ペコちゃん焼 きを巡る不二家本体との戦い
これ、神楽坂の不二家で売っている ぺこちゃん焼き!!
こっ怖い 笑
たぶん東京土産でいいとおもう。
ただし、アズキ味はまさに大判焼きや鯛焼きと味が重なる。そのなかで特にうまいのか?そんなことははい。味ならば鳴門鯛焼き本舗天然鯛焼きだろう。
では、鳴門鯛焼きには絶対にまねできないミルキー味とかチョコレート味とかチーズ味とかならいいのか? アズキを買わずしてどうすると思うんだけど、まぁアズキを外すのも一案ではあろう。
また、日持ちしないから土産ものとしてはどうかな?
でも私は結構買っている。土産ではなく自分で食べる。東京人の喜びを感じながら。
何言ってるんだ?埼玉のイモのくせに!!
(荒川左岸だったら鋳物くせにの誤変換でもいい、しかし私は右岸)
こんなペコちゃん焼きだけど。
裁判をしたことがある。私は無関係だけどね。
当事者は
この神楽坂の不二家を運営する会社 v s不二家本社
いまから40年前話題になった。
ではその話を・・・・
むかしむかし(無瑕疵と変換が出る:笑)神楽坂に洋菓子店を営もうとする江戸っ子がいて、ノウハウや看板のために不二家にフランチャイズ契約をしました。そう不二家本体ではないのです。
しかし、全然売れない。洋菓子は少し早すぎた。
この神楽坂の江戸っ子だけでなく、加盟店はみな、「もっと売れるお菓子作れごるぁ!こっちは高いロイヤリティー払ってるんだ、あんたは泥ボーか、詐欺にだまされたー」とかいうので、不二家本社はいろいろ手を打つもだめ。そこで、最終兵器のように出てきたのが・・・
じゃじゃーん
「ペコちゃん焼き」
の金型。
これで各店舗は一息つけました。
やがて、洋菓子も受け入れられはじめ、いつしか、この鉄板は場所もとるし多くの店頭から消えてゆきました。昭和55年の段階で残っていたのはこの神楽坂店のみ。
この頃、タウン誌というかミニコミ誌でペコちゃん焼きが取り上げられ、だんだんと注目を浴びてゆきます。
その結果、ペコちゃん焼きが好調なことが不二家本体の耳にも届き・・・
洋菓子店にふさわしくないと文句を言い始め、やめろと。
「何を言うんだあんたがまいた鉄板だろ」
そんなことをしていたら、この年、東京土産として有名になってしまって、不二家本体としても売りたくなったのです。
「おい鉄板よこせ」
しかし、まねもできないし。。。ってわけで、
東京駅で売るためには・・・・
ジャジャーン!
「ペコちゃん姿焼き!」
はぁ?体もついているのか。笑。
というわけで ペコちゃん焼き と ぺこちゃん姿焼き との戦いが始まりました。
姿焼きは東京駅で売っていたので場所的に有利だったはず。
でも今ないよー。
また裁判所という場外乱闘もしてみました。
結果は・・・・しらね。
現状から判断するしかないのでは?
あれからもう40年かぁ~もうだいぶ無瑕疵の話です。
当時は埼京線は赤羽線で黄色い電車。でも山手線がいろ塗り替えが間に合わず緑の車体にドアの上にカナリア色で「赤羽線」って。
田園都市線は新玉川線だった。
目黒線と蒲田線は目蒲線と呼ばれ、冷房なんかついていない草色の醜い3両編成。
西部は堤さんのおかげで大会社。
東急は五島さんの金でお金持ち。
東武東上線は、池袋を過ぎてちょっとすると、後はぜーんぶ埼玉県で、忘れ物に、くわがおおい。それでいてもう埼玉なんか走りたくないと隣の赤羽線をだいて、妊娠3両編成に。南部線も赤羽線と同じつぎはぎだらけ。
目蒲線は新幹線になりたかったらしいけど、標準軌にも交流2万500V60ヘルツにもなれず、京浜急行線にもなれなかったもう。
いったい何の話だ。笑。
わかる人にはわかる。
先日田園都市線利用者に、新玉川線かぁといったら全く通じなかった。笑。
Posted at 2022/03/24 07:23:44 | |
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