最初に。
これは大分前、私が一度みんカラから消える前に書いた文章に近いものです。あの時の文章を一字一句記憶しているわけではないですが、何とな~くキーボードを叩いていたら驚く程短時間で書けちゃったのでupします。
できちゃったので認知してください(殴
古くからのお友達の方には見たことがある文章でスミマセン。
「オープンスポーツカーは平和のバロメーターだ!」
いきなりこんな事を書くと、「あいつもとうとう呆けたかw」なんて思われそうですね。
「オープンスポーツカーがあるからこの国は平和だ!」なんて真顔で語る事は、普通に考えたら正気の沙汰ではありません。
でも、よく考えてみて下さい。捉え様によってはこの暴言にも一理あるとは思わないですか?
何故なら、仮に車の真の存在意義を「人や物を、安全・快適に速く目的地へ運ぶ事」だと定義した場合、スペース効率に劣るスポーツカーはこの上なく無駄で非効率的な乗り物という事になります。
例えばスポーツクーペの場合、良くて4人乗車がやっと。その場合も後席に座る羽目になる2名は、移動の間中かなり窮屈な体勢を強いられます。それはお世辞にも快適な時間とは言い難いでしょう。
それでも4人乗れるのならまだマシです。
所謂"roadster"に至っては二人乗り、しかも乗員の頭部を守るルーフが存在しません。あらゆる意味に於いて「ムダの象徴」とすら言えるのではないでしょうか。
註)
ここで言う"roadster"とは、MAZDAで製造・販売されるスポーツカーではなく、ロングノーズで後輪駆動の二人乗りコンバーチブルという「車のジャンル」を指します。
だから頭の"R"を小文字にしています。MAZDAの車種を指す場合は、固有名詞なので頭の"R"を大文字で書くことで区別します。
さて、そこまでムダで非効率的な車が何故存在するのでしょうか?
それはそんなムダな車でしか得られない「歓び」が、確かに存在するからに他なりません。
そして同時に、その「歓び」を享受出来る平和な世界に生きられているからなのです。平和で豊かな世の中でなければ、ムダを楽しむ余裕なんて無いはずなのですから。
現在も、世界には戦禍の絶えない地域が沢山存在します。そんな土地を歩いた事はないですが、その様な土地にroadsterなんて存在するでしょうか?
おそらく殆んど存在しないでしょう。
中東の治安の不安定な地域で、TOYOTAのSUV(ランクルやハイラックス・サーフ等)は大変人気があって重宝がられているという話を聞いた事があります。
例えばかの地域で突然危険な状況に遭遇して、必死に逃げる状況を想像しましょう。(ちょっと極端な喩えかもしれませんが・・・)
場合によっては周りに居合わせた沢山の人を乗せて逃げなければならないかもしれません。言うまでも無くこの様な地域の車のウインドウは防弾仕様になっていて、ルーフが無い車などお話になりません。
また、その様な状況なら路面状況を選ぶ余裕など無いはずです。途上国の劣悪な舗装路面も走らざるを得ないし、場合によっては道なき道を強行突破しなければ逃げられない状況だってあるかもしれません。
そして、そんな風に生死を賭して逃走している状況では、「砂漠の砂を大量に吸い込んでエンジンが止まりました」なんて事態は絶対にあってはならないのです。
つまりこの様な地域では、広い居住空間、高い悪路走破性、圧倒的な信頼性が不可欠です。だからTOYOTAのSUVが大人気なのでしょう。
こうした地域の人々にとって徹底的に合理的な車と言えます。
翻って我が国はどうでしょうか?
ここ数年、ダイハツから2代目の"Copen"、ホンダからは"S660"、MAZDAからは4代目"Roadster"が発売され、俄かに国内オープンスポーツカー市場が活気づいています。
またroadsterでは無いですがトヨタ・スバルの86/BRZは根強い人気を誇っているし、ホンダ・NSXも発売され、GT-RやLEXUS/RC Fの様なハイパフォーマンスカーやスーパーカー達も存在感を放っています。
巷では「車離れ」なんて言葉がしきりに叫ばれますが、こうして見るとあながちこの国の自動車マーケットも捨てたもんじゃないなって思います。
一部には「雨の多い日本にオープンカーは不向き」という意見もあると聞いた事があります。
しかし、世界一治安が良くて信号待ちの間に暴漢に襲われたりする心配も(ゼロでは無いけれど)限りなく小さいこの国は、考えようによってはオープンカー天国なのかもしれません。実際に所有して感じたことですが、特に秋の涼しく澄み切った空気、カラッとした晴天が続く本州太平洋側の冬は、オープンカーにとって最高の環境だと思います。

↑勝手に友情出演w
12年前。
2005年の日本カーオブザイヤーは、先代NC型のMAZDA/Roadsterが受賞しました。
当時のカーオブザイヤー実行委員長・山崎憲治氏が発表の場で行ったスピーチの一部を紹介します。
※※※※※
26年の歴史の中でオープンスポーツカーが「日本カーオブザイヤー」を獲ったのは初めての事です。
オープンスポーツカーというものは、この「平和の場所」(広島)でなければ作れませんし、自然を感じて走るものです。
「光」「風」「匂い」「四季」・・・
そういう素晴らしい地球の環境の中で走る。
そこで初めて自動車の喜びを感じる事が出来るのだと思います。
「平和で綺麗な自然があるところでこのクルマを楽しんでほしい」というメッセージだろうと、私は思いました。
平和の心を持った広島のメッセージが、マツダのロードスターを通して、今年の「日本カーオブザイヤー」は東京から世界に発信された。
その様に私は思いました。
※※※※※
当時はRoadsterファンでは無かった私ですが、このスピーチには感動した事を強く覚えています。
「私の国・日本には平和の象徴・広島があり、そこには世界に誇るMAZDA/Roadsterがあるんだ!」
そんな事実が、一人の日本人としてとても誇らしく思えたのです。
それから10年。
奇しくもあの悲惨な戦争が終わって70年となる節目の年に、私たちの愛する平和の象徴・広島から、世界でも唯一無二の新しいライトウェイト・オープンスポーツカーが産み出されました。
その車は国籍を問わず多くの車好きや自動車評論家から賞賛され、"World Car of the Year"と"World Car Design of the Year"、そして日本カーオブザイヤーなど世界中の数々の賞を総なめにし、挙句の果てにはとんでもないものを盗んでいきました。
それは、私の心です(キラッ
自分の国には平和の象徴である広島の街があり、そこには世界中の視線を釘付けにする最高の自動車メーカーがあることを、私は誇りに思います。
同時に、そこから生み出された美しき名車に感動できる自分の感性と、実際に購入に踏み切れたほんの少しの勇気を持てたことも、私にとって誇らしいことです。
70年以上前までのあの時代の数多の尊い犠牲の上に、戦後の高度成長を支えた諸先輩方の血の滲む様な努力の上に、今の私たちの幸せな生活は成り立っています。
そしてみんカラで車好きの素敵な友人たちと交流が出来ています。
乗る車は自由です。
オープンカーやクーペは勿論、セダン、ワゴン、コンパクトカー、軽自動車、SUV、ミニバン・・・実に沢山の車が私達にはあり、そしてその愉しみ方だって人それぞれです。
どノーマル、ガチンコ・サーキット仕様、通勤快速仕様、ドレスアップ仕様、VIPカー仕様、痛車仕様・・・思い思いの車で思い思いのカーライフを送れる我々は、やはり幸せだと思います。
テレビをつけると、今日もNEWSが崖っぷちの世界を映し出します。平和を脅かす様な悲しい知らせを聞くといつも心が痛みます。
中東やアフリカには今も恐ろしいテロリスト集団や泥沼化した紛争地帯があり、海を挟んだ隣国を巡る情勢は一段ときな臭さを感じさせる今日この頃です。
昨年、アメリカとイギリスではそれまでの世界の流れを一変させかねない、グローバリズムに背を向けるかの様な世論の台頭があり、今日はフランスでも同様の時代の流れを感じるニュースがありました。
この場で政治的な議論をするつもりは毛頭ありませんが、世界が今後どうなっていくのかということについては不安を感じざるをえません。
私の様な小市民に世界を変えることはできないかもしれないけれど、ただひたすら毎日の憂鬱な日常世界で自分に出来る精一杯の頑張りを続けながら、世界の平和が続く事を願っています。
大好きな愉しいカーライフがこれからも続けられる事を、ささやかに祈りながら・・・
