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埴方ひかりのブログ一覧

2022年12月30日 イイね!

アメリカンスーパーカー サリーン・S7

何度も書いてきましたが、スーパーカーと言えばフェラーリやランボルギーニばかりを一番に思い浮かべる人ばかりなのが日本国民ですが、日本にもスペックの割には超特価で売られているスーパーカーがあり、それがフェラーリやランボルギーニブランドで売られるとすれば間違いなく2倍3倍の価格になるだろうことは自明の理です。

そして、アメリカにもスーパーカーはおろか、ハイパーカーまであります。
スペックだけを見れば欧州車に引けを取ってはいても、アメ車は日本車と同じくハッタリではなく脳筋実力一本槍で売られているものばかりです。ぶっちゃけ、あるヨーロッパ車が公称300馬力とすれば、同じ条件(同クラスで燃料や油脂類を揃える)なら日本車で350馬力、アメ車でも330馬力くらいでしょう。
さらにアメリカ車のすごいところは、日本車に引けを取らない乗りやすさと、大排気量車でも構造が単純で整備性の良さにあるでしょう。そして何より、これは英国車にも言えることですが、今や時代遅れ過ぎるバルブ機構、OHVでモンスタースペックを誇るところにあります。その最たるスーパーカーのひとつが、

サリーン S7

です。グランツーリスモ2以降をプレイしたことがある人なら、「あれか」って感じですが、大抵の人は知らないクルマでしょう。だって知られたらフェラーリとかが売れなくなるからで、要するにマスメディアの情報操作で洗脳されてるだけです。
2000年に登場。
エンジンはフォード製の7LV8OHVで、市販モデルは最高出力558ps、最大トルク72.86kg-mを誇るモンスターで、最高速度は約322km/h。
ランボルギーニ・カウンタックは300km/hの壁を超えたスーパーカーとして有名だが実は最強モデルでも出なかったのはクルマ好き名乗るなら常識の話ですが、このアメリカンモンスターはガチ中のガチ、ちゃんと記録として叩き出した数字なのです。このことからも、ハッタリの欧州、ガチ勢の日米と言えます。基本、アメリカ人と日本人って本来は頭のイカれた国民性ですからね(注:誉め言葉)だから本当はめっちゃ仲良しなはずなんです。
はい、これを書いている私こそ、頭のイカれた日本人の一人です。普通とか常識的とか言われるとガチギレし、イカれてるとか、ぶっ飛んでるとか言われるとめっちゃ喜びますwww基本、イカしたものにしか興味ありませんwww

そしてこのサリーン・S7、さらにクレイジーなハイパフォーマンスモデルが存在します。それが、S7ツインターボ コンペティションパッケージ。最高出力1000ps、最高速度420km/hのハイパーカーです。

残念ながらプラモデル化はされていませんが、テスターというメーカーから組み立て式のダイキャストモデルが販売されています。スケールは1/24。
正直難易度はザコ、幼稚園児でも作れるレベルですが一応対象年齢は10歳以上となってました。もちろん幼稚園児というのは私基準での話です。この程度だったら幼稚園時代でも作れたから。しかも車体は塗装済み。ってことで、制作期間は1日、1時間ほどで作れました。

前側から

超絶かっこいい!だから言ったでしょ、スーパーカーと言えば欧州車(注:英国、北欧は除く)はおよびじゃない、日米でしょって。

後ろ側から

1990年代のフェラーリっぽいけど、アメリカのメーカーがパクるわけありません。リアウインドウ周りにマスタングの面影があります。元々マスタングベースのコンプリートカーを作ってるメーカーですからね。

右側から

この姿から、あるダッジのコンセプトカーを思い出しました。

ダッジ M4Sターボインターセプター
雰囲気が似てると思います。市販化されなかったのが惜しい1台です。

このキット、ダイキャストモデルらしいギミックがあります。
それがドア開閉。

はい、バタフライドアです。これぞスーパーカーですね。

アメ車と言えばどうしてもコルベットやマスタング、そして1960年代70年代のマッスルカーの印象が強いですが、マス・メディアによって印象操作されているだけだと思いますね。ちなみに、現在の市販車最速車もアメ車で、SSC・トゥアタラの508.73km/hが記録(市販車史上初の500km/h)となっています。

Posted at 2022/12/30 13:19:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | クルマ
2022年12月28日 イイね!

UCF31型 セルシオ

なんでこんなモデルを買ってしまったのか。
実は、初めて嫌いなクルマの模型を作りました。
行きつけの模型屋さんで新発売の情報の話をしていた時、何を思ったのか注文してました。
専用エンブレムも持たないくせに、クラウンより高額なトヨタの高級車と言えば

セルシオ

です。ラテン語で「至上」「最高」という意味です。
俗世間では、クラウンをディスってセルシオを持ち上げる輩が一定数いますが、本来はクラウンの派生車であり、その存在感はレクサスに飲まれて消滅した程度のモデルです。

初代のUCF10系、2代目後期のUCF21系は好きなほうでしたが、3代目のUCF30/31型はどうひいき目に見ても好きになれないモデルでした。
というのも、一言で言うと大きすぎるのです。確かに性能面や高級車としての品格はベンツのSクラスやBMWの7シリーズを凌駕しており、まさにこのクラスの中では当時世界一なのは言うまでもありません。
いっつもドイツ車をディスりやがってと思うかもしれませんが、ただの一度でも何か一つでもドイツの高級車がセルシオに勝ったことがありまして?そりゃ数字上の動性能は排気量が5L6Lもあれば上回るのは当たり前ですが、30系セルシオは4.3Lなので、あくまで4~4.5Lクラスでの比較です。そして、セルシオと何とか肩を並べる程度のドイツ車は軒並み1500~2000万クラスであり、セルシオが600~800万程度なのはトヨタに儲けあるのか?と疑いたくなるほどのバーゲンプライスで、名やハッタリではなく、堂々と質の一本槍で勝負をしている点でブランドとハッタリで勝負している欧州車(例えば、日本車で公称280馬力勢の実馬力が280馬力オーバー~340馬力などが多いのに対し、欧州車は大半が公称出力を下回り、日本のガソリンを使うとさらに下がる)と比較すれば、コスパ最強のセルシオしか勝たん!のです。だからセルシオに憧れる連中が一定数いるのです。
しかし、この欧米に媚び売ったようなパッケージングや大きさ、デザインはまさに新型クラウンに通じるものがあり、それが気に入らないのです。それが、クラウンに勝てない、所詮クラウンの眷属でしかないと言ってる部分です。ちなみに、レクサス・LSはもっと嫌いです。
とはいえ、前述の通り、クラス世界一であることに変わりはなく、逆にほかにディスるべき部分はUCF31型セルシオにはなく、最後のセルシオとして讃えて差し上げましょう。
まぁせっかく買って作ったものなので、あまりディスるのもいかがなものですからね。デリシャスパーティプリキュア第26話、ここねちゃんがピーマン嫌いを克服したお話がきっかけです。

嫌いなものを受け入れて素直に認めたとき、人は大きく成長するのです。

ってことで、今回は今年の9月にアオシマからリリースされたUCF31型、すなわち3代目後期型です。
実はかなり力を入れました。制作期間は2週間です。

前側から

今回また車体色は緑系です。ここねちゃんのピーマンの話に因みました。
しかもこの緑、かなり凝って調色しました。
一応レシピです。すべてクレオスのMrカラーです。
暗緑色:3
黒鉄色:2
ホワイトパール:1
その上にスーパークリアーⅢです。
名付けて、グリニッシュグラファイトパール。
もちろん純正色ではありません。そもそもこの私が3色を混ぜるって好きなクルマにしかやらなかったことです。
3代目セルシオって色選択を間違うと、下品になったり嫌味になったりしますが、この色はどうでしょう?個人的には上品で威厳のある雰囲気になったと思います。もちろん頭が悪そうに見えるのでエアロなんて巻きませんよ。

後ろ側から

このベンツっぽいテールの形状はいただけませんが、3段テールを堅守したのは評価できるでしょう。初代、2代目にあった、サイズのわりの清廉感がなく、ボテボテしてるのが惜しいです。ベンツにケンカを売ってる感があるのは評価していいのかもです。

右正横から

サイドシルエットは素晴らしいですね。中々に流麗です。それでいて軽薄感は皆無どころか重厚感しかありません。欲言えばもうちょっと華麗さ、優雅さがあってもよかったかも。
タイヤ&ホイールは、UCF21型セルシオに付属していた18インチのディッシュタイプを選択。本当はBBSのDTMを履かせるつもりでしたが、それを今度制作するUCF21型セルシオに履かせたいと思ったため。


好き嫌いなしで評価すれば間違いなく2000年代前半のクラス世界最高級車、それがUCF31型セルシオです。異論は一切認めません。

Posted at 2022/12/28 22:24:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | クルマ
2022年12月25日 イイね!

ジャガーマークⅡ 更新!

約5年前に制作した、タミヤの1/24 ジャガー・マークⅡ
何度か地震で損傷しては修復を繰り返していましたが、今度は棚整理中に損傷しました。


右ヘッドライトレンズ欠損。
フロントサスペンション脱落。
フロントスタビライザー脱落。


リアコンビネーションランプ欠損。
リアフォグランプ欠損。

あとは所々埃の塊や汚れなどが目立ったので、まずは清掃。
そして、欠損部分の再制作。途中脱落したものが多数あったので、再度取り付け。

ってな感じで、無事に復活。
前側から

ヘッドライトは両眼とも430セドリックの丸目を流用しました。

後ろ側から

リアコンビネーションランプは、クリアパーツの樹脂だまりを加工して流用。
バックフォグは430セドリックのボンネットマスコットを加工して裏返して流用。

右正横から

全体的にきれいに磨き、銀色部分は再塗装しました。
さらにはフェンダートリムの追加、そしてアレンジとしてサイドモールを追加しました。オリジナルとは違いますが、オリジナル絶対主義ではないのでこれでいいのです。

ってな感じで、無事に作りたてのようなきれいな姿に戻りました。
いつ見ても美しいクルマですね。
Posted at 2022/12/25 10:47:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | クルマ
2022年12月07日 イイね!

WW2における大英帝国最速戦闘機の一つ ホーカー・テンペスト

大日本帝国には空軍というものが存在しませんでしたが、実質的には陸軍が空軍の役割を担っていました。
大日本帝国陸軍を代表する戦闘機といえば、中島飛行機の一式戦闘機(隼)がまず挙がるでしょう。
そして川西航空機の紫電改や三菱の雷電
大英帝国王立空軍では、バトル・オブ・ブリテンで活躍したホーカー・ハリケーンマーリン・スピットファイアが代表例ですが、一式戦闘機の後継機として四式戦闘機(疾風)があるように、ハリケーンにも後継機が存在しました。直接の後継機はタイフーンでしたが、欠陥が多くて実質上の失敗作であり、すぐ取って代わられました。それが今回制作した、

ホーカー・テンペスト

です。第2次世界大戦後期のヨーロッパ戦線では主力として、大戦後もMk.Ⅵがしばらく運用されました。
試作機であるMk.Ⅰの最高速は760km/h、制式採用されたMk.Ⅱで711km/hと、日本の戦闘機を圧倒する最高速を誇ったのが大きな特徴です。もちろん高速だから戦闘力が高いとは限らず、正直強い戦闘機を作る技術は大英帝国より大日本帝国のほうが圧倒的に優れていたのは言うまでもありませんが、少なくともヨーロッパでは最強クラスの戦闘機だったのです。
後継機は、ホーカー・シーフューリー

テンペストは英国のマッチボックスから1/72が1974年に発売されたもので、現在は絶版である貴重なキットです。たまたま立ち寄ったブックオフバザールで運良く入手できました。制作期間は3日ほどでした。
Mk.ⅠとMk.Ⅱが選択できましたが、形の好みからMk.Ⅱを選択。
王立空軍標準色に迷彩を施しました。

機首側から


機尾側から


右翼側から


迷彩は適当です。

久々に作って思ったこと、やはり戦闘機はレシプロ機に限りますね。
ジェット機だとデカールがごちゃごちゃあり過ぎますからね。
味のあるかっこよさこそレシプロ機の魅力です。
Posted at 2022/12/07 20:11:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2022年11月28日 イイね!

ソロモンに消えた佳き妹 CA-44 USSヴィンセンス

久々の艦船模型、それも久々のアメリカ艦です。
大東亜戦争は結果として大日本帝国が敗北しましたが、戦争の勝敗は結局のところ失うものが多かったか少なかったかの違いにすぎません。
アメリカもすべての戦闘で勝ったわけではなく、結果的に勝てたとしてもペリリューの戦い、硫黄島の戦い、シュガーローフの戦いといったように、帰還兵の多くがPTSDを患うほどの苦い勝利が多く、第1次ソロモン海戦や南太平洋海戦など惨敗を喫した戦闘も多々ありました。

今回制作したのは、第1次ソロモン海戦で大日本帝国海軍に大惨敗し、2席の姉妹館ともどもソロモンの海に散っていったニューオーリンズ級重巡洋艦7番艦、

CA-44 USSヴィンセンス

です。先に姉妹艦の

アストリア



クインシー

は制作していました(それぞれの名前にリンクを貼っています。興味ある方はご覧ください)が、ここでやっと3隻そろいました。ここで述べたいことは一つ、戦争で傷つき、悲惨な思いをしたのは日本国民だけじゃなく、見くびっていた日本の意外な強さに傷つき、悲惨な目にあったのはアメリカ側も同じであり、それが大きいか小さいかの違いでしかないということです。
逆に日本が勝利した戦いのほとんどが、あまりにも日本側が容赦なさ過ぎて何もそこまでやらなくても…と思える史実がいくつもあるくらいです。
第1次ソロモン海戦もその一つに数えていいでしょう。
第1次ソロモン海戦は、大日本帝国VSオーストラリア・アメリカ連合軍で、連合軍が比較的新式の艦が主力であるのに対し、大日本帝国が比較的旧式の艦が主力で数的にも不利の状況でしたが、結果として連合軍が大敗北を喫し、ニューオーリンズ級の3姉妹はソロモンの海に沈みました。

1936年5月21日 マサチューセッツ州クインシー フォアリバー造船所で進水。

日米開戦前は大西洋方面で輸送、警備、護衛任務に従事。
開戦後は、ミッドウェー海戦では姉のアストリアと行動を共にし、空母飛龍の友永隊の九七艦攻1機撃墜の戦果。以後はクインシーも合流、3姉妹仲良く任務に就いていました。
1942年、
ここからはウィキペディアより抜粋です。

ガダルカナル島の戦い
ヴィンセンスはクインシーおよび軽巡サンフアン (USS San Juan, CL-54) と共に「X光線」と呼ばれた輸送船団を護衛した後、7月26日に第62任務部隊と合流。27日、ヴィンセンスはコロ島(英語版)で上陸演習を行った。ソロモン諸島への進攻を控え、ヴィンセンスは第62.3任務群の旗艦となり、上陸部隊の援護役として行動することとなった。

補給の後、重巡洋艦群は「ヨーク」輸送戦隊を護衛してソロモン諸島方面へ向かい、8月7日にガダルカナル島沖に到着した。夜明けとともにヴィンセンスは観測機を発進させ、続いて僚艦とともに一斉射撃を行って海兵隊の上陸を援護した。海兵隊は軽微な反撃を受けたものの上陸に成功した。13時20分ごろ、早くも日本機の反撃が始まった。ヴィンセンスは輸送船団と太陽を背に最初の対空射撃を行い、撃退した。日没後、ヴィンセンスはアストリア、クインシーおよび駆逐艦ヘルム (USS Helm, DD-388) 、ジャーヴィス (USS Jarvis, DD-393) と共にグループを組んで哨戒を行った。

8月8日に入り、ヴィンセンスはガダルカナル島沖のエリア「X線」に戻って輸送船団護衛を再開した。午後、前日に引き続き日本機の反撃があり、ラバウルから飛来してきた一式陸攻は低空から雷撃を行った。ヴィンセンスは2,700メートル離れたところにいた輸送船を守るため、8インチ砲と20ミリ機銃で一式陸攻に対抗した。8インチ砲は水面に向かって発射され、一式陸攻は起こる水柱に突っ込むか避けるしか選択肢がなかった。ヴィンセンスは魚雷と爆弾から回避できたものの、ジャーヴィスには魚雷が1本命中し致命傷となった。

午後、偵察機がラバウルから南下する日本艦隊を発見。内訳は巡洋艦3隻、駆逐艦3隻、砲艦2隻および水上機母艦と判断された。ジャーヴィスはヴィンセンスらのグループを離れルンガ岬沖を出て、ヴィンセンスとクインシー、アストリアはサボ島北方で哨戒を続けた。ヴィンセンスのフレデリック・ロイス・リーフクール艦長は、翌朝になればラバウルからの日本機と艦隊が攻撃してくるだろうと予想し、夜は用心して哨戒するよう命令を出したものの、その用心はむしろ朝に起こると予想された戦闘に備えてのものだった。真夜中近くになり、リーフクール艦長は艦の指揮を W・E・A・ムーラン副艦長に委任して艦長室に入った。

第一次ソロモン海戦

約1時間後、ヴィンセンスの見張りは南の方角に曳光弾や火炎、そして低く鈍い音声を確認した。これは、三川軍一中将率いる第八艦隊の一隊がサボ島西方からガダルカナル島沖に入り、重巡シカゴ (USS Chicago, CA-29) 、オーストラリア重巡洋艦キャンベラ (HMAS Canberra, D33) および駆逐艦パターソン(英語版) (USS Patterson, DD-392) 、バッグレイ (USS Bagley, DD-386) のグループに対して砲雷撃を行った戦闘を示すものだった。ヴィンセンスは総員配置を令したが、こちらから戦闘の様子が見えていたにもかかわらず、シカゴのグループからは警報の類は来なかった。三川艦隊はシカゴのグループを打ちのめすと2つのグループに分かれて北に向かい、ヴィンセンスらのグループに迫ってきた。

1時55分、三川艦隊からのサーチライトがヴィンセンスを照らし出した。ヴィンセンスは味方からの照射だと勘違いして味方識別信号を送るよう指示を出した。これに対し、三川艦隊は一斉砲撃で応答した。状況を理解しつつあったヴィンセンスが反撃の砲撃を行ったものの、2つのグループからの砲雷撃に挟み撃ちにされ、艦のあらゆる所に砲弾が命中した。リーフクール艦長は艦の通信が途絶した状態にもかかわらず、19.5ノットの速力で戦場を脱出しようとした。しかし、別の一隊からの攻撃を受けた。砲弾が格納庫に命中して搭載機が炎上、測距儀も破壊された。2時ごろ、ヴィンセンスは右側に逃れつつあったが、三川艦隊は大打撃を受けたヴィンセンスを見逃しはしなかった。追い討ちをかけるように魚雷がボイラー室に命中し、ついにヴィンセンスは行き足を止めた。8インチ砲弾と5インチ砲弾合わせて、少なくとも57発が命中したと判断されたヴィンセンスは、パンチを喰らってよろめくボクサーの如く気息奄奄となった。

やがて三川艦隊は去っていき、後には炎上し瀕死のヴィンセンス、クインシー、アストリアの3重巡洋艦が残された。リーフクール艦長は2時30分に総員退艦を令して乗組員はヴィンセンスから脱出し始めた。リーフクール艦長が最後に救助された後、ヴィンセンスはアイアンボトム・サウンドに沈没していった。

補足をすると、ヴィンセンスとクインシーの立ち位置は終始アストリアを庇うかのようなもので、その結果としてヴィンセンスが最も多く被弾、アストリアはなんとか生き延びようと足掻くも翌日12時15分ついに力尽きました。ヴィンセンスの記念碑には次のように記されているそうです。
「ヴィンセンスは素晴らしい艦で、1941年4月23日以降、我々は皆ヴィンセンスを誇りに思っていた。ヴィンセンスは1942年8月9日2時50分にサボ島の東2.5マイルの、水深約500ファゾムの海底に眠っている」
(ウィキペディアより)

製作期間は空白期間を入れれば実に2か月。実質的な制作時間は10時間ほどでした。
今回は、戦時迷彩ではなく、戦前のアメリカ海軍標準色を選択しています。

艦首側から


艦尾側から


右舷正横から


3姉妹を並べてみました。

手前から、ヴィンセンス、クインシー、アストリア
こうして並べると確かに3姉妹って感じですね。
しかしよく見ると、艦橋の形状や対空兵装の配置がそれぞれ異なっています。

艦首側からの3姉妹


唯一救いがあるとすれば、アストリアの礼送を出迎えた艦がこの海戦に参加していなかったことにあるかもしれません。
Posted at 2022/11/28 22:18:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味

プロフィール

「配送でぎっくり腰。しかし、何とか完遂しました。
しかし、泣くほど痛いですわ。」
何シテル?   10/02 18:33
生粋のエンスージアストにして普通自動車第二種免許保有の正真正銘プロの運び屋です。 普通免許取得時の私のあだ名は「奇跡のドライバー」。運転センスゼロで、自動車学...
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