
3代目のRX-7(FD3S)をⅣ型→Ⅴ型と2台乗り継ぐ私。
1991年10月にアンフィニRX-7として新型RX-7が発表された頃、私は東京で独り暮らしの身でした。その翌月、幕張の第29回東京モーターショーで大勢の人垣を掻き分けながら辿り着いたマツダブースの雛壇の前。ルマン24時間レースで優勝したマツダ787Bの勇姿と、ヴィンテージレッドが眩いFD3Sの艶姿に甚く感激したことは…今でもハッキリ覚えています。
ただ当時、1.6LエンジンのFF車・エチュードで駆け出しのカーライフを過ごしていた私は、いかに話題騒然のFD3Sであっても、全く触手は動きませんでした。というか、ロータリーエンジン車を自らの保有対象として認識していなかったのです。奇しくも、私が国内耐久レース観戦に明け暮れていた時期で、毎レース毎レース、レーシングロータリーの孤高のサウンドに陶酔していたコアなREファンだったにもかかわらず…です。
おそらくは・・・
私がその当時熱を上げていたサーキット走行会では同じ1.6LクラスのNAロードスターやBFMRファミリアがライバルだったし、まだまだ自身のドラテクにも向上の余地が随分あったことから、マツダを代表する本格スポーツカーのRX-7に畏敬の念を抱きつつも、現実的に愛車として迎えたいという気持ちは殆ど芽生えなかったのです。いうならば「いつかはロータリー」程度の感覚だったわけですね。
しかしその後、予期せぬ激震が走ることになります。
1996年、バブル崩壊で経営危機に陥っていたマツダが米国フォードの傘下企業となり、外国人社長のもとで不採算部門のドラスティックな切り捨てを開始。その魔の手はやがてマツダの代表的技術であるロータリーエンジンにまで及び、その存続が危ぶまれる事態となってしまったのです。
んなバカな!
「いつかはロータリー」の漠然とした思いが突然断ち切られてしまうばかりか、私をコアなマツダファンへと誘ったロータリーエンジンの開発から撤退だなんて、到底看過できるはずがありません。私は居ても立ってもいられず、無謀にも決断したのです。
とにもかくにも
ロータリーエンジンの新車販売に貢献せねば!
そんな一途な思いに駆られた私の前に、選択肢として残されていた唯一のRE搭載車が、FD3S(Ⅳ型)でした。
もしこの時、新車購入できるRE車がユーノスコスモだけだったら、私は喜んで人生初のAT車を受け入れたでしょうし、仮にセダンタイプのクルマしかなかったら、若者に似つかわしくないジャンルでも迷わず手を出したことでしょう。でも有難いことに、そこには私を人生初のFRスポーツの世界へと誘う魅力的な"REベストピュアスポーツカー"が待ち受けていたのです。
こうして1997年の年明けにⅣ型を購入し、いちRE車オーナーの立場から、ロータリーエンジンの動向に関する様々な報道に一喜一憂するようになった私。そこにビッグニュースが飛び込んできたのは1998年の12月。RX-7のマイナーチェンジの発表でした。開発中止の暗い噂を掻き消しただけでなく、サーキット走行時の大幅な性能向上を図った良心的対策のオンパレード。サーキットでⅣ型の熱ダレに手を焼いていた私にとっては二重、三重もの朗報でした。逆風の状況下ながら果敢にRX-7の進化を世に問うたマツダの心意気にも応えなければと、すぐさまⅤ型へのスイッチを検討開始したのは言うまでもありません…。
というわけで、
これが私と2台のFD3Sの間に潜む波乱万丈のストーリー。
ちなみに、そのⅣ型とⅤ型の車歴はなかなかに好対照だったりします。Ⅳ型は3年間で6万kmを走破し、初回車検を受けることなく放出されたのに対し、次のⅤ型は通算12回も車検を受ける展開に。奇しくも、こちらは26年間で6万kmですからね^^;。
また、Ⅳ型は渋めのシルバー色をまとって大人のスポーツカーの雰囲気を志向していたのに、次のⅤ型ときたらボディ色といい派手なステッカー群といい・・・(苦笑)
いずれにしても、37年間に及ぶ私のカーライフで、その約8割にあたる29年間をFD3Sと過ごしてきたわけですから、これはもう浅からぬ関係というほかありません。
ステージ上でスポットライトを浴びるヴィンテージレッドのⅠ型を眺めたあの日、自分がFD3Sとこんな蜜月関係を築くことになるとは…全く夢にも思いませんでしたね(^^)。
以上、
「3代目RX-7誕生35周年記念講演」および「3代目RX-7特別展示」のイベント内容そのものよりも・・・会場で約20年ぶりにWW2メンバーが7(+1)名も大集合したことに感激してしまった、本日のマツダミュージアム土曜特別開館のひとコマでした。
Posted at 2026/01/10 23:05:28 | |
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