


しかし今日は紅白のエイトでめでたい感じでした。


ああっ、色々心配な事を払拭してドップリ走りたい。
Posted at 2014/05/05 13:23:36 | コメント(3) | トラックバック(0) | サーキット走行 | 日記
2014年05月05日 イイね!

FSW アタック編 前篇

FSW アタック編 前篇さてアーカイブズもいよいよ核心の部分に入っていきましょう。

2005年4月に2分11秒20で始まったタイム。そのシーズンのうちに2分6秒93までタイムアップしました。その後もコンスタントに7秒台は出せるようになり、これがさし当りの自分のスタンダードな走り。タイヤは2005年12月に筑波で下ろした245/40R18のA048 Mコン、リムは9Jとやっと正しいタイヤとホイールのセットアップに辿り着きました。当初235/45R17を使用していた時は8Jとリム幅が狭かったうえに、空気圧も温間230KPa程度と、Sタイヤのメリットを生かせないセットアップだったのがデータや情報を仕入れた事でレベルアップを達成。

またアライメントや気温の影響とかも細かく気にし出したのもこの頃からでした。当時のアライメントは前後ともトーイン、キャンバーは当初フロントをリアに対して大きめにしたら、ド オーバーになって乗れたもんじゃなかったので、リアをフロントより1度ほど増やしたセットアップに変更。自分で数値を決めて平塚のショップで調整してもらうといったスタンスでした。

この頃は空力に関してはマツスピバンパーが付いている位で、リアウイングレス。それでも最高速は真冬でも210は出ていないようでした。いない様と言うのも、当時はGPSロガーとかは無くて、YU2さんお手製のマイコンを使ったロガーで車速パルスを取っていたので正確性は?でしたもんで。

しかしウイングレスで210行かないってことは、俺カーは伝統的に遅いんだな(笑)。

その後も練習有るのみと富士を走り続けますが、2006年12月に再びクラッチブローに見舞われます。一度目はYU2さんに牽引してもらいましたが、(家族総出で来ていたので、子供とカミさんはインプレッサに乗車 笑)この時はローダーで御帰還。その後友人にやはりDまで牽引してもらいました。

この12月、新規空力パーツとしてリアアンダーディフューザーとフロントアンダースウィープパネルという、まだエイトではあまり試されていないパーツを装着。結局、フロアの空力を安定させようとすると、ロールを許容しないし車高もより低くないと効果的ではないと後の勉強で分かりましたが、この時はそんな事とはいざ知らず。あと、この頃クスコの1.5WayLSDを導入しています。曲がりにくかったなあ。




そして2006年1月にベストを出してから、2008年1月まで2年間もベスト更新が出来ないという、長いスランプに陥っていく事になります。

真冬にしかスーパーラップが出ない事はもう解ったので、冬場の一発タイムアタックで有ればそれまで使用していたMコンよりもG/Sコンの方が向いているだろうと考え、2007年シーズンは245/40のG/Sコンを投入。これで富士は勿論の事、筑波も一気に4秒台とか出て、ブッチギリだぜと皮算用していました。しかし現実は甘くなく、新品バリヤマのG/Sは富士では1周持つか持たないかギリギリ。今考えるとA048の方が050よりタレが早かったように思います。

そんな訳で休暇まで取って平日アタックしようが何しようが、6秒93を破る事が出来ず、その間に某E氏に記録を破られてしまうなど、良い所なくこのシーズンが過ぎて行きました。

そんな状況を打破したもの。一つはやはり上物の空力パーツが欲しいという事で投入したR魔のGTウイング。そしてもう一つのそれは皮肉にもタイヤでした。2008年シーズン投入したのは前年の失敗を踏まえてMコン、しかしサイズは255/40R17+9.5JのSSR鍛造ホイール。この頃からいよいよ頭がおかしくなってきました。フェンダー加工無しで入る目いっぱいのサイズとして投入。
投入の効果は凄まじく、2008年1月にタイムは一気に2分05秒04に。不思議な事に最高速も殆ど落ちていないか、少し伸びている位。

そして翌シーズンの2008年12月には新しいSタイヤで有るA050、タレに対しても強くなったとのことで今度こそ使いこなす意気込みで投入したG/Sコンで見事2分3秒53を出し、王座へ。後にこの記録は僅か20日で破られはしますが、この頃は某E氏と拮抗していましたね。

この2009年仕様が第一期ミセガワ号の完成形と言えるでしょう。

さてさて、この後脚の見直しやサイドポート加工など第二期ミセガワ号に繋がっていきます。

つづく。
Posted at 2014/05/05 00:01:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記

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