
皆さんは別れといえばどの様な事が頭に浮かびますか?
年の瀬最後のブログに少し思い出語りを。
まだ二十歳頃に別れといえば、ほぼ恋愛関係しかありませんでした。お互いの進路の関係で仕方なく別れたり、時にはコンビニのレシート並みに捨てられたりと色々経験したものでした。
その時いつも思っていたのが、全てが終わったと落ち込んだり、どうでもいいやと自暴自棄になったりしたものですが、今の自分から結果的に見ればそれは大した事ではなかったと思います。
現に今現在、好きな車に乗れ大切な家族がいて、そしてその家族に隠れてのスリルある車弄りをしたり…。
お金も時間も好きに使わせてくれて車を弄ると直ぐに飽きてしまいそうですが、様々な制限の中でやるコソコソ感がいいのですよね。色々調べて吟味して、着けてバレて(娘に)。不倫にもそういういけない感がスパイスになるのでしょうかね?…しませんけどね。
話逸れましたが、人生経験と共に過去の苦労や挫折は今の糧となり、あんなに落ち込んだ事も良い思い出になって来ています。
そんな中で、二つだけ自分にとって薄れる事なく今でも覚えている別れがあります。今回はそんな話ですが、良ければお付き合い下さい。
学生時代からの友人でAという人間がいました。既に過去形ですが。
当時の同じバイト仲間で、彼の奥さんもうちの嫁さんも皆同じです。そのバイトでは仲間内で結婚した人間が多く、今でも定期的に会っている僕の大事なグループです。
当時はバイトが終わると皆で飯食いに行ったり、海岸で一晩中喋り明かしたりと青春していたと思います。
彼が結婚を決めた時、僕が結婚する時なども知多半島の海岸で喋ったりしたものです。
ちょうど年の瀬が迫った数年前の今頃、仕事の休憩中にガラケーを見ると他の友人からの久しぶりの着信があり、通勤中に彼が交通事故で亡くなったと知らされました。
年を重ねる毎に久しぶりの連絡には余り良い事がなくなって来ましたね。不幸の連絡か、あとは一時期ネズミ溝の勧誘が多かったです。
直ぐに連絡が取れる友人達に連絡を回し、会社を早退させてもらい嫁さんとお通夜に行きました。
途中や会場前で何人かと合流して行ったのですが、場内では幼い娘さん(次女)を抱っこして泣き崩れている彼の奥さんと、焼香台の横で泣きながら、ありがとうございますと僕達に頭を下げるまだ小学生になったばかりの娘さん(長女)がいました。
なんかもうね、その場で涙が溢れて来ましたね。大の大人が。人前であんなにボロボロ泣けて来たのは初めてでした。
よく「家族を残して死んじまいやがって」とかいうセリフがありますが、そういう事ではないんですよね。家族や、何より本人が無念だと思いました。
翌々年に奥さんからいただいた年賀状には家族3人、なんとか頑張っていますと書かれていました。
話変わりまして、僕は名古屋に来てからずっと一人暮らしをしていました。結婚が決まり、会社に社宅があったためにそちらを借りる手続きをしました。
会社の社宅は管理会社が壁紙や畳を替えてくれているのですが、民間の管理会社と違い入居前に本人達が気になる所を掃除しなければいけませんでした。
嫁さんと数日間かけて掃除や家具家電を設置していざ住み始めたその日、夕食は外食しに行ったのですが帰りに必要な物があると二人でホームセンターに立ち寄り、洗濯ハンガーなどを購入したのですが、何故かその風景が僕の中での結婚生活のスタートと思えています。
役所で入籍した日でもなく、披露宴をした日でもなく、今でもあの日から結婚生活が始まったように思えます。
そして数年後、待望の娘を授かり嫁さんの希望で里帰り育児はしなかったので退院後は社宅に直行でした。
台所の流しで初めて娘を入浴させました。ガス給湯器でお湯をかけて洗っていたのですが、食器洗いとかいう余裕は全くありません。
自分で動き回れるようになると、夏場はオムツにタオルを掛けてテレビを見たりしています。
外遊びを始めるようになり、ドングリ拾ったりに付き合わされていました。
初めて雪だるまを作ったりもしました。
段々成長と共に自我も育ち、自分で色々やりたがるイヤイヤ期も迎える頃、今後の娘の学校の事も考えて住宅を購入することにしました。
建築中に何度もお邪魔して家族3人で屋内を見て回っています。それからしばらくして完成。引越しをしました。
引越し後、新居の取り敢えずの片付けを終えると社宅に戻り、ゴミの日に合わせて最後の掃除と挨拶回りをした時ですが、室内の掃除道具などを片付け何も無くなった部屋の中に向かい、娘が「バイバイ」と手を振っていました。
僕は親が転勤族だったために人生で10数回の引越しを経験していますが、娘はこれが初めての引越しです。というよりまだ4歳前だった娘にはこの部屋が人生のほとんどを占めていたのですね。
寝返りからハイハイ、立ち上がり歩き始め、言葉を覚えて遊んでいた場所だったので、最後に3人でお世話になりましたと頭を下げて後にしました。これがもう一つの別れです。
今まで僕は何台も車を乗り換えてきましたが、いつも次の車へのワクワク感が勝っていました。故障や車検を機に、使用目的の変化に合わせての事が主な理由ですが、どの車にも思い出が有ります。
今のエスティマは娘が産まれる直前に赤ん坊の事を考えて急遽購入しました。ですから娘にとってエスティマは病院に迎えに来てくれ、色々遊びに連れて行ってくれ、病気になった時には昼夜構わず病院に運んでくれた、産まれた時からずっと一緒の大切なお姉さんみたいなものです。
コペンは気がつくとチョコチョコ姿形を変えている妹みたいなものです。初のツーリングやオフ会にも一緒に参加しています。
ただ、車である以上いつかは彼女達との別れが来るとは思います。それが出来ればもう何年か先になり、その時は家族3人で「バイバイ」と見送りたいものだと思った今年最後の日でした。
さて、来年も隠れて色々弄ろうっと。
本年は大変お世話になりました。皆さんも良いお年をお迎え下さい。
姫鈴