
2002年のデータCD-Rの復活が待ち遠しい、今日この頃(笑)。
未だ読み取れないサブフォルダは今後じっくり対策案を練っていくとして、先日、無事救出に成功したデータの中に、当時購入3年目を迎えていた赤いRX-7の姿を発見しました。
撮影場所は、CP MINEサーキットの2コーナースタンド先。
比較的中速の1コーナーを通過し、再び車速を乗せたマシンが、タイトな2コーナーになだれ込みながら急減速を強いられるこのスポットは、レース序盤の接触事故の要所でもありました(^_^;)。
金網越しの超・至近距離から、タイヤスモークやスキール音、そして破片が飛び散る光景を目の当たりにしたのは、それこそ一度や二度ではありません。
おまけに、レース出場マシンのみならず、JTCCのオープニングラップで、隊列の最後尾からやってきたオフィシャルカーのExivが、撒かれたオイルに乗って真っ直ぐコースアウトしてしまったのも、またココなのであります(笑)。
よくあるタイトコーナーのようで、実は結構トリッキーなスポットだったのかもしれませんね。
ちなみに、逆回りだった西日本サーキット時代はココが最終コーナーにあたり、背後に見えるスタンドのあたりに当時のメインスタンドが設置されていました。
その旧コースで思い出すのは、'90年のグループAの開幕戦。
星野一義選手駆るカルソニックスカイラインGT-R(R32)が、2位(長谷見号リーボック)以下を周回遅れにする”ぶっちぎり”のデビューWINを飾った衝撃は、今でも忘れられませんねぇ~。
・・・なんて、思い出は尽きることがありませんが、この写真の主役は私の
FD。
すでにボンネットには”本家本元”の巨大なCHARGEステッカーが鎮座し、当時でもそれなりに目立っていたはずですが、こうして10年経った現在から見ると、申し訳ないけども、いかにも
「中途半端」(笑)。
アルマイト色のMAZDASPEED新作ホイール「MS-01S」も、装着当初は無垢な赤ボディと良好なコンビネーションを生み、なかなかシブいマッチングを見せていましたが、その後の散発的で統一感のないレーシングステッカーの追加が、結果的にその雰囲気を壊し始めていたのがハッキリと見て取れます・・・。
そう考えると、その後現在まで一貫して続く外観のエスカレート路線は、ちょうどこの頃に運命付けられたといえるかもしれませんね(爆)。
あ、念のために言っておきますが、今回のブログ、決して「回顧録」じゃありません。
我が家のメインカーでもある赤CHARGE号は、購入から12年を経てもまだまだ発展途上。
なにせ、3、4年後に現在の画像を振り返って、
「あはは、まだまだ青かったな」とコメントするくらいでないといけないのです。
これからも進化を続けていきますよ(^o^)。
'89年式「チャージマツダ767B(#202)」化という最終ゴールに向けての次なる目標は、「
残すはCHARGEカラーとステッチ模様のみ!」と言い切れるような状態にまで昇華させること。
懸案だった2灯式ヘッドランプの表現も2枚の「ぞうさんステッカー」で解決(妥協?)したことだし、そろそろ2013年のメニューを具体的に考えていかないといけません!
Posted at 2012/10/25 20:50:19 | |
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