2024年10月26日
長年の経験で悟ったこと
あるSNSをやってますが、その時に使ってる言葉は、今の日本社会を一言で表すなら
一億外道、です。
皆が皆、人の道を外した時代であるということです。
じゃあその例を挙げろと言われたらいくらでも挙げますけど日が暮れるので、一部だけ挙げます。
古くからはいじめ。
モラハラ、パワハラ、セクハラ、そして最近特に酷く社会問題になっているカスハラ。
みんながみんな自己中だからです。それを太古に遡って歴史を辿れば一つの世界に恥じるべき日本の悪習が未だに息づいていることを発見しました。
それは何か、
いけにえの風習です。
村が災害や干ばつなどで苦しい時、誰かを神様に生贄を差し出せば安泰になるという腐った考え方です。
イジメの根幹はここにあります。でもって、自分が苦しい時、自分が劣等感を抱いているとき、自分より弱い人間を「いけにえ」にすることだけにとどまらず、
「自分さえいけにえにならなければいい。自分以外の誰かがなってくれればいいい」
こう考える人が私の人生では1万人以上と出会いましたが、9990人くらいがそんな人です。
今の日本がダメになった一番の根幹がここにあります。
力のある人が力の弱い人を助けなきゃダメだろ、いじめてどうする
助け合わなきゃダメだろ、いがみ合ってどうする
かの故石原慎太郎氏も似たような発言していました。
でも残り10人には、私自身も入りたいと思ってますし、入るよう努力してるつもりです。
その残り10人の考え方はこうです。
自分が楽しているとき、その分誰かが苦しんでる。
自分が満腹の時、誰かがお腹を空かせている。
そして、
今もし自分が満たされてるとしたら、誰かがその支えになってくれている。
自分が間違いを犯しても咎められずうまくいくことがあるなら、それは誰かが庇ってくれてる。
もしあなたがホワイトカラーの人間だったらよりこれは意識すべきです。
自分がホワイトカラーでいられるのは、自分の能力じゃなく、あなたの代わりに汗を流し、汚れ仕事をやってくれてる人がいるということです。
私が配送中に台車を倒して荷物をぶちまけてしまった時、道行く人の何人もが片づけるだけじゃなく運ぶのを手伝ってくれました。そればかりか、「大変だね、がんばってね」とか「ご苦労様」という声までもらったり。その時、ああまだ日本人は滅んでない大和の血脈は私だけじゃないと思えました。
でもね、そんなの見ず知らずの他人じゃなく、親しい人、近しい人にこそしてほしいと願います。
家族や友達はもちろんですけど、職場の同僚、後輩や部下に対してもです。
本来みんな「味方」であるはずなのに自分の憂さ晴らしや保身、欲望のために「犠牲」にしたり「敵」に回すのは間違ってます。
ぶっちゃけ経営者になった今の私の目線では、会社の「課長」や「部長」なんて「社長」から見たら平社員と一緒です。昇格したからエライ、1年先輩だからエライなんて昭和考えは、令和に不要です。あなたが昇格できたのは、あなたの功績だけではありませんし、仮にそうだとしてもその功績は必ず誰かの支えがあってこそです。書面一つ作るのでも、その紙を作る人、その書面を作成するためのパソコン、プリンタを作る人、それらを運ぶ人、あなたの給与計算や日報をまとめてくれる事務員さん、辿ればキリがない幾万の人の支えがあってこそなのを忘れず傲慢になってはいけません。
大体人一人が80年生きていくのに、少なく見積もっても400万の人が支えていると言われています。そして自分自身も、その支えている400万の一人であるということです。だから、「支え合う」し、「お互いさま」なのです。
そのことはやっぱり意識も大事、そして言葉にすることも大事。何より、まず近いところから人を大事にしなきゃダメ!
次のたった二つの言葉を常に発する癖をつければまず自分自身の幸福度をどんどん上げて、周りの幸福度も連鎖していくことに気づきました。
そして、それらは大多数の人が何故かあまり使わない言葉です。
それは、ホント人として基本中の基本にして真髄、何より幸せになる魔法の言葉なのに大多数が何故か使わないのです。
ありがとう
と、
ごめんなさい
です。たったこれだけ。たったこれだけが言えるだけで、接してる相手も眉間のしわが取れるし、周りの空気が良くなります。言えてないから日本全体の空気が最悪なんでしょ。何故か、「礼」とは、難しい言葉を使うなら「仁」すなわち人を大事にする心を表すものだからです。
人の道は、礼に始まり礼に終わります。
これは、空手をやってた時、「武道は礼に始まり、礼に終わる」と常に言い聞かされました。
人の道として基本中の基本である仁義五行にも、「仁、義、礼、智、信」と「礼」の文字が入ってます。
その礼とは、挨拶と、「ありがとう」と「ごめんなさい」なのです。
これを常に心がけて、反射的に発するようになった時、どこへ行っても私は「アイドル」扱いされるようになり、私自身「謙虚なんて言葉は母のお腹に置いて来たわよ」ってくらい自己肯定感が富士山並みに高くなったし、それに伴って人から信頼されるようになったし、それこそが私のプライドです。
プライドとは自己愛でも傲慢という意味でもない、正しくは、「矜持」すなわち「自分への責任」です。
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Posted at
2024/10/26 11:35:06
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