偶像に身を委ね、祈りを捧ぐは本当の信心じゃない!!
家宗から、本尊を置くことを勧められた時の断り文句です。
本尊と言っても、その祭壇を作り、その経文を書くのは人間。
飾って祀ってある戦没した大叔父の写真を見て、
「こんなのただの写真だ」
と一笑に付されてムカついていたところに、前述の本尊の話が出て、
「だったらこの写真は私にとっては大事な遺影だ。それと本尊とは違うとなぜ言えるか」
との問いに納得のいく答えが見いだせず、更には
「靖国神社への参拝は絶対ダメだ、二度としてはいけない」
と言われて、腹の底で
「ふざけんな!飲んだくれ坊主が開祖の自己中教が!【慢】ここに極まれり」
となりました。我らが日本国と大和民族の創造主たる八百万の神々を崇め奉る日本神道が我が家宗の教義の端切れ、一部に過ぎない、わが家宗がすべての宗教の頂点であり、わが家宗に非ずんばすべて邪宗というあまりにも思い上がった自己中ぶりに、私の中で正邪判定がなされました。この宗派、内輪もめで2つに分かれ、更には政党を持ち、危険なカルト宗教として悪名高い某学会、そしてさらに危険なカルト宗教として悪名高い某会にも分裂したこの宗派こそが「邪」である!と。
たとえ辿るべき道が違えど、向かう先が同じならそれは同志。
呉越同舟でも仲間は仲間。
手と手を繋げばお友達。
それ即ち、
八紘一宇の精神です。
それが私の信条であり、この宗派はそれに悖るのです。この教義の理論が正しいのであれば、そもそもわが国は日本誕生以来の日本神道こそが正道であり、聖徳太子が広めた仏教こそが外道です。その時点で大きな矛盾を生じている上、善意の者をも敵に回すことに気づけてないのがまさに【癡】、愚かさだと悟りました。邪宗っちゅう方が邪宗なんじゃい、そもそもこの宗派、仏法の最上位宗と偉そうなくせに色々釈迦の八正道に背いてるんですがそれは。さらには、キリスト教の7つの大罪のいくつかも犯してるんですがそれは。
そして、
先月の半ば頃、地震で模型の戦艦榛名が倒れて、艦橋上部の測距儀と電探が脱落したことがありました。
その前後の日に夢の中で榛名(CV:東山奈央)が出てきて呼ばれました。

艦これ自体は梅雨頃に急にアクセスできなくなったのを機会に引退しています。
そして夢に出てきたのは船の方の戦艦榛名。

(写真は模型の戦艦榛名2015年11月に制作。艦船模型制作復帰第1号)
なのに、東山ボイスで「榛名のところに来てください」と。
これは何かあるなと察して、いざ榛名山に行くことにしました。
今回のドライブのお供には、

榛名のぬいぐるみです。
柏市から国道16号線、国道17号線を経て約3時間半。
途中のヒルクライムを駆け上がって無事到着。

ちょうどお昼時に着いたので、ドライブインでお蕎麦をいただきました。
群馬と言えば、うどん、そばが名物ですからね。
して、鳥居に到着。

この鳥居をくぐったときに変化が起こりました。
それまでちょっと重かった足取りが急に軽くなったというより、誰かに足を持ってもらっているような感覚があり、本殿までの急な登り坂がまるで平坦路のようでした。
途中の御手洗で手を清め、穢れを取り除きます。
そして、お参りはこちらで。
残念ながら、本殿は修繕工事中でした。完了は令和7年の予定だそうで、これはまた来いという意味だと捉えました。
こちらにもお参りしました。
そして、帰路途中で入手。
更には途上の茶屋で、ご神水コーヒーとご神水梅茶をいただき、神力を高めました。
全く雑味がない透き通ったような味で、穢れがないとはこういうことかと感じながら美味しくいただけました。まさに、穢れなきユーフォリアです。
身も心も軽くなったところで榛名神社を後にし

更に山を登って行って「秋名」のヒルクライムを楽しんでたどり着くは、

榛名山ロープウェイのたもと
そして、榛名湖です。
御神のお膝元なだけに中々のパワーを感じました。
立ち寄ったお土産物屋さんで前々から欲しかったものを入手。

Amazonで買えるだろと言われればそれまでですが、その土地で手に入れることに意味があるんです。そのお土産物屋さんでは、シイタケ茶をいただきました。
シイタケって結構苦手なんですが、意外にも美味しくいただけ、「わ、美味しい!」って言ったらもう1杯いただきました。そしてお土産物屋さんのおかみさんから榛名や神様について少しだけお話をいただきました。
後で飲んでみましたが、雑味のない甘みですごくおいしいです。これが欲しかった、無くなったらまた榛名まで買いに行こう!って思いました。
帰路は多少渋滞していて、途中でパフェを食べて、すっかり日が落ちたために晩御飯も食べたため、結局4時間半くらいかかりました。
信じる信じないは好きにすればいいが、確かな真実を得ました。
神様ってのは確かに存在する。目には見えないけど、心の中に宿っているものである。その心を込めて描いた文字、作ったものに魂が宿るものである。だから物は大事にしないといけないのです。物を大事にするってことは、それを作った人、その人に居る神様も大事にするということなのですから。
粗末にすると、必ず罰が当たります。それこそ目に見えはしないが、交通事故、成人病、今で言えばコロナウイルス罹患などがあり、所謂ろくな死に方をしないってことにつながるのです。
Anything essential is invisible to the eyes.
(大事なものほど、目には見えないんだよ)
byサン・テグジュペリ
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Posted at
2022/11/20 10:33:40