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Nuk-P@RailStarのブログ一覧

2015年12月05日 イイね!

残念なお知らせ

残念なお知らせ明日12/6(日)はいよいよ「マツダファンフェスタ2015イン岡山」の開催日ですね。

国内最大級、
年に一度の
マツダファンの祭典。


とパンフレットが謳う通り、全国各地からマツダファンが集うこの魅力的な一大イベント。
大のマツダファン・モータースポーツファンを自認する私にとっては絶対ハズせない重要行事のはずですが・・・

二年連続の不参戦が決定いたしました(T_T)

・・・理由は家庭の事情(広島までは行くのですが、県境を超えられず)。

今年はイベントの当たり年だったというのに、まさか結局、三次50thイベント、東京モーターショー、そして岡山MFFのどれにも行けなくなってしまうとは・・・
もう、残念無念を通り越して、なんとお詫びをしてよいやら。
マツダファンやWW2代表の看板を下ろさなくてはならないくらいの危機だと自覚しております(-_-;)。

参加される方々は道中も含めてぜひ安全に楽しんでもらいたいと思いますし、MFCT/マツ耐に参戦されるWW2の皆さんには、今回もホームグラウンドで胸のすくような快走を見せてほしいと心から願っています!

そんな想いをマツダのモータースポーツスピリットに乗せ、ひっそりと背中からエールを送らせていただきますm(__)m。




Posted at 2015/12/05 12:31:35 | コメント(4) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2015年07月10日 イイね!

憧憬のマシンは心の中に在りて(補足)

憧憬のマシンは心の中に在りて(補足)ル・マン24時間レースを戦った歴代のマツダワークスマシンの中で、私にとって最も思い出深く、愛車の外観モディファイのモチーフともなっているのが、1989年のレースで総合7位・9位・12位に入った「マツダ767B」。

その767Bの勇姿を現代に伝えてくれる動態マシンのうち、個人オーナー所有の202号車が、6月末に開催された英国グッドウッドイベントのヒルクライム中にクラッシュ。

右フロント部を中心にして激しいダメージを負ったマシンの姿がすぐさま世界中に出回り、ファンの間に衝撃が走っただけでなく、事実関係を誤解した迷コメントまでが散見されるに及び、自称・767Bマニアとして公式コメントを出しておかねば・・・と勝手に思い立ち、文章をしたため始めたのが月曜日。
当初はササッと手短に要点だけ書くつもりだったのに、またも私の悪いクセでダラダラと書き綴ってしまい、まさかの三部作となってしまいました(^^;)。

・・・しかもその内容の大半は、26年前の私と767Bの馴れ初め話など、過去に何度もみんカラブログに書いてきたもの。古くからの’お友達’や’ファン’の方々には、相当に耳タコな話だったかもしれませんね(汗)。
でもそこは、初めての方に正しく伝わることを最優先に、あえて端折らずに長々と書かせていただきましたのでどうかご容赦をm(__)m。

というわけで、常連さんからの苦情も覚悟で、折角ここまで耳タコ話を語ってきたので、その序でにもう少しマニアックな領域に踏み込んでも大勢に影響はないだろうとの安直な動機から、今回はオマケ編というか補足編に突入したいと思います。

ここでは、1989年のマツダ767Bから始まったレナウンCHARGEカラーが、1991年までの3年間でどう変遷したかを記しておきましょう。

説明のために登場してもらったのは、1989年~1991年の各年のル・マン出場車。

左端が1989年、全車完走した3台のうち総合9位で完走した「767B」。
真ん中が1990年、最新マシン・787のリタイヤ後、総合20位で完走した旧型の「767B」。
そして右端が1991年、夢の総合優勝を遂げた栄光の「787B」です。
なお、ワークスマシンの進化という意味では本来、真ん中に「787」を持ってくるべきですが・・・なんと、我が家には1/43のモデルカーがなかったのです(苦笑)。

まず、89年→90年では、蛍光オレンジ×グリーンの色使いは全く同じながら、「RENOWN」のロゴデザインが変更され、フォントがポップな字体になり、ベース色もブラックからブルーへ。これと同時に、リアカウルの左右上面に鎮座するCHARGEのキャラクターマークも、シンプルなマークから凝ったイラストへと一新。

次に、90年→91年では、正面のロゴがCHARGEからRENOWNに変更されると同時に、リアカウル上面のカラーリングがブラックからシルバーへ大変更。これは、リアカウル内の温度上昇を少しでも抑制するための措置で、91年シーズンの初戦から採用されていたもの。

ということで、RENOWNロゴの字体と、リアカウル中央の上部色とで、この3年間のCHARGEカラーは識別できてしまうのです。
この基礎知識を習得していただいた上で、我が赤CHARGE号を見てみると・・・



ホラ、間違いなく1989年仕様の767Bになってるでしょ!

わざわざ図解入りで説明しないと理解してもらえない、細かな細かなこだわりポイントなので・・・ここぞとばかりに紹介してみました(^^)v。
(あ~スッキリした)

ちなみに・・・

冒頭の見慣れないマシンの写真は、マツダスピードクラブ会報誌「BeAM」の創刊予告号の表紙。
(「オレも持ってるゾ!」という方、いらっしゃいますか~?)

これは1988年シーズン終盤、レナウンがスポンサーに付いた直後のカラーリングで、オレンジ×グリーンのアーガイル模様が登場する前に一時的にまとっていた、超レアな暫定カラーリング。マシンの方も、シーズン後に大改造を受けて767Bに生まれ変わる直前の姿の「767」であり、これもまたレア。

ミニチュアカーのメーカーさんも、767Bの真っ白なルマンTカー(#201T)をモデル化してマニアを散財さてしまうくらいなのだから、ぜひともこの初期CHARGEカラーも併せて商品化してほしいものです。

ということで、最後は誕生日の願い事でしたっ!^m^
Posted at 2015/07/10 22:12:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2015年07月08日 イイね!

憧憬のマシンは心の中に在りて(3)

憧憬のマシンは心の中に在りて(3)前回、前々回と2回にわたり、マツダ767Bという四半世紀前のクラシックレーシングカーについて、マシンの素性や戦歴、そして、なぜこのマシンが私にとって特別な存在であるかをお話ししました。

そんな自称・767Bマニアの私が、今回のグッドウッドでのクラッシュを極めて冷静に受け止めているという意外な事実。

私にそんな反応をさせた2つの大きな理由とは・・・

1つ目は、ブログタイトルに表現した通りで、「理想と現実との違い」とでもいいましょうか・・・

私の思い出の767Bとは、1989年当時、圧倒的多数を占める他メーカーのレシプロエンジン勢に伍して、孤高のロータリーサウンドを轟かせながら、FISCOやルマンの檜舞台を全力で駆け抜けていた現役時代の勇姿(#201/#202/#203)であって、その輝かしい姿をこの現代において100%正確に再現することなど、事実上不可能なわけです。
つまり、私の憧憬の767Bは常に自分自身の心の中だけに存在するもの。超個性的なそのアピアランス、突き抜けるようなそのサウンド、空気をも震わすその振動(波動?)、緊迫感や真剣さを伝えるその匂いや味わい・・・まさに五感を通じて得られる生々しい感触ととともに、等身大な記憶として刻み込まれているのです。

だから、数十年もの時を経て、今もなおデモ走行で爽快なサウンドを披露してくれる往年のワークスマシンたちも、現役当時の姿を知る私からすれば、「デモ」や「実演」という新たなステージで余生を謳歌している姿であり、心の中に秘めたリアルな感動の記憶を思い起こさせてくれる導火線、キッカケに過ぎないのです。
これはたとえ、2011年にマツダ本社の手によって入魂のフルレストアを受け、J.ハーバート選手のドライブで20年ぶりにサルテサーキットを駆け抜けた栄光の787Bであっても、私は基本的に同じ感覚で受け止めています。・・・たしかに、かのル・マン凱旋走行はかなりの本気モードでしたけど、787Bの個性を引き立ててくれるライバル勢の姿はそこになく、いわば単独演奏でしたものね(^^;)。
(とはいえ、ル・マン主催者のACOからのデモ走行オファーに対し、当時赤字に喘いでいたマツダが787Bのフルレストアを決意、100%の誠意をもって応えたことは大変誇らしいし、ファンとして後世に語り継がねばならないと思います)

もちろん、レーシングマシンは古かろうが新しかろうが、走ってこそナンボ。
かつてのグループC全盛時代を知らない方や若い世代のマツダファンに、孤高の4ローターサウンドを惜しみなく披露し、マツダのレースレジェンドを直接感じさせてくれる貴重な語り部として、ぜひこれからも元気なパフォーマンスを見せ続けて欲しいと願う純粋な気持ちは、当然ながらあります。
ただ、私個人にとってそれはあくまでも、心の中の思い出を呼び起こすスイッチのひとつに過ぎず、他にも冊子やVTRなど幾つもスイッチは隠し持っているので、「くれぐれも無理しないでいいからね・・・」と優しく声をかけてやりたいというのが正直な心境。

だから、とても身近な存在だった767Bの202号車が悲劇に見舞われ、少なくとも当面はその余生の活動がストップする事態になっても、私には「最後の砦を失った」喪失感はなく、大きなショックには発展しなかったのです。これが1つ目の理由。

そして、もう1つの理由は・・・「感謝」と表現すべきもの。

先に述べた2011年以降、各地のファンイベントやサーキットイベントで、実際にマツダの4ローターサウンドの迫力を味わった方も多いと思います。
この4年間は、ル・マン優勝車の787B(#55)をはじめ、JSPC仕様の787B(#202)、そして、同じくJSPC仕様の767B(#202)の3台の動態マシンが、代わる代わる大勢のファンの前で元気にデモ走行を披露してくれているからです。
でも、これら3台のうち、2台の787Bと、残る767Bとの間に「大きな違い」があることは・・・あまり知られていないのかもしれません。

え? マシン型式が違うだけでしょ?

いいえ。そうではありません。
2台の787Bが何れもマツダ本社の所有マシンであるのに対し、なんと767Bは個人所有のマシンなのです。
つまり、767Bは毎回のデモ走行をオーナーさんの自費でこなされているわけで、これは実に驚くべきこと。
ご自身でショップを経営され、量産REに関するノウハウも豊富な方とはいえ、レーシングカーの世界は全く別物。元ワークスカーのモンスターマシンを動態維持することの困難さは、想像に難くありません。

普通であれば、貴重なマシンを入手してもせいぜいお店のディスプレイとして飾られるのが関の山で、ともすればその大きな図体を完全に持て余され、ずっと倉庫に仕舞い込まれたり、下手をすれば野晒しにされても全く不思議ではないのに、スペシャルマシンを走行可能な状態にメンテし続ける心意気たるや、並大抵のものではありません。
しかも、787B(#55)が2005年秋のルマンクラシック(美祢)を最後に暫く休眠状態に入って以降、JSPC仕様の787B(#202)が動態レストアを受けて復活する2008年秋までの間、かの4ローターサウンドをファンに披露できるマシンはこの個人所有の767Bしかいなかったわけで、もし動態維持にかけるオーナーさんの心意気がなかったら、マツダのロータリーレジェンドは極めて危機的な状況に陥っていたのです!
・・・もうね、もし私がマツダの社長だったら、自ブランドへの多大な貢献に感激し、このオーナーさんに感謝状を何枚も乱発してたでしょうよ(爆)
(ま、それ以前に、787Bを休眠状態にはさせないと思いますが)

だから、こうしてデモ走行継続が困難な状況に陥ってしまったオーナーさんには、不幸なクラッシュに対する慰めの言葉とともに、「今まで本当に有難う」との感謝の言葉しか浮かんでこないのです。
何よりも、今回のグッドウッド出場で四半世紀ぶりに欧州の地を踏み、ヒストリックレーシングカーの祭典で満場の観衆から注目を浴びたことは、当の767Bも大いに栄誉に感じているに違いありません。

だからこそ、767Bの今後に関しては、オーナーさんご自身の意向が最大限に尊重されるべき。
暫く休眠するにせよ、復元に向けて動き出すにせよ、その他の選択肢を選ぶにせよ、無責任な外野がああすべきだこうすべきだなどと言う筋合いではないし、ましてや、クラッシュを叱責するだなんて言語道断。そんな無礼でお門違いな輩には
アナタ、これまでオーナーさんがどれだけ苦労されてこられたか判ってますか?
と私は問い質してやりたいですよ。

もちろん、もし仮にオーナーさんが復活の意志表示をされたとして、本家マツダをはじめ世界中のファン、良き理解者たちが力を集結させ、レジェンドカー復活に向けて大きな一歩を踏み出すようなムーブメントに発展すれば、とても素敵なシナリオだと思いますけどね(^^)。

でも・・・

今はそっとしておいてあげましょうよ。

これまで、767Bの202号車が魅せてくれたデモランの勇姿をしっかり記憶に刻み込みながら。

(おわり)
Posted at 2015/07/08 23:28:42 | コメント(5) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2015年07月07日 イイね!

憧憬のマシンは心の中に在りて(2)

憧憬のマシンは心の中に在りて(2)(コソッとタイトルを微修正 笑)

前回は「マツダ767Bとは何?」について、長々と語ってしまいました(^^;)。

では次に、私が何故、ル・マンで日本車初の総合優勝を勝ち取った1991年のマツダ787Bよりも、その2年前に総合7位止まりに終わったマツダ767Bに心酔しているのか、その理由をお話ししましょう。

それは・・・一言でいえば、強烈なまでの「原体験」。

言っておきますが、767Bの方が王者787Bよりも「カッコイイ」とか、ましてや「速い」などと主張するつもりは毛頭ありません(^^;)。前者はともかくとして、後者については、足繁くFISCOに通ってマツダのワークスマシンにアツい声援を送り続けていたこの私自身が生き証人。767Bでは全く歯が立たなかったポルシェ962Cのトップランナーたちを、787Bは余裕で置き去りにするほどでしたから、その速さ・強さの差は歴然としていました。
要は、両マシンを冷静に比較した上で結論を出したのではないということです。

小学生の頃から大のクルマ好きだった私が、世のF1ブームから遅れること数年(苦笑)、初めてモータースポーツに関心を持ったのが、ちょうど1989年のこと。

当時、二十歳の学生だった私が、若さに任せて徹夜覚悟で真剣にTV観戦した最初のビッグレースが、毎年テレビ朝日が放送していたル・マン24時間レースだったという不思議な巡り合わせ。
そして、長時間に亘った生放送の中で、前評判の高かったトヨタ、ニッサン勢が次々に脱落していく中、日本車勢随一の活躍を見せたマツダのマシンが、この767Bだったのです。
さらには、TV観戦の感動を再びとばかり、同年の10月、生まれて初めてサーキット(FISCO)に足を運んで生観戦した国内耐久戦(1000kmレース)で、耳をつんざくド迫力の4ローターサウンドと、思わず目を奪われるド派手なCHARGEカラーの外観で強烈な存在感を示し、私のハートをガッチリ掴んでしまったマシンもまた、この767Bだったのです。

この衝撃的な出会いがその後の私の人生を狂わせ(笑)、大のレースファン、大のロータリーファン、そして大のマツダファンの私が醸成されるに至ります・・・。

なので、タラレバ的な話になりますが、もし私がモータースポーツに目覚めたタイミングが「1988年」だったら、憧憬のマシンは「マツダ767」だったかもしれません。
さらには・・・
もしそれが「1987年」だったら、日本人初のフルタイムF1ドライバー・中嶋悟選手を熱烈に応援しながら、いつしかホンダファンになっていたかもしれないし、もしそれが「1990年」だったら、ル・マンをはじめ国内外のCカーレースで圧倒的な強さを誇示していたR90CPやR90CKの勇姿に魅せられ、日産(NISMO)ファンの道を歩んでいたかもしれないのです。
そんな展開であれば、私は今ここでこんな内容のブログを書いていなかったことになるわけで、俄かには信じられない気分ですが・・・ま、人生ってそんなものですよね(笑)。

そして後年、WW2というクラブを立ち上げ、かつて自分が感動を味わったマツダワークスのモータースポーツ活動の再開を訴え始めた私が、その強い思いを表現するモチーフ的な存在を思い浮かべた時、全てのきっかけを与えてくれた1989年のマツダ767Bに行き着いたのも、ある意味自然な流れではないかと思うのです。

ということで、幾つかの偶然が重なってはいますが、この2つの印象的な出会いが、後々まで私を767Bへ傾倒させることになったのです。

さて、これでマツダ767Bと私の強固な結び付きまでは説明できました。
ではここで本題というか、前回ブログの冒頭で述べた核心の話題へと戻りましょう。

英国グッドウッドイベントでのマツダ767Bのクラッシュ。
26年来という愛しのロータリーマシンを襲ったよもやの出来事に、自称767Bマニアの私が人一倍大きなショックを受けていても全く不思議ではないし、現にそう心配して声を掛けてくれた人も多かったわけですが、実際にはそうではなく、極めて冷静に事態を受け止めています。
もちろん、マシンの損傷を目の当たりにすると素直に心が痛みますし、関係者の方々の心情や心労は察するに余りあります。でも、その感情は他のマツダファン、ロータリーファン、レースファンの方々とおそらく同レベルのもので、767Bに強い思い入れを抱いているにもかかわらず、特段、悲嘆に暮れているわけではないのです。

正直、意外なほど冷静な自分に驚いてしまった部分もあるのですが^^;、少し落ち着いて考えてみると、2つの納得できる理由が思い当たりました。
1つは・・・ブログタイトルの通りで「理想と現実の違い」とでも表現すべきもの。そしてもう1つは・・・まさに「感謝」という言葉がピッタリのものでした。

(つづく)
Posted at 2015/07/07 23:14:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2015年07月06日 イイね!

憧憬のマシンは心の中に在りて(1)

憧憬のマシンは心の中に在りて(1)すでにご存知の方も多いかと思いますが、先月末、英国「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」に日本から遥々出場したマツダ767B(#202)がヒルクライム中にコースオフ、走行不能になるほどのダメージを負ってしまいました。
(写真は2013年のマツダファンフェスタ岡山にて撮影)

カウルを大破した767Bの衝撃的な姿がネットで出回るや否や、「なんとか頑張って修復を!」とか「ドライバーが無事で良かった!」といった温かいエールが数多く寄せられたのは記憶に新しいところです。
中には「栄光のル・マン優勝マシンがこんな姿に!」といった「??」な反応もありましたが、それほどまでに、今回のシーンは過去のマツダのモータースポーツ活動を知るファンにはショッキングで、そのインパクトが決して小さくなかったことを物語っています。

数あるマツダのレースカーの中でも、とりわけこの「マツダ767B(#202)」に心酔し、自らの愛車の外観モディファイのモチーフにしているのが、この私。
自称・767Bマニアとして、やはり、今回の件について何も語らないわけにはいかないでしょう。
正直、メディアから公式コメントを求められなかったのが不思議なくらいで・・・というのは冗談にしても(爆)、そんな私を心配して多くの友人が声を掛けてくれたものですから、きちんと回答しておかないとね(^^;)

まずは、一部の事実誤認を解くためにも、「マツダ767Bとは何?」からお話ししましょうか。

マツダ767Bは、1989年に登場した4ローターのレーシングREを搭載したスポーツプロトタイプカー(*)。
 *…FIA規定では「グループC」、米国IMSA規定では「GTP」

マツダが4ローターのRE搭載マシンでル・マン24時間レースにワークス参戦した時期は、1988年から1991年までの4年間。
1年目の1988年に用意した最新ワークスマシンが「マツダ767」、2年目の1989年が同「マツダ767B」で、これらのエンジンは「13J改」型(550ps)もしくは「13J改改」型(630ps)と呼ばれる4ローターユニット。
そして、3年目からは必勝を期した「R26B」型(700ps)の新しい4ローターユニットとなり、1990年の「マツダ787」、そして1991年の「マツダ787B」と、マシンも急速に進化していき、4年目には見事ル・マンのメインポールに日の丸を上げることになります。

つまり、マツダ767Bは、マツダのREでのル・マン挑戦の絶頂期ともいえるこの4年間の「2年目」に登場したワークスマシンです。
ちなみに、ル・マンをCHARGEカラーのマシンが駆け抜けたのは、この767Bが最初なんですよ(^^)。
その1989年の決勝レースでは、出場した3台の767Bが全て24時間を走破。#201が当時の日本車最高位タイの総合7位、#202が総合9位、#203が総合12位に入り、IMSA-GTPクラスの表彰台を独占。
この好リザルトにより、マツダではいよいよ総合上位を目指す機運が高まり、翌年以降、大幅にポテンシャルアップを果たした787や787Bの登場を呼ぶことになります。

なお、国内外のメジャーレースに出場したマツダ767Bは、全部で4台存在したと言われています。
登場年の1989年に、純粋に767Bとして生まれてきたNewマシンが3台と、前年の767に直接改良を施して767Bにした改造マシンが1台。
後者は1989年1月のデイトナ24Hでは#77として総合5位、6月のル・マンでは#203として総合12位と、二つの24時間レースで印象的な活躍を見せましたが、残念ながら実車は現存しません。
今年のグッドウッドに参加していたもう1台の767Bがゼッケン77をまとっていたのは、おそらくデイトナ24Hでの勇姿をリスペクトしたものでしょうね(^^)。

ハイ、これで767Bについての概要説明は一通り終わりましたね。

では次に・・・私が何故、ルマンで総合優勝を勝ち取った栄光のマツダ787Bよりも、その旧々型にあたるマツダ767Bに心底傾倒しているか?

その理由は結構単純なんですよね・・・

(つづく)
Posted at 2015/07/07 00:27:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記

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小学生の時代に到来したスーパーカーブームがほぼ終わりかけた頃、極めて身近な存在だった国産車、とりわけ強烈な個性が滲み出る'50s~'60sの旧車に強い興味を持っ...
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